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壁の穴から
作:石子


わたくし、その一部始終を見てしまったのです。壁にあいた穴から。
その穴は本当に小さくて、普通ならなかなか気付かないのでしょうけれど、部屋の中から漏れてくる光によってたまたま気付いてしまったのです。
あら、でも勘違いしないでくださいまし。わたくし、いつもそんな風に部屋を覗いているわけではありませんのよ。でもその時に中から聞こえてきた大きな声に、好奇心がわいてしまったのです。

「お前は、このわしを陥れ(おとしいれ)ようというのか!?」
それは、この屋敷のご主人様の声でございました。随分と苛立っておられるようです。
そして、ご主人様に向かい合うように立っているのは最近この屋敷の手伝いに入ったばかりの若い娘でございます。
「陥れるなんてとんでもない。ただの忠告ですわ」
娘は、澄ました顔で言いました。まるでご主人様の気持ちを逆なでして楽しんでいるように聞こえます。
ほんとうに最近の若い子は礼儀を知りませんわね。
しかし、一体なんの話をしているのでございましょう?
わたくしは思わずまた耳をそばだてて会話の続きを聞いてしまいました。
「忠告だと? ふざけるな! わしが妻を殺した、なんていう根拠のないくだらん話を持ち出しよって! そんなことを言うためにうちに働きに来てるわけじゃあないだろう!?」
「根拠ならありますわ。病院で働いている私の友達が、ご主人様が先生のところにこっそりとおいでになって毒薬をわけてもらっていたのを目撃したそうですわ」
「そんなもの、その友人とやらの勘違いだ! もし、本当だったとしてもそれが妻を殺した証拠になどならん!」

わたくし、息を飲んでしまいました。二人が話しているのは、昨年亡くなられた奥様のことではありませんか!
もともと病弱な方でしたがある時急に体調が悪化しはじめ、二ヶ月くらいで帰らぬ人となられました。衰弱がかなりのスピードで進んでいたのが端からもわかり、わたくしも奥様の苦しそうなお顔を見るのが辛かったものです。
……この娘は、奥様が亡くなられてから通いはじめましたので面識はないはずでございますが……。
「ご主人様。私ももちろんそれだけであなたが奥様を殺したなんて決め付けるつもりはありませんわ。……奥様が生前いつも使っておられた食事の時のお皿を調べさせていただきましたの。少しですが、毒物の反応がありましたわ。毎日の食事の中に毒を混ぜておられたのではないかしら?」
沈黙が訪れました。
わたくしの中で、まさかそんなことはないだろうという気持ちとひょっとしてと思う心がぐるぐるとまわっております。
確かに、奥様が亡くなられたことで婿養子であるご主人様が財産を手に入れることになり、殺人ではないかという噂があったことは存じておりますが……。
「ふん。まだそんなものを残してあったなんてな。皿に毒物の反応があったことは初耳だ。だが、わしがやったという証拠にはならないだろう」
沈黙を破ったのは、声を搾り出すように呟いたご主人様でございました。
「ええ。ただ、その事を警察に知らせることもできると申し上げているんですのよ。面倒なことにならないうちに私に口止め料をお支払いになったほうがいい、という忠告をしているんですわ」
娘は楽しそうな笑顔でそんなことを言いました。
ご主人様はというと苦々しい顔で黙っておられるのです。
なんてことでしょう!
何もおっしゃらないのは、娘の言ったことが事実だと認めるようなものではございませんか!
「明日まで考えさせてくれ。金を用意するにしてもすぐには無理だ。それにちょっと頭を整理したい」
最初の勢いはどこへやら。ご主人様はそんな事を小さな声でおっしゃいます。
ああ……。わたくしも実を言うと思い当たることがあるのです。
奥様が亡くなられて間もないころ、普段は近づくことすらない台所にご主人様がこっそり入って行かれるのを偶然見かけたことがあったのでございます。
今思うと、少しずつ食事に入れておられた毒を処分しに来られたのでしょう。
「わかりましたわ。明日までお待ちします」
娘は勝ち誇ったように言うと、悠々と部屋を出て行こうとドアの方へ歩み寄って行きます。

その時……

一瞬の出来事でございました。まばたきする間もなかったように思います。
ご主人様がすぐ近くにあった置物を手に取り、娘の後頭部に勢いよく振り下ろすまでは。
「ぎゃっ!」
という恐ろしい声が聞こえ、娘はあっけなくその場に倒れて動かなくなりました。赤い血が絨毯に染みをつくって広がっていきます。
わたくしは、ただただその光景を眺めておりました。
ご主人様は肩で荒い息をしておられます。その時ふと、わたくしのおります方の壁に目線を移されました。
視線が、合ったように感じましたがそんなことあるはずございません。
ご主人様はしばらく彼女を見下ろしたまま立ち尽くしておられましたが、ハッと正気に戻られたのか、娘の体を起こし様子を確かめておられます。
もう、生きているわけございませんのに。

それからご主人様がなさる行動はわたくしには分かりきっておりました。
恐らく、この部屋の壁の一部を壊してそこに死体を押し入れ、上からセメントで塗り込めてしまわれることでしょう。誰にも見つからないように……。

わたくしが、ご主人様が隠れて台所にいらっしゃったのを目撃してしまい、殺された時のように……。

きっと、わたくしがおります場所のすぐ側の壁を壊しにかかられるのでしょう。
ここの壁は塗り直しても判りにくいデザインでございますから。
ただ、この壁の穴がなにかのはずみで塞がれてしまわないことを願いながら、わたくしはまたしばらく眠ることにいたしましょう……。














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