不機嫌先生と個人授業。(22/25)縦書き表示RDF


お待たせしました。
不機嫌先生と個人授業。
作:森本エリ



第22話


ねぇ、

淺井先生、あなたに引寄せられたのは、あたしだけじゃなかったよ。

悪魔になれるくらい、あなたを愛している桜沢のコトがあたしは憎めない。

だって、なんていうか、なんか可哀想。

言動は、全然、意味不明なんだけど。
気が狂っちゃうくらい真っすぐすぎる桜沢の想いが、あたしの中に、えぐりこんできた。

好きな人のために、ここまで自分勝手に、我儘に、自分を消耗する桜沢が、あたしは愛おしい。
言い方が解らない。
愛おしい、なんて誤解されちゃうかもしれないけど、うまく言えないけど、なんとなく理解できるような、できないような。

でも、こいつ、なんか可哀想なんだよ。


言葉を探すより、あたしの隣で丸くなって寝息を立てている桜沢の赤ちゃんみたいな頬っぺたを指でつついたり、髪を撫でたりするほうが、ずっと気分がいい。桜沢を罪人に変えるのは、常軌を逸した純度の高い愛情と淺井先生。

言ってしまえばあたしは被害者なんだけど、あたしが桜沢を許してしまえば、罪は成り立たない。

あたしは愛に薔薇の蕾くらいしか見れないが、桜沢は神を見る。


あたしの恋は熱病。
桜沢の愛は宗教。

あたしと桜沢を比べるなんて可笑しな話だけれど、本音を言うと、負けた気がする。

あたしは自分で首輪を外した。
欠伸をして、隣に身体を横たえる。

「ん……」

桜沢が眠ったまま、あたしにくっついてきた。

眠っていると、どんな獣でも、可愛いものだ。
あたしは前、動物園で見た眠ったライオンを思い出した。
あっちは巨大な猫の様だったが、こっちは大きな赤ちゃんみたいだ。
パサパサの髪の毛を少し撫でる。

こんな寝顔をして、あんなにひどい事をしたなんて想像がつかない。

こんな寝顔のコイツに、あんなにひどい事をされたなんて思えない。

あそこまで、あたしには出来ないけれど、なんとなく理解できるから、あたしはコイツを憎めない。

純粋な狂気は存在する。

それはとてもエロティックに。

そして、鮮烈に。

あたしの目蓋はゆっくりと閉じていった。






『未読メッセージ1件。』

職員室に戻り、ノートパソコンを開いて、何気なく、“アウト・ルック・エクスプレス”を開くと、見慣れない表示が出ていた。

【メッセージを読む】にカーソルを合わせてクリックすると英数の羅列のアドレスがあった。
一瞬、開くとウィルスに感染する迷惑メールかと思ったが、携帯のアドレスだったので、一応開いてみた。メッセージは『ビジンちゃんはこーゆー趣味はあるー?』で、すぐに桜沢の顔が浮かんだ。
添付つきだった。

俺は呆れて溜息をついて、添付欄をクリックした。


―バンッ!!!


閉じた拍子にノートパソコンが、みしっと間抜けな呻きをあげた。

「ッ、どうされたんですか?淺井先生」

隣にいた英語担当の宮沢先生が身体をすくませ、不安げな顔をして俺を見た。

「いえ、」

俺は椅子から立ち上がり、八坂先生を目で探した。

八坂先生は保温ポットが置いてある窓辺で珈琲を作っていた。

「八坂先生」

「ひゃ!ななななんですかぁ?!」

八坂先生は胸ぐらを掴み上げられて、珈琲を床にぶちまけた。
職員室に戦慄が走る。

「あ、淺井くん……」

気の小さい教頭がうろたえた。

「ど、どうしましたぁ?」

八坂先生の震えた声で我に返る。

「すみません。失礼しました。桜沢の住所、ご存じですか?」


「さ、桜沢がどうかしましたか?」

解放された八坂先生は襟を正した。
少し声が震えている。

「すみません、ちょっと桜沢に行きすぎた悪戯をされてしまって」

「ええっ?それはよくないですね。ち、ちょっとお待ちくださいね……」

しょぼくれた八坂先生の背中を見ていると、この人も災難だよな。と同情してしまった。

「これですね、」

名簿を見ると中央区と記されている。
この近辺は資産家や名の知れた金持ちが住んでいる高級住宅街で、桜沢の自宅はなかでも一等地だった。

俺は暗記するために頭の中で住所を反芻した。

「ありがとうございます。すみませんでした、八坂先生」

俺は八坂先生に礼を言うと職員室を飛び出した。
携帯から撮った荒い画像。そこに写されていたのは、首輪をかけられた水澤だった。シャツがはだけていて下着も落ちていた。
前のめりになって腰を高く上げるような格好で、鮮度も悪くて微妙な画像だったが、俺にはすぐに水澤だとわかった。

職員玄関のところで靴を履き代えていると、倉光が走ってきた。

「淺井先生!どこいくの?!」

「桜沢んトコだ」

「嘘!マジ?!あたしも行く!」

「お前は次の授業があるからダメだ」

「ケチ!」

倉光を無視して、俺は駐車場へと走る。
僅かでも無駄な時間は費やしたくなかった。


いったい、どういう事なんだろう。
何故、水澤が桜沢と一緒にいるのか。

つい、さっきまで俺は桜沢と話していたし、アイツは俺に同性愛をカミングアウトしていたはずだ。

水澤とどうして繋がるのか不可解だった。

ギアを入れ間違え、エンストしてしまった。

俺は車に対して舌打ちをして、自分があまりにも狼狽えているのがわかった。

落ち着け、じゃなきゃ、水澤を助けに行く前に、俺が救急車行きだ。

煙草をポケットから取り出して、火を点ける。



“淺井先生いつも生物室で一服してるじゃん”



桜沢の声が頭のなかに蘇る。

俺は思わず口にくわえていた煙草を落としてしまった。

膝に熱い痛みを感じて煙草を払った。

また舌打ちをして煙草を拾う。俺が生物室で煙草を吸っているのを知っているのは、目の前で見た水澤だけのはず。

生物室の周りは特別教室で放課後に使われることはない場所ばかりだ。

……図書室の特別資料室。まず、高校生なら見向きもしないような難しい本が詰まった小部屋。
教師さえほとんどが忘れている開かずの間。

一度、生物室から見えた小窓が気になって見にいった事がある。

埃くさい陰欝とした部屋のスチールの本棚には、クラフト・エビング
アルベルト・モル
マグヌス・ヒルシュフェルトといった心理学者、および性科学者の著書が名が連ねていた。
すべて同性愛についての研究の著書で、どうしてこんなものがこんなところにあるのか首をひねった覚えがある。
俺は一介の高校の生物教師だが、知り合いに大学の仏文科の助教授がいた。
そいつに入れ知恵されただけで、まともに読んだ事はない。否定する気はないが、どうしてもそいつの変態的な嗜好に嫌気がさし、交流を断った。
そんなこともあったな、などと思い出しながら、さらに眺めていると、メジャーなところで、ジョルジュ・バタイユ
カール・グスタフ・ユング。
ジークムント・フロイト
と今思えば、いかにも桜沢が好みそうな類の本があった。

桜沢はたぶん、そこから、見たのだ。

難解な文献の合間に、俺と、水澤を。俺が水澤にとった軽率な行動も、たぶん。


すべての原因は、俺にある。


後悔や罪悪感や焦燥に胸の中をがんじがらめにされて、怒りは急速に萎えた。

とにかく、水澤のところに行かなくては。

怒りの矛先を失って途方に暮れてしまった。

俺が、あんなことをしなければ、水澤は……

しかし、いまさら遅いのだ。俺にできることは、彼女を見つけだし、遅すぎる謝罪をすることくらいだ。





閑静な住宅街――、しかしそれぞれ趣のある佇まいで鎮座している。

『桜沢』
とずいぶん凝った書体の表札がかかった門は、鉄と上質な木材でできていて、来訪を拒んでいるような重圧感を漂わせている。
一際、風格と威厳のある屋敷で桜沢のイメージから近代的な高級マンションを連想していた俺は、本当にこの住所だったのかと自分の記憶力を疑わざるをえなかった。

今時めずらしいタイプのブザーを押して、しばらく様子を伺う。
古めかしいブザーの上にはちゃんと小さなカメラがあってこちらを確認できる仕組みになっている。

「はい、どちらさまでしょうか……」

どこか怪訝そうな口調の年配女性の声がした。

「私、淺井ヨシヒトと申します、春樹くんの高校で生物を担当している者ですが春樹くんはご在宅でしょうか」

めったに使わない丁寧な口調に自信はなかったが、重厚な門が開かれて中から、相手が姿を現わしたので、とりあえず安堵した。
「淺井先生……?あなたが」

中から出てきたのはラフなポロシャツにジーンズ、黄味色のエプロンをした年配女性で、どうやら家政婦のようだった。
彼女は驚いた表情で俺を凝視している。

「坊っちゃんから、よくお話を伺っていました。あの子、あまり他人に興味を示さないのに……」

「そうですか、それで……あの、春樹くんは?」

家政婦の表情が曇る。

「……坊っちゃんは、少し前に一人暮らしをしたいとおっしゃって家をお出になりました。奥様との折り合いも悪かったようですし、大旦那さまは坊っちゃんの言われることは何でも聞く方なので。音沙汰もないですし、私、坊っちゃんがまともにお過ごしなのか心配で……」

家政婦の震えながら嘆いている。
まぁ、こんな所に女を連れ込んであんな真似はできないだろうと、妙に納得してしまう。

「……じゃあ、春樹くんは、今どちらへ?」

「え?あぁ、ちょっとお待ちくださいね」

悲嘆から我に返った家政婦はまた中に入っていった。

他人の家庭事情に首を突っ込む気はないが、見るからに由緒ある家柄の息子が、ああだと、少し呆れてしまう。

「あら、どちらさま?家に何か御用でしょうか?」

後ろから素っ気ない声がして俺は振り向いた。

一目見て、思わずハッとするくらい美しい和装の女性が怪訝そうにこちらを見ている。
目鼻立ちと膚の白さが桜沢とよく似ているので、この女性が、母親なのだとすぐに解った。

桜沢の母親も、俺の顔を凝視している。
そして角度を変えて、品定めをしているような上目遣いをした。

「あら、奥様、お帰りなさいませ。こちら、坊っちゃんの学校の先生ですよ」

家政婦が戻ってきて、妙な沈黙が破られた。

「あらあら、そうだったんですか、家庭訪問ですか?春樹はあいにく家にはいませんのよ。それでもよろしければ、わたくしお話をお伺いいたしますわ」

桜沢の母親は首を傾げるようにして俺を見る。

「いえ、私は春樹くんに用がありまして、今、こちらの方に春樹くんの居場所を教えていただいた所だったんですよ」

俺は家政婦の方へ笑顔を向けた。

「そうでしたの、春樹ったら、自分のことをちっとも話してくれなくなりまして、心配しておりますの。
……先生、あの子、なにか不都合な事をしたんじゃありません?」

母親は俺の腕にたおやかな手を添えて覗き込んできた。

「……いえ、多少、困ったところはありますけど、成績はずば抜けて優秀ですよ」

家政婦の持ってきた紙切れを受け取りながら、応えた。
ここで世間話をしている余裕は欲しくないので、俺は当たり障りないように愛想笑いを浮かべ、さり気なく桜沢の母親から離れた。

「そうですか、あの子によろしくお伝えくださいね」

少し表情を曇らせて母親は言った。

「あ、あの、すみません、これ、坊っちゃんに渡してください」

家政婦は何かを包んだ紙袋を俺に渡した。

「ちゃんと食べているのか心配で、私のお弁当なんですが、箸はつけてませんので、坊っちゃんに」

そういってはにかんだ家政婦の方がよっぽど母親にみえる。

「わかりました」

俺は紙袋を受け取って、会釈をして、桜沢邸を離れた。












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