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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

姉とガハハと妹とそれから……

いいんだよ

作者:8D
某アメコミヒーローとざまぁ系小説にハマった結果、書きたくなったもの。
 私と、そしてある男の話をしよう。


 私はこの国における貴族という家の人間に生まれた。
 名前は語る必要もないだろう。
 あの男だって私に名を聞いた事は一度もないし、名乗り合った事も呼び合った事もない。
 それはたとえ互いの名前を知っていたとしても変わらない事だった。
 男にとってそれは必要ないものだったし、多分私にも必要のないものだったのだ。
 男にとって必要な物を私は持っていた。だからそれ以外はゴミみたいなものだ。
 ただ、この国の貴族にとってその名は広く知れたものだった。
 とはいえ、有名なのは私個人の名前などでなく、家名の方であるが。
 私の生家は侯爵家で、私は長女という立場にあった。
 実は王族の血筋が混じっているらしいが、どうでもいい話だ。
 そしてその当時、私には第一王子の婚約者という肩書きがあった。
 そのどれも私が自力で得たものではなく、生まれながらに持っていたものだった。
 それらがどれだけの恩恵を私にもたらしていたのか、それを知るのは私が十五歳を過ぎる頃だ。
 誰からも愛され、敬われ、庇護される。そういった恩恵だ。ただ私にはそれが恩恵だとわからなかった。
 仕方ない事だろう。当然とある物の価値を計る事はとても難しい。
 実際に失わなければ、気付けないものなのだ。
 さて、その尊さを知った時の事だ。
 さっきも告げた通り、十五歳の時に私はそれを知った。
 知るためには、ある出来事を経る必要があった。


 あれは婚約者の王子が主催した茶会の席での事だ。
 一人の賊が茶会を襲撃した。
 今思えば、あれは賊ではなかったのかもしれない。
 第一継承権を持つ王子は、何かと命を狙われる事が多かった。
 狙ってくるのは、もちろん他の王子達。第二以降の王子様達だ。
 だから、あの賊もそんな第一王子の命を狙う刺客だったのかもしれない。
 何より賊は、一直線に王子へ向かっていった。右手にはナイフを持っていた。
 しかし、無謀な突進を仕掛けた賊は護衛の騎士によってあえなく捕らえられてしまう。
 賊は組み伏せられてナイフを落とし、地に這いずった。
 だから油断してしまったのだ。何もできはしない、と。
 だがそれは間違いだった。男は魔術師だった。王子の護衛に自分を捕らえさせ、初めから騎士という肉の壁がいなくなった王子を狙うつもりだったのだ。
 ナイフを取り落とし、何も握られていなかった手にはいつの間にか小さな火球が宿っていた。
 その事に誰も気付いてはいなかった。

 私以外は……。

 だから私は、王子を守る壁となる事にした。
 愛する人を守りたい一心だった。
 魔法の才能が薄い私には、それを防ぐための魔法が一切使えなかった。

 できる事は、その身を差し出す事だけだ。

 放たれた火球は私の体を焼いた。体の左半分を激しい痛みが走った。しかも痛みは一瞬だけでなく、長く私の体を苛んだ。
 やがて、私の体を舐め続ける炎が護衛の騎士によって消され、私はようやく苦しみから解放された。
 ただ、その苦しみのかいがあって、王子は無傷だった。
 その事が嬉しくて、私は王子に微笑みかけた。
 しかし、王子は怯えていた。恐れおののき引き攣った表情で、私から目をそらした。
 私の貌は、もう人のものではなかった。
 それどころか、体すらも……。
 私を焼いた炎は私の半身から潤いを消し、滑らかな肌を奪った。
 肉が歪にふくらみ、まるでヘビが這うように火傷が走る。
 その事件があってから、私は第一王子の婚約者という立場を失った。
 それを境に、一度として王子と会う事もなかった。


 婚約者の立場は私の妹に移った。
 私は愛される事も、敬われる事も、庇護される事もなくなった。代わりに誰からも嫌われ、疎まれ、蔑まれるようになった。
 それは家族からも例外でなく、妹が挽回したとはいえ侯爵家に泥を塗った私に父は冷たい目を向けるようになった。
 人としての形を失くしてしまった私の話は、社交界でよくよく話にのぼったという。
 事件以来、外と隔絶されて屋敷から出る事を許されなくなった私は妹から話を聞く事しかできなかったが、そうらしい。
 思えば、妹だけは私を慕ってくれていた。
 見た目のおぞましさから、顔を引き攣らせていたが。
 それでも、そんな感情を表に出さないよう努力してくれていた事は嬉しかった。
 そんな私に、それ以降縁談の話が来る事などあるはずもなく、私は二年ほど家に閉じ込められた。
 次に外へ出られたのは、修道院へ送られる時だった。
 それは暗に、私を家から、いや、貴族社会から追放するという意味であった。


 外へ出される際、久し振りに顔を合わせた母から贈り物があった。
 頭環に布地を付けたような装飾品だった。これをつけると、私の顔の半分を布地で隠せるようになっている。
 最後の情けとして、贈られた物に私は嬉しさを覚えた。
「ありがとうございました」
 私は頭を下げ、一言感謝の言葉を贈った。
 そして、私を修道院へ送るための馬車へ自ら乗り込んだ。
 見送る家族を私は振り返らなかった。
 家族の姿を見てしまえば、最後だから、と色々な事を吐き出してしまいそうな気がしたからである。
 こんな私だから、せめて最後まで無様を見せたくなかったのだ。
 価値のなくなった私に残ったのは、侯爵家という立場だ。
 そのプライドが、その時の私の心を囲っていた。

 私一人を乗せる馬車は、私のおぞましい姿から目をそらさせるように煌びやかだった。
 私の乗る馬車を荷物を載せた馬車が追従し、二台の馬車を護衛の兵士達が護り固める。
 ただそれは、私が途中で逃げ出さないようにするための配慮に思えた。
 曲がり間違っても、決して私という存在が目に触れぬよう、見張るためのように思えた。
 父から厳命されているのだろう。ただの護送任務だというのに、兵士達は見るからに緊張していた。
 当の私自身、そんな気は毛頭ないのにご苦労な事だ。
 カラコロと回る車輪の振動に身を揺らしながら、私は故郷の景色を目に刻みつけようと窓の外を眺め続けていた。
 少なくともその時の私は、懲りもせず家族の事を想っていた。私一人がここから去り、自由を捨て去れば家は何の心配もしなくて済むと、心から考えていた。
 私を乗せた馬車が、いよいよ領の端まで来る。
 これから入る山道を通り過ぎれば、生まれ育った領と永遠のお別れだ。
 私は感極まり、目から涙が溢れた。目を閉じて必死に耐えても、まるで絞り出されるように目尻から涙が零れた。
 それから暫くの間、私は悲しみを堪える事に尽力する事となった。
 ようやく涙が枯れ始めた頃、馬車は森の真っ只中だった。馬車の窓から見える風景には、木々しか見えなくなっていた。
 そんな時だった。私があの男と出会ったのは……。



 それは一瞬の事だった。
 ピューッという甲高い音が鳴ったかと思えば、同時に私を取り巻く状況が変わった。
 思えばそれは、周囲の仲間に対する合図だったのだろう。
 私を運ぶ馬車の一団に、三十人を越える男達が群がった。
 恐らく彼らは、盗賊だ。この馬車の荷を狙って襲い掛かってきたのだ。
 木々の陰から飛び出した男達に、護衛の騎士達は驚きながらも応戦する。私はその様子を窓から見ていた。
 私の見る前で、騎士の一人が斬られる。そして、騎士を斬った盗賊が二人の騎士に突き殺された。
 初めて見る命を取り合う戦いに私はただ怯え、震える事しかできなかった。
 数に優れ、戦い慣れた盗賊たちを相手に、騎士達は瞬く間に壊滅した。
 ある者は斬り殺され、ある者は逃げ、その場に護衛の騎士は残っていなかった。
 一人残された私は、これからの自分がどうなるのか、それを考えて恐怖した。
 私の乗った馬車の扉が開かれる。
 そうして震える私の前にその男は立っていた。
 上半身裸で、白地に青い模様が入った下穿きだけを穿いていた男だ。歳は若く、裸の体は鍛え上げられてたくましかった。
 顔立ちはあどけなさが残り、左目に着けられた黒眼帯の厳つさがアンバランスに思えた。

「ガハハ」

 男は私を見ながら、今まで聞いた事のない種類の下品な笑い声を上げた。
 私へ近付いてくる男。恐怖で足の竦んだ私には逃げる事などできない。少しでも動けば殺されてしまうのではないか、と思えて動けなかった。

「こいつはいい。お宝だけじゃなく、女もいるなんてな」

 男はいやらしく笑う。
 この男は、私という女をご所望らしい。そう思うと、少しだけ恐怖が和らいだ。
 もしかしたら、助かるかもしれないと思った。
 男が私の体に触れた。同時に、私は顔に掛かる布を外した。
 火傷痕の残る肌があらわになる。男の動きが止まった。

「これでも?」

 こんな容姿の女を抱きたいという男はいないだろう。
 たとえ盗賊などという卑しい人間であろうと、それは代わらないはずだ。
 私という女は、そんな人間ですら忌避する存在なのだ。

「ガハハ」

 しかし男は変わらぬ表情で笑う。私は怪訝な思いで男の顔を見た。
 私の肩に無骨な手をかける。

「女なんて、穴さえあればいいんだよ」

 その言葉に絶望した。
 私は見誤っていた。粗野で野蛮な人間というものは、女の美醜など気にしないのだ。
 その言葉どおり、物のように人を見て振舞う生き物なのだ。
 少なくとも、私の目の前にいるその男はそんな人間だった。
 私は男によって手篭めとされ、失意に心を占められた。
 男の目の前であられもない姿を披露し、無様に体を横たえる事しかできなかった。

「ガハハ! 中々いい具合だったぜ。気に入った。手元に置いてやる」

 男は下品に笑うとそう言った。
 私を辱めるに飽き足らず、男は私から自由すらも奪う事にしたらしい。
 私は男の戦利品として、森の中へと連れ去られた。
 馬の上に、男は私を腕に抱き締めるようにして同乗させた。
 私は抵抗できなかった。たとえ私を貶めた汚らわしい相手の腕に抱かれていても、それを拒む気が起きない程に私の失意は大きかった。
 いや、そんな相手に汚された私もまた、きっと汚らわしい物に違いなかった。
 この時私は、いろいろな物が壊れた思いだった。
 今までの常識、世界観、価値観、人の見方、そして心。
 あらゆる物が壊れたのだ。
 身分も立場も居場所さえ、全て私は失った。
 貴族としての私は死に、そして、新しい自分に生まれ変わったのだろう。
 でなければ、それから先の人生を生きていこうと思えなかったはずだ。


 男に連れられた私は、森の中にある小さな集落へ辿り着いた。
 恐らく、盗賊の根城だろう。
 そこには数十人の人間が住んでいた。女性や子供が多く、帰ってきた盗賊の一団を迎えていた。
 そういう様子は、狩りに出た男勢を待つ家族といった光景にしか見えない。
 実際、男達のした事は狩りと呼べるものだったかもしれない。
 狩る対象は人間だったが……。
 盗賊の根城というよりも普通の村に見える集落だった。
 私は集落の中を担ぎ運ばれた。そこに女性へ対する気遣いなどはない。荷物を運ぶような感覚で私は運ばれた。
 なんて野蛮な男だろう。

「ガハハハハハッ!」

 私を担いで歩く男は、終始機嫌が良さそうに笑い続けていた。
 この野蛮な男はよく笑う。
 何が楽しいのだろうか? と首を傾げたくなるようなタイミングで男は笑う。
 そうして連れられたのは集落の他の建物より、少しだけ大きい造りの家だった。
 男に担がれたまま、私は家の奥へと運ばれていく。
 そして、たくさんの藁が敷かれた部屋で下ろされた。
 ここは寝室と見ていいのだろうか? だとしたら、この男は私をここへ住まわせるつもりなのか。
 もしそうなら、私に求められる役割は……。
 私は服の裾をギュッと握った。
 男なり言い方をするなら、私は「穴」になるのだろう。

「逃げてもいいが、無駄だと思え。外には人も多くいるし、夜だって見張りの手下がいるからな。ガハハ」

 それだけ言い置くと、男は部屋から出て行った。
 この部屋にはドアなどない。あるのは入り口を隠す布だけだ。
 男が布をくぐって出て行くのを見送ると、男はそれほど間を置かずに戻ってきた。
 その右には、まるで荷物を持つように一人の老婆を抱きかかえていた。
 もしかして、それも「穴」か?
 穴さえあればいいにも程がある。

「お袋、この女の面倒見てやってくれや」
「あいあい、わかったよ」

 男が言うと、老婆は返事をした。どうやら、彼女はこの男の母親らしい。
 この男にも、流石にそこまでの分別はあったか。


 男が私に求める役割は、何の捻りもなく私の予想通りだった。
 男は私にこの部屋をあてがった日から、毎日私を抱きにこの部屋へ訪れるようになった。
 この下品で粗暴な男に抱かれる事は不快以外の何物でもなかったが、だからと言って私に抵抗する術は無い。
 だから毎夜、成すがままだ。
 屈辱的で、悲しくて、静かに泣いた。
 ただ、それ以外の部分では特に不満もなかった。
 貴族だった時の生活を思えば雲泥の差はあったが、毎日食事が出て飢える事もなかったし、風呂にも入れてもらえた。
 男の母親も優しく、男の言葉を守って私の世話をしてくれようとしてくれる。

「ああ、もうお昼だったね。食事の用意するからね」
「大丈夫です。食事はさっきいただきましたので」
「そうだったかい? そうだったね。もう昼間じゃないか。あの子を起こしてあげなくちゃね」
「あの男はもう出かけましたよ」
「そうだねぇ。もう昼だものねぇ。食事の用意をしなくちゃねぇ」

 しかし、この老婆は歳を召しすぎていらっしゃるようで、世話をしてくれようとしてくれるだけだった。
 見ているのも危なっかしいので、老婆の補助をしていると自然と家の仕事が身に付いてしまった。
 この関係は時間が経つにつれて、むしろ私の方が老婆の世話をしているような形になっていった。

「いい娘さんだねぇ。あんたみたいな器量良しは見た事ないよ」

 そんな事を言われた時、私は苦笑した。
 あまりにも見え透いたお世辞だと思った。
 私の容姿を見て、そんな事を思うわけはない。もしくは、この老婆は目が悪いのだ。

「そんな事は、ありませんよ」

 私は自分の顔の半分を撫でた。火傷で盛り上がった肉の感触が返ってくる。
 その手に、老婆の手が重ねられた。驚いて、私は老婆を見た。

「いいや、器量良しさ。顔なんて、歳を経ればみんなくしゃくしゃになっちまうんだ。でもあんたの綺麗な所は、損なわれない所にあるんだよ」

 曖昧で、あやふやな言葉だ。根拠なんてありはしない。
 内面的な話なのかもしれないが、付き合いの短い彼女に私の何がわかるというのか。
 けれど、この老婆が私の事を認めてくれている事は伝わってきた。
 今の私にこんな事を言ってくれたのは、彼女が初めてだった。
 それどころか、家柄以外に私という人間を認めてくれた人も彼女が初めてだろう。
 私はそれを嬉しく思った。
 咄嗟に思ってしまった事は多分照れ隠しだ。

「ありがとうございます……」
「あんたみたいな子が、あの子の嫁に来てくれて嬉しいねぇ」

 残念ながら違う。私はただの「穴」だ。
 けれど老婆が嬉しそうだったので、訂正しないでおいた。


 それから三月ほど経った頃。
 尻を叩かれて興奮する自分を発見し、愕然としていた時期だ。
 私は自分の体の変化に気付いた。性癖的な意味ではない。
 思えばそれらしい予兆はあったのだ。
 味覚が変わって今まで好きな物があまり美味しくなくなった。
 無性にすっぱい物が食べたくなった。
 お腹が少し膨らんできた。
 妙にお腹が空くからよく食べるようになって、太ったとばかり思っていたがそういうわけではなかったらしい。
 私は、妊娠していた。
 相手は言わずと知れたあの男だ。
 私はあの男以外に抱かれた覚えなどない。
 素直に男へ報告する事にした。
 あの野蛮な男とて、自分の子供ができたと言えば無体な事はしないのではないか、という打算が働いての事だ。
 ここへ来て何度も私はあの男に抱かれたが、好きで抱かれた事は一度も無い。
 あの男にはむしろ恨みすら持っている。
 いくら肌を重ねても、向けてやる情なんて一切持ち合わせていなかった。
 だから、これ幸いと思って男のもとへ向かう。
 だが、男へ会いに行く途中で、ふと別の考えが浮かんだ。
 もし、あの男が子供よりも自分の性欲を優先したらどうしよう……。
 私は急に不安を覚えた。
 子供を宿すという事は、あの男にとっての存在価値を失うという事ではないだろうか。
 私は一時的にでも「穴」ではなくなるのだ。
 その時あの男はどうするだろう?
 もしそうなった時の事を考えると恐ろしく思った。
 ここから追い出されるならまだいいが、もしそうじゃなかった時の事を考えると恐ろしい。
 自分の命の危険もそうだが、不思議なもので私は憎い男の種で孕んだ子供の事も案じていた。
 子供に罪は無い。あの男の子ではあるが、私の子でもあるのだ。
 無体な事はしてほしくない。
 私は廊下で足を止め、顔を俯けてどうするか悩んだ。

「ガハハ。どうした? そんな所で突っ立って」

 声をかけられる。顔をあげるまでもなくそれが誰かわかった。
 実際に顔をあげると予想に違わず、下品な笑みを浮かべる男がいた。
 私は怯んだ。ここまで男を恐ろしいと思ったのは、馬車を襲撃された時以来だ。

「丁度いい。今から部屋に行く所だったんだ」

 私の部屋に来るという事は、そういう事だ。私を抱くつもりなのだろう。
 だが、それは困る。
 下手をすれば子供が流れてしまう。
 男に子供の事を伝えるのは恐ろしかったが、伝えなくても大変な事になってしまう。
 私は意を決した。
 私を連れて行こうとする男の胸を押し、留める。
 男は立ち止まった。

「……子供ができました」

 言葉にすると、男は目をまん丸に見開いた。驚いているのだろう。
 だが、次第に男の表情は元の笑顔に戻っていった。
 次に男が言葉を口にするまでの時間。その時間は不安で、妙に長く感じた。
 やがて、男は口を開いた。

「ガハハ、じゃあ仕方ねぇな。休んでろ」

 意外な事に、男は簡単に応じた。
 男が私の意志をこうも素直に尊重するとは思っていなかった。

「あの、よろしいのでしょうか? 私はここで子供を産んでも」
「なんでそんな事を聞くんだ?」
「抱けない女は、穴になりませんよ?」
「子供ができりゃあ、それだけ人手も増えるからいいんだよ。ガッハッハ!」

 男は馬鹿みたいな上機嫌になり、大笑いした。
 正直に言って安心した。こんな男でも、肝心な所では人の道を踏み外していないらしかった。



 自室で編み物をしていると、お腹が内側から蹴られた。
 あなたのための服を編んでいるのに、何が不満なのかしら。もっとフリルでも付けろと言うのだろうか?
 それとも服なんかいらないよ。なんていう破天荒な意思表示か。
 そんな変な子が生まれてきたらどうしよう。
 こんな事を考えるのは、お腹の子供に栄養を取られて弱っているからかもしれない。
 あの男の子供は産まれる前から大食らいのやんちゃ屋で困る。
 私は大きくなった腹を撫でた。
 今は臨月で、いつ生まれてもおかしくない時だった。

「がはは」
「がははー」

 部屋の入り口で二つの笑い声が聞こえた。お腹から顔を上げて、そちらを見る。
 すると男女の子供が部屋に入ってくる所だった。
 一人はあの男の面影がある、やんちゃそうな顔つきの男の子。もう一人の女の子にもあの男の面影は見えるが、それ以上に私の面影の方が勝っている。
 似ているのは当たり前だ。この二人は私が産んだ、あの男の子供なのだから。
 今、お腹に抱えているのは三人目の子供だ。
 それよりなんですか? 母はそんな笑い方を教えた覚えなんてありません。

「おかえりなさい。あと、その笑い方はやめなさい」
「えー、なんでー? 父ちゃんの真似じゃん」

 だから嫌なのだが。
 お腹を痛めて産んだこの子達を私は愛している。が、あの男は別だ。
 子供達があの男に懐くのは気分がよくない。
 あの男の母親が亡くなって、もう三年近く経つ。下の子に関しては、彼女に世話された事すらない。
 この子達の面倒は、ほとんど私が見てきたのだ。
 よく家を空けて、気が向いた時に帰って来て、私を抱いてまた出て行くようなちゃらんぽらんなあの男が懐かれるのは納得がいかないのだ。
 しかし、その納得いかない事態は着々と進行中である。長男の方は特に顕著だ。
 あの男に憧れてすらいるように見える。言ってもこの笑い方をやめないだろう。
 ならせめて、と私は妹の方に向き直った。

「少なくとも、女の子はそんな笑い方をしてはいけません」
「だったら、どう笑えばいいの?」
「淑女は「ほほほ」とか「ふふふ」とか、上品に笑うものです」
「わかったー」

 後日、妹の方が「にょほほ」とか「にゃふふ」とか笑うようになった。
 断固として私のせいではない。きっとあの男のせいだ。


 三人目の子供が生まれた。男の子だった。
 フリル満載の服を着せたその子をあやし、ようやく眠かしつけた時の事だ。
 どこぞかへ出かけていた男が帰ってきた。
 男は帰って来てすぐに私の部屋へ訪れ、挨拶も無く「ガハハ」と笑って私を押し倒した。
 こういった物扱いにも慣れたものだ。
 幸い、真夜中だったので他の子供達はとうに寝ている。そうしたものを見せずに済んでよかった。
 この男はいつもそういった事を気にせず、したくなったら押し倒そうとするのだ。
 これだから野蛮な者は嫌いなのだ。

「なぁ、知ってるか?」

 男が唐突に訊ねてきたのは、事を終えた後の事だ。
 いつもは疲れてすぐに眠るので、こうして話をする事はあまりなかった。

「何を?」
「この国の第一王子が暗殺されたらしいぞ」

 一瞬、何の話かわからなかった。
 第一王子と言われて、誰だっただろうかと本気で思った。
 彼と顔を合わせたのは、あの茶会が最後だ。顔もおぼろげで、いまいち思い出せない。
 彼と婚姻を結んだ妹は元気にしているだろうか?
 そちらの方が余程気にかかった。

「そうですか」
「そうだ。茶会に忍び込んだ暗殺者に殺されたらしい」
「へぇ……」
「それだけか?」

 それぐらいしか感想は湧かない。
 そんな相手の話をどうしてこの男は私に話すのだろう?
 私という人間の事を訊ねようともせず、ただ物として扱ってきたくせに。
 何故私が第一王子と因縁ある事を知っているのだろう?

「ガハハ。眠くなった。寝るぞ」

 男は唐突に言うと、私の体を抱き締めた。

「寝るのでしょう?」
「何か抱きながら眠ってみたかったんだ」
「そうですか。どうぞ、ご勝手に。あ、子供が夜泣きするかもしれないので、あんまり強く抱き着かないでください」
「ガハハ……」

 男は少ししょんぼりとしたトーンで笑うと、渋々抱く腕を解いた。



「なぁ、母ちゃん」

 いつも兄妹は二人一緒にいるが、その日は珍しく兄の方が一人で私に会いに来た。
 私は三人目の子供をあやしている最中だった。

「膝枕して」

 甘えるように兄は言う。
 さては、弟にばかりかまうから寂しくなったな?

「おいで」

 言うと、兄は喜んで私の膝に頭を乗せた。仰向けで、私の顔を覗き込んでくる。

「やけど、触っていい?」
「どうぞ」

 この子には変な癖がある。私の火傷を触りたがるのだ。
 それは赤ん坊の頃からで、ちょっとぐずっても火傷を触ると泣き止んだ。
 最近はわざわざ触りに来る事もなかったが、その癖が治ったわけではないらしい。
 私も小さかった頃は、母の黒子を触りながらじゃないと眠れない癖があった。
 それと同じ事かもしれない。

「なぁ、母ちゃん」
「何ですか?」
「王様の町に行ったら、母ちゃんみたいな美人がいっぱいいるのか?」

 王様の町とは王都の事だろう。

「私は美人じゃありません」

 こんな顔では、誰も見向きもしないだろう。

「ふぅん。そうなのか」
「どうしてそんな事を聞いたのですか?」
「俺、母ちゃんみたいな綺麗な女を嫁さんにしたいんだ。父ちゃんみたいに」

 残念ながら私は母ちゃんではあるが、嫁さんでは無い。
 だからあの男みたいになってくれるな。
 ただでさえ、最近顔も性格も似てきているんだから。

「で、それ父ちゃんにも言ったんだけどさ。顔で選ぶなんざまだまだだって言ってた。女は顔じゃないんだって」
「そう……」

 あの男にしては珍しく、殊勝な言葉をのたまったものだ。少し感心した。

「女は穴さえあればいいんだって」

 全然珍しくも殊勝でもなかった。あの男はどこまでもあの男だ。

「お嫁さんは、顔も性格も見て選びなさい」
「ん? わかった。母ちゃんみたいに美人で、顔の半分をやけどした女を選ぶよ」

 それはそれで問題だ。もしかして、そんな特殊な趣味を持ったのは私のせいか?
 少しモヤモヤする。
 しばらくするとあの男が帰ってきたので、そのモヤモヤの解消と変な事を子供に教えた制裁として殴っておいた。
 こういう事をしたのはこれが初めてなので、男は驚いて目を白黒していた。
 その顔がおかしくて少し気が晴れた。



 最近、体が思うように動かなくなってきた。
 深い火傷を負った人間は、普通の人間よりも体にガタが来るのが早いらしい。
 気付けば一番上の息子が盗賊の頭になり、その妹が恋人を連れて挨拶に来た。末の子だって一人前になり、兄と一緒に盗賊稼業だ。
 そんな変化があれば、私が歳を取ってもおかしい事ではない。
 あの男に抱かれる事も、ここ数年はない。
 きっと私にはもう、道具としての価値すら失せているのだ。
 今主にしている事といえば、家の軒先であの男が作った安楽椅子に座っての日向ぼっこぐらいだ。
 そうして昔を思い出し、日々を過ごしている。
 そのまま私はだんだん動けなくなって、いずれは寿命か病で死ぬだろう。
 それが私の人生だ。

「ガハハ」

 笑い声がする。見ると、私の隣で男が仁王立ちしていた。
 彼もまた、長男に跡目を譲ってからは気楽な隠居生活真っ最中だ。
 毎日、集落のどこかでダラダラと過ごしている。
 男は私を見下ろし、笑みを向ける。
 少し皺が目立ち始めてきたが、その笑みは若い頃と同じだ。
 本当に下品でいやらしく、野蛮な笑い方をする。

「何か?」
「ここに立ちたかっただけだ。ガハハ」
「そうですか」

 私が会話を終わらせると、男も話しかけてはこなかった。
 ただ、時折思い出したように「ガハハ」と笑う。特に意味のない笑いだ。
 そんな男を見上げる。すると、男は私が目を向けている事にすぐ気付いた。
 こちらを盗み見ていたのかもしれない。
 私は口を開く。

「いつまで、私をここへ置いておくのですか?」

 私が訊ねると、男は笑みを消した。

「何故、そんな事を聞く?」
「今の私には、手元に置く価値がありますか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「ここ何年も、私をお抱きになっておられないじゃないですか。もう、年齢的に子供も産めませんし、私がここにいる価値はすでにないのではないか、と思ったのです」

 問いに答えると、男は思い悩むように俯いた。難しい顔をしながら自分の頭を軽く叩く。
 やがて、思案を終えて私へ目を向ける。

「ガハハ」

 開口一番に発せられたのは、例の笑い声だ。
 男はしゃがみ込み、私と視線を合わせる。肘掛けに乗せられた私の手に、自分の手を乗せた。

「お前は俺の隣にいればいいんだよ」
「そうですか。わかりました。じゃあ、居られる限りはいましょう」

 私は長い間この男と一緒にいて、この歳になって、最近思うのだ。
 もしかして、この男は私の事が好きなんじゃないのか? と。
 物に対して向けるものとは違う、愛情のような物を感じる気がするのだ。
 錯覚かもしれない。
 けれど、そんな錯覚をしてしまうというのなら、私自身にそんな願望を懐く理由があるのだ。
 多分、私はこの男を愛しているのだろう。
 言葉は悪いが、絆されてしまったという事だ。
 この男が私に好意を寄せていると口にするまでは、そんな態度をおくびにも出さないが。
 もし勘違いなら悶絶してしまう。
 だから、まだ私達はこのままだ。
 彼が「好きだ」と一言でも私へ告げる日まで、私はしれっと一緒にいよう。
 手を伸ばす。男の手を掴んだ。
 満足に力の入らない手で引くと、男は簡単にこちらへ動いた。

「ガハハ」

 野蛮な男は「ガハハ」と笑う。
 寄り添うような近く。笑い声が一番よく聞こえる場所。
 これからもずっと、そこが私の居場所だ。

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