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青年と犬と、もう一人 作者:Schuld
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少女と夢と痛痒

 熱があった。体を蝕む痛痒と共に伝わる、焼けるような熱があった。

 沈んだ意識は最初、それを受けた傷が伝える痛みだと判断していた。だが、時が経つ度に違うと分かってきた。熱の発生源は傷口から遠い場所にあったからだ。熱は胸の中に産まれていたのだ。

 意識が熱の居所を認識すると、反応するかのように声が響き始める。暗い闇の中から這い上がってくるような、ヘドロの底から沸き上がる泡のような、そんな重く陰鬱な声だった。

 幾つもの声だ。男の声、女の声、若いものがあれば老いたものもあり、聞き慣れた物から耳慣れぬものまで様々な声がある。

 しかして、それらの声は同じ言葉を吐いていた。不揃いな混声合唱が作り上げるのは、割れ響く歌の如き怨嗟の絶叫であった。

 どうしてお前だけが、何故見捨てた、友達だと思っていたのに。声は思い思いに勝手な恨み辛みを上げてくる。濁流の如く叩きつけられる、黒い黒い怨嗟の呻き。お前もこっちに来いと、冷たい何かが自分を責め立てる胸の熱から這いだした。

 冷たい冷たい死人の手に、体を捕まれる。幾度となく触れたことのある感覚だ。壊す時、葬る時、戦う時。爛れ、腐り、汁を零して何処かを欠かせた体の部品。それらが意識のそこいらを握りしめ、千々に引き裂かんと腕を張った。

 剰りにもおぞましい感覚。普通の精神であれば、ここで絶叫していただろう。しかし、この意識は普通ではなかった。

 もしも、口があったなら意識は口の端をつり上げ、嗤っていた事であろう。亡霊共が滑稽な、とでも嘲るように。

 意識は理解していた。これが、熱にうなされながら落ちている眠りの夢であると。夢とは脳や体の休息と共に記憶を整理する時間である。脳細胞の奥、記憶野の片隅にうち捨てられていた過去の亡骸が、惨めったらしく這いだしてきたに過ぎない。亡霊は亡霊に過ぎず、存在すらしていないのだ。

 どれだけ唸ろうと、叫ぼうと、不快感を与えてこようとも、所詮は過去の亡霊だ。意識は覚えている。彼等の事を。ある者は鮮明に、ある者は朧気なれど覚えている。だからこそ、意識は笑うことができた。

 既に死し、動く亡骸ですらない物が何をするものぞと。夢の狂った認識が作る死人の幻だ。その中に現れて、己に何を望むというのか。悔恨か、悲しみか、それとも懺悔か。その何れも、意識が浮かべることは無かった。

 夢の内容は、深層心理が作り出す願望や怖れであるとも言うが、これは紛れもなく記憶を整理することによって引き起こされる混濁によって作り出された、だだの幻に過ぎないと意識は断定した。

 死人の記憶が、かつて見たホラー映画の情景に上書きされたに過ぎない。演者が知人や、己が殺した者達に置き換わっているだけのチープな演目。

 そして、万一これが本当に死人の念が作り出した物であったところで何だというのか。恨みが深かろうと怨嗟に体を引き裂こうと、所詮は夢の中の出来事でしかない。そんなしみったれた事しか出来ないから、死んだのだと嗤うだけである。

 意識は冷たい手の感触も、香る腐臭も撥ね除けて……いや、無視して嗤った。死んだお前達が今更なんだと。自分は後悔するどころか、同じ状況が繰り広げられた所でお前達を造作なく殺すぞと、見捨てるぞと声を上げること無く嗤う。

 恨まれても詰られても、罪の意識を感じることは愚か、申し訳なさすら感じない。それが、かつて昼食を共にした級友であろうと、恋の相談を受けた良く懐いていた後輩であろうと。恐らくは、自らに淡い思いを抱いていたであろう男だったとしても。

 この意識は人間として壊れているのだ。だから嗤える。だから気負わずに居られる。今まで通り、例え幾夜の夢に彼等が姿を現そうと、意識は笑い続ける事であろう。

 そうして、何事も無かったかのように目覚めるのだ。せめて、うなされでもすれば可愛げもあろうに。だが、意識の持ち主は眠り続けて、平穏に目を覚ますのだろう。健やかに、穏やかに。獣が寝床で傷を癒やし、また犠牲者を作り出すのと同じように。

 不意に、意識は浮かび上がるような感覚を覚えた。胸の熱さが弱まり、握りしめられていた手指が解けるように離れていく。そして、少しずつ体の感覚が意識に染みこんでいった。

 四肢が在り、頭部が在り、胴体がある。四肢の内二本は、薄れた胸の熱を大きく上回る熱を帯びており、意識を加速度的に浮かび上がらせる事を助けていた。

 投げかけられる声は次第に小さくなり、遂には全て消えてしまった。かつて幾度となく聞いた同窓の少女の、どうして? という声さえ、感慨を残すことも無く虚空に溶ける。

 そうして、最後には意識は死の淵から引き上げられ、体へと浸透して目を開いた。

 霞んだ視界には、見慣れた化粧板の天上と埃だらけの明かりが失せた蛍光灯が映る。意識、いや、少女が寝転がっているのは自分の部屋に敷かれた万年床の上であった。

 体には言いしれぬ虚脱感と、熱にも似た苦痛が居座り、骨の全てが鉛に置換されたかのようにな重みがのし掛かっている。その上、骨の髄から凍るような寒さに襲われていた。失血による低体温と、単純に部屋の寒さが相まって居るのだ。

 寝床は毛布地のシーツに変えられ、分厚い冬用毛布が二枚に羽毛布団が掛けられていたが、それでも底冷えを感じる程に寒かった。

 それでも、この痛みが。この熱が。この寒さが少女には愛おしく感じられた。生きている痛みだ、熱だ、寒さだ。

 意識の奥底に、ほんの引っかかりのように残った怨嗟の残響を寒さに溶かし、金髪を散切りにした少女は口をつり上げ、邪悪に嗤った。

 「生き延びてやった、ざまぁみろ」

 悪態を聞く者は居なくとも、少女は実に満足げであった…………。










 数刻の後、日が昇って朝日が窓から差し込む頃、左手と膝を包帯の固まりにした少女は湯気を立てる粥を啜っていた。レトルトながらに貴重な品で、今後商品の入荷が見込めない世の中に於いては、日本人にとって同質量の金にも劣らぬ価値のある品だった。

 傷を負った獣が必死に肉を食って体を癒やそうとするのと同じく、少女は昏睡して少し弱った胃に鞭を打ちながら粥を凄まじい勢いで啜っていく。皿を膝に乗せ、零しながら喰う有様は、少女の髪がかつて想起させた大型犬そのままであった。

 それを眺める無精髭の中年男性が一人。くたびれた野戦服に身を包んだ、おやっさんと呼ばれる自衛官である。朝、転がしていた怪我人がくたばっていないかを確認に来て、彼女の覚醒を確認すると粥を運ばせた当人であった。

 粥が貪られる様を見て、おやっさんは少し呆れた様な顔をした。年頃のおなごが晒して良い様でないことも理由の一つだが、失血死しかける大怪我をしたにも関わらず、異様な元気さを示しているのが大半だ。

 「生き汚いからくたばるこたぁ無いと思っていたが……」

 何とも言い難い言葉を吐きかけられた少女は、目線を其方にやり、粥を啜るのに使っていたレンゲを軽く噛みながら言い返す。

 「そこいらのチンピラ五人の命じゃ、私の命と釣り合わないのだよ。勘定が合わないんだから、死ぬ訳無いさ」

 少し長い犬歯を覗かせながら、喰っている間は必死すぎて失せていた笑みが返ってきた。何が面白いのかは知らないが、常に貼り付けている、あの締まりのない笑みだ。

 彼女は笑みを浮かべる序でに、空になった椀を差し出しながらお代わりを要求した。

 「その辺にしとけ馬鹿。胃がびっくりして戻すぞ。四日も寝てたんだからな」

 「血が足りないんだよね。寒くって仕方が無いんだ。喰わないと寒さで死んじゃうよ。あと液体ももっとちょーだい」

 空の椀を振って、中のレンゲを暴れさせて抗議の音を立てる少女。彼女の傍らには、空の椀の他にも、飲み干されたスポーツドリンクのペットボトルが数本うち捨てられている。彼女は日本人離れした堂々たる体躯を誇るので、体の維持に必要な食糧も多いのだ。

 「オートミールか芋がゆで良いなら用意させるが」

 渋々と言った調子でおやっさんが請け負うも、少女は顔を顰めた。オートミールは、日本人離れしつつも日本人の味覚を持つ少女には、有り体に言って美味しくないのだ。芋がゆなら少しはマシだが、体調が悪くない時と言えば粥だと体が主張しているのである。

 「えー? 名誉の戦傷だよ? キルマーク五つだよ? けちけちしないでおかゆおくれよー」

 「やかましゃ。ここ最近、凄い雪で寒くなりすぎて病人続出なんだよ。お前は良い仕事したが、流石に贔屓して粥出すほど余裕がねぇんだ」

 風邪が流行っていると聞いて、少女は顔を顰めた。確かに、これだけ寒いのであれば抵抗力の落ちた現代人がバタバタ倒れるのも分かる。それも、現代文明が健全に存在していた時と違い、今では暖房器具を使う事も難しいのだ。そして、屋内では安易に火も長けないのだから、脆い人間がバタバタ倒れるのも無理からぬことであった。

 「そりゃ穏やかじゃないね。インフルには早いけど……」

 狭いコミュニティだ。環境が整えば、風邪は爆発的に広まることだろう。それに、現代人は薬で治るからと軽く見がちだが、本来風邪は死ぬ事もある病なのだ。ともすれば、人間は藁のように死んでいく。

 「今の所薬飲ませて大人しくしてれば治ってるがな。それでも、腹にも来るタイプらしいから柔らかい飯は貴重なんだ」

 「なら、しっかたないね」

 諦めと共に椀が置かれ、代わりに少女の手は枕元に置かれていた折り鶴を攫っていた。色取り取りの折り紙で折られた鶴たちは、枕元に小山が出来る程積み上げられていた。百に届く程の折り鶴の送り主は、間違い無くコミュニティの子供達であろう。

 「チビ共は元気?」

 「ああ、大層心配してたぞ。ガキ共は二人程伏せってるが、死ぬほどじゃない。スポーツショップの方に病人は隔離して、優先的に火鉢を回してるところだ」

 「私の部屋にも火鉢置いてくれてよくない?」

 唇を少し尖らせながら、少女は文句を言った。ホームセンターには練炭やらキャンプ用の炭も多く置かれていたので、火鉢が最も簡単に暖を取る装置として重宝されていた。

 「誰が管理するんだ、阿呆。一酸化炭素中毒で死にたいのか。お前は下手すると、見てない間に死んでたかもしれないんだぞ。だからこそ、ここで看病も付けないでほっといたんだ」

 しかし、冷徹におやっさんは切って捨てた。気負う事も無く、悪びれも無く言い切った。ただ、事実を告げたのだと言わんばかりに。

 実際、それは事実であった。彼女の太股の傷は深く、傷口を焼いて強引に止血し、夜戦仕込みの縫合で防ぐまでに剰りに多くの血が喪われていた。血が抜けて蒼白だった少女の顔は、死人のようにも見える程に。

 そして、死んで動く死体に転んでも対処できるように、頑丈な扉がある元裏口守衛室だった少女の部屋に放り込んで置かれたのだ。ここなら、例え少女が死んで人間を喰うようになっても、扉がさまよい出ることを防ぎ、誰かが気付けば出ると同時に蜂の巣にできる。

 何処までも冷徹で効率的な処断だった。だが、それを聞いても少女の笑みは崩れなかった。彼女も分かっているからだ。誰だってそうする、私だってそうすると思いながら。

 「そんじゃ、くたばり損なった事だし火鉢一個貰っちゃ駄目かしら」

 何事も無かったかのように流し、彼女は折り鶴を人差し指の上に載せた。最初は爪の上に、次は指を徐々に立てて指先へと移す。丁寧に折られてぴんと翼を伸ばした鶴は、見事に指先へ佇んだ。

 「駄目だ。湯たんぽで我慢しろ」

 言われて、朝になって温んだ湯たんぽが寝床の中にあったのを思い返す。まぁ、無いよりはマシだろう。それに、油断が許された状態という訳でも無い。未だ傷口は塞がらず、血も戻っていない。抵抗力が落ちているので、思わぬ風邪を拾ってダウンする可能性も残っているのだ。

 「ちぇ。じゃあさ、おやっさん、せめて銃返してよ。懐が寒くてさー、落ち着かないんだよぅ」

 少女の銃は回収されていた。今、この雑然と散らかった部屋には銃火器の類いは一切ない。それもそうだろう、死ぬかも知れない人間に武器を持たせておく必要は無いのだから。

 とはいえ、意識が覚醒したのであれば、骨の髄にまで染みついた自己保全の意識が銃を欲して疼くのだ。今となっては、アレが無ければ落ち着かない有様である。思いも知らない所で、少女はニコチン中毒者の気分を味わっていた。

 「お前なぁ……起きて早々それか」

 先程の飯を食う姿を見た時よりも呆れた様子で、おやっさんは溜息混じりに言った。まるで獣だ。闘争本能の固まりで、自分の牙や爪を取り上げられた事が我慢ならなくて仕方が無いのだろう。

 「はぁ……分かったよ。直ぐに持ってきてやる。それでいいか?」

 「悪いね」

 笑顔が、僅かにつり上がった。獣の笑みだと男は感じた。闘争が身に染みついた、殺人者の笑みだと。快活で、朗らかで、一見すれば爽やかに映る。だが、その内実は血みどろの殺しに慣れた怪物だ。

 この女は、引き金を絞る事に、ナイフを突き立てることに、警棒で後頭部を吹き飛ばすことに躊躇いを覚えない。毎度毎度分かっている事だが、病床に於いてまで“こう”であるのならば、最早筋金入りだ。例え鏨に乗せて打ち直したところで、最早どうにもすることはできまいて。

 世界が死体に飲まれ、高々一年。どうして、こんな怪物が産まれたのか。全く以て理解に苦しむと同時に、これを受け入れている自分に、おやっさんは内心で怖気を感じた。狂気が常識となり、常識が狂気に墜ちた世界に慣れきってしまった事を自覚するのが恐ろしかったのだ。

 腹が少しなりと満ちたからか、本当に手負いの獣のように少女は眠りを求めて寝床へと潜り込み始めた。体が傷を癒やす耐えに伏せと要求しているのだろう。

 状況について知りたくないのかと少女に問うも、頭がはっきりしてから聞くと言って蒲団へ顔を埋めてしまった。普段通りの笑みを浮かべているから分かりづらいが、彼女は未だに熱に魘されているのだ。

 快活に笑い、それでいて表情にも顔色にも疲弊が現れにくい性質だからか、少女は快癒しているように見えた。だが、そんな訳も無いのだ。

 見た目で判断してはいけない。むしろ、怪我を負っても態度から軽く取られる事があるのだから、損なものだ。

 察してやれなかったことを恥じつつも、流石におやっさんも忙しく、かつ少女の寝姿をのぞき見る趣味も無いので早々に部屋を辞したが、その日は延々と忙しく、結局銃を持っていくのは夜になった…………。










 銃そのものは弾丸が抜かれれば割と軽いものだ。鉛と真鍮の混合物を都合一〇個前後飲み込んでいるのだから、それも当然のことだろう。

 しかし、鉛を飲み込んで重みを増した銃が手に伝えてくる質量の存在感は何よりも頼もしいものに感ぜられる。

 少女は銃把より伝わる心地よい重量を弄びながら、長らく使い込んだ愛銃、M92Fの感覚を確かめた。

 随分と使い込んで手に馴染んだ装備で、雑に扱う事もあったが整備は念入りにしているので動作に不備は無い。消耗品の部分もあるから永遠に使えるわけでは無いが、大事に使えば何年かは正常に動いてくれることだろう。

 一度主の意志を以て引き金を引かれれば、激しい咆哮を上げる獣の顎をなで回し、少女は安堵の吐息を零した。

 「あー、やっとこ落ち着いた。これが無いと寝床の中でも町中に素っ裸で放り出された気分でさ」

 まるで、映画のアウトローの如き発言。チェンバーに初弾を送り込まず、念入りに安全装置を掛けた上で少女は銃をホルスターへと仕舞い込んだ。

 「そりゃ良かったな。で、具合の方は?」

 まるで恋人の頬でも愛撫するような手付きで銃を撫でる年頃の乙女を見やり、壮年の枯れたおっさんは何度目とも知れぬ呆れの溜息を付いた。今更ながら、死に瀕したとしても治る気配も無い性根に呆れているのだ。

 「ん? まだ熱っぽいし傷も痛いけど、死にそうって程じゃ無いかな。口角に泡を浮かべて神様に懺悔するのは随分と先の事だと思うよ」

 神に悔いることなんて、特にないんだけどね。少女は続けて言って、笑い飛ばした。今欲しいのは神と子と精霊の御名による祝福などではなく、暖かい食事と抗生物質だ。

 「しかし、出血が酷かったのは分かるけど、随分と強引にやってくれたね」

 左の太股と掌に巻かれた包帯は新しい物に取り替えられていた。血と体液に少量の膿が滲んだ包帯は、感染症を予防するため燃やすべくビニール袋へと投げ込まれている。

 包帯の下には痛々しい縫合痕と、引き攣れたような火傷の痕が覆い隠されている。太股には醜い傷跡が大きく残されていた。気合いの入った侵入者が遺す、最後の忘れ形見であった。

 「仕方ないだろう。此処には外科医なんていないんだ。命があっただけありがたく思え」

 少女の太股の傷は血管を傷つけており、それは半ば強引に傷口を焼くことで出血を止めてあった。外側ではない、焼けたナイフでもって無理矢理肉の中の傷を焼いたのだ。気絶して尚、体が跳ね上がるほどの抵抗を引き起こす強引な施術であった。

 とはいえ、手術を行う環境もなければ、技術も無い。如何に自衛官で野戦における手当を心得た者が居たとしても、精密な手術とは縁遠い。こうするほかに術も無いので、結局傷は焼いて塞いだのだ。

 それでも出血は止まり、少女は目覚めた。回復には時間が掛かるだろうが、いずれ脚も問題無く動く事になるだろう。引き攣れた大きな傷は残るだろうが。

 しかし、奇跡的な回復であった。彼女の体が大きく秀でていたからこそ、生きていられたのだろう。もしも少女が平均的な体つきをしていたら、既に血が足りず、あの日に焼かれた彼等と同じく燃やされていた筈だ。

 「命があっただけ有り難く、ね。いやま、分かるんだけども……」

 途中で言いよどみ、少女は自嘲気に口の端を釣り上げて、常の笑みを歪めた。寝床に片膝を立てて座り込み、散切り頭を掻きむしる姿は、何処か寂しげにも思える。

 「何だよ」

 言いよどんだ先を促したおやっさんであったが、少女はそれに曖昧に微笑むだけであった。何を考えているかが気にならないと言えば嘘になるも、彼は無理に言わせる程の事でもなかろうと別の話題を振る。

 直近の、彼女が寝ていた間の話だ。

 「襲撃は、お前が挫いた者以外は無いんだが、妙に静かだ。連中が五人殺されて、折角奪った武器の幾らかを取り上げられて大人しくしてるとは思えんだろう?」

 「そりゃね。一辺しくじった位で懲りる輩なら、連中は今でも此処でぬくぬくしてるさ」

 いや、別の場所で此処よりもぬくぬくしてるのかな? と零しつつ、少女は肩を竦めた。

 「多分、あれは先遣隊なんだろーね。みんなが動揺している間に、本隊が攻撃を仕掛けて皆殺しって手はずだったんじゃないかな。だけど、それがしくじって、蜂の巣突いたみたいに警戒し始めたから諦めて帰ったってところでしょ」

 「俺もそんな所だと思っている。全員に銃を持たせたとはいえ、五人だけじゃ少なすぎるし、あっさりし過ぎだ。引き際を辨えている……何だって、その優秀さを家で発揮しようとしなかったんだ」

 話している内に憤りが蘇ってきたのか、おやっさんは懐から煙草のパッケージを取り出して一本咥えた。そして、火を灯そうとライターを探り始めた所で手を止める。

 少女の煙草嫌いを思い出したのだ。エコーが話していたように、ナイフで先端を一閃されてはたまらない。煙草も積み上がるほど集めたが、何時か終わりは来るのだ。

 されど、意外な事に、少女は咎めることもなく、寧ろ懐からライターを取り出して見せた。いつ何時火が必要になるか分からないので、愛煙家でなくともライターを持ち歩くのは珍しくなくなったが、それでも煙草に火を付けるために少女がライターを取り出したのは初めてではなかろうか。

 「どうしたのさ、ぼぅっとして。吸うんでしょ?」

 問われて、やっと思考が帰ってきた。漫ろに返事をしつつ、何事かと考えておやっさんは差し出された火を煙草に移し、恐る恐るといった調子で煙を吐き出した。

 「何だ、煙草嫌いのお前がどうしてそんな」

 「心境の変化ってのは、誰にでもあるもんでしょ」

 少女も煙草を懐から取り出した。葬儀の日に配られた煙草は、倒れた後に回収されてきちんと部屋に届けられていたのだ。

 「煙突が何本か減っちゃったからね。ま、エコーの代わりだよ」

 薄いビニールの破り、白いパッケージに生える金色の封を解いて少女は煙草の香りを嗅いだ。鼻腔を甘ったるい独特のバニラ香が擽る。煙草が好きでは無い少女にも、不快に感じない良い香りであった。

 「あれ、ぎっちり詰まってるなこれ。どうやって取り出すの?」

 「ああ……尻の方叩くんだよ。そうすれば飛び出してくる」

 こうかな? と言いつつ人差し指がデコピンの要領ではじき出され、反動で煙草が頭を飛び出させる。その様を見て、少女は無邪気におもしろがった。

 長い犬歯が特徴の口でフィルターを咥え、パッケージから引き抜く。日本では八重歯は可愛いと言われるが、逆に海外では不細工の一要素として扱われるので矯正されかけたが、周りが可愛いと言うから残したチャームポイントだ。

 口を動かして、飛び出した煙草をぴこぴこと動かし、少女は得意げに笑った。似合ってる? とでも問うように。それでも、おやっさんには怪訝そうな顔を返すことしかできない。

 彼女も別に反応を期待していた訳ではなかったらしく、咥えた煙草に火を移そうとする。だが、オイルライターの先端に灯った火は巻紙を炙るだけで、おやっさんが咥えている煙草のように火玉を形成しなかった。

 暫し炙るも、巻紙が黒く煤けるだけで火が綺麗には移らない。少女が首を傾げて煙草を火から離した時、ようやく見かねてかおやっさんが口を出した。

 「空気を送り込まないと火はつかんぞ。ちょっとだけ吸い込みながら火に寄せろ。勢い強くすると咽せるから気ぃつけろよ」

 「いや、知っちゃいるんだけどね」

 答えてから、少女は恥ずかしそうに髪を掻き毟った。

 確かに火は風を送ってやって、初めて勢いよく燃えるものだ。小さな火種を作るためにも呼気を吹き付けなければならない。とすれば、煙草の先端に火を付けるのも同じである。勿論、少女はそのことをきちんと知っていた。

 「いやー、こないだエコーに一本吸わせてやろうと火ぃつけたら、えらい煙出てきてさ。警戒して、炙っただけなら煙少ないかと……」

 「阿呆か」

 切って捨てるように馬鹿にされた少女は、実に気恥ずかしげに誤魔化しの笑みを作ってから、再び煙草の先端に火を近づけて息を吸い込み……盛大に咽せた。

 苦い煙が咽頭を炙り、紫煙が気管を蹂躙して肺を煙が汚し、鼻から抜ける得も言えぬ臭気が不快に鼻粘膜を犯した。不純物を追い出すための生理反応として咳が溢れ、目から涙がにじむ。火が付く前の少女趣味的なアロマにも似た、甘ったるい芳香とは似ても似つかぬ味と香りである。エコーの口にくわえさせてやるため、シケモクに火を移した時以上の不快感であった。

 目尻に涙を浮かべ、大きな体を屈ませている少女を見ておやっさんは笑った。ある意味当然だ。少女が咥えている煙草のタール数は大変重く、癖のある煙草なのだから。

 「人の不幸を笑うなよぅ……」

 「悪い悪い、俺もガキの時分に初めて吸った時はそうだった。知りもせずセッタなんぞ咥えてたからなぁ」

 底意地の悪そうな笑みを浮かべながら笑うおやっさんと、収まりが悪そうに抗議する少女。格好付けて取り出したからか、流石に彼女としても盛大に噎せ返ったのが恥ずかしかったらしい。

 「最初は口ん中だけにしとけ。特にそいつは重いからな、慣れないで肺にやると頭痛がするぞ」

 煙草のタール数はアルコールの度数と同じく、数値が増すほど煙に含まれるニコチン成分が重くなり、それを肺を通して血液に回す事によって、時にヤニ酔いという現象が起こる。これはアルコールの酩酊とは異なり、脳の受容器官が過度のニコチンを摂取したことにより引き起こされる中毒症状なのだ、

 ニコチンそのものは、適度に摂取すれば化学反応によって脳細胞からドーパミンやノルアドレナリンを発生させて覚醒作用と安定作用をもたらす。だが、この摂取に慣れていない脳が過度にニコチンを摂取した場合、過剰反応として血圧の下降や心拍数の増加などを示し、頭痛や吐き気を催させる。

 まだ少女は一口吸っただけなので、そうはなっていないが、多く吸い込めば直ぐに同様の症状を引き起こすであろう。これを防ぐには、取り込む量を少なくするしか方法は無い。なにせ、これらを中和する人体に無害な物質が存在しないのだから。

 「ま、最初は口に溜めて味と匂いを確かめるだけにしときな。ヤニ酔いはしんどいぞ、下手すると倒れるしな」

 「なんでそんな物を好き好んで吸うのかねぇ……」

 「それを好いて咥えようとした阿呆が言うな」

 言われてもご尤もとしか言い返せないので、少女は目尻に涙を浮かべながら煙草を再び口に寄せ、恐る恐る煙を口腔へと収めた。煙っぽくいがらっぽいが、口の中を滞留させれば微かにバニラの甘い味と香りが伝わる。

 これが煙草の味なのか、と実感しつつも、あまり好きになれそうにない味だった。

 「吹かし煙草でも口の粘膜からニコチンは吸収されるからな。慣れたら美味いさ」

 「美味いっていうけど、味じゃないよね、それ」

 「まぁ、弱い麻薬みたいなもんだからな。依存症つっても精神的な部分が多いから許されてるってだけだ」

 煙草を吸うことによって分泌されるノルアドレナリンやドーパミンは興奮と覚醒、そしてある種の幸福感を醸し出す。それは、満たされているという言葉にし難い感覚であり、茫洋と脳に浮かぶ幻想の多幸感だ。

 しかし、脳は刺激に順応する物であり、ニコチンでこれを分泌させすぎると脳が鈍感となり、単純な精神活動でこれらが分泌されにくくなる。

 ノルアドレナリンやドーパミンの不足は注意の霧散に繋がり、幸福感の喪失によるイライラにも繋がる。これを補う為に煙草を吸い、ニコチンの量にも慣れた煙草が更に重いタール数の煙草を要求させる。これが、ニコチン中毒と呼ばれる症状だ。

 とはいえ、脳は順応する物であり、ニコチンの刺激が無くなれば少しずつ元の状態に回帰する。その事から、ギリギリ致命的な中度性が無いとして社会に認められて居るに過ぎない。やっていることは麻薬と殆ど変わりないのだ。

 「咥えて幸せになれるってんなら、悪いもんでもないのかな。お手軽だしね」

 「普通は、日常のふとしたことから幸福を得るんだよ、人間は。ま、今じゃそれが希少だからこそ、これに頼っているんだが」

 今の日常は地獄の窯が開いたような物だ。死体に怯えるか、漸く死体が見えなくなっても寒さに震えながら病を怖れなければならない。少しの幸福がわき出ることさえ難しいのだ。であるならば、煙草や酒の慰撫に身を浸したくなるのも理解出来なくもない。

 だから、大人達は煙草を咥えるのか。少女は漫然と考えながら、美味くも無い煙っぽい煙草を味わった。

 一本の煙草が燃え尽きた後、おやっさんが後で灰皿を持ってきてやると言った。少女の部屋には灰皿がないので、おやっさんの携帯灰皿で処理していたのだ。

 灰が落ちて長かった煙草が燃え尽きる様は、何かに似ていた。そう、人の命運だ。そんなものを眺めながら時間を過ごしたからか、自然と話はコミュニティの今後へと向いた。

 暫くは寒さがきついので警戒に徹するらしい。外に立てる歩哨の数は減らしても、建物の窓から見晴らせるそうだ。それも、見張りは短機関銃を装備してマガジンも五本携行させるという重装備で。

 彼処までやった上で降参しないということは、彼等が未だに戦意を保っている証左に他ならない。そして、遮二無二に突っ込んできたり無意味な攻勢をかけないことは、策の存在を臭わせる。

 コミュニティを脱した者達は、何かを企んでいるのだ。良からぬ事を、ここの居住者に害となる何かを。

 こんな状態になっても人間は相争う生物だ。何かを欲して、誰かを求めて、何かになりたくて。しかして、その本質は全て一つの事実に帰結する。お前と俺は違う、ただそれだけだ。そんな一つの事実で、人間は殺し合い奪い合えるのである。

 「斥候を放つにも危険が大きいし、雪の中で身動きが取れなくなれば死ぬ事もある。大雪って程じゃ無いが、流石に踝まで積もられると雪に慣れない人間じゃどうにもならん」

 一番不気味なのは、情報がなさ過ぎることだ。少しでも攻撃を受ければ被害が出るのに、対処療法的にしか事態に抗せないのは相当にストレスなのだろう。自警団の中でも意見が割れつつあるらしい。

 おやっさんは慎重論を唱え、何名かは斥候を出して攻勢に出ようという積極論を唱えている。しかし、前者は何も出来ないから仕方なく唱えているに過ぎず、後者は公算も無いのに不安から逃れようとしての悪足掻きだ。どっちに転んだところで、何一つとして良い事が無い。

 静かにしていれば、小さな傷口が膿み始めて熱を持ち、さりとて足掻けば傷口はより大きく深く口を広げる。そして、目的がない分、末しか出来ない焦燥感は膠の如くまとわり続ける。

 何も出来ないのに脅威が横たわっているという状況は、組織にとって致命的だ。所属する人間の意識は流動的で、思考は遷ろう状況に翻弄される。留まるのが最善であるととかれても、脅威に対して何も出来ないことは恐ろしい物だ。いわば、飛んでくる球を避けるなと言っているようなものなのだから。

 組織としては適切でも、人情としては球が放られる前に放る人間を止めたくなるものだろう。誰だって、被害を被りたくは無いのだから。

 対して、攻勢を掛ける相手は楽だ。何せ、待つに足る理由があるのだから。今、時間は彼等の味方だった。

 いや、それは一元的な見方に過ぎないとも言える。彼等はもしかしたら、まともな活動拠点を得られていないかも知れない。寒さに凍え、今にも全滅しようとしている可能性もある。

 しかし、一度の攻撃でコミュニティの思考は脅威が存在する、との方向に固められている。積極的な攻勢があるか分からずとも、組織は護らねばならない物があるが故に思考と行動を束縛される。縛り付けられた思考は、肉に食い込みコミュニティを苛み続けるのだ。

 これを狙って、攻勢が失敗した時にあっさりと諦めたのであれば、敵の指揮官は相当に優秀なのだろう。ただの偶然が積み上がっただけ、という可能性も大いにあり得るが。

 だが、現状で大事なのは可能性では無い。どういった状況にあるか、だ。予断が許されないのであれば、それに甘んずるしか無い。

 「俺は待つのに慣れてる。それが仕事だからな。だが、他はどうか分からん。今はまだいいが、ストレスが高まりすぎれば第二の内部分裂だな」

 苦々しげに吐き捨てながら、おやっさんは煙草をもう一本咥えた。飲み込むのも辛い現状を煙と一緒に嚥下するように、ペースも速く煙を吸い込む。

 少女も珍しく笑みを崩し、口をへの字に歪めて唸った。

 「確かに神経張るもんねぇ。どっしり構えてりゃ絶対負けないって言っても、私が居なきゃ偉いことになってた前例あるし。あり得ない空想でも怖くなっちゃしかたないよね」

 例えば、トンネル掘って攻め込んでくるとか! と冗談めかして言えば、下水辿ってきたら、という考えが既に出てると返され、少女は渋面を浮かべた。

 まるで麻疹だ。恐怖は如何なる伝染病よりも早く伝染するのだ。今流行始めている風邪よりも。いや、この風邪も伝染の媒体となっているのだろう。弱っている時に叩かれれば、そんな考えが頭を過ぎって仕方ないのだ。

 「お前が何考えてるかってのは、ある程度分かってるぞ」

 少女が太腿の傷口へと手を添えた時、おやっさんがそう言った。見返してみると、疲労で濁った目が眇に少女を射貫いている。

 「あ、分かる? 前の囮捜査っぽく、私一人なら斥候に出しても惜しくないからね」

 もしも体調が万全なら、表に見に行っても良かったな、と彼女は考えたのだ。

 曖昧な立ち位置ながら、自衛隊員の次に自警団で強いのではと囁かれる少女。でありながら、彼女の立場はあくまで協力者なのだ。警備のローテーションに参加していても、立場としては部外者としての色が強い。

 微妙な立場は、おやっさんが彼女の気性を察して取った措置だが、この利己主義と生存欲求の固まりは単独で動いてこそ輝くから捨て置かれている側面もあるのだ。

 当初より微妙な存在として扱われていた少女は、今や長らく“そうだったから”というだけの理由で周囲から受け入れられている。だからこそ、投げやりな扱いができるし、当人も少し頑張るだけで周囲から受け入れられて時分の生存率が高まると納得して立場を容れていた。

 「ポーズだけでも斥候が出せれば、みんな安心できるからね。私なら、喪ってもあんま惜しくないっぽいし。脚がこうじゃなきゃねー」

 元より員数外として扱える自由戦力。ローテーションから外れた斥候を出すだけなら、留守を叩かれる不安も少ないし、さりとて必要だかと大人数で送り出した時に発見されて襲われる危険性も少ない。その上、この少女は一人でもある程度は何とか出来るバイタリティを持っている。考えれば、不安を抑える薬として使えたのだ。

 それも体が十全であれば、の話だが。

 「二~三人くらいで出せない? おやっさんが指揮してさ」

 「駄目だ。そも、俺たちが離れる事自体が好まれていない。何とか一度は出たい所だが、病欠者やらの穴に警備の問題を考えると、それも難しい」

 「出たって体で、側の建物とかに入って時間潰してたら? それならおやっさんが出張る必要ないし、安全でしょ」

 腹芸が出来る小器用な奴が居ない。苦々しそうに吐き捨てて、おやっさんは煙草を引っ張り出す。話題が気がかりな内容であるからか、ニコチンを摂取するペースは常よりも速い。吐き出す煙と共に不安を吐き出す作業は、上手く行っていないようだ。

 「下手に芝居しても逆効果だろうし、万が一各個撃破を狙っていられると困る。火器を使った不意打ちは、本当に危険だからな……六人やられたんだ。もう、絶対にへまできないんだぞ」

 銃は一発当てれば大抵の人間を無力化できる、人類が携行しうる最強の兵器だ。人間は痛みに弱く、映画やゲームのように被弾しながら動き回ることはできないのだ。その上、満足に防御装備も無いとくれば、伏撃の危険性は跳ね上がる。一撃当てればいい計算なのだ。相手にとっては、実に簡単な仕事だろう。

 本来、コミュニティは守勢に入る側だから、楽なはずなのだ。のこのこ出てきた敵を高所から一発当ててお仕舞い、それでいい。だが、根深く襲いかかる恐怖の拍車が、立ち止まることを許してくれない。

 簡単で済むことが簡単で済まされない。それが、群集心理によって突き動かされる、訓練されえざる集団の面倒くささである。理のみで動けるのであれば、ここまでの厄介事に発展することは無かっただろう。

 いや、仕方が無かろう。時に、良く訓練された理詰めで動く軍集団さえ、自分たちの作り出した存在しない不安に押しつぶされて指針を謝るのだ。それが、ただの羊の群れに過ぎない一般人のコミュニティであるなら尚更だ。

 しかし、剰りに無様であった。この部屋で煙に燻される二人の見解は一致していた。されども、見解から導き出される考えや思いは、全くことなるものであった。

 おやっさんは、単純に現状を嘆いて無様と形容しているに過ぎない。しかし、少女が考えるのは、別の無様だ。強いて言うならば、現状全てを無様だと笑っている、そう表すべきか。

 今、彼らは冬の寒さが何らかの原因となって死体を遠ざけているから、少しの余裕がある。しかし、それは一時だけの余裕だろう。

 あのでたらめな動く死体という存在が、寒さ程度で完全に消えるわけがない。雪が止み、時が来たれば再び此処は包囲される。その時になって、外との戦いにばかり目を向けた於呂逆さを思い知っても遅いのだ。

 何かで、人類は共通の敵ができれば結託できると読んだが、どうやら嘘だったらしいと彼女は内心で笑う。ただでさえ先が無い現状だというのに、これ以上自分で首を絞めてどうしようというのか。

 いや、最初から先など無いのだろう。よしんば、この問題が解決したところで、この集団には先など無い。

 食料はいずれ尽きるだろう。水も安定して得られる訳では無い。であれば、どうするのか。当然、得るために外へ出なければならない。そうすれば、男達はどんどんと死んでいく筈だ。

 されど、人間の生育は遅く、育った所で戦しになるかも分からない。そもそも、現代の温い文明生活に慣れきった人類だ。まともにお産ができるかすら分からない。

 殆ど詰んでいるのだ。十年先、二十年先かは分からない。だが、いずれ必ず破綻する。遺伝子多様性が保てなくなる等という問題以前に人類は、少なくともコミュニティは死に絶えるだろう。

 だのに、そんな確定しきった未来を無視して、人間同士の争いにばかり皆で目をやっているのだ。これを無様と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。いや、ともすれば喜劇と呼んでも良いかもしれない。少女は口の端を手で隠しつつ、無意識に口を笑みに歪めた。

 楽な方へ楽な方へ、行きやすい方へと流されてきた先がこの様だ。もしかしたら、夢の声は今の自分を笑いに来たのかもしれない。とすれば、どうして? と問い返してやりたいのは自分である。

 「やれやれ、どうしてこうなったのやらねぇ……」

 全く違う方向へ思考を巡らせながら、同じ事を考えている二人は、殆ど同時に大きなため息を溢した。

 「さぁな……でも、結局は俺達と連中の我慢比べだ。守っている間は、こっちの方が断然有利なんだからな……いつまで守っていられるか」

 「互いに痺れが切れるまで、さ。つっても、向こうはあぐら込んでて、私達はそろばん板の上で正座中だけども」

 じわりと断続的な熱と痺れにも似た痛みを送ってくる膝に手をやる。この先何が起こるにしても、四肢が万全でなければ困る。

 此処には愛着も沸いてきたし、生きやすいので気に入ってはいたが、いざとなれば一人でも逃げなければならないのだから。

 今までの生き方に嘘はつけない。水に浚われる木の葉のような生き方だが、そのあり方が自分なのだ。今更格好つけて別の生き方をしようとは思わないし思えない。ただただ、最後の瞬間まで楽に生きようと足掻くだけだ。

 それに、こう考えれば少しは気が楽になる。

 「まぁ、最後にゃどう足掻いても解放されるんだからね。それが我慢比べか、肉体かって違いだけで」

 肉体が死を迎えた後に何が待ち受けているかは分からない。だが、その後にまで何かあると考えるのは、現状よりもさらに滑稽だ。人間に、そんな高尚な物があるはずがないと彼女は考えている。

 精神は所詮、脳細胞間の電位差によって引き起こされる化学反応によって作られた産物に過ぎず、神や死後の世界は無い。死は、生命体としての終わりでしかない。

 本能の導きのまま、充足の内に死ねるのであれば、先に待つのは生の苦からの解放だけだ。少女は神は信じないが、菩提樹の覚者だけは上手いこと言った物だと感じている。

 生きるとは、すなわち苦なのだと。

 「縁起でもないこというなよ」

 「あはは、ごめんごめん。まぁ、雪解けまでにカタがつきゃいいんだけどねぇ」

 滲む痛みに混じって伝わる危難を感じながら、少女は口の端を歪めるだけの笑みを作った…………。 
 今回はあんまり待たせないでお送りできました、私です。何か、前回割と忙しい中しっちゃかめっちゃかで監修も無く書いたせいか、ぼろっぼろでしたね。盛り上がりがないのはいつもの事です、そういう話なので。映画のようなジェットコースター的展開はそうそう続きません。

 とりあえず、幕をしまう方向へとちまちまと。ハリウッドみたいに劇的に物語がはじけて、盛り上がりの最高潮に、なんてことはないと思います。

 ぐだぐだだったにも関わらず、感想ありがとう御座いました。間違いのご指摘などもありがたいです。時間が年末にはできるはずなので、余裕をもって見返せる時が来たらじりじり治していくつもりです。なにやらツイッターの方でも感想もらってしまって、ありがとうございます。ご期待に添えられるよう頑張っていくので、今しばし長い目で見てやってください。では、自戒もまた、あまり間を開けずにお送りできれば幸いです。これもまたフラグと言うのだろうか。
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