第6話
のろのろと校門を出たものの、帰るのも嫌になっていた。
一瞬、由佳に泣きつこうかと思い浮かんだが、やめた。
他の誰かに話しても、意味がない。
淺井先生が相手でなければなんの解決にもならない。
淺井先生なんか嫌い。
自分に言い聞かせるように呟いたが、なんの効果もなかった。
自分にウソツキ、とツッコミを入れる。
ムナシイ。
五月も下旬のくせに肌寒い。
まるで秋のような肌寒さ。過ごしやすいようで、やっぱり寒い。
あたしはまた零れだした涙を手で拭って、舐めてみた。
ちょっと塩辛い体液は舌の上で熱を帯びて滲んだ。
一人きりなんだ。
今、あたし。
最近、不審者が多いと聞く。春先にはよくあることだ。今のあたしなら少しは相手してあげる。
だって、すごく寂しい。
後ろからハイビームを照らされ、スポットライトを浴びているような気分になる。
あたしは無視して道の真ん中を歩き続けた。
轢いてちょうだい。ズタズタに。
今の張り裂けそうな胸の痛みを忘れられるなら、跡形もなく轢き殺して。
短いクラクション。
あたしは小心者だから、つい振り向いた。
黒い国産セダン車。
ト○タかよ。ベタだな。
あたしは小心者だから心の中で悪態をつきながら道の脇に寄る。
チキショウ、カッコ悪いわあたし。
「邪魔だ。乗っていけ」
あたしの隣に車を滑らせ、運転席の窓から顔を出してるわりに、視線も寄越さない無礼な仏頂面。
「教師が生徒ナンパしていいんですか、淺井先生」
あたしは嬉しくて爆発しそうな胸の内を隠蔽して鷹揚のない口調をした。
「いいから、早く乗れよ」
強引な口ぶりに萌えながらあたしは戸惑う。
さっきの傷心少女はどこ行った。
こんなに単純で良いのか。あたし。
「……あと三秒待つ。いーちにー……」あたしは思考回路を停止させ直ぐさま車のドアを開いた。
助手席に乗り込んで、シートベルトまで装着し、淺井先生の視線も無視して前を向いた。
「面白いね、水澤」
くっ、と吹き出す淺井先生。笑いを噛み殺す気配を感じてあたしは先生を見る。手の甲を唇に当てて笑う。
「ペットにしてもいいですよ」
「お前ね、軽々しく変な事言うのやめなさい」
淺井先生は溜息交じりにいう。
「ね、先生、なんで追い掛けてくれたんですか?」
「お前が泣いてたから」
「そのお言葉、嬉しくて、また泣きそうです」
「いちいち泣くことかよ」
車を走らせ、学校が遠くなるほど、淺井先生の表情が柔らかくなる。
ほぼ無表情なのは変わらないけれど、なんか違う。
「お、奥さんが待ってるんじゃないですか?」
あたしの心臓が冷や汗をかくように感じられる。
余裕のないからかいは喉から不自然に震えた。
「やっぱ信じてたん?」
あたしは絶句して淺井先生を見た。
厭味な笑みを口の端に引っ掛けて淺井先生はあたしを見ている。
「ひっ!!ひどい!!なんそれ!!最低!!」
あたしはわめき立て淺井先生の肩を思い切り撲った。
「痛い。俺さ、嫌われ者じゃん、仕組まれてんのかと思ったから」
淺井先生は前方に視線を戻して笑った。
「でも、お前、必死だし、正直、わかんねーんだけど」怒りと安堵感でぐちゃぐちゃになりながら、あたしはどうしていいのか解らない。
「それに、すげえ熱かった。ヤバイよ。アレ」
カッと顔面が熱くなる。
アレとはアレか?
冷静になると物凄く恥ずかしい。
「処女とか平気で言うし、こわいね、今時の女子高生は」
「……頭ん中は非処女ですから」
「あのな、水澤、だからって、そういうのは、貰ってとか簡単に言うなよ」
「相手が淺井先生だから言ったんです」
「お前さ、何気なく」
「はい?」
あたしは淺井先生を横目で見る。
故意に押し殺した低い声がどうしようもなく色っぽくて、いい。
「何気に凄い言動を取るよな。」
「じゃあ、淺井先生専属のコメディアンにでもなったげようかな」
「そりゃどうも。いやあ、なんか汗かいた。俺冷え症なのか、あんまり汗かかないんだよね」
「へえ、男の人でも冷え症なんてあるんですか」
信号停止で淺井先生があたしの頬に掌をあてた。
大きくて、意外になめらかな掌は少し湿っていたけれど低温のせいか水のような印象を受ける。
「水澤の頬、柔らかくて、あったけえな」
指先で軽くつまむようにあたしのほっぺを揉む。
可愛いなぁ、この人。
「なんか屈辱的だけど、許す」
あたしはどちらかというと自分に対して呟いた。
「なんそれ」
「淺井先生、ホントに奥さんいないんですよね?」
「うん。いたら指輪してるよ」
「これも嘘なら、あたしキレるよ。キレやすい10代なんだから」
「うち、来る?」
淺井先生は手をハンドルに戻して、車を発進させた。
「行きます。ガンガン行きます」
躊躇なしであたしは答えた。
なんだかとても好戦的な気分だ。
「門限は?」
「ありません。連絡したら何時でも。うち、放任主義なんで」
「そうか、今……」
淺井先生がステレオについてる時計に目を落とした。
「十八時すぎ、じゃあ、二十時には家に送ろう」
「え!短すぎ!」
「いいだろ、別に。ほら、ちゃんと親に連絡しろ。二十時過ぎには帰るって」
あたしは携帯を取り出してリダイアルから家に電話した。
二十時なんて短すぎ。
五回目のコールで、ママが出た。
「もしもし、水澤ですが」
「あ、ママ?あたし」
「あら夏樹、どうしたの?」
あたしが家に電話するのは結構珍しい。ママも不思議そうな声だった。
「あのね、今、由佳んちなんだけど、今日泊まってくんね」
淺井先生の表情が固まる。
「えー、明日学校でしょ?しかもいきなりご迷惑じゃない」
「いいの。ちゃんと学校行くよ。由佳んちの方が近いもん。それに由佳今日一人なんだって張り切って夕食の買い物行ってくれてるんだ」
「も〜、いつも突然なんだから〜!ご迷惑かけないのよ!由佳ちゃんによろしくね」
「うん!わかった。じゃあね」
あたしは携帯を仕舞い、先生に笑顔を向けた。
「連絡しましたよ。先生」
淺井先生はあたしに視線を移し、すぐに前を向いて、片手運転で左手を伸ばして、指先であたしの額にかかった髪の毛をかきあげた。
嬉しいんじゃない。
と思って笑みを深くした瞬間――
−ばちん。
デコピンを喰らわせられた。
「いたーい!!」
「うるさい阿保かお前は」
「ちゃんと連絡したよー!なんでデコピン?!」
「信じらんねえ。マジで由佳ん家に送り込んでやる。どこだ由佳ん家って」
「何で由佳を呼び捨て?あたしは苗字なのに!」
「お前が由佳って言ったからだ!どこだ?」
「言う訳ないじゃん!」
「水澤、」
先生は声のトーンを落とす。
そんな恐がらせても無理だよ。意地でも言わない。
「やだ。言わない」
「すぐに男の部屋に泊まるなんて軽薄だと思わないのか?」
「いいもん。淺井先生ん家なら」
「ヤリ捨てされる女になるぜ」
「してくれんの?先生」
淺井先生は黙ってしまった。
「水澤、俺は教師でお前は生徒だろ?世間的に許されない」
「先生、いつから道徳の先生になったの?」
「お前が無茶苦茶言うからだ」
「あたしは先生の専属の娼婦になってもいいんだよ。お金なんていらないから欲情してよ」
「……したから、困ってるんじゃないか。水澤、頼むからこれ以上、突拍子もないこと言うな」
先生の顔が歪んでる。理性的な男の人なんだな。
ならあたしは?本能的?
でも、本能の一つである性欲って悪いことみたい。
許されない本能は野蛮なのか?ある意味、野性的?
でも野性動物は生殖の為だけに発情する。生殖まで行き着かない欲情をするのは人間だけ?
「ていうか、先生欲情してんならやってくれればいいのに」
「簡単に言うな」
先生、いらついてる。
我慢してる男の人っていらつくのか。
喋ってくれなくなるし。
でも、なんかこの無愛想な面、セクシィじゃない?
その無愛想の下で理性と欲望が戦ってるのかしら?
「せえんせえ〜〜」
あたしは甘えた声を出してみる。
「黙れ淫乱」
「ひどい!まだあたしの乱れたとこ見た事ないじゃん!!」
「頭ん中非処女で妄想淫乱だろうが」
「まだ一人でしたこともないよ」
「そんな事、聞いてない」
「先生、セックスってきもちいい?」
「聞くな、そんなこと」
「どうして、質問しちゃダメなんですか?可愛い教え子でしょ?」
「範疇外だ。俺は教科書に載ってる事しか教えられない」
「じゃあ、貴重な教え子に特別授業してください」
「言っても聞かないのな」
「それは先生の方だよ」
淺井先生は短く息をはいてあたしに視線を向けた。
「わかったよ。特別授業しようか。水澤」 |