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青年と犬と、もう一人 作者:Schuld
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防人と元防人と勝利

 生か死か。この世の最も単純な法にして、今となっては全てと言って良い観念にとらわれたのは何時の事であったか。

 救助作業に従事していた折り、這い寄る死の恐怖に狂した避難民が部下を蹴り飛ばして囮にした時であろうか? 今でも彼の「信じられない」と言いたげな惚けた顔と、その後に続いた悲鳴を夢に見る。

 事態の混迷が最も激しく、いよいよ作戦区域を放棄せねば生き残れぬと覚悟し始めた頃、武器を欲して押し寄せた一般人を押し止めようとし、結果袋叩きにあって配下が一人死んだ時であろうか? 倒れた所を無茶苦茶に蹴り倒され、親でも見分けが付かない様になった彼の顔が、今でも瞼の裏に焼き付いていた。

 それとも食料品が足りず餓えていた自分たちを襲い、武器を奪おうとしたスーパーマーケットに籠城した一団と戦った時であろうか? 素人相手に負けはしなかったが、あの悪意の強さは忘れようとしても忘れられない。

 或いは、そのスーパーを占領した後、見逃してやった女が一人仇討ちに燃えて、負傷して寝入っていた部下を殺した時だろうか? 久しぶりの酒精と満腹になる人並みの幸福に溺れたことをあれ程悔いたことは無い。

 報復への報復としてスーパーに籠城していた者達を一人残らず括り殺した時か? 首が奇妙な方向を向いた不気味なオブジェが散乱するフロアに立ち尽くす虚無感と、足の裏に伝わる気味の悪いの感触達は生々と思い出せる。あれは間違いなく、踏み砕いた人間の首だった。

 いや、きっとそのどれもが違い、どれもが真実であるのだろう。狂うのに理由など要らないのだ。だからこそ狂っているのだから。

 護る物は無い。生きる理由は生きる事だけになった。手の届く場所に居る配下を護り、生きるために生きる。生命として、人間として。一体誰にそれを誹る権利があろうか。

 生きるために敵は殺さねばならない。徹底的に、たった一つの種すら残さず。安心して眠るのには、周りに敵の居ない環境が必要なのだ。

 心が折れ、目的を喪い、幾度となく戦いを経た元防人と彼の配下達。彼らが妄執が如く敵を殺そうとする理由など、あるようでいて無いのだ。強いて言うなら、殺しておきたいから、それに尽きる。

 故に元防人達は進み続けた。戦って勝ち、生き残る為に。生き残る為に必要な物資を得る為に。殺人はその手段であると同時に、目的なのだ。

 殺せば殺しただけ生き残ることができる。それが彼らの信条であり宗教。最後の精神的支柱……。

 だからこそ付け入る隙がある。

 「勝ったな」

 「そうですね」

 元々は家電量販店であったホームセンターの二階部分。バッテリーで動くラップトップを乗せた机と、幾つも並んだ無線機が目立つ急造の指揮所で防人は笑った。

 「やっぱり戦争は勝たなきゃ嘘だな」

 「全くで」

 彼らの周りでは大勢の人間が蠢いている。不安そうにひしめき合い、今後のことを小声で囁き合っている。彼らが集団ヒステリーを起こさずに居られるのは、一重に自信たっぷりに立つ防人のおかげ……などではない。

 周辺に短機関銃を持って警戒に当たる自警団達が居るからだ。その上彼らは、不必要に騒げば然るべき対処をする、とまで脅されていた。

 無論、引き金に指をかけるつもりなど無いのだろうが、囲まれる側としては真意など測り用はないし、銃口の恐ろしさは言うまでも無い。

 挙げ句、苦しい選択まで強いられていたとなれば、最早語ることはあるまい。

 「敵は籠に入った……陽動斑と戦闘斑は全て撤退。ハシゴ昇ってる間に撃たれるような馬鹿を晒すなよ」

 「流石にもう入り口付近は見えないでしょう。心配ありませんよ」

 「壁二枚隔てた仲間を撃った奴が居るんだ。心配してし過ぎるこたぁない」

 憎々しげに吐き捨てて、防人は短くなった最後の煙草を指で摘んだ。

 そして、目の前に広げた地図、渦巻きを描く壁の中央に強く押しつける。紙が焦げる特有の匂いが立ち上り……差し込まれていた赤いピンが倒れた。敵を意味するピンが。

 「詰みになっても駒を取ることは出来るからな。これ以上死なれると困るんだよ」

 最早地図には興味が無いと言うように防人は机に背を向け、時計に目をやった。

 「後は上次第だな。準備進めとけ」

 「了解」

 命じられ、山ほどのタグ付けがされた無線機に配下が挑みかかる。これから連絡しなければならない相手が幾らでもいるのだ。

 「戦争で大事なのは何か? 殺すこと? いいや違うね」

 勝つことだよ。

 防人は笑い、そして上から銃声が轟いた…………。










 一度失敗した後、人間は不必要なまでに慎重になる傾向がある。

 羮に懲りて膾を吹くという諺が今にも伝わるように、既に火傷を負った傷を無意味に庇おうとする習性があるのだ。傷口を庇うために差し出した腕が、炎に当たってしまうとも知らず。

 スコープ越しにホームセンターの屋上を除く射手は、俄に影が蠢いたとしても引き金に指をかけなかった。次に撃つときは、確実に狙いを付けた時だと固く誓っていたからである。

 「……またマネキンか」

 「ああ、流石に不自然過ぎるだろう」

 蠢いた影はシーツの向こう側、月明かりに照らされて奇妙なシルエットを描いていた。まるで女優がポーズをとるかのような構図だ。

 挙げ句、起き上がるまでの動作は不自然ということすら烏滸がましいものであった。足を地面に固定させ、紐で引っ張れば起き上がる。最早騙そうとしているのかすら妖しい挙動。これで騙そうとしていると言うのなら、感性よりも正気を疑う領域であった。

 暫し夜風にゆれるシーツの向こうで、まるで馬鹿にするように影が佇んでいたが、不意に影が動いた。

 「……アホか」

 「気を抜くな。笑いを取りに来てる訳じゃないんだからな」

 動いたとは言ったものの、ポーズを取るために掲げていた手が機械的に下を向いただけのことである。それも関節部をそのままに無理矢理曲げた歪なポーズ。

 ここまで来ると、煽っているようにすら思えた。弾に余裕があり、状況が余談を許すなら撃っていたかもしれない。

 「……また増えたぞ」

 「黙って見てろ」

 誘いなのか馬鹿にしているのか判断しがたい光景を見ていれば、間を置いて次が起き上がった。今度は男性のようなプロポーションのマネキンが。一分ほど間を開けて、今度は女性のマネキンが。

 五分ほどで、間隔を開けて次々とマネキンが起き上がった。一度に二つ起き上がって来た時は少し驚いたが、片方は体の線が出すぎていることから裸であろう。つまりは人間では無い。

 雪は溶けて少しずつ空気が温み始めていても、未だ夜は冷える。こんな時夜に全裸になれば、風邪を惹く以前に動けなくなってしまうだろう。

 「……やる気あるのか?」

 「無い訳があるか。伊達や酔狂で殺し合いは出来んことくらい、分かっているだろう」

 だが、ここまで来ると気も抜ける……射手がそうぼやいた時、不意に闇の中で光が爆ぜた。

 緑の視界の中で煌々と輝くのは、発煙筒の灯りであった。煙を景気良く上げながら輝くそれは、闇夜の中で否応なく目立つ。

 しかしながら、派手に燃えているように見えてささやかな灯りだ。遠くからでも視認できるだけの光量を持てど、それは収束しない無秩序な光だ。照らせるのは精々足下だけ。視界を確保してくれるものではない……。

 なれど、状況が武器の威力を高めてくれる。絶好の囮へと。

 今、射手は何においても敏感になり、じっくり確かめようとしてしまう真理に陥っていた。別段敵が狙った効果ではないが、やはり狙撃戦の空気とは特有で、慣れねば本職でさえ飲み込まれてしまう。

 この場合、相手が自分を殺しうる武器と技量を持っていると分かれば、影響は尚更顕著となろう。

 その結果、完全な隙が産まれた。視界の中に産まれたけばけばしい光源にだけ気を取られ、他の物への認識が甘くなるという、数秒が命を決する中であまりに大きな隙が。

 刹那、空気が爆ぜる。耳慣れた音。強烈な衝撃波に大気が揺さぶられるこの音は、紛れもなく馴染んだ5.56mmの咆哮……。

 銃声を聞き取れたのは奇跡か何かであろう。不意に体に力が入らなくなり、射手は顔を地面に落とすこととなる。そして夜の風に冷やされたコンクリートの冷たさを覚える暇すらなく、彼の目の前は闇に滲んでいく。

 暗視スコープを付けている筈なのに。一体何が?

 脳細胞の間で弾ける電気信号が象った最後の意味ある思考は、返答の帰って来ない疑問であった…………。










 「……きっちぃ。太ももいたぁい……」

 夜風に踊るシーツの際でマネキン、否、少女が顔一杯に渋面を作りながら呟いた。立ち位置はシーツがかかるポール、正確には急拵えの電波塔の隣だ。シーツに絶妙に隠れており、奇妙なポーズで構えたカービンが丁度構造物を支えに使える位置。

 「立ったポーズ付けたままで起き上がるのは、やっぱ無茶があったかー……」

 屋上に立つ、首にピアノ線がかけられたマネキンは全て防人の仕込みによるものであった。狙撃戦への備え、敵が念入りに此方を殺しに来ると踏んでの布石。

 紐を引っ張ればマネキンが立ち上がるだけの簡単な仕掛けだ。デコイとしては流石に機能せずとも、注意を惹くことは出来る。

 「はっはー、でもファックしてやったぜベイビー」

 風に吹かれて転がった薬莢が、澄んだ音を立てながら屋上を転がっていく。その数は五発。探り出した射点を狙いフルオートで数瞬だけ引き金を絞った結果の産物。

 「病み上がりで無茶するもんじゃないねぇ、マジで……あだだ、傷開いてないだ……ふぁっくしょっ!!」

 ポーズをつけたままで器用にくしゃみを一つ。可愛らしいくしゃみが呼び水であったかのように、俄に強い風が吹いた。

 雲が流され、今まで微かに陰っていた月が完全に姿を現すと、鉄塔の影に埋もれマネキンと誤認されていた少女の姿が露わになる。

 アンダーウェアしか身に纏わぬ、あられの無い姿が。彼女の傍らで、脱ぎ捨てられた服と鉄塔から垂れるロープが頼りなく揺れていた……。

 彼女は布石を最大限生かす為、知恵を働かせた。あまりに不自然でデコイとして働かないのなら、無理にでも自分をデコイに似せてやれば良いと。多分防人は別の活用法を考えていたのだろうが、自分が考え出した方法が一番であると信じて。

 その結果が、被服を脱ぎ捨てて体のラインを晒した上、ロープを片手で引っ張ってマネキンのような挙動で起き上がる無茶だ。少しでも体が動いて、生物的な挙動を見せれば鉛玉が音の速度で殺到したことであろう。

 「思いつきで馬鹿やるもんじゃないなぁ」

 されど、結果的に的には上手くいった。何度もマネキンを立てて意識を逸らさせ、更に別のマネキンを同時に起こすことで何とか無茶は成ったのである。

 念のために一発ブチ込んでおこう、という慎重策をとられた瞬間に瓦解する作戦だけあって、常に綱渡りであった。途中で気が変わって、やはり撃っておこうと思われたなら、少女は今頃外気と同じ体温を帯びていたことであろう。

 後は最後の囮、煙草の火で少し遅れて発火してくれるよう調整した発煙筒で最後の気を引いて、スリングで引っかけていた小銃を構え直す。上手く行くかは殆ど賭けで、火が付かねば延々の我慢比べが始まる所であったが、じわじわ燃える煙草の火は火口にした新聞紙を燃料として成長し、きちんと発煙筒に燃え移ってくれた。

 視界確保のためか、投げて囮にさせるためかは分からないが、用意してくれた防人に少女は心から感謝する。この幾つもの仕込みが無ければ、戦いはより分の悪いギャンブルになっていただろう。

 いや、そもそも勝負にすらならなかったはずだ。少女はそこまで自分を過大評価していない。

 手習いと実地で覚えた狙撃で、スポッターまでついた本職と真正面からやり合えるはずがないのだ。挙げ句相手は準備万端、擬装まで拵えて待ち受けていたのだから。

 なればこそ、無茶と奇策に頼ったのである。結果が出たなら、如何様な手段に頼った所で誰も文句は言うまい。

 殺された当人以外は。

 もう一つ盛大にくしゃみが溢れた。あと少し我慢できていなければ、また結果も変わっていたはず。くしゃみを二つもすれば、位置なんぞ簡単にばれてしまう。

 「うー、さみっ……」

 くしゃみと共に溢れてきた鼻水を大きく啜り、少女はスコープを覗き込む。向こう側には闇が蟠っており、微かな月明かりで建物の輪郭だけが浮かんでいるが、弾を撃ち込んだ場所は大体合っていたようだ。

 この距離だからギリギリ見える。屋上の縁に丁寧にシートを被って伏せている影が。あの位置からであれば、全ての窓と屋上が観測できたはずだ。

 その上、此方からは立射でなければ窺えない角度となる。伏射姿勢で当てるなら、銃眼の穴を通して、相手に捕捉されるより早く小銃ごと頭をぶち抜かねばならなかっただろう。

 そんな離れ業が出来るのは、歴史に名を残すような名狙撃手くらいのもの。ケワタガモ相手に喧嘩するような実力はないので、少女は再び準備を整えてくれたおやっさんに感謝を送った。

 「うーん……つっても完全に死んだか分かんないんだよなぁ……死んでくれてるよね? 美少女の裸があの世への駄賃なんだから死んでてくれよー」

 スコープの向こうで小さな塊。擬装用のシートか何かを被った姿が見えるが、動く様子は無い。ばらまくように弾をくれてやったから二人とも死んだか、或いはどちらかが生き延びて様子を見ているか。

 希望的観測を排除すれば、恐らく後者が正解であろう。そして生き延びたのはスポッターのはずだ。射手が生き延びていれば、今頃少女はとっくに床に転がっているだろうから。

 「もう二~三発叩きこんじゃろか。勿体ないけど、勿体ないとかいって死んだから洒落にならないし」

 今なら月明かりで敵の輪郭をつかめている。撃つなら今しか無い。確実に殺しておけば、安心できるのだから、追加で弾の数発くらいならば安い物であろう。

 引き金が指にかかり始めたその時……不意に世界が輝いた。比喩ではない、屋上の入り口に設置されていた蛍光灯が光り始め、階下の窓からも盛大に光が漏れたのである。

 「まぶしっ……!?」

 何が起こったのか少女には理解できなかった。インフラが止まった今、灯りなど付くはずが無いし、付ける必要などなかった。しかし今、一体何故ホームセンターの灯りが息を吹き返したのか……。

 闇夜に馴染んでいた目が、唐突に浴びせられた光に中てられて霞む。その視界の向こう、スコープ越しの遙か遠方で闇の中に横たわっていた塊が俄に動いた。

 灰色のカバーを跳ね上げて立ち上がるのは、野戦服を着込んだ一人の男。顔を僚友の血で染め、左の腹から流れる血を止めようともせず彼は身を起こす。

 そして頽れた同胞の下敷きになった小銃を浚い、膝射姿勢に入った。腹に貫通銃創を負っているとは思えないほど動作は素早く、少女が暗さに目を慣らそうと瞬きをする間すらなく終えられる。

 最早こうなっては、何故灯りが付いたのかはどうでもいい。一瞬でも早く狙いを付け直して引き金を引かねばならない。然もなくば死ぬだけだ。

 しかし焦りと白濁した視界が正確な狙いを付けさせてはくれず、数瞬の時間的猶予は無いに等しい。結局は感覚に任せて引き金に添えた指を落とすしかなかった。

 指切りで制御したフルオート射撃の連続した射撃音が轟く。対して遠く離れた減音機付きの発射音は大気を振るわせることは無かったが、音速の弾丸は空気を切り裂いて猛進する。

 白んだ光景の向こう側で、傷をおして立ち上がった男が糸の切れた人形のように倒れ伏すのが見えた。傷が限界に来たのか、少女が放った弾が当たったのかは分からない。

 されども彼がスポッターとしてだけではなく、射手としても優れていたことは確かだ。既に相手がスタンスに入った状態から動き、殺される前に撃つことに成功したのだから。

 「ちっくしょ……」

 手からすり抜けたカービンが鈍い音を立てて地面に落ちた。スリングを通して緩やかに落ちたため暴発は避けられたようだが、最早それは重要では無い。

 少女が膝をつく。本来ならば痛みを覚えるであろう勢いで。しかしながら、彼女は別の痛みに思考を塗りつぶされて、それどころではなかった。

 「また膝かよ……どうせなら……頭撃てよヘボが……」

 傷が開きかけていた左膝に真新しい銃創が生まれていた。弾丸が貫通した後からは、血が滲むような勢いで溢れ続けている。

 膝をついた彼女は地面に身を擲ち、霞み始めた視界で中天を扇ぐ。何者にも遮られずに白々と輝く月が、まるでからかうかのように彼女を見下ろしていた。

 「あーもー……ついてないなクソ……なんだってんだ……よ…………」

 灯りから逃れるように彼女は目を閉じた。ここ暫くで慣れた感覚だ。慣れたくも無い、血が失せることによって訪れる冷え込み。そろそろと足下から這い上がるそれは、細長い指が体を探るようでもあった…………。










 「何が勝利かを考えれば、自ずと向かう先は見えてくるって話だ」

 防人は笑みを湛えながら堂々と組んだ腕を解き、ボタンを押した。下に向けて鋭い切っ先を向ける矢印が描かれたボタン。すなわち、エレベーターの下降ボタンを。

 間を開けずして一年近くぶりに灯りを取り戻した施設の中で、長らく宙ぶらりんのまま放置されていたゴンドラが口を開ける。中は酷く埃っぽいが、きちんと動いている。永遠と思われる停滞の寸前まで、丁寧にメンテナンスを受けた成果であろう。

 「落ち着け! 待て! 自警団が橋頭堡を築くのが先だ! 手荷物の確認を済ませろ!!」

 重武装した自警団員がぞろぞろとエレベーターへと侵入してゆく。大型のそれは店内に繋がる物ではなく店の裏手、物資搬入口に続く商品納入用のエレベーターであった。

 「急がせろよ。いつまで下の迷宮で絡め取ってられるか分からん。さっさと乗車せんと山ほど弾を浴びせられるぞ」

 「了解! では、行って参ります!」

 自衛官の生き残りに引き連れられ、都合七人の短機関銃で武装した自警団員がエレベーターで一階へと降りていった。エレベーターは特に軋みを上げるようなこともなく、スムーズに稼働しはじめ、見ている人間にもゴンドラに押し込められた人間にも安堵をもたらす。

 「さて、後は時間との闘いだな」

 エレベーターを見送って、防人は商品搬入口に集まった避難民達に目をやった。この場に集められた、ホームセンターに居た全ての避難民達に。

 彼らは皆、不安と恐怖で身を縮こまらせている。しかしながら、それは下から間を開けて響く戦闘音にでもなく、上から連続して響いた銃声にでもない。

 住み慣れた地を離れ、何処か安全な場所を探しに行く旅路を恐れているのだ。

 事が始まって以後防人は様々な戦法を考えたが、その多くは痛みを伴い、敵の出方によってはホームセンターを喪うこととなるものばかりであった。

 挙げ句にどんな手を考えようと、相手が如何様な対応に出るかの匙加減でしかないのだ。表が出れば相手が勝ち、裏が出れば自分たちが負ける。この籠城は、元よりそんな勝ち目の無い勝負なのである。。

 火攻め等の強引な手法で突破を図られれば、今後の籠城で施設は使えなくなるし、大規模なフェンスの突破だけでも十分に致命傷だ。いや、そこまでやられずとも、擲弾一発が入り口で弾けるだけでも拙いのだ。

 塞ぎきれない大穴一つ。ただその一つでホームセンターは生存の牙城としての機能を喪失するであろう。物質的な意味だけではなく、壁に大きな穴の開いた建物など、住むには不安過ぎて更に避難民達の精神が荒れてしまうだろうから。

 その上、ここ最近はナリを潜めど動く屍共が居る。防人はあれらが何処か遠くへ去った等と都合の良い想像はしていない。必ず時期が来れば、蝗害もかくやの勢いで舞い戻って来るであろうと。

 死体が戻れば、もう遅い。十重二十重に死肉の壁で包囲されれば、身動きすら取れなくなる。場合によれば、勝ったとしても施設の損傷を治しきる前に雪崩込まれることも十分にあり得る。

 ならば前提を変えてしまえばよいと防人は考え、実際に行動した。今まで振るうことの無かった強権にすら手を伸ばして。

 人間が勝利するに必要な前提とは、即ち生き残ることだ。生きる目が限りなく少ない物に賭けても仕方がない。少ない身銭で同じリスクを背負わされるのであれば、リターンが大きい方に張らねば何も得られないのである。

 故に彼はホームセンターを捨て、安住の地を求める旅路を選んだ。何処かの地理的に孤立した場所であれば、死体にぐるりと包囲されて枯死することも無くなるだろうと。

 やはり人間が生きるのに一つの建物は小さすぎるのだ。生き残る為に防人は命綱を手放すことを決断した。

 籠城の作業は半ばブラフで半ば罠。迷宮構築の作業量は兎も角、誰でも出来る簡単な作業ばかりだ。人員を迷宮の構築に裂きながら、コツコツと脱出の準備を進めてきたのである。

 脱出のタイミングは相手に任せる。どのみち一階から攻略するしかないのなら、絡め取るのは簡単だ。奥深くに誘い込み、返さなければ良い。殺す殺せないは二の次。何より重要なのは、命より大事な時間を稼ぐことである。

 そして動きに呼応して纏めていた荷物を抱え、敵が外に居ない間に発電機で無理矢理生き返らせた施設電源を活用して、商品搬入用のエレベーターで外へ出るのだ。

 後は残された連中がホームセンターをどうしようと知ったことでは無い。腹立ち紛れに燃やそうが、新しい主に収まろうと好いたようにしろという話である。

 相手は無理に突破を試みぬ程度の戦力しかないので、突入部隊以外に包囲戦力に気を払う必要はそこまでなかった。悪戯に戦力を分散させて、可能性の低い“もしも”に備えた結果不利な戦況を作り出すような輩でもあるまいて。むしろ、そこまで迂闊であれば、もっと戦いは楽に終わっただろう。

 されども念のために切る札は用意してあった。そして今、切ったカードは羅紗の上で存分に仕事を果たしたようだ。互いに切ったカードの強弱と結果は、銃声が教えてくれていた……。

 『報告。下はクリアです。橋頭堡構築完了! 急いで下さい!』

 「分かった。迅速に乗車準備を終えろ」

 逃げ出した後のことは分からない。だが、全ては生きてこそ。最大数を生かせるのであれば、後に続く何かに賭けることもできよう。

 通信の後にゴンドラがボタンを押すことも無く上がってくる。降りる際に一陣がボタンを押してくれていたのだろう。扉が開くと、避難民達は班ごとに分かれて慌てて乗り込んでいく。

 まるで死が実体を持って彼らを押し出しているかのような勢いで。実際彼らにとって、下から聞こえてくる苛立ち紛れの破壊音は死神の靴音にも等しいのであろう。

 「だがもう遅い。無駄に頑丈に作ってないぜ元同輩」

 その上、棚にもトラップは満載してある。無駄に倒せばガラスの破片が大量に砕けたり、ライターを利用した仕組みで火炎瓶に着火されるような代物まである。

 ゆっくり踏破すれば時間が稼げて、無理に通ればダメージが入る。どっちでもいいのだ。どのみち防人の狙い取りに事が運ぶのだから。

 あと十何分もすれば、避難民全てが外へ出て脱出の準備が整う。正面では既に細々と隠れるように準備した車両が暖気して待っていることであろう。

 この準備にも苦労した。連中の擾乱攻撃の合間を縫って、気付かれぬようコソコソ少人数で夜陰に紛れて作業をしたのだ。もし露見しよう者なら、突っ込む序でにタイヤを壊されでもしただろうから。

 燃料にするために抜いたガソリンを戻し、人員移動用の車両と物資移動用の車両を用意する。並大抵の作業では無かった。しかし彼らはやり遂げたのだ。

 されども……準備は未だ完全とは言い難かった。

 人数が人数だ。分乗して詰め込んだとしても、持ち出せる物資には限界がある。その上、乗る人数が増えればガスの使用量も増えて、当然ながら行動可能半径は狭まる。

 幾らか行くところもアタリは付けたが、死体の群や先客が居ないという保障は無い。今ではもう、電話一本で旅先の空きを確認することは能わないのだから。

 多くの物資を此処に残して行くことになる。食料に水、生活用品。銃器や弾丸もキャパシティの事を考えると、幾らか残さざるを得なかった。暖を取ったり機器を動かすので燃料を使いすぎたのだ。管理が甘くて腐った物もある。

 結局は博打でしかない。

 されど、この世を生きて行くにあたって最早博打で無い要素が如何ほど残っていようか。ならば幾らか無理なレートであろうとも、賭けたとて良いはずだ。

 ふと、屋上に送った少女の事を思い出した。あれも賭が好きな性質で、何時も馬鹿ばかりやっていたなと。

 それにしても遅い。屋上の銃声は止んで久しい。決着は疾うに付いているはず。下で橋頭堡を築いている連中が上から射的の的にされていないということは、彼女が勝ったに違いないというのに。

 「……少し上に上がる。指揮を引き継げ」

 「隊長?」

 「五分で戻る。どうせ俺が乗るのは最後の便だ」

 部下へ統括指揮用の無線機を投げ寄越し、別の子機を持って防人は上への階段へ向かった。ホールの中でみっちり詰まった避難民と荷物の間を抜け、そこだけ嫌に静かな階段を上る。

 扉を開ければ、自分が作った異様な光景が飛び込んできた。視界を遮るシーツの壁と、月明かりをスポットライトに立ち尽くすマネキン達の群。

 その中で妙な男らしさを感じる大の字で少女が倒れていた。自らの血だまりを布団にして。

 傍らには落とした衝撃でスコープが壊れたカービンがある。

 彼女は勝ったのでは無かったらしい。相打ちだった。

 未だ胸は浅く上下しているから、生きている。弾の当たり所も、まぁ悪くは無い。本当に悪運のいい女だ。きちんと手当をしてやれば助かるであろう。

 助け起こそうと膝をついた所で、一つの考えが防人の脳裏に去来した。否、唐突にわき上がったのでは無い。以前よりことある事に浮かんでいた思考だ。

 この女は本当に生かしておいて良いのか? 兵士として、指揮官としての冷えた部分が語りかけてきた。

 今まではコミュニティの平穏のためと戦力として生かして来たが、彼女が内包するリスクと価値が今後釣り合うだろうか?

 ただでさえ危険な博打に不確定要素は抱え込みたくなかった。この小さな爆弾がどっちに転び、誰を巻き込んで炸裂するかなど、誰にも分からないのだから。

 無意識に防人の手は、握り慣れた9mm拳銃の銃把に添えられていた。引き抜いて額にポイントすれば、実に容易い。不確定要素が一つ排除できる。

 しかし、だが、やはり。

 幾つもの感情が脳裏をぐるぐると回った。別に青臭く殺人を忌避はしない。殺しておいた方が良い奴は殺すべきなのだ。

 それでも彼女は、今まで多くの働きを見せている。此処で自分はどうするべきか……。

 『隊長! 隊長!!』

 今まで幾度となく浮かんだ考えの中、どれを取るべきかの思考は無線機の声によって霧散した。兵士としての本能が反射的に体を動かし、思考を傾けさせる。

 「どうした」

 『死体が、死体が出て来ました! 近所の家屋からちらほらとですが!!』

 無線を握る手に力が籠もった。やはり来たか、という気持ちもあるが、多くは寄りによって今かという憤りだ。

 寒さが和らいで覚醒しつつあった中、このイベントは目覚めを早めるに十分過ぎる賑やかさを持っていたらしい。彼らが目覚めるのも、無理は無い事だろう。

 直に起き抜けだ空いた腹を抱えた餓鬼共が押し寄せてくるだろう。美味しい御菓子の詰まった缶は、その口を開けて待っている。無遠慮な手がクッキーを無茶苦茶にするまで、そう時間はあるまい。

 「準備はどうだ」

 『殆ど終わっています! あと三陣だけですし、死体も疎らなので突破は容易かと!』

 「……分かった、急がせろ。俺も直ぐ向かう」

 元気よく、というよりも切羽詰まったやけくその肯定を聞きながら、防人は倒れ伏す少女に目をやった。

 あどけない寝顔だ。あれ程の暴力性と狂気を秘めているとは、到底信じられない寝顔。もしも全うに結婚して娘をこさえていれば、これくらいの年齢だっただろうか。

 「……ま、似てもにつかねぇから娘のようには思えねぇがね」

 防人は小さく呟いて、手を腰元へと伸ばした…………。
大変お待たせしました。終わる終わる詐欺も終わりです。
本当にあと少しお付き合いください。
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