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不機嫌先生と個人授業。
作:森本エリ



第17話


「おはよー!夏樹!」

下駄箱で由佳が眩しい笑顔であたしの肩を叩いた。

「珍しいねー!夏樹が余裕で登校するなんて」

由佳にとっては変わらない朝の一時。他愛のない言葉と何気ない笑顔でいられる彼女が羨ましい。

「由佳ぁ……」

あたしは泣きたくなりながら彼女の名前を呼んだ。

「どうしたの?」

「夏樹チャーン!なにタラタラしてんのー?」

由佳の背中越しにバカが笑っている。
由佳が怪訝な顔をしてバカとあたしを交互に見た。

「やほー、由佳ちん。おはよー」

バカはわざとらしいくらいの笑顔だ。

「お、おはよう。桜沢くん」

由佳は曖昧な笑顔で応えて、なんで?って目であたしを見た。

「夏樹チャン、放課後迎えに行くから、おとなしく待ってるんだよ」

目が笑ってない。 あたしは寒気を覚える。
階段踏み外して意識不明の重体か、体育の時間にデッドボール直撃で死んでしまえばいいのに、あのバカ。あたしは蛇の後ろ姿を睨みながら見送った。


「どうしたの?今の一組の桜沢くんじゃん」

由佳が声を潜めてあたしに耳打ちした。

「由佳、ちょっと来て」

とりあえず助けというより誰かに打ち明けたくなってあたしは由佳の手を引っ張った。





別棟の屋上につづく階段の踊り場は、窓から差し込むやわらかい日差しに照らされて冷やされた静けさとは裏腹に暖かそうな雰囲気に溢れている。

あたしと由佳は身を潜めるように踊り場のくぼみにしゃがみこんだ。

「どうしたのってば。なんで桜沢くん?」

「今から説明するから。えーと、まずね、昨日……」

あたしは由佳の耳に手を当てて小声で大まかな流れを話した。

「えっ?!淺井先生んちに泊まったの?!なにその急展開!」

あたしはあわてて由佳の口を塞ぐ。

「なりゆきよ、成り行き。あたしが半ば強引に促したの。んで、別にヤッたとかはないんだけど、桜沢?あいつが淺井先生んち同じアパートに住んでて、目撃されちゃったの!」

あたしは小声でまくしたて由佳の手を握る。

「で、なんで夏樹はあいつと一緒なの?淺井先生は?」

「わかんないよ。いきなり忘れろって言われて、部屋でたんだもん。そしたらあのバカ男が現れて、バラされたくなけりゃ言うこと聞け、って」

さすがにセックスしようと言われたとは言えない。

「なにそれ!!っていうか桜沢もだけどさー!淺井先生、超意味解んないんだけど!!」

由佳ちゃん激怒。あたしの味方は君しかいない。
由佳の怒声に感激しつつ、あたしは改めて話せる人がいてよかったと思った。

「桜沢も淺井も何様よ?!夏樹を弄んでんじゃん!信じらんない!夏樹!そんなんでいいの?!」


―は?あたし?よくないけど、淺井先生がクビになるのはもっと嫌。


「なにキョトンとした顔してんの?!夏樹、もっと自分の状況考えなよ!」

由佳があたしの肩をがくがくと振る。
由佳ちゃんあなたこんなに激しい人でしたっけ?

「だ、だって、淺井先生、クビになったらやだもん。あたしのせいで淺井先生が路頭に迷ったら、あたし、申し訳なくてお天道さまのした歩けない」

「お天道さまって、それが何様よっつの!」

言っておこう。誰に?自分に。

由佳は普段は、ふんわりとしていて、ありがちに例えると“砂糖菓子のような”美少女である。

いままで軽んじていたが、ちゃんと向き合うと悔しくなるくらい、可愛らしいので、見てみぬ振りをしていたが。

昨日、そう、昨日だよ。

昨日までのあたしは、ただの“教師に憧れる女生徒”だったのに。

それが今は“ドナドナの子牛”くらい人生の危機にさらされている。
いや、貞操の危機か。
生け贄か?なんのだ。

そして“砂糖菓子のような”由佳ちゃんは唾液に触れるとバチバチ弾けるあの駄菓子のような激しさを持っている。

あたしの為に、怒ってくれている。

今まで超薄情だったあたしの為に。

なんて感涙モノの友情ドラマなんだ。

「由佳ぁ……超好き〜!」

あたしはマジ泣きで由佳に抱きついた。

「や、急に嗜好変更されても、あたしそっちの趣味ないし」

さらっとあたしの告白を無下にしながらも、由佳はあたしを抱きとめてくれた。
ホット・アンド・クールに友情の素晴らしさを教えてくれてありがとう。


「でもさー、夏樹どうすんの?」

由佳があたしを覗き込む。

「……わかんない。あたし何もわかんないよ」


あたしは視線を床に落とした。綿埃が、ケサラン・パサランみたいに、空気に転がされている。

ころころ、ころころ、

まるで今のあたしみたい。

淺井先生と桜沢。

北風と太陽。

あたしは旅人。

お二方に弄ばれてんのかー。
そっかー……。

……でも、淺井先生は違うと思いたいんだよねー。
あたしの希望としては。

「夏樹、思い詰めちゃダメだよ?あたし、話し聞くくらいしか出来ないけど、なんかあったら言ってね」

由佳があたしの肩を揺する。五分前のチャイムが鳴った。

「あたし、もうちょっとここにいる。なんか、気分悪いから由佳、先に教室いってて」

あたしは由佳を見上げた。由佳は心配そうな顔であたしを見返す。

「あたし、だいじょぶだよ。遅刻は慣れてるし」

あたしが笑うと由佳は、わかった、と腑に落ちない顔をしながらも立ち上がってスカートについた埃を払う。

「夏樹が夏服じゃないのには、そんなに深い意味があったのねー」

由佳がおどけた口調で言う。

「まぁねー。恋する乙女はいろいろ大変なのよー」

あたしもノッた。少しの笑い声。笑うと嫌な気分が紛れるという。
今のあたしにはあまり効かないみたいだけど。

「なんかあったらマジ言ってよ!」

由佳はそう念を押すと、階段を降りていった。

遠くなる足音。

一人になるのは怖いけど、あたしの問題だし、あまり由佳を巻き込むのも悪い。あたしのせいで遅刻させちゃ悪いしね。

本当、由佳には感謝だよ。由佳の励ましで少しは気分が落ち着いた。


淺井先生、やっぱ解んないなぁ。

桜沢も解んない。急に降って沸いてきたみたいなヤツだし。

あたしが解るのは、淺井先生が好きってコトと桜沢が嫌いってコト。
自分のことしか解んない。

でも、自分がどうすべきか解らないんだよねぇ。

桜沢なんかに処女あげたくないし。

かといってバラされて淺井先生がクビになったら、迷惑かけちゃうし、会えなくなっちゃう。

やだなー。どうしたらいいんだろう。

淺井先生学校ついたかな。

生徒のあたしならともかく、先生が遅刻したなんてシャレになんないよ。

あー、なんか、涙でてきた。

淺井先生に会いたいなー。

また抱きよせられたいなー。なんて、まぁ、もう無理なんだけど。


もう、無理かぁ……


そう思った瞬間。
かろうじで溜まっていただけの涙が落ちた。次から次へと止まらない。

いたい、胸の奥がすごく痛いよ。

こわいよ、先生。

助けてよ。
あたし一人じゃどうしようもできない。


あたしは、しゃがんだ体勢から膝をつけて身体をまるめた。

嗚咽で床と鼻先の間が暖まる。湿気があがってまた涙になるようだ。

さっきまであった淺井先生の匂いはどこにもない。












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