音色
幼い頃から、僕には楽器の奏でる音に色や光を見ることができた。
幼稚園の頃にオルガンで童謡を弾いていた先生の周りには、黄色い光の粒がたくさん浮いていた。
伴奏に合わせ歌を歌う僕たちの周りでは、その光の粒が楽しそうに踊っていたのを覚えている。
高校の頃の友達が弾くエレキギターには、赤い電流のようなものが走っていた。
その友達がピックで弦を弾くたびに、電流はいろいろな方向に散っては儚く消えていく。
卒業を目前に控えたライブでは、徐々に紫がかった電流が流れ始めた。
最後の曲を弾き終わる頃には、完全に青になり、名残惜しそうに消えた。
まるで曲の終わりと共に、青春の終わりを告げるように。
四年の恋が終わった次の日のコンクールでは、悲しげな藍色の霧に包まれる彼女がヴァイオリンを弾いていた。
明るい曲調の曲だったのだが、その裏の悲しさをひた隠しにしているような明るさとも思える。
曲が終盤に近づくにつれて彼女の周りの霧は薄くなっていき、曲が終わる頃には綺麗になくなっていた。
しかし、僕は最後の挨拶をする彼女の目に、涙が溜まっていたのを知っている。
このように、見える色や見え方は、弾いている人の感情や曲調によって様々である。
只、僕にも、唯一色が見えない人物がいた。
自分である。
幼い頃から毎日、鏡に向かって楽器を演奏してみた。
雨が降る日も風の吹く日も、友達と笑い合った日も彼女と別れた日も。
毎日毎日、自分は何色の音を出しているのか知ろうと必死に演奏した。
しかし、ついに一度も色が見える事はなかったのである。
それが幸か不幸か、僕は今ピアニストと言う職業に就くことができた。
自分に色が見えないのであれば、自分の演奏を聴いている人達に色を感じてもらおうと思ったのだ。
今からコンサートが始まる。
今日は僕の弾くピアノからは何色の音が出ているのだろうか。