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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

第二章 渦巻く宿命の輪

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2‐11 密やかなる侵入(1)


 * * *

 月が雲によって隠れている日に、少女と少年は裏通りにある建物の扉を叩いていた。すると中から低い男の声が聞こえてきた。少年は扉から目と鼻の先に移動し、少女は一歩離れて周囲に目を光らす。その隙に少年は言葉を呟くと、内側の鍵が開く音がした。少しだけ扉が開く。
 頬にはっきりとした切り傷を持つ男が、少年と少女を睨みつけていた。少年は一瞬びくりとしたが、唾を飲み込むと再び口を開く。
「キストンと言います。テウスとルカはいますか?」
「……男が一人だと聞いていたが、後ろの女は?」
 少女は鋭い視線に対し、肩を震わすことなく言い返した。
「レナリアです。彼やあの方と一緒に道中を共にしていた者です。私も彼と同じ気持ちで来ました」
 男はちらりと視線を背後に向ける。程なくして一人の青年が廊下の奥から歩いてきた。
「テウス、こいつらはお前の客人でいいのか?」
 黒色の長い髪を首もとで結った青年はレナリアと視線が合うと、軽く目を見開いた。すぐに視線を戻し、男に対して頷く。
「ああ。入れてやれ」
 男が扉を大きく開くと、キストンとレナリアは中に滑り込んだ。男は扉を素早く閉める。
 テウスは眉をひそめて、空色の瞳の少女を真っ直ぐ見た。
「どうしてお前がここに来る」
「私もアーシェルを助けたいから」
「……職は辞してきたのか」
 レナリアは首を横に振って、服の中から国章が描かれたペンダントを取り出した。扉番の男が目を丸くする。
「査察官!?」
 テウスは男の驚きを聞き流し、重い口を開いた。
「……おい、話が違うぞ。俺たちと共に行動するなら、職を辞してこいと言ったはずだ」
「そうね。私も辞めようと思った。でも上司に止めさせられたのよ。私を守るために必要なものだから、手放すなと」
 暗がりの奥の廊下から、ランプを持った灰茶色の短髪の女性が現れる。彼女は壁に寄りかかって腕を組んだ。言葉をかわさずに、レナリアたちの様子を眺めている。
 テウスはあからさまに怒りを表面に出した。
「はあ、お前を守るだと? お前のその立場は俺たち裏側で動く人間にとっては、ただの重荷になるだけだ。万が一の場合、省に迷惑がかかるのはわかっているだろう! もしかしたら省が壊滅するかもしれないぞ!?」
「……わかっている。でもそれは利用の仕方によると思わない? テウスが危惧しているのは、私が侵入している間に査察官という身分がバレた場合。そうなった場合、政治的な問題に発展することもあり得る。でも査察官には他の職員とは違う権利がある。それを全面に出せば――迷惑はかからない」
「違う権利だと?」
 うろんげな目で見ているテウスに向かって、レナリアはペンダントを突きだした。

「強制査察よ」

 テウスははっとした顔つきになった。
 相手側に事前に通告せず立ち入りできる、査察官だけが持つ特権。された側に嫌がられる可能性もおおいにあるため、穏便な関係を保つためには滅多にしない行為だった。
 だが目に余る行為や、せざるを得ない状況になった場合、査察官はそれに踏み切るのである。
 呆然と突っ立っているテウスを前にして、レナリアはペンダントを中に入れた。
「何かあっても強制査察といえば、相手側は何も言い返すことはできない」
「それは建前上だろう。裏で何をされるか……」
「――査察官が首都で行方不明になれば不審に思う人が出てくるはず。ただの一般人が消えるよりも、よりインパクトがでる」
 テウスが目を丸くしているのを軽く見ながら、横を通った。
「職場の上司に、十日以内連絡がなければ失踪事件として捜索するよう頼んだ。私の身に何かあっても、そちらが狙っている会社の社会的立場はある程度崩せる」
「お前、アーシェル様がどこに連れ去られたのか、わかっているのか? 未来に続く道を何本想像しているんだ?」
 レナリアは背中越しでテウスを見て、くすりと笑った。
「物事はね、幾重もの道の可能性を考えて、動くべきなのよ。そうしないと予想外のことが起こったとき、対処できない。――水が関連しているところで不穏な動きが垣間見える会社は、そう多くはない。魔術師まで雇っているところを見ると大企業が有力。そうするとだいたい一つに絞られる」
 体をテウスに向け、レナリアは口を大きく開いた。
「テウスたちがこれから行く場所は、ピュア――」
「はい、そこまで」
 手を叩く大きな音と、はっきりとした声によって言葉が遮られる。静観していたルカが、壁から背中を離していた。そしてニヤリと笑みを浮かべて、レナリアを見てくる。
「それ以上はここで言わないで。どこで聞き耳を立てられているかわからないから」
「私が言おうとしたところがわかったの?」
「ええ。数少ない情報だけで、結論を導き出すとは、さすがその若さで査察官になっただけある」
 ルカは目を細めて、突っ立っているテウスを見た。
「この子の覚悟は伝わったでしょう。口調からも、態度からも、以前会ったときとはまるで違う」
 口を閉じていたテウスは躊躇いながらも首を縦に振る。それを見て、レナリアは心持ちが軽くなったような気がした。
「わかったなら、こんなところで立ち話をしないで、奥に行こう」
 ルカに言われるがままに、レナリア、キストン、そしてテウスは建物の奥にある一室に連れて行かれた。


 一番奥にある部屋のドアを開くと、中にいた人たちの視線を一斉に受けた。屈強な男たち、分厚い本を読んでいる眼鏡の男、綺麗な体のラインを保っている女性など、一見して場違いな人たちもいた。
「なあに、ルカ、このお嬢ちゃんと坊やは」
 大きな胸が見えそうな服を着ている艶めかしい女性が、レナリアたちのことをじろじろと見てくる。その視線から遮るように、テウスが間に入った。
「あら、もしかしてテウス君の女?」
「そんなわけねぇだろ。アーシェル様との旅で同行していた奴らだ。二人も救出作戦に参加することになった」
「そんな体型じゃ、色気すら出せないのに? 男なんて落とせないわよ?」
 レナリアを見た女性は、くすくすと笑っている。思わず視線を自分の胸に向けようとしたが、寸前で止めた。胸が小さいのは自分自身が一番わかっていた。
 女性とのやりとりを見ていたルカは盛大に溜息を吐く。
「いい加減にからかうのはやめて。レナリアはあたしと同じ戦闘派。色香で男を落として騙そうなんてしないから」
 女性は手を口に当てて、目を丸くしている。心底驚いた表情をしているようだ。ルカの言葉に補強するかのようにテウスが言うと、ようやく納得した素振りを見せた。意外そうな顔をされているのが、釈然としなかった。
 中央にある四角い机の周りに集まるよう、デーリックと名乗った中年の男性が声をかけてくる。彼がここのとりまとめのようで、部屋にいた者たちはすぐに寄ってきた。
「初めまして、レナリアとキストン。仲間が増えるのは本当に有り難いことだけど、家族や職場には話を付けてきたのかい?」
 レナリアもキストンは顔を見合わせた後に頷いた。
「上司には話をつけてあります」
「師匠はここの会とも絡みがあるので、特に何も言われなかったです。母はここから遠く離れた地域に住んでいるので問題はないかと」
「そうか。では、二人は自分自身の何が優れていると思う? 今回の救出作戦で何が生かせる?」
 穏やかな声色だが、どこか強い口調でもあった。レナリアはしばし考えていると、先にキストンが前に出た。
「僕はガリオットさんの元で働いている整備士です。機械関係なら幅広く対処できます」
「例えば?」
「……誰にも気づかれずに、たいていのものは壊せると思います。小さなネジであっても、それを抜けば機械は動かなくなるものですから」
「なるほど。――さて、君は?」
 デーリックの視線がレナリアに向けられる。
 最大の武器でもある、査察官という名は使えない。体術や剣術もテウスよりは優れていないし、魔術も全面に出して戦えない。それ以外で勝負するとなると、己の知識くらいだろう。
「――水に関わる知識なら引けをとらないと思います」
「ほう。具体的にどう役立つ?」
「……例えばですが、浄水場の施設の概要はわかります」
 周囲の雰囲気が糸を張ったような空気になった。誰もがレナリアに対して視線を向けている。
「なぜ浄水場?」
「アーシェルがそこに捕まっていると思ったからです」
 デーリックがルカとテウスを見る。二人は首を横に振っていた。
「あたしたちは何も言っていませんよ。彼女、年齢のわりにはそこそこ修羅場を突破しているみたいなので、勘は鋭いんじゃないですか」
「あと女にしては、腕っ節は強いです。機転もききます」
 次々と肯定の言葉を発してくれる。デーリックはレナリアを見て、息を吐き出した。
「そうかい。まあ二人も信用しているようだし、彼女への質問はこれくらいにしよう」
 そしてデーリックは皆のことを見渡した後に、首都が描かれている地図を机の上に広げた。中心は官公庁街、その周囲には大きな事業所の建物がある。そこにあるひときわ敷地の広い建物を指でさした。その中には建物だけでなく、池らしきものも描かれている。
「さて、救出作戦の話をしよう。今、アーシェル様がいるのは『ピュアフリーカンパニー』の建物の内部だ。数日前に一台の馬車が中に入っていくのを目撃されている。馬車から降りる際、小柄な少女が深紅の髪の女性と金髪の男性に挟まれて降りたのを確認している」
 ルカが唇を軽く噛んだ。
「ベルーンとカーンか……」
「ああ。二人が外に出たのは目撃されていないから、今もこの建物――いや塔にいると考えていいだろう」
 ピュアフリーカンパニーの主要な建造物は、中心にある通称“塔”と呼ばれる部分だ。周辺の建物よりも一段と高いため、そう言われている。
 それ以外にも特徴的なところがあり、敷地内には人工的に作られた巨大な池がいくつもあった。
「もしかしてこれらの池は、綺麗な水を作り出すための処理池ですか?」
 地図をまじまじと見ていたキストンが聞くと、デーリックは首を縦に振った。
「その通り。ピュアフリーカンパニーは水道会社。川から引いた水をここで浄化して、町に送り出している。この敷地内で色々と処理しているらしい」
 それ以上詳しい説明はなかった。レナリアはその様子を静観しつつ、鞄から一冊の小冊子を取り出した。それを地図の上に出す。一同の視線が一斉に向かれる。
「レナリア、これは何だ?」
 テウスが眉をひそめて聞いてくる。
「ピュアフリーカンパニーの概要を記した冊子で、事業説明のようなもの。定期の査察の時にもらえる、希望すれば誰でも手に入れることができる代物よ」
 テウスをはじめとして何人かは驚いた顔をしていたが、デーリックは頷いていた。冊子の存在に気づいている、もしくは持っているのだろう。しかしそれでレナリアは終わらなかった。
 冊子を広げて、全体概要図を見せる。そこでデーリックらが息を飲む音が聞こえた。
 大量のメモ書きの跡が残されている。我の強そうな男らしい字が空白を埋め尽くすかのように書かれていた。
「レナリアが査察に行ったんじゃないの?」
 キストンが目を丸くして見てくる。筆跡から判断したのだろう。
「これは私の師匠からもらった資料よ。二年前かな、まだ私は堂々と査察できる水準に達していない頃だったから……。師匠が査察をして内部の見学をしたときに記したものだから、ただの冊子よりも詳しいはずよ」
 デーリックは冊子を捲っていく。捲る度に、驚きの表情が広がっていった。
「これはすごい……。これを私たちの見せてもいいのかい?」
「社印が入った公的なものではありませんから、問題はありません。ただ単に一個人が査察をした際のメモを提供しているだけです。内容的には事業所の見学に行った程度のものですよ。書いた人が細かく聞いていただけです。これを盾にされて、何かを言われる筋合いはありません」
 それにこの冊子は、今はレナリアの所有物になっている。ルベグランが亡くなったとき、必要な資料はレナリアに渡すと、部長に伝えていたのだ。つまり自分が得た資料をどうしようと勝手なのである。
 開示請求するべきだと言われても、会社側に不利益なものは何もなかった。あくまでも個人のメモ書きである。
「そこまで言うのなら、活用させていただこう」
 デーリックの言葉に対し、レナリアは首を縦に振った。
 覚悟を決めて来たのだから、少しくらいは役に立ちたいという想いでいっぱいである。このメモ書きがどう生きるかは、作戦次第だろう。
 ルベグランが書き込んだ冊子を一通り目に通すと、デーリックは一同を見てから、口を開いた。
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