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39.恋って上手くいかない
 それは夏休みのとある日。
 村松くんが東美空の食事処を聞こうと、あたしのケータイへ電話を掛けてきたあの日の出来事だった。


 ――ピピッ、ピピッ。
 村松くんの電話を切った後しばらくして、再び鳴ったあたしのケータイ。
 それは瑠璃からの電話だった。

 瑠璃と話すのは夏休み前の学食以来で、あたしは浮かれて電話を取った。
 けれど、
『もしもし……弥生さん?』
 少し切羽詰ったような瑠璃の声は、いつもの彼女とは違う異様な緊張感を植えつけた。
『もうすぐ弥生さんに電話が掛かってくると思うわ』
 瑠璃らしくなくて少し見覚えのあるこの緊張感は、終業式の朝を思い出させる。
 電話越しの瑠璃があたしに妙な注文をしたあの日の朝。
 瑠璃の助言にも忠告にも思えたその不可解な要求は、結果的にあたしを助けてくれたっけ。
『知らない番号でしょうけど、切らずに出るのよ?』
 そしてその記憶にどうやら間違いは無かったようで、瑠璃はやはり今回も妙な注文をあたしへとつけてきた。

 でも遠まわしなのよ、遠まわしすぎるのよ。
 瑠璃の言ってる事が分からないのは、夏の暑さにやられたとかあたしが筋金入りの馬鹿娘だからとか、そういう次元じゃないように感じる。
 前回と同じ抽象的なヒントを、瑠璃は楽しんでいる節があるから。
「あんたいっつも唐突過ぎ。分かるように説明してってば」
『貴女の……天敵が勇気を出して電話してくると思うわ』
 とは言えあたしで遊ぶ瑠璃は、だけれども声の質までは遊んでいなかった。
「……天敵?」
 あたしの声をも低く抑えたくらい、瑠璃の声は真剣そのもだったから。

 そしてヒントを理解出来ないのもまた、あの時と同じで、
『だから貴女も逃げずに立ち向かいなさい。分かったわね?』
 理解しないあたしを放置して話を進めていく瑠璃も同じ。
 瑠璃の言うとおり、逃げ出したい気持ちを抱いたのも、立ち向かって良かったと後になって思ったことも、この時点で彼女は全てお見通しだったのだろう。
 お見通しなところまで、全て一緒だったのだ。


 急いで電話を切った瑠璃が最後になって言い残した、
『貴女のためよ。頑張りなさい』
 という一言はあたしの頭の中で延々と渦を巻きながら繰り返されていった。


 そして、それは鳴った。

 瑠璃の予告どおり見知らぬ電話馬号を表示しながらケータイが音を立てたのは10分後。
 ――ピピッ、ピピッ、ピピッ……
 表示される11桁の数字の無機質さと瑠璃が残した「天敵」のヒントに、あたしは電話を取るのを躊躇った。

 コール音が6回を越えた頃、あたしは意を決してケータイのボタンを押した。
「……もしもし」
 でも電話口の相手は何も話してくれなかった。
「あのー、いたずら電話ですか?」
 
 あたしの問いかけにも一切返事をしなかった相手は、
「天敵……?」
 けれどこの一言には反応した。
『そうね、天敵かもね。私よ、佐々岡よ』
 それはあたしの天敵で、あたしを天敵とする彼女だった。
「さ、佐々岡さん!?」

 そんな佐々岡さんが、天敵であるあたしに電話を掛けてくる。
『随分驚いてるわね』
 その奇怪な出来事にあたしは動揺を隠しきれなかった。
「ま、まあね。意外な人から掛かってきたからさ」
 だけど瑠璃からケータイ番号を聞いた佐々岡さんが、そこまでして掛けてくるってことはよっぽどの事なのだろう。
 あたしは聞こえないように大きく深呼吸をした後、話を促した。
「……んで、用件は?」
『神園くんのケータイ番号を教えて欲しいんだけど』
 よっぽどの用件がこれとは……呆れてしまう。
「無理」
 だからあたしは即答した。
 電話の向こうの佐々岡さんが顔をしかめているだろう事は、想像に難くない。
 だけど断った理由はそれだけじゃないんだから、仕方ないのよ。
「こういうのって本人に了承を得ないとダメなんでしょ?」
 言い換えれば、本人に聞けないのはやましい証拠だと言っているようなもの。

 それでなくても佐々岡さんなら知ってそうなもんだ。
「大体、陸上部のマネージャーなら、零夜の番号知らないわけ?」
『彼、女子には絶対番号を教えてくれないのよ』
 そんなあたしの疑問に、彼女も即答した。
「そういやそうだったっけね」
『貴女と国崎さんだけは例外みたいだけど』
 お互い皮肉混じりの応酬は、時間の不毛さを予感させた。
「こないだの続き? あたしはノーサンキューよ?」
 こんな無駄な時間を無駄口で過ごすくらいなら電話を切った方がマシ。
『私もよ』
 そう感じたのは同じだったらしい。

 しばらく沈黙が続き、やがて佐々岡さんは声を真剣なものに変え、改めてあたしに聞いてきた。
『どうしても……教えてくれないのね?』
 こう聞く佐々岡さんはきっと悲しそうで悔しそうな表情をしているのだろう。
 想像でしかないはずの彼女の表情が見るに耐えられなくなったあたしは、
「まーさ、どっちにしてもあたし、零夜のケータイ番号知らないから教えられないわ」
 素直に教えられない理由を伝えた。
『どうして貴女が知らないのよ』
 学期末に瑠璃が大声で佐々岡さんに牽制したはずなのに、彼女はそれをおぼえていないのだろうか。
「あんたみたいに零夜を外堀から攻めようとする輩が居るからよ。意味分かるわよね?」
『……そう、そうね』
 普段のリーダーシップや冷静さを失っていた佐々岡さんだって、落ち着いてればとても賢明な人。
 あたしの皮肉混じりのそれも、自覚がある彼女にとっては痛い一言だろう。
 悪いけどそれくらいしか言えないのも、彼女なら理解してくれるはず。

 それに大体、根本的に間違ってるのよ佐々岡さんは。
「麻衣なら知ってるはず、聞くなら麻衣にしなさいよ」
 聞く相手を。
『聞けるわけないじゃない』
 だけど佐々岡さんのこの一言だけは、力強かった。
「だったら諦めな。零夜んちの番号なら連絡網あるし分かるんでしょ? それで我慢しなよ」
『やっぱり貴女のことは好きになれそうにないわ』
 いつぞや屋上で聞いた台詞が、冷めた声で電話を通してあたしの耳に届いた。
「いいよ無理して好きになってもらわなくても」
 でもそんな冷たいやり取りはそろそろお終いにしたかった。

「あんた達があたしと零夜の関係をどう疑ってようが構いやしない。あたしだって疑われるだけの下地があるのは分かってるし」
『高坂……さん?』
 瑠璃や村松くんは終業式の日、あたしは悪くないって言ってたけど、やっぱり悪いんだと思う。
「多分、さ……あたしそろそろ零夜離れしなきゃいけないんだろうね」
 だからだろうか、あたしは無意識の内にそう口に漏らしていた。
『ねぇ高坂さん。夏開催に出るは神園くん離れの一環?』
 幾分柔らか味を増した佐々岡さんの声は、凄く耳心地が良かった。

「あのねぇ、零夜が居ようが居まいがあたしにゃ関係ないのよ」
『どういうこと?』
 お嬢様との約束や 第一戦の学力テストの惨状。
 あたしが活躍できる場所はきっとクラス対抗戦なんだって思ったこと。
「色々あんのよ。”不屈の戦姫”なんて肩書き持っちゃうと」
 零夜と夏開催に関連は無いことや、あたしがクラス対抗戦に挑む理由。
 それはあくまでもあたし個人の問題。

『そう……分かったわ』
 ホントに佐々岡さんは理解してくれたんだろうか。
 短く聞こえた声は低く感情が篭ってなくて、少し心配になった。
 でもそれは杞憂に終わった。
『ありがとう。それと、ごめんなさい』
「え?」
『そうね、こんなくだらない事で戦姫のモチベーションを下げちゃ、一太や竹本先生に怒られるわね』
「佐々岡さん?」
『夏開催の間だけは休戦協定。これで良いかしら高坂さん』
 さっきまでの敵意むき出しだったり無感情だった声と違う今の佐々岡さんの声質に、あたしは覚えがある。
 春の第一戦で聞いたあの力強くて頼りにしたくなるような、クラス委員長佐々岡つばめの声だ。
『顔を合わせるわけじゃないけれど、ここから応援してるわ』
「あ、ああ、うん」
『それじゃ、夏開催頑張って。頼りにしてるわよ不屈の戦姫さん』
 だからあたしもあの時と同じような声を、喉から絞り出すように彼女へ送った。
「ええ、やってやるわよ! 任せといて!」


 佐々岡さんとの電話を終えたあたしは、泣きそうな顔だったんだと思う。
 もしかしたら泣いていたのかもしれない。

 電話の向こうに居たのは、梅雨の屋上で消えてしまった6月までの佐々岡さんだった。
 7月に消えてしまった彼女が再び姿を見せてくれた。
 だから凄く嬉しかった。

     * * *

 そんなことがあったから、これだけは村松くんに伝えておかなきゃいけないって思った。
「あんたが心配するほど、佐々岡さんは嫌な子になってない」
 あたしのせいで変な誤解を佐々岡さんに持ってしまったんだとしたら、それは悲しい事でしかないから。
「……そうか」
 だから村松くんには知ってもらわなきゃいけない。
「むしろ、今なら6月以前に戻ってるかもしれないわよ?」
「高坂、ありがとう」
 憑き物が落ちたような表情を見せる村松くんを見て、あたしも少し安心した。

 だけどあたしのそれは結果的に、もう1人を失意のどん底へ叩き落すことになった……。
「瑠璃……」
 酷く青褪め身体を小さく震わせてる瑠璃。
 あたしと佐々岡さんの軋轢を少しでも解消しようとしてくれた瑠璃。
「あんたには感謝してる」
 でもそれは結果的に、村松くんが佐々岡さんを見直す切欠になってしまった。
 良かれと思ってやったはずなのに敵へ塩を送る行為だった事に、瑠璃は少なからず後悔しているに違いない。
 でもあたしは瑠璃に言わなきゃいけない。
「あんたのやった事は絶対に間違ってないってあたしが断言してあげるわ」
 今にも泣き出しそうな瑠璃を、樹里先輩がそっと抱き寄せた。
「例えあんたにとって後悔の残る内容だったとしても」
 いやきっと、後悔と満足の狭間で苦しんでいるんだと思う。

「なぁ沢木、何がそこまでお前を苦しめてるのか俺には分かんないけど、俺も沢木には感謝してるぞ」
 優しく掛ける村松くんも、気づいていない。
 その言葉がきっと逆に瑠璃を深く傷つけてることを。
 村松くんが瑠璃に感謝する理由は、村松くんが佐々岡さんを見直して惚れ直すってことだから。
 そしてそれは瑠璃の想いにとって大きな障害となってしまうから。
「だから、泣くなよ……」
 だけど事情を知らない村松くんの声はやっぱり優しくて……。
 そんな優しい彼に瑠璃は淡い想いを抱いたんだろう。
 そして、村松くんは悪くない。

 思わぬところで思わぬものが作用して、それが思わぬ結果を生んで……。
 人間万事塞翁が馬。
 単純で複雑な因果関係を思うと、やるせない気持ちだけがあたしの中に溜まっていく。

 あたしと同じような気落ちを抱いたのだろう樹里先輩も、困ったような表情で瑠璃と村松くんを交互に見つめていた。

「感謝なんて……されたく、なかった……」
 樹里先輩の胸の中でそう絞り出した後、とうとう瑠璃は声を出して泣き出してしまった。
 悪くない村松くん、良かれと思ってやったこと。
 全てが裏目に出た瑠璃を慰めるための言葉なんて、あたしは知らない。
「沢木……」
 瑠璃の突き返すような言葉に、村松くんは一言だけ瑠璃の名前を口に出した後、力なく俯いた。

 きっと瑠璃が感謝なんて欲しくないって言ったのは、あたしに向けてでもあったんだと思う。
 あたしと佐々岡さんが和解しなきゃ、瑠璃にこんな苦しい心境は訪れなかったんだから。

 元はと言えば、一番の原因はあたしだったんだ。


 そんなあたし達のテーブルのすぐ後ろ、村松くんと丁度背中合わせになる席で彼女がこの話を聞いていたことに、あたしは早い段階から気付いていた。

 瑠璃と同じように少なからずショックを受けたに違いないお嬢様。
 振り返ればお嬢様は肩を震わせてて、今宮さんに頭を抱きしめられていた。

 打ちひしがれる瑠璃やお嬢様の姿を見て、違う二人が記憶の中に浮かび上がった。
 酷く落ち込んだ麻衣や佐々岡さん。
 今の瑠璃やお嬢様は、麻衣と佐々岡さんに似ている。

(恋って、なかなか上手く行かないんだね)

 あたしは恋なんて何も知らない。
 そしてあたしが邪魔をして。

(あたし……居なきゃ良かった)

 ただただ、そう思うしかなかった。


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