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不機嫌先生と個人授業。
作:森本エリ



第2話


「おはよー!夏樹、具合大丈夫ぅ?」

二時間目が終わってあたしは教室に入った。
本当は二時間目の途中で学校に着いたのだが、保健室にいた。
クラスの中で一番気の合う倉光 由佳があたしを見つけて声をかけてきた。

「うん。よくなったよ」

あたしは笑顔で応える。
由佳には悪いけど、あたしはそんなに馴れ合いが好きではない。
あたしが馴れ合いたいのは淺井先生ただ一人。

「お前さ、なんで昨日電話に出なかったんだよ」

あたしの彼氏、藤本惟太が仏頂面であたしの前に立つ。

「具合悪かったんだから仕方ないじゃん」

あたしは惟太を眺める。
だらし無い着こなしがお洒落だと思っているのか。
溜息しか出ない。

なんでこんな奴と付き合い始めたかというと、ただ男が欲しかった時にタイミングよく告られたから。

惟太とは結構話すし、面白い奴だと思ったからなんとなくオッケーしたのだが、付き合ってみると、全然おもしろくないし、エッチにがっついてくるし、拒否ったら怒るし、そんなところがどんどん嫌になって、最近は自然消滅を狙っている。
顔はまぁまぁ良い方でそれなりにモテているようだ。
よく色んな女の子と話しているし、由佳だって惟太の事を見ている事くらい、あたしは知っていた。

「ねえ、惟太、あたしたち終わりにしよ。もう、別れようよ。受験あるしさ」

あたしはわざと由佳の前で言った。
惟太の顔がカッと赤くなる。
「お前、いきなり……」

惟太が声を震わせ言いかけた所でチャイムが鳴った。


「早く席につけ」

頭の上から、淺井先生の無表情な声が降ってきた。
入口の前に立っていたあたしの頭を名簿ではたいて、不機嫌そうに口を結んでいる。
惟太が拳をにぎりしめて教室から出ていく。
淺井先生は惟太を止めることもせず教壇に立つ。

「号令、」

淺井先生があたしに席に戻るように視線で促す。

あたしは素直に席に戻った。
「起立、礼」

クラス委員の号令の後、お願いします。とクラスから声が上がる。
淺井先生も黙礼をした。

生徒が一人、授業直前で教室から出ていったというのに淺井先生はいつものように授業を進めていく。

「水澤、29頁の12行目から読め」

いきなり指名され、あたしは一瞬硬直したが、気を持ち直し、教科書を声にだして辿った。

朗読なんてこの人の授業では一度もなかったはずだが。
あたしは合間に淺井先生を盗み見る。

教壇に頬杖をついて、淺井先生はかったるそうに教科書を目で追っている。

「はい、今読んでもらったとこ……」

淺井先生が淡々と喋る。
あたしは思わず妄想にトリップし始める。
昨日のラフな感じもいいけどスーツもいいなぁ。
ちょっとタイトな喪服みたいだけど、あのゆるいもさもさ頭のせいでなんだかお洒落に見える……っていうか淺井先生ならなんでも、

「水澤、聞いてないのか?やる気がないなら帰れ」

ハッと我に帰ると淺井先生が冷たい視線をあたしに向けている。

「す、すみません」

あたしが俯いて謝ると淺井先生の溜息が聞こえた。

ヤバイ……。昨日のあたしとエライ違いだ。
せっかく淺井先生が色よい返事をくれたのに。
せっかくの放課後二人きりばら色タイムがなかった事にされてしまう。

あたしは気を引き締めて、教科書をにぎった。

国語。上の空。

数学。爆睡。

昼休みになっても、あたしの気分は落ちていた。
淺井先生に呆れられちゃったかも。
放課後の約束、なくなったらどうしよう。
そんな思いばかりが頭の中をループしてすっかり食欲さえ失っていた。


「夏樹、惟太くんのこと考えてるの?」

黙り込んでジャムパンを眺めているあたしを気遣って由佳が尋ねてきた。

「う、ううん……まぁ」

惟太の事など全く考えてもいないなんて言えず曖昧に応えた。

由佳が緩く巻いた髪を揺らしてあたしを覗き込む。

あたしは栗毛のストレートだが、由佳みたいに巻き髪もしてみたいと思う。

「夏樹って、冷めてるよね」

由佳が呟くように言って、カッコイイ、と付け足した。

「なに、それ?」

あたしは少し笑顔を作って見せたつもりだが上手く笑えなかった。

「なんとなく、だよ」

由佳はあたしより上手く笑って見せた。
でも、やはり淋しそうな色まで完全に消すことは出来ないようだ。

−あたしが、冷めてる?

どこがだ。

あたしは淺井先生の一挙一動で一喜一憂、右往左往してるのに。

淺井先生に見透かされたくなくて、平常心を装っているのに。

しかも、昨日、半分徹夜でつけ爪にネイルアートして可愛い指先を造った。
目力アップのマスカラ三度塗りに、グロスだってしてる。

こんなに熱い女に対して、『冷めてる』?

違うわ。由佳。あたしはあんたよりワンランクもテンランクも上を狙って、無理に背伸びしてる真っ最中なのよ。

このクラスで一番ダサい女。カッコよくなんてない。

由佳の伏せた瞼のふちで丸まった睫毛がやけに可愛く見える。

ひどく羨ましくなる。

なんでだろう。よく解らない。


結局、イチゴ・オ−レだけで済ませた昼食は、妙な後味を残した。

由佳の言葉が喉の奥に残る乳製品のねばつきのように心の奥に絡まっている。


『冷めてるよね』


悲しそうに伏せた瞼が、忘れられない。
あたしが由佳を思っている以上に由佳はあたしを思ってくれている。
惟太の事を抜きにして、由佳はあたしの心配をしてくれているのかもしれない。

高校生になるまで、殆ど他人に興味がなかった。
周りにはイイオトコなんていなかったし。
それでも、友達より、男が欲しいと漠然と考えていた。
カッコイイ女は自分を磨いてイイオトコを捕まえて、色恋に没頭して、過去を踏み台にして、未来を夢見ず、今を生きるべきだと思い込んでいた。
……どっから繋がったんだ、この思想。

それなのに、なぜか、今日の由佳がひっかかる。

そういえばあたしは女子の間であんまり評判は良くない。
嫌がらせなんかたまに受けている。
それを解っているはずの由佳はなんであたしに構ってくれるんだろう?

由佳があたしをカッコイイなんて言うから、あたしは自分のダサいところを見てしまった。

淺井先生があたしを惚れさせるから、あたしは必死になってしまう。

厭味な奴らだ。

あたしはふと、誰もいない廊下を振り返った。

−淋しい。

なんだか、あたし淋しいわ。


湿気の重い空気が、いやに生温い。


淺井先生に会いたい。


何となくそう思ったら、熱がでる前みたいに身体が怠くなった。


氷のような淺井先生を溶かしてみたい。


そしたら、あたし、自分が好きになれそうだ。


あたしは走って教室に戻った。


あたしは、自分の事ばかり考えているようで、自分を省みたことなんてなかった。
教室の前で由佳の背中を発見した。

「由佳!」

あたしは思わず叫んでいた。
由佳が驚いた顔であたしを見ていた。

「由佳、あのね。相談したい事があるんだ……」

あたしの言葉で、由佳の表情に日が射した。

由佳はあたしより可愛い。
だからあたしは無意識に由佳を無視していたのかもしれない。

昼休みは終わったけど、あたしたちは裏庭でパックジュースを持って昼休みの仕切直しをした。

「あたし……生物の淺井先生が好きなんだ」

あたしが切り出すと由佳は真ん丸の瞳をさらに丸くしてあたしをみた。

「嘘!?ホントに?!」

「……うん。だから、なんとなくで付き合ってた惟太と別れたの。惟太に悪いし、それに……由佳にも」

あたしが由佳の顔をちらっと横目で伺うと、由佳はキョトンとした顔であたしを見ていた。

「由佳、惟太の事、好きなんじゃないの?」

「え?ばれてたの?」

由佳が顔を赤らめる。

「うん。いつも惟太の事みてたじゃん」

「夏樹、やな感じ〜!知ってて惟太くんと付き合ってたの?」

「うん。ひそかに優越感、感じてた。
淺井先生の事好きになったのもあるんだけど、さっき由佳にカッコイイって言われてなんか自分が嫌な女だって思い知って、反省したの。
由佳、ごめんね」

「なに、いきなり。夏樹ってば」

「何となく、だよ」

−あたしもよくわからないけど、由佳に話したくなったのだ。

淺井先生が好きって。

由佳に今日の放課後に淺井先生に個人指導してもらうようにこじつけた事も話した。

由佳と笑い合っていると、さっきまでの淋しさが消えていた。


早く時間が過ぎていく。

あたしってば、これって、また由佳を利用している事になるんだろうか?
違うよね?由佳。
だって二人の時間がとても大切に思えるもん。

帰りのHRが終了し、あたしは担任に呼ばれ、教室の隅に行った。

「淺井先生が放課後、生物室にくるように言ってたぞ!お前、授業中に何したんだ!サボってばっかりいると卒業できんぞ!」

担任は小声で説教すると、早く行くようにと念を押した。

言われなくても行くわよ!

あたしは心の中で悪態をつきながら机に戻り、荷物をまとめた。

目で由佳を探す。

由佳が惟太に声をかけているのを、見て見ない振りをして、あたしは教室を出た。


別棟に向かうにつれ、ざわめきは薄れ、廊下にはあたしの足音が前にでる。
ついでにいうと心臓の音もヤバイ。

そういえばあたし予習なんてしてない。

一生懸命したのは自分を飾ることくらい。

だって、あたしが淺井先生に教えてほしいのは、教科書に載っているような事じゃないし。

なんていって、取っ掛かりは教科書に書いてあることを真面目にこなすことだろう。

ああ、しくった、しくじった。

でも、こんなあたしに淺井先生がイケナイお仕置きを……するわけない!!

早くも鉛のような足取りになる。

生物室に近づくにつれて浮足立つはずが地にのめり込むようだわ。

「水澤、」

ぎゃふん。心臓飛び出して即死するかと思うわ!

振り向けば、丸めた印刷物で自分の肩を叩く、かったるそうにこちらへ向かってくる淺井先生のお姿。

「早く入れ」

淺井先生は顎をしゃくる。あたしは引き戸を引いて、生物室に入る。
あたしに続いて淺井先生も生物室に入ると戸の鍵を締めた。

……いやん。

ヨコシマな期待が……。



「見つかったら、うるさいからなぁ」

淺井先生は溜息交じりに煙草を胸ポケットから出してくわえた。

「……吸ってもいい?」


淺井先生はライターに手をかけて思い出したようにあたしを見た。


「……どうぞ、ご勝手に」


あたしの期待が煙になっていく……。



「んで?どこを教えて欲しいんだ?」


淺井先生がくわえた紫煙に顔をしかめながら、ネクタイを緩め、シャツのボタンを三個外した。

その仕種にあたしのツボは突かれっぱなし。
心臓がヤバイくらい鼓動をうちまくる。

「水澤?」

ふと淺井先生の視線があたしの手に落ちる。

「……なんだ?この爪は」

淺井先生の右眉が上がり、眉間にシワが寄る。

あたしの背筋を冷たいモノがダラダラ這っていく。

じいぃっと淺井先生があたしを睨みつけてくるもんだから、あたしは黒目を思いきり逸らした。

見つめられてうれしいけどマジ怖いんですけど……。

「なんだよ、その爪は。皮膚病か?気持ち悪い」

淺井先生の無情な言葉にあたしの努力と睡眠時間が、闇に葬られた。

可愛くみられたくて頑張ったのに。

勝手に無駄な装飾をしたのはあたしだが、あんまりだわ。そのお言葉。

「それから化粧!なんだ、その唇は!油もん食ったあとか!」

容赦ない追い打ちにあたしは深く傷ついた。

んでもって頭にきたので淺井先生に向かって手を上げた。

まぁ、あたしみたいな小娘の平手打ちなんて、

こうして呆気なく止められるんですけど。

あたしの手首は淺井先生に掴まれ、その力強さにビクともしない。

「バカめ。こんなことしたら爪が皮膚呼吸出来なくなって変色してボロボロになるんだぞ。
それからな、お前達くらいの年の肌はファンデーションなんか塗らなくても綺麗なんだ。わざわざ肌を傷める事をするな」

淺井先生の顔が近い。

女心を打ちのめすような、優しいお言葉。

あたしは悔しいんだか情けないんだか良く解らない涙を生み出してしまう。

「泣くな、欝陶しい。化けの皮が剥がれるぞ」

「あ、淺井先生……最低……女心を少しは解ってよ」

あたしは嗚咽を漏らしながら訴えた。

「なら、お前も男心を解るようになれ」

あたしは涙を拭いながら、淺井先生を見た。

「さっき授業が始まる前に藤本の男心を傷つけただろうが」

「…………。」

「本題からズレた。俺はお前に勉強を教えにきたはずなのに」

淺井先生が肩の力を抜いて溜息をついた。

「……あたし、淺井先生の男心を勉強したいです。教えてくださいますか?」

「……はぁ?!」

淺井先生がくわえた煙草を落とした。

「あっちッ!」

淺井先生が取り乱してる?なんか……いい。

「冗談はよせ。水澤」

煙草を消して淺井先生はあたしに向き直った。


「本気です。あたしは淺井先生が好きなんです。動機は不純ですけど、勉強する気満々ですよ」

淺井先生は絶望的に天井を眺める。

「……じゃあ、期末テスト100点取ったら考えてやろう」

淺井先生は新しい煙草をくわえて、火を点けると煙と溜息を吐き出した。

「俺はもう、手ぇ貸さない。水澤、自力でやれよ」


「ええっ!?嘘!!」

「俺は嘘つかない」

淺井先生はそう答えると、一気に煙草に灰にして、流しで消すと、あの変な手の動きで手を振ると、さっさと生物室を出て行った。

ちょっと待ってよ、淺井先生……。

あたしの決死の告白は?

なんかおかしくない?

頬の微熱と取り残された、あたしはどうしていいのか解らない。












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