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【う た か た 。】

【窓辺の斜陽】

作者:加藤糖質
 夕陽が、網膜にまるで自己主張をするかのように赤く鋭く射し込んでくる。

 そんな夕陽を薄っぺらなカーテンでその場しのぎに遮り、俺は静かな教室にいるもう一人のクラスメートに話しかけた。


 「なあ、彰人。なんで『原因』の対義語ってのが『結果』になるんだよ」


 難関私立の中学受験を半年に控えた俺と上寺彰人。
 同じクラスになった時には顔すら見合せなかった俺たちだが、目指している中学が同じってことがわかった時を境に気づけば仲良くなっていた。

『大親友』とは呼べなくても『親友』とは呼べる。
 休み時間ごとに話しかけたい奴とは到底思わないが、放課後いつの間にか二人で同じ塾のところの課題プリントを消化するようになっていた。


 「そんなことも知らないのか、君は」

 彰人はカリカリ音をたてて解いていた空間図形のプリントから顔をゆっくりあげ、ニッと笑った。
 分厚い眼鏡の奥の、光の屈折で小さくなった知性を帯びた目、綺麗に切り揃えられた前髪が、銀を帯びた強いオレンジに溶かされていく。


 「うるせえよ」

 俺は笑いながらそう言って窓ガラスをカーテンで覆い隠した。
 たちまち教室は灰を混ぜた滑らかなオレンジに塗り潰されていった。
 「いいかい、君。反対ってのはね、実は一番遠いように見えて実はいつも傍らにいる。そんなものだよ」


 眩しい直射日光を遮られた彰人の瞳は、依然小さい。
 しかし瞳の輝きはさっきよりもキラキラと光っているような気がする。


 「………わりいな、彰人。いってる意味がわかんねえ」

 俺は答えになっちゃいないの答えの理解に苦しみながら彰人の隣に座った。

 彰人はそんな俺を見上げ楽しそうに笑う。

 別に彰人が俺を馬鹿にしていないことは重々承知なんだけど、この反応はいささかイラッと来るものがある。


 「大体対義語ってのはさ、一番関係の無い奴がくっついてるだけだろ。考えてみろ、彰人。白と黒、男と女。あと…、何だっけ。……あの、ほら。全然ちげーじゃん。反対って」

 「違うことは無いよ。白はくすんだらどの色よりも黒に近づく。性転換という言葉があるように、反対の性別に憧れる人だって世の中にはいるじゃないか。確かに対義語は一見一番遠い物に見える。でも一番真逆に生まれ変われやすいものでもあるんだ。ほら、あるじゃないか。グラウンドのコース。大抵半周走るだろう。スタートラインに立っていつも僕は思うんだ。ゴールが遠いなあって。だけどそれと同時にこうとも思うんだ。真っ直ぐ行けば近いのにって。コースの全長を見るから長いって思うだけで実はゴールとスタートなんて近いところにあるんだよ」

 「………はあ、言われて見りゃそうかもなあ。何か深い話になったもんだ」


 俺は思わず机に突っ伏した。
 俺は受験勉強を単なる『暗記』と思い遂行している。
 しかし彰人の場合は違う。
 彰人は目の前に現れる事象一つ一つに理由を付けていく。
 それが一般に認められる完璧な答えかどうかは俺は知らない。
 だけど発想力の違いと言うか、精神年齢が高過ぎるというか…。


 何か違うのだ。
 そしてその差が大きすぎなのだ。


 「…でよ、ゴールとかスタートとかって…。さっき俺がお前に聞いた奴の答えか?」

 「そう。その『結果』は『原因』があることによって生じたんだから。でも僕の主張をわかってもらえて良かったよ」


 彰人はそう言うとプリントに目を落とした。
 そして落としたはずの視線をあげる。


 怪訝そうな俺の顔を見て彰人はニッと笑った。

 「翔、勉強すれば。合格の対義語は不合格だよ」

 「うわ、お前それ今言うか!?ヒッでえ…。おい…」


 俺は苦笑いしながらドリルを開いた。
 ちなみに彰人はこのドリルを解くことを免除されいる。
 学力が既にドリルを上回っているからだ。
 俺はドリルを解き始めた。


 でもシャーペンが震えて文字が書けなくなった。

 目頭が熱くなった。

 水中で目を開けているかのようにボヨンボヨンと視界が潤む。

 ドリルを破って捨ててしまいたい衝動に駈られた。


 彰人はきっとこんな気持ちになったことは無いのだろう。
 彰人は勉強が好きで休み時間も常に何かしら読んだり書いたりしている。
 だから今の俺のように勉強に価値を見出だせなくなったり、隣にいる奴と自分を比べて悲しくなったり、母親の過度な期待と重圧に悩むことも無いのだろう。



 「……翔?」

 彰人が俺の顔を心配そうに除き混んだ。


 「………何だよ、見ていて楽しいか!?」

 俺はつい怒鳴ってしまった。



 「…翔、ごめん!」

 そして彰人の驚いた顔に一瞬で現実に叩きつけられる。

 ……俺は、勝手に一人でイライラして、友人に激昂して何がしたいのだろう。

 最近本当にこんなことが多い。馬鹿をさらに主張しているみたいで、俺にお似合いで、カッコ悪い。


 「…………彰人、馬鹿って天才の対義語?」

 俺は彰人の目も見ず質問した。
 無意味に視線は窓辺に向かう。
 カーテンから射すオレンジ色の斜陽で目が乾くことを心のなかで実はひっそり祈っているのかもしれない。


 「翔、きっとその問に答えは無いよ」

 彰人はぽつりとそう漏らした。



 「この世界に馬鹿も天才もいないから。僕はそう思っている」

 「……………ふうん」


 目はすっかり乾ききっていた。紫外線のせいで網膜がちくりと痛み、虹彩が悲鳴をあげているような気がする。


 「なあ、彰人」

 「なんだい」

 「対義語に中間ってのはねぇのかな」

 「……………う~ん…」


 彰人はシャーペンの先に唇を押し付けて悩んでいた。

 何だ、彰人も悩むのか。俺はそれが自分が発したものだと気付きながらも得意げになった。


 「多分それは『普通』という言葉に全部返っていくんじゃないかな…」

 彰人はやっとそう呟いた。


 何だ、『普通』はいいじゃないか。
 そう俺が彰人に返そうとすると彰人は俺の目を真っ直ぐ見て言及してきた。



 「………でも、イヤじゃない?『普通』って」

 「…何でだよ…」


 彰人は俺の顔から目をそらさず問を繰り返す。
 そんな彰人から距離をとる俺。


 「『普通』の地位は軟弱だよ、君。上や下が少しでも狂えば『普通』の地位はすぐに変動してしまう。僕はそんな『時代』を読み取って生きていくのはごめんだよ。だから僕は『極端』になりたい。みんな『普通』のことしか価値観の物差しで測れないんだ。だから僕は物差しで測られたくない。『普通』は嫌いだよ」


 彰人の頬は珍しく上気していた。


 あ、だからか。

 彰人は『普通』が嫌いだから、漫画じゃなくて六法全書を教室で読んでいるんだ。
『普通』が嫌いだから、英検4級じゃなくて準2級の合格通知を先生からもらっていたんだ。


 すべて合点がいった。

 そこで俺は質問した。


 「彰人は…、将来何になりたい?」

 「わからないよ」


 彰人がそうきっぱりと言いはなったので、俺は拍子抜けした。


 「わからないよ…ってお前!?」

 「じゃ、翔は僕が何になればしっくりくるのさ」


 「……医者で弁護士。そして国連に入ってそう…」

 俺が少しだけ考えた答えを言うと彰人は乾いた笑いでかきけした。


 「……何だ。笑うことはねぇだろ」

 「……いや、気にさわったらごめん。でも翔…、僕にもわからないよ」


 彰人はうっすらと微笑を浮かべ帰る支度を始めた。


 「え、もう帰るのか」

 「翔、これ以上いたら僕たち塾に遅刻してしまうよ」

 あ、そうだった。
 しかも今日の算数の講義は弘田先生。
 遅れたら説教地獄だ。


 俺も慌てて教科書とドリルをランドセルに突っ込んで教室を出ようとした。


 「あ、カーテン開けとかなきゃ」

 カーテンは最後に教室を出たものが窓際にくくりつけておかなければいけないという決まりになっている。

 カーテンを開けると燃えるような赤が網膜を直撃した。


 眩しさをこらえ、カーテンを手探りに紐で縛る。

 もたつく作業中、俺はふと彰人が言った言葉を思い出していた。


 …将来のこと、彰人もわかんねえのか。

 わからないのは当たり前だけど、俺は何気に彰人が世界の全てを知っていると思っていた。


 そしてその確信はいまだに続いている。


 でもその彰人が自分の数年後もわからないのだ。

 ましてや俺の将来など片鱗も見えまい。


 俺は将来サラリーマンとして平凡な暮らしをする自分を密かに描いていたのだ。

 でも彰人がそれを知らないのだ。わからないのだ。

 だから俺はこう、もっと…、誰も想像できないようなスゴイ人間になっているのではないだろうか?


 国連以上のものに入って、国連以上のものを作り上げる…、『普通』からうんと解離したスゴイ奴。


 そんなものに、俺がなっ…

 「翔、時間」


 気づけば彰人が隣に立っていた。


 「あ、ごめん…」

 彰人はもう片方のカーテンを目を眩しい素振りも見せずにくくりつけると、ふたたび教室を出た。


 「おう、ありがとう」

 俺も駆け足で廊下に飛び出る。

 真っ赤な夕陽に押されるように。

 教室の扉を抜けたさきには何が広がっているのだろう。

 そしてその1秒後、1年後は……?


 そんなのしらない。

 だけど漠然とした大きな希望を抱え、確かに俺は教室からの一歩を踏み出した。

 確かに。

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