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不機嫌先生と個人授業。
作:森本エリ



第4話


あたしは結局、いいわけに『高校三年生 生物B』を購入し、家に帰ってママにお釣りを渡して自分の部屋で開いてみた。

第三章 生殖と発生。

個々の生物は代謝によって生命を保っているが,固体の寿命は限られている。
しかし,どの生物も,一生の間に次の世代の固体をつくって生命を子孫に伝え,種族を維持している。
このように,生物が自己と同じ種類の新しい固体をつくりだす働きを生殖という。生殖は,どのようなしくみによっておこなわれるのだろうか。


……単細胞生物に生まれなくてよかった……。

分裂して、はい、終了。て感じだもん。

……植物も嫌。

雌蕊と雄蕊と花粉。

仲介に昆虫や風。

でも、性行為は子孫を遺す手段な訳で、あたしが望んでいる行為とは異なるわけだ。

どうしてあたしは先生に触れたいとか触れられたいとか思うんだろう。
そのことについてノートに書き出してみよう。

Q.なぜ淺井先生なのか。

あたしが淺井先生に特別な感情を抱くようになったのは先生にあたしの存在を印象付けたいと思ったから。他人(主に生徒)に興味のない淺井先生に挑戦したいと思った。


A.自分の存在の証明への願望。
難易度が高ければ高いほど自己満足が充分に得られる。

……うーん。勉強してるっぽい。

Q.何故、生殖以外の目的で異性との行為を望んでいるのか?

…………。


なんでだろう?


さすがにこれはあたしの問題だ。まあいいや、空白。


あたしは勉強をしているスタイルでノートに不埒なQ&Aを綴っていく。
ママに見られたりしたら恥ずかしくって引きこもっちゃいそう。

そんな事を片思いの人に見せようっていうんだから、あたしは異常者かもしれない。

こんなんで生物のテスト満点なんか取れる訳無い。






「どぉしたの?夏樹、目の下にクマちゃん出来てる」

次の日、教室で由佳に指を指された。

「由佳ぁ〜!!あたしマジでヤバイんだけど〜!」

あたしは泣きまねをしながら由佳の胸に飛びついた。

「どしたん?夏樹?」

由佳は優しくあたしの頭をぽんぽんと叩いた。

「学期末の生物のテスト、どーしても!満足が取りたいの!だけど昨日いちおう勉強してみたんだけど、全然頭に入らなくてぇ〜!」

「アハハ、下心真っ盛りだもんね」

「そうなの!そうなのよ」
由佳はニコニコ笑いながらあたしを見ている。

「なんか、素の夏樹を見てるって感じで楽しい」
なんて言いながら、あたしをきつく抱きしめる。

由佳のシャンプーだかパルファムだかの甘い匂いが彼女の体温まで甘く感じさせる。

あぁ。女の子は柔らかい。きっと淺井先生は硬いんだろうな……。
惟太も硬かった。抱きしめられて押し倒されたことはあるがあたしの身体は開かなかった。


全然濡れなくて、当てられるのも許否していた。

だからあたしは処女である。
異性に裸を曝した事はあるがまだ純潔なのだ。

やみくもにロストヴァージンしたいわけじゃない。
いくら発情期でも、選ぶ。選べなくて適当な相手としちゃう人もいるだろう。
発情期は見境なしだ。
でも、あえてあたしは淺井先生に挑戦する。


子供の特権、無鉄砲さで、玉砕することさえ恐れない。

淺井先生を選んだ第一の理由は顔。
そして、手に入らないであろうハードルの高さとミステリアスな雰囲気に惹かれた。

無理は承知の上。
不毛な片思いの王道?

いいえ、あたしは幸い、そこまで美少女と言うわけではないが、それなりのレベルで、好意を寄せられた事もあるし、ブスとは言われない、『そこそこ可愛い』タイプである。

淺井先生だってそんなに悪い気はしてないはずだ。

……独断で言えるだけあたしスゴイ。
「ねーえ、夏樹!何一人でトリップしてんのよぅ」

由佳があたしのブレザーの肩のところを引っ張る。

「物思いに耽っていたの」

「脳内オナニーの間違いじゃなくて?」

由佳ったら、とんでもない爆弾発言を……。

「それは昨日の夜に徹夜でしたから」

「夏樹、リアルすぎ」


由佳も苦笑い。

「それより夏樹、次の家庭科でお菓子作るらしいよ!すごくない?!」

「え?今日だったっけ?ヤバイ!あたしマスクとかエプロンとか持ってきてないし!」


お菓子作りの実習かよ!女の子らしさアピール王道にして絶好のチャンスだったのに!!
しかも実習って授業の割に授業っぽくないし、楽チンだから好き。

ま、なんとかなるだろう。それにしても暑い。早く夏服に更衣しないかなぁ。


あたしは制服のまま、クッキーをつくり、ヴァニラの匂いをつけたまま授業を受けた。

鞄の中にはサランラップに包まれた甘いハートの焼き菓子。

頬杖をつきながら、教科書を目で追っている振り。

どうやらあたしは淺井先生事以外、勉強できない脳みそになっているようだ。

HRも上の空。
あたしの脳内エンジンは、放課後にかかる、スロースターター。

どうしたらいいの?

期末テストは闇の奥。

「起立、礼」

「さようなら」


やっとあたしの活動開始時間。

鞄をもって教室を出る。
同じように開放された人々がそれぞれの目的に向かい出して自由なざわめきを作ってる。

「夏樹、生物室?」

由佳が後ろから声をかけてきた。

「そうなの!解らないとこ聞きに行くの」

「放課後に二人きりって、絶好のチャンスじゃない」

由佳が口を両手でおさえ、茶目っ気を含ませた口調で言った。

「過ちの一ツや二ツあるといいんだけどねえ」

あたしは冗談を溜息のせて応えた。

「ね。んじゃ健闘を祈る!バイバ〜イ!」

「ありがとう。ばいびー」

由佳はニコニコ手を振って下り階段の方へ行った。

あたしの爪先は生物室の方向へ展開し、逸る気持ちを乗せて速度を増していく。

濃密なざわめきが薄れる別棟まで、まるで光の速さで走っていた。

あたしの足音だけが響いて心臓の音が内側で足音よりひどく高鳴っている。

淺井先生の事を思うとあたしはオートマチックで活性する。

階段を一段飛びで駆け上がって、曲がり角で勢い余ってよろけた。
踊り場で一息ついたら、湿気と汗のせいで、気が滅入る。

ちょうど鍵を開けていた淺井先生があたしの足音で振り向いた。


「おう。きたか」

淺井先生が微妙に口角を上げた。
目尻が少し、垂れる。
その瞬間だけ妙に鮮明。
バチバチ。あたしの体が痺れた。
淺井先生の笑顔が目に焼きつけられる。

−どくん。どくん。
心臓の音が、激しく、不規則。
「先生が、笑った……」

「なんだよ。世界が終わるわけじゃないだろ」

「笑った顔、初めて見ました」

「笑えねえクソガキばっかで、笑う必要がないからな」

「あたしは笑えるクソガキに昇格したって事ですか?」

「俺の貴重な教え子だからクソガキとは思ってないな。多少問題児だけど」

淺井先生はドアを開けて目で中にはいるように促した。

あたしは素直に従う。

すれ違う時に心臓の音を悟られたくないと思って息を止めた。

淺井先生はドアを閉めて、鍵をかけた。

なんだか儀式が始まる前みたいで、妙な緊張感を感じた。

淺井先生を盗み見するのも憚れる。
淺井先生はあたしに気にせずネクタイを緩めて、ボタンを外す。
−決まっているかのように慣れた手つきで、みっつ。今日の今の瞬間には、それが、特別な意味を持っているように感じられて、あたしの身体は熱くなり、その熱は下にさがり、両足の間の奥に溜まる。

粘着質な汗があたしに雌の自覚を押し付ける。

淺井先生は胸ポケットからとりだした煙草をくわえて火を点けた。

ジッポの火付け石が擦れる音に、ジジッと微かな音。

「ノート、書いて来たのか?」

器用に煙と言葉を吐き出し淺井先生の視線があたしに向けられる。

強い身体の疼きと喉の渇きに意識を捕われていたあたしはすぐに答えられない。
掠れた喉の振動だけが空気中に洩れた。

「……書いてきてないな?お前」

淺井先生が溜息をつく。


落胆したように俯いた先生を見てあたしの羞恥心に火が点いた。

どうしよう。あんなノート今更見せられない。

舞い上がっていた気持ちが嘘みたいに急降下する。
逃げ場を求めて、爪先に視線を落とす。
恥ずかしくって、泣きそう。

「水澤、顔上げろ」

先生の声が、近い。

「泣くほど俺が怖いなら、ちゃんと勉強しろよ」

ぼやけた視界の中の先生の眼差しは冷たくない。

「夜更かしする時間の合間に教科書開いて読むだけでもいい」

あたしが頷くと、溜まっていた涙が弾かれるように落ちた。

「もし、俺の事考えてる時があればついでに授業の話も少し思い出してくれ」

先生はあたしの頭に手を置いた。

「……すみません」

「お前がちゃんとやることやらないと、したいこと出来ないんだぜ。いいのか?」

「良くないです」

「だろ?」

「はい。でも昨日、あれから問題集みたいなの買ってやってみたんです」

「解けたか?」

「いえ、違う疑問ばかり浮かんで手につきませんでした」


「……俺に答えられるものか?」

「淺井先生の答えしか知りたくありません」

「その疑問が解けたら、生物のテスト勉強するぞ」

「はい!」


淺井先生は肩をすくめて、また煙草を吸う。

「じゃあ、第一問です。淺井先生は、……カ、カノジョはいますか?」

「なんだ、それ。ふざけてんのか?」

「真剣です。一番知りたくて知りたくない問題ですから」

「ノーコメント」

「ダメです」

「うるさい。答えたくないんだよ」

淺井先生の眉間にシワがよる。
……これってもしや、いないってことじゃない?!
あたしは口角が上がるのを抑えられない。

「……好きなタイプは?」

「興味をそそる女。次」

「誕生日と血液型」

「どーでもいいだろ。そんなん」

「いいの!知りたいんです」

「8月21日。血液型はしらねえな。忘れた」

ぎぎーっと椅子が引かれる音。
淺井先生はそれに座る。あたしは何だか自分が先生になったような気になる、嬉しい。

「なんかあたしが先生になったみたい」

「よかったな。水澤先生。俺に何を教えてくれるっていうんだ?」

淺井先生は意地悪な笑顔であたしを見上げる。

あたしは考える振りをしてノートを閉じて唸ってみせる。

「んーと、じゃあ、淺井くん、」

あたしは先生っぽく、君付けで淺井先生を呼んでみた。

淺井先生は怪訝な表情をしたが、すぐにあたしのゴッコ遊びに付き合ってくれるように、

「はい?」

と返事をした。

あたしは鞄の中からクッキーを取り出して、ハートを一個、指で摘みあげた。

「甘いモノは好きですか?」

あたしの問いに淺井先生は肩をすくめる。

「家庭科の授業?甘いモノは嫌いじゃないよ」

「家庭科では、ありません」

あたしはハート型のクッキーを淺井先生の口の前に差し出した。
淺井先生がふいをつかれたように、一瞬クッキーを凝視して無言であたしを見上げた。

「食べてください」

あたしがそういうと淺井先生は歯でクッキーをくわえた。
噛られていく、かたいクッキー。

淺井先生はそのままあたしの指を噛んだ。

少し痛みと驚きにあたしは眉を潜める。

淺井先生の唇の内側に包まれる。

指先は温かくて柔らかい粘膜に包まれた。

あたしは微かな身震いをして、その感触にうっとりしてしまう。

淺井先生はあたしの指を咥内から抜き出すと、首を傾げた。

「何を教えてくれるんだ?水澤先生」

「あたしがどんだけ淺井先生に欲情してるかについて」

「解りやすい授業だな。水澤先生」

「じゃあ授業終わり。あたし生徒に戻る。淺井先生、質問」

「なんだそれ……」

淺井先生が苦笑する。
あたしは淺井先生の片膝の上に跨がった。
淺井先生の顔から笑顔が引く。

「普通、熱は上に上がりますよね?でもずっと下に溜まってるんです。あたしは異常ですか?」

恥ずかしくって、自然と早口になる。

淺井先生はあたしの下半身に視線を落として、あたしの目に移動させた。

「俺を今流行りの猥褻教師に陥れたいのか?」

「猥褻行為をしているのはあたしですよ。先生」

「どうすりゃいいんだよ。何がしたいんだ、お前は」

「触って下さい。淺井先生に触って欲しいんです」

「水澤、自分で自分の価値を落とすような真似はするな」

「あたしは淺井先生に触れられて自分の価値が下がると思ってません。それに、淺井先生だから、望むんです」

「俺は結婚してるんだよ。21の時に。もう、7年目なの」

その言葉がまるで鈍器のようにあたしの脳天に衝撃を喰らわせた。

言葉が浮かばない。

でも、答えはある。

「それでも、いいんです。あたしは淺井先生に触れたい」

あたしは淺井先生の首に腕をまきつけ、肩に額を当てた。
涙が溢れて、淺井先生の鎖骨の辺りがあたしの吐息で熱くなった。
下半身の熱はすっかり冷え切っている。
正常な状態の場合、熱はきちんと上に昇るのだと。
あたしは発見した。

「……どうしようもないんです。先生。あたし一人で答えを導き出す事が出来ません」

あたしは鳴咽交じりに言った。

不意に抱きすくめられ、あたしは顔を上げた。
荒々しく唇を塞がれ、すぐに離された。

きつく結ばれた唇。
不機嫌そうにしかめられた眉が、先生の表情が、何故かあたしより傷ついているように見えた。












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