明日も同じ空を見てる(1/4)縦書き表示RDF


明日も同じ空を見てる
作:わかたける



黎明篇


 街道を溢れんばかりに埋め尽くす、兵馬の行列が蠢いていた。
 甲冑が擦れる音を立てながら、夥しい徒歩武者が列を成し、その携える長槍が槍衾の如く乱立し、街道を進んでゆく。
 時よりその横を、物々しい馬蹄を響かせながら騎馬武者が駆け抜けていった。
 物量、士気、全てにおいて盛んにして、威風を放ち、堂々たる王者の行進振りである。
 駿河、遠江、三河の三ヶ国を勢力下に置く戦国大名・今川義元率いる三万の軍勢であった。

 永禄三年五月、今川義元は全軍に出兵の命を下した。
 五月十二日、義元は嫡子・氏真を府中に残し進発した。西進の目的は上洛して将軍に拝謁し、この軍勢の威容と威勢を持って兵権を掌握し、天下に号令を掛けることであった。
 義元は西進の要路に勢力を持つ、尾張の織田信長、美濃の斉藤義龍、江南の六角承禎などをことごとく撃破するつもりであった。
 まずは景気付づけに、尾張半国をやっと支配する小大名・織田信長を血祭りに上げるのだ。
 この時、織田信長が動員できる戦力は五千がやっとであった。その上、尾張国内にはまだまだ反信長の勢力が根強く存在し、更に隣国美濃の斉藤義龍とは険悪な状態であり、この窮地に誰一人信長に味方する者は存在しない。
 広大な尾張平野で三万と五千の軍勢が正面切って戦えば結果は見えている。
 とどのつまり、玉砕あるのみである。

「注進、注進!」
 忙しく馬を走らせながら、慌しく母衣武者が駆け込んでくる。
「早馬なれば、乗り打ち御免候え!」
 母衣武者の嗄れた声と、生々しい矢傷が事態の急を物語っていた。
 母衣武者は転がり落ちるように下馬し、脚を引きずり、矢の突き刺さったままである肩を押さえる痛々しい姿で、懸命に注進を伝えた。
「すでに丸根、鷲津両砦が一重二重に敵勢に取り囲まれてござりますれば、合戦開かれ、幾許も保ちませぬ。何卒、早急に身継ぎの人数をお繰り出し下さりますよう、お願い申し上げまする!」
 周りに居並ぶ家臣たちの間に、一斉に動揺が走った。
 しかし、その中心に居座る織田信長は冷めた表情のまま、使い番の母衣武者に手短に応えた。
「大儀、傷の手当てをいたすがよい」
「それがしの手当てなど無用、何卒、早急な御下知を…!」
 母衣武者は懸命に訴えるが、信長は軽く手を振って下がらせる。更に喚き散らす母衣武者は、馬廻りの武者に脇を捕まれ、引きずられ、強引に下がらされた。
 堪りかねた信長の一門衆の物頭・織田造酒介が信長を促す。
「今すぐに御下知を。陣触れなくば、此方の兵力など三百にも満たない有様でござりますれば」
 信長は煩そうに、造酒介に応えた。
「三百が千や二千になれば、この戦に勝ち目がありしか?」
 冷然とした言葉に、造酒介は返答に窮した。しかし、座して死を待つに忍びない造酒介は重臣をせきたて戦評定をひらかせた。
 黙然と信長が見守る中、重臣たちは激しく論議を交し合う。
 宿老・林通勝が以前から主張する戦法を信長に伝えた。
「この清州城は要害ならば、籠城にて戦うよりは策無しと存じまする」
「阿呆か。そちの策は十人おれば十人が思いつく凡策よ。そうなれば今川治部は定石通りの布石を打ってくるだけだわ」
 林の策は一蹴された。林以下、緒将は顔面を青く染め俯いてしまった。
 その時、突然信長は席を立った。仁王立ちに、全身から溢れる闘志を怒声に変えて吐き出した。
「城を恃んで死ぬか。儂と共に野で死ぬかじゃ!」
 果断であった。信長は大軍を相手に討って出て、野戦に望む覚悟を明らかにしたのだった。
「この後は如何な思案も役に立たず。まずは寝候え、寝やって気力体力蓄え、合戦に備えるべし」
 そういうと自分もさっさと寝所へと籠ってしまった。家臣らの中には呆れ返る者もいたが、
「大気なる大将よ」
 と感心する者もいた。

 寝所に籠り一人になった信長の頬はこけ、充血し赤くなった瞳は異様な輝きを放っていた。
 その実、彼は嘔吐を催すほどの絶望に襲われていた。
「いく日、眠れぬ夜を過したか…」
 その圧倒的な絶望の中、一人、悶々と戦術を練っていた。そして、国境狭間道で敵本陣に対し奇襲を仕掛ける他に無い、という結論に至った。
 しかし現在、笠寺、戸部、中島に進出している敵軍の先鋭が、どのような進路を辿り清州に迫るのか完全に掴みきれていない。
 丸根、鷲津を落とした敵部隊や、大高城に拠る鵜殿長照の軍勢の動向も同様である。
 信長の本隊が、今川義元の本陣に接近する前に、これらの部隊と遭遇し戦闘が始まってしまっては、その時点で策は敗れてしまう。
 結局この戦いは、織田方にとって、果てしなく分の悪い賭博であった。
「乱戦の中、土に塗れ、血に塗れ、この首が斬られて落ちる…」
 絶望的な思考は信長の心身を蝕み、より疲労を濃くしてゆく。しかし溜りに溜まった疲労は激しい睡魔となって降りかかり、信長はいつの間にか深くまどろみの中へと沈んでいった。

 黎明、信長は自然と目を覚まし、寝所より起き出た。
 深い睡眠は疲労を拭い取り、先日まで信長の精神を蝕み続けた絶望は嘘の様に消え去り、水鏡の如く平静であった。
 疲労と現実逃避の果てに着いた眠りは、信長にとって予想外に幸運な結果をもたらした。

 思へばこの世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露水、宿る月よりなほあやし
 きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり
 人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり
 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

 信長は幸若舞の『敦盛』を舞った。源平合戦における平敦盛を題材としたこの曲舞を、信長は特に好んだという。
「貝を吹け」
 指図を受けた貝役が素早く郭に走り出て、陣触れを知らせる法螺貝を吹き鳴らした。
 にわかに城内は騒然とし、各自出陣の準備に奔走した。
「具足をもて」
 小姓たちが素早く動き、鎧直垂、足袋、脛当、佩楯などを手際も良ろしく身に着けていく。
「馬、それから湯漬けじゃ!」
 胴丸を身に付け、太刀を佩いたところで、丁度差し出された湯漬けを啜った。
 湯漬けを食した後、面頬をつけた信長からは燃え上がる闘志が溢れ、羅刹の如き形相と成り果てていた。
「どおどおっ、はいっ」
 小人の木下籐吉郎が座所の前庭へ栗毛の馬を曳いてきた。
「仕度は整ったでや」
 激しい殺気を含む羅刹の唇が釣り上った。
 すでに迷いも絶望も無い。燃え上がるような闘志に溢れ、余裕の色さえ浮かんでいた。

 信長は愛馬に跨ると、引いてきた籐吉郎を振り返りもせず大手門を飛び出した。
「殿が出陣なされた。遅れるな!」
 この時、信長に辛うじて従ったのは岩室重休、長谷川好秀、加藤弥三、佐脇籐八ら、近習衆の内四名のみであった。
 大方の士卒は仕度を整えた者から、慌てふためきつつ主君の後を追った。
  薄い霞を切って韋駄天の如く駿馬を駆る信長は、手綱を一切緩める事無く、朱色に染まりつつある暁の天を仰いでいた。

「明日も同じ空が見えるかや?」

 時に永禄三年五月十九日。
 風雲急を告げる尾張平野の長い一日は始まったのであった。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




TOP | NEXT


小説家になろう