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青年と犬と、もう一人 作者:Schuld
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青年と少女と白い監獄

 平時であれば松の内まで後幾ばくか、と年末の支度に忙しい客でごった返すであろうホームセンターの中は、とてもでは無いが慶事を間近に控えているとは言い難い雰囲気であった。

 病院や一部の防災対策が施された学校と異なり、ホームセンターには独自の電源設備は無い。故に換気システムはダウンしており、室内の換気は窓を開ける他ない。

 だが、滅多に雪の降らぬ大阪にしては珍しく連日雪が降り続ける中で窓を開けるのは、半ば自殺行為に等しい。

 とはいえど、換気をせねば空気は濁り、ただでさえ寒さによる風邪が蔓延しかかっている現状では好ましくない。それに、十分に空気を交換しなければ、別の問題も発生する。

 ストーブや火鉢などの酸素を消費するような暖房設備が、主な耐寒装備であることが響いていた。これらは当然、火によって熱を起こす物なので酸素が浪費される。

 二酸化炭素や一酸化炭素の割合が大気中に増えれば、当然のように体に影響を及ぼす。場合によっては、死者も出るだろう。それこそ、室内全体で練炭自殺をしているのと変わらない状況になってしまう。

 勿論、ホームセンターそのものは大変広いので、何十分や何時間で人が死ぬ濃度に達することは無い。それでもただでさえ人が密集しているのだから、息苦しさを感じるには十分なものがある。

 定期的な換気の寒さと息苦しさに耐え、健康な者は燃料の節約のためにストーブに当たるのも我慢せねばならない。しかし、熱に魘される者に暖房の温もりが、どれほどの救いになろうか。

 寒さと熱に苛まれ、少しずつ避難民は衰弱していった。されども、物資を浪費しては冬を越えられないし、後が続かなくなる。

 誰もが、身を縮ませて耐えていた……。

 一方で浅く雪が降り積もった屋上。呼気も湯気となって立ち上り、甲冑の如く幾重に纏った防寒具であっても刃のように貫通するほど冷え切った風が襲いかかる酷所に、二つの人影があった。

 一人は野戦服の上にホームセンター二階にあったスポーツショップで手に入る、ウィンタースポーツ向けの防寒具を重ね着した壮年男性。

 もう一人は、ざんばらの金髪を整えることもしないで好き放題に散らかした、以前より野性味を増した大型犬のような雰囲気がある少女だ。

 彼女もまた、もこもこと見事な体のラインが隠れるほど多量に着込んでおり、懐には湯を封入した瓶をタオルで来るんだ即席懐炉が仕込まれている。

 事態が始まったのが春先で、スポーツショップやショッピングセンターに冬物の被服や用具が在庫処分的に残っていたのが幸いした。真夏で、そういった在庫が捌けて倉庫にも残っていなければ、事態は更に逼迫していたことだろう。

 「で、足の具合はどうだ」

 おやっさんと親しまれる自衛隊員の男は、フェンスに寄っかかってぼんやりと煙草を吹かしていた少女に声を掛けた。

 茶色い巻紙が特徴の妙に甘ったるい芳香を放つ煙草を咥え、傍らに即席の杖を置いた少女は、純白に染め上げられた疎らな町並みを眺めつつ笑っている。

 「まぁまぁかな。全快までは、随分かかりそうだけども」

 その視線の先では、彼らと同じく厚着に厚着を重ねた自警団員が鬼の居ぬ間の洗濯とばかりにフェンスの強化を始めていた。

 しかし、雪と寒さで捗ってはいないようだ。冷えた金属部品を素手で触れば、皮膚が張り付いて酷い目に遭うので手袋を付けざるを得ず、繊細な作業の妨げになっているらしい。

 確かに、分厚い手袋を嵌めたままで紐を結んだりするのは大変だろう。

 「まっ、それでも大手を振って作業をサボれるんだから、悪くないけどね」

 時折咳き込みながら吹かしていた煙草を唇から引っこ抜き、短くなったそれを彼女は一斗缶の中に放り込んだ。雑誌や廃材が詰め込まれて燃えている元業務用油の缶は、屋外ならではの最も原始的な暖の取り方だ。

 積もった雪と比べれば小さな炎に過ぎないが、やはり火があるだけで暖かさは随分と違う。その上、炎が見えているというのは心理的な効果も高く、体感温度を上げてくれる。

 室内で息苦しく震えているより、考え方によっては此方の方が幾らか過ごしやすくあった。

 だからこそ、少女は怪我をおしてライフルを担ぎ、普段の如く見張りについているのだろうが。

 「お前なぁ……」

 されども、堂々とサボり目的で見張りに志願したと言われれば、自警団を指揮している側としては良い顔はできない。無精髭が目立つ顔を渋面に歪めるおやっさんに、少女は芝居めいた動作で拝んでみせて赦しを請うた。

 「ごめんごめん。でも、おやっさんだってサボってんじゃん。大目に見てよ」

 そして、軽口を叩くことも忘れない。冗談を言わないと死ぬとでもいうように、怪我を負おうが死にかけようが、少女の態度が変わることは無かった。

 「俺はサボってんじゃない。お前の監督だ、監督」

 「えー? 今更監督されなきゃなんないほど頼りない?」

 「片足引きずってる奴が何言ってやがる」

 指摘され、少女は言われてしまったか、と情け無さそうな笑みを作った。フェンスに杖を立てかけていることから分かるように、彼女の太ももの傷は深く、未だに歩行が覚束ないのだ。

 走ることはおろか、杖の介助が無ければ階段さえ上れない有様だ。不安定な中を歩き続けねばならない、雪中の偵察などできようはずもなかった。。

 現状で言えば、少女は微速で移動できる砲台のような扱いをされている。定点において見張りをさせる分には過不足は無いが、能動的な行動を必要とする実戦には使えない。何とも半端な状態だ。

 しかしそれは、自警団も同じだった。

 寒さと風邪で、自警団員も幾人かがノックアウトされ、機能を喪失しつつあるのだ。まだ倒れるほどでは無いが、完全に健康体というのは半数を割っている。

 見張りと雑事、巡回に治安維持や相談なんぞを聞こうとすれば頭数が足りない。偵察に出したり、物資を集めるのは不可能であった。

 例え死体が居なくとも、外には明確な敵が存在している。銃を持ち、殺意を抱いて此方を観察しているであろう離脱者達。そんな危険が待ち構えているのに、軽々に外へ人員を送り出すことはできない。

 体調不良によって戦力が漸減され、積極論はすっかり鳴りを潜めてしまった。むしろ、これは慎重論を唱えていたおやっさんとしては、奇貨とさえ言えたのでは無かろうか?

 十分な武装を持ち、警戒までしていた者達でさえ殺されているのだ。外に出るのなら、さらなる武装をして大人数にしなければ、悪戯にマンパワーを消費することに繋がる。

 そうなれば、ただでさえ機能不全を起こしかかっている自警団はお終いだ。そして、自警団が動けなくなれば、管理者を喪いコミュニティも遅かれ早かれ瓦解しよう。

 今は、最低限の機能を発揮し、亀のように引きこもることしかできなかった。少女も自警団も、負った傷はあまりに多かったのである。

 「まー、今の私がお荷物なのは事実だから、お守り付きなのは甘んじて受け入れましょう」

 冷えた手を景気良く燃えている、とは言い難い燃料がケチられた炎に身を寄せ、煙草を吸うために手袋を外したせいで蒼白になった手に熱を与える。白人の血でただでさえ白い彼女だが、血の気が引くとまるで紙のような不健康な白さに見えた。

 これは、未だに血が足りていないことも意味する。こんな俄拵えの避難所で、けが人といえども十分な食事を三食取るのは難しいのだ。何より、動物性タンパクとビタミンが足りない。

 如何に若く造血能力に富んだ造血幹細胞にも限度がある。気合いで太平洋戦争に勝てなかったのと同じで、空きっ腹を抱えては怪我など治りようが無いのだ。

 「しっかし、監督役を自任しながら煙草吹かすのってどうなのよ? それって職務怠慢じゃないの、おやっさん?」

 痛々しいほど白い手も、炙られて血行がよくなると多少はマシに見える。それでも、全体から観察できる不健康さだけは、如何ともし難かった。

 急に問いかけられ、痛々しい白さに目を取られていたおやっさんは、軽く面食らう。同じ笑みでも、紅顔で浮かべるのと死相さえ見えそうなほどの白さとでは、大分印象も違ったから、つい見入っていたのだ。

 「ん……? ああ……煙草吸いながらでも仕事はできるさ。風紀が許すのならな」

 「風紀作る側が言うと、酷い自演にしか思えない……」

 死者を連想させるほどに白い肌には、静脈の青が微かに浮かび、普段の笑みが相まって凄絶な何かを感じさせる。健康的で朗らかな笑顔の下に隠されていた物が、透けて見えるように。

 「お前も煙草を吹かしてるだろうが……」

 だが、彼は浮かび上がりかけた異常を完全に無視した。突っついても良いことはないし、突っついた所で事態は好転しない。重荷を背負わされている者同士、互いに痛い所を探り合う必要など無いと判断したからだ。

 少なくとも、今はもっと気にしなければならないことがある。やけくそ気味に潰れたソフトパックからよれた煙草を引っ張り出すと、おやっさんは少女が凭れていたフェンスの対面へ向かった。

 警戒しコミュニティを護る目として、屋上にやってきたのだ。貴重な燃料まで燃やして突っ立っている以上、あまりブラブラしてはいられない。

 当て付けのように心地よい音を立てる雪を踏みしめながら、老兵は醜い物から目を背けようとしている自分を知らぬ間に納得させ、職責へと帰って行った…………。












 葬儀の参列者のような風体の青年は、カンテラが照らす薄暗いリビングで、とある物を前に考え込んでいた。

 一揃いのスキー用具だ。スキー板にストックとブーツ。ブーツは小柄な青年の足には些か大きいが、靴下を何重かにすれば使用に耐えうるサイズだ。

 それらが全て女物であり、酷く華美なカラーリングであることに目をつぶればだが。

 これらの品は、青年が暇を飽かして何度目かの家捜しに繰り出した際に発掘されたものだ。納戸の奥深く、使われなくなって久しい丸められたカーペットと一纏めにして封印されていた。

 恐らく、随分と昔にあったスキーブームの際に購入されたはいいが、それ以後に全く使われなくなるも高価故に捨てるのは惜しいとされて死蔵されていた品であろう。

 しかし、意外と仕舞い込んだ時の手入れが良かったのか、状態は然程悪くない。何とか実用には耐えられそうな品質は、今も保たれている。
 さて、青年が何故こんな物を前に思案しているのかと言えば、少し前から降り続いて凄まじい事になっている積雪のせいである。

 ここに宿を借りはじめて二週間ほどが過ぎ、生活にも幾らか慣れてきたのだが、今度は雪が降りすぎて移動が困難になってきた。

 青年は矮躯であり、最近の節制生活もあって体重は四〇kgと少しと痩せ形だ。今は居ない、かつての道連れからは「もっと食え、突っ込み入れたら折れそうで怖い」と言われたこともある。

 しかし、人間として軽いといっても雪に沈まない訳では無いのだ。

 人間は二本の足で歩くので、必然的に加重は足の狭い面積に集まる。すると、柔らかな雪は容易く沈み込んで足を取る。こうなると、もう大変だ。

 一歩を踏み出す度に大きく足を上げ、足を降ろすにしても沈み込んだ拍子に転ばないよう重心移動に気を遣う。その上、膝元、あるいはそれより上まで埋まった部分の被服が水分を孕んで体を冷やし重量も増える。

 歩調は遅く、負荷は強く、熱も奪われると考えるとコンディションは最悪と言っていい。ともすれば、家から数十メートルの距離で遭難もありうる。

 また、雪が何を隠しているかも分からないのだ。段差や倒れた自転車にバイクなど、不用意に踏んだら大けがをしかねない危険を、その白く美しい身に素知らぬ顔で抱え込んでいる。

 美しさと裏腹に雪中の移動は難事であり、幾つもの危険をはらんでいる。

 となれば、暫く雪下ろしに拘束されて集落の探索が出来ていなかった青年は困るのである。物資は幾らでも欲しいし、運び出しきれなかった灯油が残っている家もあった。まだまだ集落を巡って為すべきことがある。

 そこで、何か移動手段に使える物は無いかと家捜しを続けた結果、出てきたのがコレである。

 ウィンタースポーツの影響もあって、スキーといえば斜面を滑降する物というイメージがあるが、長いスキー板は雪面への加重を広い面により分散し、体が沈み込むのを防いでくれるので平地の移動にも使える。

 現に雪国での山岳歩兵や斥候などは、スキーを標準装備として行軍したり偵察に出る。必要ならば斜面を滑降し、素早く離脱できるので願ったり叶ったりなのだろう。

 また、ストックは移動を補助すると共に、簡易ながら障害物を探すための探知機としても使える。要は、とりあえず危なそうな所へたたき込んでみて、何も無ければ安全という極めて原始的なアレである。

 上手く使えば、普段なら五分の距離が永遠になりかねない雪道でも、少し面倒な程度で踏破できる道具を手に入れられたのは僥倖であった。そうでなくば、雪下ろしと同じか上回るほどの重労働をする嵌めになっていたのだから。

 後は、適当な糸に紐を通すなりして急造の橇とし、そこに物資を乗せて運べば、全ての問題は解決される。労を軽減できた上、物資も手に入り文句は無いはずだ。

 されど、スキー板を前に思案顔の青年は、何処か表情が硬かった。

 苦悩を滲ませる主人を見上げ、何かを感じ取ったのか従僕は心配そうに喉を鳴らした。しかし、普段なら答えてやる筈の主は、そんな余裕すらないのか顎に添えた手を忙しなく動かすばかり。

 「……どうして私は修学旅行での選択をスキーにしなかったのだ」

 絞り出すような独り言が、実に重々しいトーンで吐き出された。

 青年が苦悩していたのは、そもそもの使い方が分からなかったからである。なんと言っても、ただ歩くだけでもスキーにはコツがあるし、正しい装着方法というのも重要だ。

 使い方も知らず無理に動けば、足首を痛めることになる。救急車など呼んでも来なければ、医者など見つけた所で此方にかみついて来そうな状態で、怪我だけは避けなければならない。既に指の骨折でさえ、変なくっつき方をしないかで冷や冷やしているのに、これ以上の懸念事項を抱えるは絶対に避けるべきだ。

 とはいえど、使い方が分からないからと諦めて引きこもるわけにもいかず、さりとて俄仕込みで怪我をするのも怖い。どちらもどちらだが、一人で生きている以上、選択から逃れられないのが辛い所である。

 高校の修学旅行で行った北海道で、スキーではなくスノーボードにしてしまったのが益々悔やまれる青年であった。あれは滑降に関しては、慣れてしまえばスキー以上に楽ではあるのだが、平地では役に立たない。

 逆に足を固定する向きが悪いので、蹴って歩くのが恐ろしく辛いのだ。それこそ、恐れている足を痛める事態になりかねない。

 そう考えるとスキーが出てきたのは、確かに良いことではあるのだが、素直に喜ぶことのできない青年であった。

 「……お前が一人で何か取ってきてくれたらな」

 思わず、そんな言葉が零れていた。しかし、言われる方は良い迷惑だ。何を言っているのだろう? とでも言いたげに、カノンは小首を傾げてみせた。

 犬といえば捜し物という印象はあるが、物資探索に送り出すのは酷というもの。狙った物を持ってこられるのは、訓練を積んだ犬だけだし、探し出してこれるのも訓練で使った一定の物くらいだろう。

 人語を解さぬ彼らにリクエストをすることは出来ないし、それ以前に望むことが間違っている。

 如何に嫌な事を目の前にしたからといって、流石にこれは恥ずかしいな。青年は自己の発言を顧みて、渋面を更に渋いものとし、伸び放題になってきた前髪を掻き上げた。

 少し前に夢で見たため、比較的記憶の浅い所に浮かび上がってきた笑みをふと思い出した。あの女なら、実は得意だ、とか言い出してすいすいやりはじめたかもしれない。

 何だかんだと言って、やはり人間は一人で生きていけるように出来ていないのかも知れないと青年は考えた。無論、本来多様される精神的脆弱性を示唆する意味でではなく、個人で保有できるスキルと経験の問題でである。

 さりとて、人数が増えると、物資は倍ではなく数倍を必要とするようなグラフを描いて消費されるし、何よりも人間関係の問題が出てくる。それは、一人で出来ないことを補うより、考えようによっては何よりも恐ろしい事を引き起こす。

 人を一番多く殺すのは、人間なのだから。

 いや、今は人間以外にランキングを塗り替えられてしまっているが、それでも根源的に人を殺すのは人なのだ。

 それに、こんな人も何もいない場所で道連れについて考えるのも阿呆らしい。今頃になっても生き意地汚く生き残っているようなのは、とても一緒に居たいと思えるような輩ではないだろうし、疾うに所属する母体があるはずだ。

 今のところ、身動きが取りづらい集団に属するのはデメリットだ。大挙として詰めかけ、物質的圧力で圧倒せんとする死体には、軍集団でもなければ対抗しようが無い。あれらを掃除出来るのは、現代兵器の有する面圧力だけである。

 集団は、一定水準の生活を維持するために拠点を要する。しかし、攻囲戦術を習性に従って実施する死体に火力もなく籠城するのは、即身仏に志願するのと同意だ。

 詰まる所、この有様では大きな集団を作る方が、返ってデメリットとなる。

 精々一人か二人で移動し続けるか、死体が簡単に寄ってこられない場所に住むのが限度。どれだけ頑張っても、一家族で生きるのが限界なのだ。

 一体、この世で生き残り自分のように一人だけでふらついている奇特な人間が、他にどれだけ居ようか。そして、居た所でどうして行動を共に出来よう。

 結局、無い物ねだりだ。得がたい物は、一度喪ったら手に入らないのである。青年はカノンという道連れが居る分、まだ恵まれていると思わねばならない。

 「まずは庭で練習だな……」

 手に入ることのない、よしんば手に入っても希望に合うかも分からない物を欲しがっても仕方ない。それに、この益体もない思考は紛れもなく現実逃避だ。頭の悪いことを考えていないで、多少無様を晒そうとも練習してものにした方が、より有益である。

 青年は手始めにサイズの大きなブーツを手に取り、どの程度の詰め物をすれば安定するかとサイズ調整を始める。

 雪塗れの青年が体を震わせて、スキーなんて嫌いだ、と呟きながらストーブに齧り付くのは、数十分後のことである…………。












 外気に晒されたせいで冷え切ったライフルを整備しながら、少女は自室で煙草を燻らせていた。

 少し前であれば、取り出しただけで怒っていた物を自らの唇に咥えることになるとは、世の中は分からない物だと感じ入る。

 煙草の味そのものには、少女の若い舌は順応しきっておらず、味覚的には好みのものではない。いがらっぽく、微かに甘いのに舌にこびり付くような苦さがある。味だけをみれば、決して愉快なものでは無かった。

 何ともなしに、自分が通っていた学校でも不良が吹かしていたな、と随分昔の事に思える朧気な記憶が想起される。

 偏差値は高い方で風紀が荒れている訳でなくとも、不良というよりもドロップアウターと称するべき者達は一定数居るものであり、高校生の非行と喫煙は今尚切っても切れない関係にある。

 何が彼らに煙草の煙を求めさせるのかは、今も全く分からないが、少女は自分がそんな不良みたいな行為に手を染めていることが、少し面白く感じていた。

 生きやすく生きるため、以前ならば決してしなかったことだ。金は掛かるし、外国暮らしが長い故に歯の白さには喧しい両親も煙草を蛇蝎の如く忌み嫌っていた。

 それが、自ら進んで咥え、配給に加えてくれと強請るなど。エコーが逝って煙突が減ってしまったから、その代わりをしているだけであっても中々に滑稽だ。

 自警団に協力する名無しの少女でなかった己を知るものが見たら、卒倒するだろうか。これでいて、少女は学校では真面目で明るい人気者、というキャラで通っていたのだ。そのキャラが、学校という一種独特な閉鎖空間で生きるのに都合が良かったから。

 だが、今は良い奴というだけでは生きていけない。力があり、空気が読めて頼りになると思われるのが、一番楽だ。確かに仕事は押しつけられるが、物資は得られるし、他人がヘマを踏んだら死ぬと怯えて待つだけのポジションよりは、ずっといい。

 何よりも、生きるのに必要な力が手元にある。弾丸が装填された銃。今、この鋼の構造物は両親よりも信頼できる、ただ一つの拠り所だ。

 騒動が起こって以来、難度も命を助けてくれた愛銃だ。これを持っていられるのなら、キャラくらい幾らでも変えられる。生き易い方へ生き易い方へとながされたが故に、奇妙に醸造された人間性は、今も彼女を生かす為に歪ながらも機能し続けていた。

 丁寧に機構部を整備しつつ、少女は現状を整理した。どうすれば楽に生きられるか、苦しまずに済むかを考えて。今までそうしてきたように、これからもそうする為に。

 自警団は機能不全、コミュニティは病人が増えてまともに動いていない。普段、鬱陶しいほど絡んでくる子供達も、半数は風邪を惹いて倒れているし、残りは風邪の感染を恐れて隔離されている。

 こと子供に関しては、現代文明の医療サポートが無ければ、実にあっけなく死んでしまう。実際、今に至るまでの半年以上で、子供の死人は三人出ている。幼児が一人と赤子が一人、もう一人は小学校低学年だったが、異常を訴えてから逝ってしまうまで、本当にあっと言う間だった。

 七つまでは神のうち、とは昔の人も上手いことを言ったものである。環境もよくなく、医療も完全でない環境で、子供はバタバタと死ぬ。市販薬がホームセンター内の薬局に幾らあれど、小児用の医薬品は大抵が一時凌ぎの品ばかりだ。

 大人と違い、これ位なら平気というラインが曖昧な子供には、強力な市販薬を作って売りようがないからどうしようもない。本来なら、小児科医に掛かって正確な処方薬を貰うのが普通だ。だからこそ、子供用の医療品には強力なものはない。精々、急な発熱を抑えて翌日医者に見せるまでの繋ぎでしかないのだ。

 さりとて、大人用の医薬品を飲ませる訳にもいかない。用法用量を正しく守れ、とは何も無意味に書いてあることではないのだから。

 しかし、専門医も居ない現状では、どうにもできない。市販の医薬品を与え、祈るしか無い。どうか、死なないでくれと。

 一部の自警団員は、処方箋薬局に行けば、より有効な小児用薬品があるのではと主張したが、その案は却下された。

 ああいった薬局にも在庫はあるし、その中に子供に使える薬品も確かにあるだろうが、残念ながらどれが良く効くか、どれが適正なのかを判断できる人間が居ない。

 効くかも分からない薬を危険を冒して取ってきて、子供達の前に並べて何になるのか。好きなのを選んで飲めと、ロシアンルーレットやるわけにも行かないし、どうしようもないのだ。

 しかし、こんな有様で外に出て行った彼らは、どうしているのだろう?

 電気も止まり、石油ストーブも今は何処の家庭にもある訳では無いから暖を取るのにも苦労するだろう。何より、少し前まで溢れていた死体がどうなっているかも分からないのが現状だ。例え見えない所にいってしまったとしても、予断は許されないというのに。

 自警団の中には、あまりの寒さに自滅しているのではなかろうかという楽観論も出回り始めている。大阪では異常とさえ思える寒さと雪だ、そう考えてるのも無理からぬ事だった。

 ある程度は寒さ対策が施された、この避難所ですら次々と病人が出る始末。普通の環境で、どうやって耐えられるのだろうか? 毛布や厚着で何とかなる段階は、疾うに超えてしまっている。

 ハラスメント攻撃に晒される事も無くなってしまったので、少し前まであった積極論や慎重論よりも外敵に関しては楽観論が出回る始末だ。

 今はむしろ、病人が死んで蘇らないよう見張る事に重点が置かれ、別の意味で空気が張り詰めている。それは、外の見張りにかり出される人数が減り、病人が隔離されている近辺への配備数が増えていることから明白だ。

 正直、これは組織として歓迎し難い風潮であろう。楽観し、油断して打ち崩された砦というのは歴史の中で枚挙に暇が無い。万全の守りも、その担い手が居なければ機能はしないのだ。

 おやっさんも、分かっては居るのだろう。楽観視はしていられないと。考えるのであれば、最悪を想定して備えるべきだとも。

 しかし、人手や避難民が心配する内容を懸案すれば、どうしても優先度は変わる。実際に重要なことであったとしても、大多数が重要視しない事に注力した場合の反発は必至だ。

 ともすれば、ありもしないことに恐れていると自警団の長として放逐されかねない。命令権を得ていた所で、絶対ではないのだ。

 もしおやっさんが、もっと強権的な人物であれば話は少し違ってきたのだろうが、彼は良くも悪くも和と空気を重んじる人柄をしている。止めろと言われて尚、自警団長として周囲を導きはすまい。一歩引いて、力を貸すだけに留めてしまうはず。

 それが良い方に働くとは、少女にはとても思えなかった。

 個人が楽な方へ流れようとするのは、まだ問題も弊害も少ない。同時に、彼女が楽な方へとながされるのは、周囲の環境との最適化を図ることであり、サボる事を目的とはしていないからだ。それは自己保全の手段であり、人格に根ざした処世術に過ぎないから。

 だが、集団が楽な方へながされ始めた場合は、目も当てられない事態に発展する。楽観論に次ぐ楽観論による脱力と腐敗。部署の緊張は弛緩し、仕事への姿勢は崩れて質は格段に喪われていく。

 一人一人が、この程度で良いか、と思ってしまうのが集団の脱力がもたらす恐ろしいことだ。集団の本質である個人が手を抜いた場合、先にあるのは集団の瓦解のみである。

 家と一緒だ。どれだけ豪華で巨大な物を打ち立てようと、地盤が緩ければ沈んでいくだけ。意識とは、組織を構成する上での基礎なのだ。そこが緩めば、連鎖的に全てが沈み込んでいく。

 目につく外敵が二つとも去り、内側に目を向けすぎている今、ずぶずぶと沈んでいくのは然程遠い未来のことではないように思えた。

 それに、少女は知っているのだ……未だに彼らが諦めていないことを。

 「あぽかりぷす、なーう……」

 おやっさんとは別の、見張りを面倒くさがる部類の男と共にリハビリがてら見張りをしていた時、見てしまったのだ。遠くにあるビル、その屋上から此方を双眼鏡で覗いている男の姿を。

 どこそこの誰それ、と明確に判断できた訳ではない。高倍率とは言えないスコープ越しに見つけただけなので、確実なのは男性であることくらいである。

 されど、彼は確実に此方を伺っていた。偶然ではなく、何らかの目的と意思を持って。双眼鏡で舐めるように敷地内を観察していたのだ。

 堂々と見ていたのは、単純に見つかっていないと思っていたからか。それとも、見張られているということを知らしめることが、ハラスメント攻撃になると思ったからかは判断できない。

 しかし、それで十分だ。悪意を以て此方を見る者が居る。それだけで警戒するには事足りる。

 誰が態々、こんな糞寒い中に意味も無く人を見張るだろうか。何とも無しに通りすがる通行人を目で追うのとは訳が違う。意図を持って観測手をやり、警備状況を調べさせるのは諦めていないからだ。

 この余所より恵まれた環境を。或いは、内側にため込んだ大量の物資を。元より物資は豊富であったし、彼らは銃を得て以来近辺の家屋や商店は荒らせるだけ荒らして物資を手に入れていたので、物だけは幾らでもある。

 実情を知っていれば、それを欲するのは無理からぬことだ。ちょんとつついてやれば宝物が顔を出す、脆い砂の金倉があるのなら、誰だって突いて中身を自分のものにしたくなるだろう。

 そのためなら、数人の犠牲で諦めるはずが無い。むしろ、痛みは人に諦めを悪くさせる。

 あれだけ犠牲を出したのだから、あれだけ血を流したのだからと思わせてしまう。どうしてか人間は、払った代償に見合う結果が必ず得られる、否、得られるべきだと考えてしまうのだ。

 なればこそ、どれほど出血を強いられることになろうと諦めはすまい。自分たちの思い通りに事を進めるためであれば……。

 少女は煙草の煙をぷかりと吐いて、浅ましいね、と嗤った。誰が、とはいわない。もしかしたら、誰も彼もに対して言ったのだろう。そして、その中には自分も含まれている。

 肺腑に取り込んだ煙から成分が体に回り、脳の受容体が刺激されて化学反応を誘発。鎮静効果をもたらすノルアドレナリンの慰撫が高ぶった意識を沈め、脳が高揚し集中力が増す。

 少女は、煙草の味は嫌いでも、この感覚だけは気に入っていた。愛飲する者の気持ちも、これだけを考えれば分からなくも無いと。

 ニコチンの刺激によってドーパミンが分泌され、ノルアドレナリンが生成されるとストレスが僅かながら緩和される。何とも無しに落ち着くのだ。

 とはいえ、メリットばかりではないことも彼女は重々承知の上である。しかし、生きる上でメリットのあるものだけを選んでは居られない。楽しく楽に生きるためなら、時には不条理に身を任せることも必要なのだ。

 ニコチンやアルコールの慰めに精神を浸すのも、そのデメリットを受け入れる不条理の一つである。効率的なだけでは、生きていた所で楽しくは無いだろう。

 ならば、不条理さえも受け入れて楽に楽しく生きる方法を探さねばならない。生きていなければ、楽しいことも何も無いのだから。

 すっかりと整備された機構部が閉じられ、心地よい音を立てるのと同時に短くなった煙草の灰が、静かに崩れて形を喪った…………。












 案の定痛めた足を引きずりながら、青年は渋面を隠すこともせずに古ぼけた家屋の家捜しを続けていた。

 畳敷きの和室ばかりが目立つ家で、典型的な田舎の日本建築であるのだが、得られる物は少なくない。

 慌ててで出て行ったという風情ではないが、多くの物を持ち出した形跡はあれど、その殆どは恐らく金銭に関わるものだったのだろうと推察される。よって、家には多くの生活物資が残されていた。

 昨今の災害対策に任せてか、それとも老人の家には何故か食料が多く蓄えられているという慣例に従ってか、家々には妙に食べ物が多かった。

 冷蔵庫の中身はさておくとして、台所を漁れば菓子や即席の食料がゴロゴロ出てくるのを始めとし、梅干しの壺やらっきょうの瓶に梅酒のビンなどが出るわ出るわ。避難時に持っていくようでも無い物が、悉く残されていた。

 食べ物には困らず、質素な食生活を送らずに済むのは良いことだ。これだけあれば、パックの白米を湯煎するだけで豪華な食事ができるだろう。

 しかし、見つけて持っていきたい物を見つける度、青年の顔は辛そうに歪んでいった。

 持って帰るのが大変なのだ。本当に。

 スキーで歩くのは、無いのと比べれば格段にマシには違いないが、それでも中々に体力を使うし下半身への負荷は相当だ。

 その上、連日の雪下ろしも相まって既に体は限界近くまで酷使されている。もう翌日の筋肉痛を考えるのも恐ろしいレベルに至っていた。

 そこにこの大荷物が加わるとなれば、あまり考えたくない負荷が加わることとなる。

 板きれとロープで作った急拵えの橇は、お世辞にも運搬能力は高くないし、雪の上でも摩擦が消えきらず抵抗を感じる。底を丁寧に馴らされた、本物の橇とは違うので、当然のことではあるが。

 重い物を不安定な足場で牽くと、下半身に凄まじい負荷が加わり、更に紐が上半身に食い込んで痛む上に肩まで凝る。正直、大量の食料を得られても、内心でやらなきゃ良かったと思うほどである。

 実際には、疲れて自棄になっているだけで、終わればやって良かったと思うはずではある。それでも、やっている間の心情は別問題なのだ。給料日に仕事していた事を後悔することは無かろうが、残業の最中では職に就くのなど阿呆らしいと考えるのと似た心理である。

 しかし、一度出かけた以上、成果なしで家に帰るのは何にせよ癪に障る。労力の無駄遣いに終わらせたくないので、結局は我慢して運ぶほか選択肢はないのだ。

 また、民家から物資を運び出すのであれば、急がねばならない理由も出てきていた。

 大量に降り積もった雪の加重で、軽く傾いている家があったのだ。

 雪の加重は馬鹿にしたものではない。平屋の加圧に比較的強い建物であっても、積み上がれば容易く押しつぶしてしまう。

 人が住んでいれば、勝手に雪を下ろすので心配する必要など無いのだが、今となっては誰も雪下ろしなどしないし、青年もやっていられない。となると、建物はどんどんと耐えきれず崩れていくことだろう。

 今は傾いているだけだが、直に想定外の方向から加えられる圧力に耐えられなくなった柱が折れ、家全体が倒壊するはず。そんな家屋は、時が経つにつれて増えていくだろう。

 完全に潰れた家は言うまでも無く、傾いた家も危なくて探索など出来ようはずも無い。それ以前に、扉が開かなくなって侵入できなくなっているだろう。

 そうなれば物資から何まで、潰れた家屋と雪の下敷きになって台無しだ。救い出す機会は永遠に与えられず、得られる機会が有限である資源を喪失することとなるのは大変痛い。

 それが嫌なら、体にむち打って潰れたり傾いたりする前に、物資を漁り尽くさねばならない。今の辛さを後の辛さを天秤に賭けるなら、青年は後者の方がより辛いと判断した。

 それでも、空きっ腹を抱えての作業はきつかったらしい。この大荷物を持って帰るのか、と顰めっ面を作っていた彼の腹が、燃料不足を報せて小さく鳴いた。

 「む……」

 腹を見下ろすと、消化器が蠕動する時に発せられる独特の異音を響かせていた。消化する物が尽きて久しいから、さっさと何かをくべろと生物の動力がわめいているのだ。

 「ううむ、どうにも暇だからときっちり飯を食うせいで空腹に弱くなったか」

 現金に呻き声を上げる消化器を叱り付けるように撫でたが、一度起きた駄々っ子は中々寝付いてくれない。一日二食は継続していたのだが、知らずの内に暇を慰めようと食べる量が増えていたらしい。節制が必要そうだ。

 単純に運動量と摂取量が見合っていない可能性もあるのだが、やはり物資を長持ちさせるために小食であるに超したことはない。

 ただ、空きっ腹で動くと胃酸で胸焼けして辛いし、何より体温が下がる。今の状況で体を冷やし運動効率を落とすのは、物資を多少消費するよりもずっと好ましくなかった。それなら、何かを胃に入れた方が費用対効果的観念から見れば、幾らかマシだ。

 青年は吐息し、集めた物資を積み上げていた座卓の上に腰を下ろして、黄桃の缶詰を手に取った。

 甘くて直ぐ栄養になり、シロップで喉は渇けどカロリーも豊富に採れるので、果物の缶詰は良い保存食だ。そして、何よりも美味しい。

 甘党である青年は、好きな甘みに心を躍らせながら十徳ナイフの缶詰を引き出し、黄色い幸福を封入した缶に挑みかかる。

 缶切りが無ければ開けられない缶詰は、現代でも驚くほど多いが、それでも缶切りさえあれば問題は無い。青年は大して時間も掛けず、甘ったるく幸せな桃にかぶりつくことが出来た。

 下品に十徳ナイフの缶切りに桃を突き刺し、時折シロップを啜りながら腹を満たす青年であったが、満足げに空になった缶を座卓に下ろした時にとある物を目にした。

 一枚のビラだ。そして、その内容には見覚えがあった。

 「ん……」

 ねっとりとしたシロップを指からなめ取りながら、空いた手で避難を呼びかけるビラを手にし、青年は眇に文章をたどった…………。
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