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この作品には 〔ガールズラブ要素〕 が含まれています。

Good morning to all

作者:多和田小径
 その人は私よりも先に生まれて、やがて文学部の末席を汚すことになる私よりも遥かに読書家で、文章を書くのもとても上手かった。そしてその人は順番通り私よりも先に死んでしまった。
 面識は全くなかった。偶然見つけた彼女の書くウェブログをRSSで更新を確認するたびに読み耽り、いつも感心しているだけの読者に過ぎない私を彼女は知る由もなかったはずだ。
 明日誕生日を迎え、私はついに彼女の年齢に追いついてしまう。彼女の死後、私はその影を追い続けていた。そして、年齢だけが彼女を追い越そうとしている。
「はっぴばーすでーとぅーみー」
 自虐的に口ずさんだバースデーソングだけれど、誰かに歌ってもらった記憶も、誰かに歌ってあげた記憶もない。毎年「誕生日おめでとう」と言って両親からプレゼントを贈られてはいたが、彼らはいつも忙しそうでケーキを囲んで子供の誕生日を祝うような余裕はなかった。
 いまではあの頃よりも落ち着ついた家庭になったけれど、私も誕生日パーティーをねだるほどの年齢ではなくなっていたし、大学生になって一人暮らしを始めてからは年に数度すしか実家に帰っていない。
 久しぶりに彼女のログを開く。遺族かそれとも他の知人かは分からないが、そのサイトのサーバーは何者かによって昔のまま維持され続けていた。
 トップページに彼女による最後の更新となった遺言があり、私はそれを読まずアドレスを入力し直して、最後のページつまり最も古い文章を読み始めた。
『木漏れ日は暖かいが木陰は寒く、私はいつも震えている』
 こうして始まった文章は彼女が亡くなる五年前、大学に入学した年の四月下旬に書かれている。
 自己紹介らしいものはなく、日を追うごとに彼女の素性が見えてくる。私よりも十も歳が離れていて、両親が健在で弟と妹が一人ずついること、大学は都内で、文学部に在籍していること、そしてとてもつもなく読書家であること。それから、死にたがっていること。
 何でもないようにその日読んだ本の抜き書きや感想が書かれていることがほとんどで、それはよくできた読書案内のように読めた。そうしたログの間隙を縫うように彼女は死ぬことについて短く書くことがあった。
『上を向いて歩けば飛び降りるのにお誂え向きのビルが目につく』
 彼女は十三階建てのビルから飛び降りた。それは深夜のうちに行われ、早朝に発見された。
 私は彼女の屍体を見たい衝動に駆られた。生前の彼女の姿さえ知らないし興味もなかったけれど、死んでしまった彼女には惹きつけられた。私は鴉になって人間よりも早く彼女の屍体を見つけて、それを啄ばみたいと思った。するとたちまち彼女の知性が宿るのではないかと妄想していた。墜落死した彼女の知性が夜空を飛び回る鴉に宿るなんてよく考えれば皮肉なことだ。
 不意に携帯電話が振動して、コップに残った氷水に短い周期の波紋を浮かべた。
 鳴り止む気配のないバイブレーションに根負けして画面を見ると学生時代の友人の名前が表示されていた。
「はい」
 ふと「もしもし」と言わなくなったのはいつからだろうと疑問が湧いた。
「出るの遅い」
 名乗りもせず開口一番に文句を言う美彌子の声は電話で聞くと冷たく感じる。
「どうしたのこんな夜中に」
 ベッドに置かれた目覚まし時計に目をやるとすでに日をまたいでいた。時間を意識すると途端に眠気が訪れた。
「きょう誕生日でしょ。おめでとう」
 こんなことで美彌子から電話が掛かってきたのは初めてで、私はどう返事をすれば良いのか分からず動転してしまう。
「え、ああ、うん。ありがと」
 辛うじて絞り出した感謝の言葉に脱力したように、電話越しに彼女のため息がはっきりと届いた。
「ねぇ……」
「なに?」
 これまでの付き合いの中で美彌子が何かを言い淀むことは滅多になかった。降り積もる沈黙に轍を残すように車の走行音だけが微かに聞こえる。
「もしかして外にいるの?」
「ええ。あなたの家に向かっているの」
「冗談でしょ?」
 彼女が私の部屋に来たのは卒業論文を提出した日、私たちだけの小規模な打ち上げ以来のことで、もう二年以上経つ。四年も住んだ部屋はすっかり身体に馴染み、学生割引がなくなって少しばかり家賃の上がったアパートに就職後も住んでいることを彼女はいつも呆れていた。
「こんなつまらない冗談を言う人間にはまだなってない」
「嘘……」
「嘘じゃない。もう着くから、切るね」
 三分足らずの通話が終わって茫然としているうちに呼び鈴が鳴った。ドアスコープを覗けば、学生時代よりも小綺麗になった美彌子の姿があった。
 観念して鍵を開け彼女を招き入れると、ドアが閉まるのも待たずにラッピングされた小包を渡された。
「誕生日のプレゼント」
 ぶっきらぼうな言い方と行為の乖離に戸惑いつつ礼を言う。
「あ、ありがと……。開けても?」
「良いけど、とりあえず上がらせてくれる?」
「あ、ごめん」
 狭い玄関の壁に背中をつけて美彌子を部屋へと通し、私は玄関の鍵を再度閉めた。
「相変わらずチェーンを掛けないのね」
 美彌子は前を向いたまま苦言を呈した。
「治安が良いのからね」
 そう返すと彼女は眉間に深い皺を寄せた顔をこちらに向けた。
「何を言ってるの。最近この辺りで通り魔があったじゃない」
 新聞も取らずニュース番組も見ない生活をしていたせいか、その事件のことは初耳だった。
「危ないじゃん。何一人で歩いて来てんの」
 語気を荒げて叱責しても、彼女はうるさそうに片手を振って取り合わない。
「大丈夫よ。犯人は捕まってるから」
 ことも無げにそう言って彼女は部屋に一つしかない座椅子に腰掛けた。
「そういう問題じゃないでしょ」
 私はすっかり脱力してしまい、右手に美彌子からの贈り物を持ったままベッドに倒れ込んだ。手のひらよりも一回り大きな直方体のそれを額の上に置くと、心地良い重量感があった。
「これ、婚約指輪とかじゃないよね?」
 指輪にしては大きな箱だと分かりつつ、くだらない冗談で美彌子の反応を伺った。
「付き合ってすらいないのに渡すわけないでしょ」
 彼女はさっきまで私が読んでいたウェブログを、左手で頬杖を突きながら読んでいた。
「だよね。開けて良い?」
「ええ」
 起き上がり、額から落ちる箱を両手で受け止めた。改めてよく見ると、それは有名百貨店の包装紙に包まれていた。思わず「高かったんじゃないの?」と口に出しそうになったけれど、なんとか堪えた。美彌子はそういう話が好きではなかった。
 包装紙のテープをきれいに剥がそうとしたけれど、テープはいくつも貼ってあり、一度剥がすのに失敗して紙が破けてからは諦めた。
 所々破れた包装紙を脇に放り、あらわになった箱を見る。それは白く、時計メーカーのロゴが金押しされていた。箱を開けると淡いピンクゴールドの腕時計が出てきた。私には似合わないと思った。
「似合わないと思ったでしょ」
 思考を読んだというより、そういうものを美彌子は見繕ってきたのだろう。
「絶望的にね」
 腕時計から緩衝材のクッションを抜いて、腕を通す。やはり似合わない。ベルトも緩く、手を挙げると手首よりも肘に近いところで落下が止まった。それを見て美彌子は笑った。
「ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
 手を小さくすぼめれば留め具を外さなくても腕時計は抜け落ちた。よく見ればデザインそのものはか細い私の腕に似合っているような気がした。
「二七歳四か月十六日は生まれて一万日め」
 唐突に美彌子が言った呪文のような言葉を私はほとんど理解できなかった。
「え? 二七歳が何だって?」
 今日の誕生日は二七回めのことだったので、それだけは聞き逃していなかった。
「生後一万日なの。あと四か月と十六日でね」
 美彌子はゆっくりとそう言った。
「生後一万日……」
 あまりにアンバランスな言葉の組み合わせに、私は唖然としていた。
「そうらしいよ。閏年とか生まれ月とかでずれると思うけど」
「何それ適当じゃん」
 ささやかな抗議に彼女は微笑んだ。
「まだちょっと先のことだけどさ、どう?」
「どうって?」
 漠然とした質問に私は首を傾げる。
「まだ生きていけそう?」
 息が詰まり、心臓がきゅっと締めつけられているような気がした。
 私は何も言えず、美彌子のことを見ることしかできなかった。今日初めて彼女ことをちゃんと見たような気がした。黒色のスーツは鴉のように艶かしくはなかったけれど、この人になら私は食べられても良いと思えた。
「このサイトを気に入っていたのを知っていたから、なんだか死んでしまうような気がして」
 美彌子はいつの間にか最新のログを開いていた。その最後の更新になったとても短い遺言を私は諳んじることさえできた。
「気づいてるかもしれないけど、そのプレゼントは嫌がらせ。あなたが死んだらそれだけが時を刻み続けるの」
 彼女は笑いながらそう言った。
「嫌がらせかあ」
 外した腕時計を天井近くまで放って受け止める。金属同士がぶつかる音が手の中で響く。針は動き続け私が目をつむってもそれは止まらない。死んだ後も同じだ。
「死ぬの?」
 あまりに直截的な物言いに鼻白む。私は死ぬのだろうか。それは確かにいつかは死ぬだろうけれど、今日明日の話に限ってどうなのだろう。
「どうだろう」
 自分のことのはずなのに分からなかった。死にたい理由を他人のログから見つけようとしていたのかもしれなかった。
「分からないの?」
 挑発するような声だった。美彌子は立ち上がり私に詰め寄る。薄桃色のマニキュアで彩られた指が喉元に伸びてきて私はその手首を掴んだけれど、呆気なく振り払われて両手首を頭の上で抑え込まれた。
「レイプでもする気?」
 美彌子が同性愛者であることは学生の頃から知っていた。けれど彼女から恋愛感情やただの性的な接触もこれまでひとつもなかった。もし、美彌子にキスやセックスを求められていたら、私は受け入れていたのだろうか。
「屍姦に興味があるの」
 不意に言った彼女の言葉が理解できなかった。
「シカン?」
 頭の中でいくつかの「シカン」が浮かんだけれど、どれも意味が通らないような気がした。
「屍山血河の屍に強姦の姦」
「シザンケツガ……」
 意味は全く分からなかったけれど、その響きと「強姦」という言葉で穏やかでない話をしようとしていることが分かった。
「やっぱりレイプじゃん」
「違う」
 そう言って彼女は空いた左手で私の首に触れた。首を絞められると思い咄嗟に息を大きく吸い込んだ。
「屍姦っていうのは死体を犯すこと。そのためにはまず相手を殺さないといけないの」
 左手は首を絞めつけることなく添えられたままなのに、どういうわけか視界がちらつ始めた。次第に身体がふわふわと浮くような感覚が襲い、それはとても気持ちが良かった。
「なんだか、美彌子がよく見えないや……」
 意識が下降していくのを実感していた。
 そういえば、美彌子が来たときもうすでに眠かったっけ……。
「抵抗ぐらいしろ、馬鹿」
 離れた左手が間髪入れずに頬を叩いた。眠りに落ちそうだった意識はすっかり引き上げられてしまい、快楽もそこで終わった。
 拘束されていた両手も気づけば解放されていて、馬乗りになって圧し掛かっている美彌子の両肩を掴んで押しのけると彼女の泣き顔が間近にあった。
「え、どうしたの。どうして泣いてんの……?」
 わけもわからず泣いている美彌子を揺さぶると、彼女は何も言わずに首を振り続けた。しばらくすると私の目にも涙が浮かび始めて、ふたりで声も上げずに泣き続けた。
 先に泣き止んだのは美彌子で、まだ泣いている私の頭を抱き寄せた。
「どうしてあなたが泣くの」
「分かんないけど、美彌子が泣いてんの見たら……」
 治まりかけた涙がまたぶり返す。美彌子が子供をあやすように私の背中を優しく叩き始めた。心臓の鼓動よりもゆっくりとしたリズムで伝わる振動が心地良く心と身体に響いた。
 そういえばこうして泣くのは久しぶりだった。泣くほど悲しかったことも嬉しかったこともなかったから。なら、今私が泣いているのはどうしてなんだろう。
「ねえ」
 美彌子は言葉を探すように間を開けて言った。
「生きるのやめないでよ」
 また泣き出してしまいそうな、か細い声だった
「……うん」
 まだ私には迷いがあったけれど、そう返事をすると美彌子は安心したように笑った。
「叩いてごめんね。……赤くなってる」
 首を絞め、頬を叩いた手で慈しむように撫でる様子はさながらドメスティックバイオレンスを繰り返す恋人や家族のようだと思った。
 だから私はその左手を拒絶した。
「ねえ、誕生日の歌を歌って」
 美彌子の左手はとても冷たくて、いつか彼女が冷え性で悩んでいると言っていたのを思い出した。
「ハッピーバースデーって?」
 無言で首肯する。
「うん、良いよ」
 そして美彌子は少し恥ずかしそうに歌い始めた。私はその歌声を聞きながら、もらった腕時計がなくなっていることに気がついた。慌てて身体を起こすと、私の脚は美彌子が乗っていたせいで痺れていて、よろけた私は彼女の方へ倒れ込んでしまった。
「まだ歌の途中なんだけど」
「……ごめん」
 脚の痺れはまだ癒えそうになくて、私は美彌子の心音を聞いていた。少しは動揺してくれれば良いのに、そのリズムはちっとも乱れていなかった。
「知ってる?」
 すっかり歌うことをやめて美彌子は言った。
「何を?」
「誕生日の歌には原曲があるの」
「へえ」
 初耳だった。そもそもあの歌に出典を遡れるほどの記録があることに驚く。
「どんな曲なの?」
「ほとんど同じ。歌詞が違うだけ」
 そう言って美彌子はその曲を歌った。私のねだった誕生日の歌と同じメロディで、全く異なる歌詞が紡がれる。
「『グッドモーニングトゥオール』って言うの」
 歌い終わった後で自慢げに微笑む美彌子は子供みたいで、その表情はこれまでの付き合いの中で初めて見るものだった。
「誕生日プレゼントは買い直してあげる」
 美彌子の手には失くしたと思ったピンクゴールドが光っていた。
「良い。それで、ううん、それが良い」
「遠慮しなくて良いんだよ?」
「ううん。だってこれは、美彌子が私を思って選んでくれた物だから」
「そっか」
 少し寂しそうに、けれどその憂いを消し去って彼女は笑った。
「おはよう」
 受け取った腕時計の針はは時刻は深夜一時過ぎを差していた。これから眠るのにな、だなんて思って苦笑しながら私も挨拶をした。
「おはよう。これからもよろしくね」

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