第11話
……あれ?先生、寝てない?これ。
頬杖をついたまま、船を漕ぎだしている。
一人で夢の世界に航海?
信じらんない。
せっかくピチピチのギャルがサイズの合わない男物のシャツを着てベッドにいるのに!
おかしいよ!成人向け漫画じゃロリ系の彼女が彼氏のシャツを着て彼氏が萌えるってやつ、けっこうあるじゃん!!
発端は先生の匂いに包まれたいっていうあたしの欲望なんだけど!
相手に思いやりのある行動はマナーであり、あたしは実行した淑女なわけで、
紳士である先生はあたしの行動になんらかのお返しをしてもいいはず!
たとえば、押し倒すとか!
……いや、落ち着いてみよう、あたし。
深呼吸、深呼吸。
今のこじつけには無理があるわよね。
別に先生は萌えたいとか、思ってない。
むしろ、あたし一人がハッスルしてた。
でも、キスしたじゃん!
二回も!二回もよ?!
しかも先生から。
なのに、それ以上なしってどーゆーこと?!
ストイックにも程がある。なぜ先生はあたしに手を出さない?
あんまり胸が大きくないから?ブラは恥ずかしくて、やはり外せなくて、シャラポアってないから?
…………違う!
違うわ!あたし!大失態!
ぶんぶんと頭を左右に振る。
初歩的ミス!ケアレスミス!
無駄毛処理は日々の努力で完璧だとふんぞり返っていたが、それではいけない。
あたしは今日まだお風呂に入ってない!
いくら今有機栽培やナチュラルフードが流行っていても土から採りだしたばかりの薄汚れた野菜はそのまま召し上がれないし、汗の中に微量なフェロモンが含まれているとしても、雑菌のほうが大量で、不快な匂いを醸し出していたかもしれない。
汗の酸っぱい匂いを愛好する人種はそんなにいない。あたしだって剣道部の部室はご遠慮したい派だし。
お風呂に入るのよ!
そして、仄かな石鹸の香りを漂わせながら、改めて淺井先生を誘惑しなければ。
いくら空腹でも異臭のする食物は食欲を減退させる。嗅覚は重要だ。
殿方に美味しく味わって頂く、それこそ淑女のマナーである!
あたしはスプリングの反動で先生を跨ぎ、フローリングに着地した。
着地の際に、『またがれるとその人は出世できない』と婆ちゃんに言われたことを思い出した。
いかん!それはいけない!
あたしは巻き戻しの要領で同じ状況で跨ぎ直しを考えたが、そんな芸当できるはずもなく、改めて跨がせて頂き、先生に向かって無言で土下座した。
ごめんなさい。先生。貴方が出世なんて野望を抱いているような人材には見えないけれど、あたしのせいでそんなチャンスを逃すような事があったら居たたまれない。 跨ぎ直したからチャラにしてね。運命の神様。
三度、手を打って合掌。
―よし、し○かちゃんよろしくバスタイム!
急がば回れ、先人の教えを心して、先生を迂回してあたしは浴槽を目指した。
あとで先生の寝顔を視姦しまくってやる!もしも先生が目覚めて実技に突入してしまう不慮の事故も配慮して、まずは風呂!
あたしって淑女じゃーん!
浴室は、ドアを開けると真正面にメタリックシルバーのドラム式洗濯機が鎮座していて、隣に洗面台と鏡。三畳程の広さ。
右に黒い塗料が施された木製のドアに真鍮のドアノブ。たぶんトイレだ。
左には金属とガラス製のドア。しかもステンドグラスみたいなやつで中が見えないように配慮してある。
……洒落てるのぉ。
うちなんてアルミサッシよ?たぶんぼやけて見えているだろうすりガラスだし。トイレは普通のバタークッキーみたいな色したドアだし。
ドラム式洗濯機なんて、ブルジョワめ!
車はセダン車だったし。
先生って何者?
あたしは薄ピンクのブラを外して、揃いのショーツをコンビニの袋に丸めて入れた。明日の朝どっかで捨てよう。通販の若い女の子向けの下着専門店で買ったお気に入りだけど、構わない。こんなもの洗って頂けない。
先生が買ってきてくれた下着は無印○品のキャミソールとショーツのセットで、シンプルな黒。
着るのもったいないけど、仕方ない。
それに先生からの贈り物を身につけるなんて最高に幸せだ。
先生が買ってきてくれた下着は可愛くなければエロくもない、人口のあふれた大陸で大量生産されたありふれたものだけど、おこづかいで買った可愛いデザインの国産の下着よりもあたしを幸せにしてくれる。
あたしは素裸になって、鏡に上半身を映す。
けっこう色白だし、乳房の形も悪くないし、尖った先端はイチゴミルク色。 豊かではないがそれなりの曲線を持っている腰周り。し・か・し、問題はその下。
これは剃ったほうがいいのか?いや、なんかそれも変だ。
どうすればいいの?
誰にも聞けない。
先生にだって聞けない。
世の女性はどうしているんだ?
あたしは立ったまま、未知の部位を腰を折って眺める。
とりあえず、シャワー浴びよう。悩んでいて、先生が来て、こんな後ろ姿見られたら、あたしはマヌケだ。
そうだよ。あたし、ケアレスミスはこんなところにもあったのだ。
一番大事なところを見落としていた。
っていうか……、どうなっているんだろう。
排泄する器官とは別だと保健体育で習ったけれど。
「うわあぁぁぁぁッ!!!なにこれーーー!!!」
カルチャーショックだ。
なんなんだ?!これ!!
あたしの身体にいびつな形のエイリアン。嘘だ。いや、嘘だと思いたい。
何気なく付き合ってきた身体の一部にこんな姿があったなんて。
こんなの先生に見せられない!
てか、見られたくない!!
見られないようにしなきゃ。
とにかく身体を洗おう。
先生と同じスポンジで洗うのは気が引けるので手で洗うしかない。
本当は触りたくないし、触らせたくないけれど、
洗わなければならない。
散々マナーと言うことばを振りかざしてきたあたしは嫌悪を感じながら泡のついた手をのばした。
何度かこすって、妙な感覚を覚える。
先生、あたし、ヤバいよね?
シャワーで泡を洗い流していただけなんだけど、生々しい疼きが、止まらない。
なにか物凄い感情が波のように込み上げてくる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、
あたしはきつく目を閉じた。
―赤い実はじけた。
小学校の時の国語の教科書に載っていた甘酸っぱい初恋の物語の題名。
なんだかぱっとしない展開の結末に、当時のあたしは不満を覚えていたが、なかなか的確な表現のこの題名は好きだった。
作者も内容もおぼろげだが、ずっと題名だけ、鮮明に残っている。
なにかに縋るように、思い出したのだ。
今まで体験したことのない感覚が過ぎ去り、あたしは浴室にひとりで取り残された。
とても悪いことをしてしまった。
軽蔑されるべき行為のように思える。
暖かいシャワーがあたしの肌の上に微妙な刺激を与えている。
言い表わせないくらいの恥ずかしさと罪悪感に、あたしの心は冷えだした。
赤い実はじけたどころではない、あの感覚は、なんなんだろう。
どうしようもない倦怠感を感じて、あたしはシャワー中断した。頭から爪先までとりあえず洗浄したのだから、あがってもいいだろう。
ただ、胸の辺りに蠢いている羞恥心が、あたしを責めて、あたしを汚す。
恥ずかしい、愚かな生体。あたしは雌。
両足の間に醜い異物を持ち
それを弄び身体の疼きを弾けさせた。
愚か者。
淺井先生はあたしを軽蔑するだろうか。
それだけが怖くて、泣きたい気持ちになった。
汚らわしい気持ちと身体を隠すため、あたしは先生がくれた下着に謝りながら身につける。
下着も服も隠すために、あるんだわ。
あたしは布達に感謝しながら、浴室を後にした。
「どうしたんだ?なんか叫んでたけど」
淺井先生が、ソファの背もたれに寄りかかって立っていた。
スーツから着替えたらしく黒のポールスミスのティシャツにくすんだ群青色のジーンズになっていた。
華奢なラインに見えるけどやはり硬質な感じがする。
先生は様子をうかがうようにあたしを見ている。
表情に怒りの色はなく、心配そうな眼差しであたしは下を向いた。
淺井先生が動いたのが気配でわかる。寝室の方に歩いていく。
「湯冷めするから、貸してやるよ」
着古したトレーナーを受け取り、あたしはまた浴室に戻った。
トレーナーから洗剤の匂いがする。
清潔な、匂い。
家でも嗅いだことがある。イケ面俳優とちょっと男臭い中年のどことなくホモくさいCMのヤツだ。
「急に元気がなくなったな。どうした?」
着替えてきたあたしを先生はさっきと同じ状態で迎えてくれた。
「なんでもないです」
「……そうか?」
先生は首を傾げただけで、それ以上追求する気はないらしく、煙草をくわえた。あたしは浴室のドアに背をもたれたまま、両足の間の痺れと湿った下着を気にしていた。
沈黙の中を煙だけが自由に宙を漂っている。
「まだ、九時か。だいぶ眠った気もするけど、そうでもないな」
先生は独り言のようにつぶやき、腰をあげた。
「水澤、ドライブ好きか?」
「……好きですよ」
先生は鍵を手に取り玄関に向かう。
いくら広くても沈黙のままじゃ息が詰まってしまうからだね。
あたしは一人で納得しながら後を追う。
「ソファにお前の分のジーンズ置いてるから、それ穿いてから来い!」
先生が振り向いて呆れたように怒鳴った。
「はい!」
あたしは肩をすくませて慌ててジーンズを取りに行った。
まったく、あたしときたら、なんてマヌケなのかしら。
横目で先生を盗み見ると、先生は真っ赤になって溜息をついていた。 |