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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

第二章 渦巻く宿命の輪

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2‐15 囚われの魔女(3)

 銀髪の少女は雲がかかっている薄暗い夜空を見上げていた。雨の匂いがする。長い夜が明ける頃には雨でも降るかもしれない。
 雨――すなわちアーシェルにとっては武器ともなる恵み。だがそれを用いて魔法を行使し、アーシェルが逃げたとしたら、レナリアたちに危害が及ぶだろう。
「アーシェル様、立ち止まらないで歩いて下さい」
 意識が空に向かっていたアーシェルは、ベルーンの声で我に戻った。深紅の髪の女性は周囲が暗いにも関わらずひときわ目立っている。彼女の声に促されて再び歩き出した。
 アーシェルの首にはたいそう豪華な重い首飾りがぶら下がっている。魔術の力を抑える首飾りだ。これが魔法使いであるアーシェルまで通用するかは疑問だが、この重さが自分だけでなく他人の命を握っているのを実感するには充分だった。
 しばらくすると流水音が聞こえてくる。せせらぎのような微かなものだった。やがて視界に四角い池が入ってくる。人工的に作られたものなのか、整った形をしていた。
 そこの池に向かって、横からちょろちょろと水が一定の速度で流れ込んでいた。池の水中には砂と砂利が敷き詰められており、それらを利用して、水はろ過され綺麗になっていた。
「もしかしてアーシェル様、浄水場を見るのは初めてですか?」
 ろ過されていく池をじっくり見ていたからだろう。ベルーンが声をかけてきた。
「見たことはある。でもここまできちんとしたろ過池は初めてみたわ。この施設から作られた水道水は、さぞ綺麗なものなのでしょうね」
「先ほどアーシェル様に出した水は、ここで作られた水が元となっています。今度は是非とも飲んで下さいね」
 にこりと笑みを向けられたが、アーシェルはそっぽを向いた。
 ピュアフリーカンパニーの敷地内には、アーシェルが見ている池と同じものが東西南北に計四つある。広い池であるため目をこらさなければ、暗がりの中では奥にある池まで見えなかった。今、二人がいるのは建物の正面から見て、右後ろにある池だ。ちょうど建物の死角にいるため、人の目には触れられなかった。
 ふと静けさの中で騒々しい音が聞こえてきた。建物の裏手にある川の方に振り返る。なにやら大量の人が集まっているようだ。
「何かあったの?」
 アーシェルが言葉をこぼすと、ベルーンは腕を組みながら、そちらに視線を向けた。
「さっき小耳に挟まれましたが、取水口に何かが引っかかったみたいです。すぐに問題は解決するでしょうから、気にしないでください」
 そして池を軽く見てから、地下に続く螺旋階段に移動した。底が見えない階段に一瞬たじろいだが、ベルーンが火をつけたランプを片手に淡々と降りだしたのを見て、慌てて後に続いた。
 ひんやりと冷たい地下のようだ。水の香りもする。水の肌が触れることで逸る思いを落ち着かせることができた。
 やがて床に降り立つと、アーシェルの背の高さよりも大きい巨大な導管が伸びていた。導管に耳を近づけると、水が流れる音が聞こえる。
 ベルーンはその管に触った。
「ここから各家庭に水は流れていきます。衛生的な問題で直接触れることはできませんが……、この隔たりがあってもアーシェル様ならできますよね?」
「さあ、どうかしら。初めての試みだから、どう転ぶかはわからない」
「でもやってみる価値はあるとは思いません?」
「……もう少し前向きな理由でやるのなら、進んでやってみたかったわ」
 アーシェルは自嘲気味に呟く。
 魔法を使うときは、直接触れるのが基本である。液体の水に触れるなり、空気中にある水分を感じるなりしている。
 今回のように鉄で囲まれた中にあるものを対象とした場合、思うように事が進むかはわからなかった。さらに今から行おうとする魔法は、かなり特殊なものであるため、上手くできる保証はどこにもなかった。
 それにも関わらず、アーシェルを働かそうとしているベルーンとロイスタン。まるで全知全能の神とでも思っているのかもしれない。
 ベルーンは鼠色の四角い箱を持ってきて、そこに水を流し込んだ。そしてふたを閉めてアーシェルの前に持ってくる。にこりと微笑んで、前に置いた。
「さあ、まずはこれを使って練習をしましょう。それを終えたら流れのある水で行いましょう」
 黙ったままアーシェルは首飾りを外し、箱に手を触れた。そして脳内に考えを巡らしながら、中にある水を思い浮かべた。


 取水口での騒ぎが未だに収まらない頃、アーシェルは汗だくになってその場に膝を付けていた。ベルーンは髪を払って、彼女の横に浄化したばかりの水をコップに注いで置いた。
「そんなに疲れる行為なのですか?」
「当然よ。水ではなく、液体をいじるのは相当神経を使うの。しかもあまりに突飛すぎる」
「そう言いつつも、できかけているのですから、凄いものですよね」
 その言葉は否定できなかった。人為的に作り出した流れがある水を使って実験をしていたが、集中力さえ途切れなければ、ほぼ遂行することができた。あとは狙った場所で行えるかどうかだ。
 しばらく休憩しても大丈夫だろうと思い、手を水から離した。そこで今まで気になっていたことを、何気なく問うことにした。
「ねえ、ベルーン」
「何でしょうか、アーシェル様」
「どうしてこんな会社に雇われているの?」
 ベルーンの目が細くなった。
「貴女のような力のある魔術師なら、他にいくらでも仕事が舞い込んでくると思うけれど?」
 率直な感想だった。何か物を必要するとはいえ、普通の人ができないことを起こすことができる魔術師。結界の性質を含んだ壁を張る、水を自由に昇華させる、時として氷の武器を作れるなど、ベルーンは考え得る限りで多くのことができた。
 アーシェルとの違いは、せいぜい対象が水だけか、液体全体かという程度だろう。それほど彼女の魔術師としての素質は優れていた。
 攻防に適した力があれば戦闘地域でも活躍できるだろうし、水蒸気から水を生み出すことができれば過疎地域で感謝されるはずだ。
 視線を軽くあげてベルーンを見ると、彼女は軽く唇を噛んでいた。
「……これだから無知な箱入り娘は嫌いなのよ」
 ベルーンは軽く握りしめていた拳を緩めた。
「じゃあ聞き返します。アーシェル様は魔法を使って人を殺せますか? 戦場で駆け抜けられますか?」
「必要であれば……」
「魔女と罵られ、味方に裏切られて火炙りにされる可能性があっても?」
 淡々と告げられた言葉を聞き、目を大きく見開く。ベルーンの表情はいつになく冷徹で、感情の底が見えなかった。
「ベルーン、まさか火炙りにされかけたの?」
「ええ。まったく人というのは恐ろしいものです。自分とは違う能力を持っている人間を恐れ忌み嫌い、排除しようとするのですから」
 壁により掛かったベルーンは自身の手のひらを上に向けた。そこから氷の小さな粒が発生する。手を握ると、それは一瞬で水となって流れ落ちていった。
「私の生まれた村は国の郊外にある村でした。近くには清流があり、それを使って畑を育てていました。そのような地で十年くらい前行商人が訪れた際、私はある品に触れて、魔術が開花しました。初めは単純なことしかできず、せいぜい水蒸気を水にして畑に降り注いでいました。しかし慣れてきますと、氷にしたり、広範囲に魔術を展開したりして、村に貢献することができました」
 感情を入れずに続けていく。彼女が生き生きと魔術を行使している様子がぼんやりと思い浮かんだ。
「それから五年経過した頃、私が住んでいた村は近隣の村と昔から仲が良くなかったのですが、そこでの争いが表面化してきました。そのような中、武力で近隣の村を抑えようという話が出て、私も戦闘にでることになりました。氷を自由自在に生み出したり溶かしたり、霧も発生させるということが、目に止まったのでしょう。結果として、私たちの村側は有利に事を進めることができました」
 国内でそのような争いがあったなど、アーシェルは知らなかった。嘘かと思ったが、彼女の話しぶりからして、作られた話とは思えなかった。
 呆然と聞いているアーシェルを一瞥したベルーンはくすりと笑った。
「そして月日をへて、こちらの村に軍配が上がりました。その後、村民たちは私から距離を置いて過ごすようになりました。私がいとも簡単に人を溺死させ、氷の槍で貫いたのを見て、恐れを為したのでしょう。それに居心地の悪さを感じた私も村から出て行こうと思った――その矢先でした」
 右手で軽く左腕を彼女は握っていた。
「……夜中に家に火をつけられました。眠り薬を飲まされていたため、気づくのに遅れました。ですが、火傷を負いつつもなんとか突破して、生き延びることができました」
「火傷……?」
 アーシェルが見る限り、彼女の肌は美しい色を保っている。スリットが入った黒いスカートから伸びる足も美しかった。
 ならば服だけでなく長い髪でも覆っている、背中にその跡があるのだろうか――?
 じろじろと見ていると、ベルーンが口元に笑みを浮かべた。
「――まさか今の話、真に受けているわけではありませんよね?」
 張りつめていた空気が一瞬にしてなくなった。アーシェルは彼女がころっと変わったのに気付き、びくりと肩を震わした。
「そんな、作り話?」
「さあ……。今の話が本当か偽りなのかはどうでもいいことです。アーシェル様は水不足の酷い現場を多少見たことがあるようですが、それ以外は安穏と過ごしていらっしゃったのでしょう? この国はまだ統治が進んでいません。首都にいる人は潤っている環境にいますが、郊外では飲み水を確保するのも苦しくなっています。同じ国に住んでいるのに、場所によって環境が違い過ぎるのは、理不尽なことだと私は思っています」
 ゆったりとした口調で言う様子は、いつものベルーンの姿だ。だが彼女の過去かもしれない話をしている時も、彼女のもう一つの姿のようにも見えた。
「私はですね、力はありますがお金を稼ぐ術は知りません。ですからこのように護衛という仕事を請け負ったのですよ。雇われた側の言うことを聞けばいいだけですから。――これがアーシェル様からの質問の答えです。よろしいですか?」
 腕を組んで見下ろしてくる。もう少し追求したくもあったが、過去を抉るようなことはできなかった。こくりと頷くとベルーンは壁から背中を離した。
「休憩は終わりです。さっさと終わらしましょう。貴女も力はあってもそれを行使する場所がわからない人。ロイスタン様の言われたとおりに事を進めた方がいいと思いますよ」
「私はそうかもしれないけれど、自分で道を切り開いている人まで巻き込んでほしくない」
「レナリア・ヴァッサーですか? そう言われましても既に副社長の目に付いてしまったのですから遅いですよ。彼女が大人しくしていれば副社長に出会うこともないでしょうが、貴女を助けに来たとなれば、彼女にとって状況は最悪でしょう」
「どうにかならないの?」
「アーシェル様が早く事を為していただければ、お気持ちが変わる可能性はあります」
 ベルーンはヒールを鳴らしながらアーシェルに近づき、耳元でそっと囁いた。
「練習を再開して、本番に移ってください。できれば今晩中に終わらせますよ。今宵は雲がかかっているとはいえ、素敵な月が丸みを帯びている時ですから魔法は行使しやすいはずです」
 彼女の言うことは一理ある。魔法や魔術は月の欠け方で威力が随分と違う。明日か明後日か満月だろうが、今の形でも月がないよりはいい。しかも雨も降りそうなのだからアーシェルにとっては願ってもない条件になりつつある。
 力があるけれども、それをどこで使えばいいかわからない。だからその力を使いたい人のために行使する。ベルーンのいうことはある意味では正しかった。
 だがその力を使うことで人の息の根を止めたくはなかった。頭を空っぽにして事を遂行しんければ、レナリアたちが危ないのはわかっている。それでもアーシェルの脳内の中では未だに抵抗し続けていた。
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