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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

第二章 渦巻く宿命の輪

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2‐4 失意の中の移動(4)

 スーソ町に汽車は予定よりも早く到着した。大きい町のためか、人々の乗り降りも多かった。レナリアたちはムッタと別れを告げた後に、手早く乗車席についた。
 窓を開けるとホームにいるムッタが声をかけてくる。
「皆さん、くれぐれも気をつけてね! 特にテウス君、無茶しないでよ! ルカも止めてね!」
「わかった。何かあったら、力づくで止めるよ」
「お前な、そんなことしたら余計に傷の治りが悪くなるだろう。――ムッタ、汽車に乗っている間はじっとしているから、安心してくれ」
 テウスがやれやれと肩をすくめている。馬を一日中走らせ続けたため、やはり傷の塞がりは悪かった。これから数日はほとんど動かない予定だ。その間に少しは良くなってほしいものである。
「キストン君も色々とありがとう。貴方の気遣いは男の子じゃ、そうそうできるものではないわよ」
「ありがとうございます。ムッタさんもお気をつけてください」
 そしてムッタは最後にレナリアに視線を向けた。
「レナリアさん」
「はい」
「自分の思うように生きて。周りに振り回されることなく、自分の道を歩みなさい」
「……ありがとうございます」
 選びながらも絞り出した言葉は、それだけだった。
 歳が離れているからか、ムッタはレナリアのことを娘のように気遣ってくれた。宿で寝泊まりしている際、ベッドから抜け出したときも遠目から見守ってくれた。
 その優しさに感謝しながら、レナリアはムッタに別れを告げた。
 汽車が動き出すのを知らせるかのように、警笛が盛んに鳴る。それを聞いたムッタは一歩車両から下がった。
 動き出す汽車に乗っている四人に向かって手を振る。それを四人は振り返した。
 徐々に汽車は速度をあげていくと、ムッタはあっという間に点となり、やがて見えなくなった。
 短い間であったが共に行動した彼女を思い浮かべながら、レナリアは椅子に座り直した。


 * * *


 天気も良く、車両も不調を訴えることがなかったため、汽車での旅は穏やかに進んでいた。
 夕方か夜には線路上にある町の前で止まり、そこで一晩を過ごす。そして太陽がでている間は走るという行程で進んでいた。
 椅子が少し固かったため、座りっぱなしではなく、時折車中を歩き回りながら過ごしていた。
 ルカはキストンと雑談をし続けていた。彼女の話は様々な話題に富んでおり、彼はそれを楽しそうに聞いていた。一方で彼女の知らない情報をキストンは持っていたため、お互いに飽きずに喋り続けていた。
 テウスはたいてい寝ており、体を休めているようだった。レナリアも寝たり、本を読んだりと、のんびりと過ごしていた。
 三日目の昼過ぎ、森の中を突っ切っていた後、汽車はトンネルの中に入った。レナリアは本を閉じると、少し歩いてくると言って、客車を後にした。
 汽車の一番後ろにある甲板に足を踏み入れる。ランプはついているが暗闇に近かったため、甲板から人々は撤退していた。
 レナリアは進んでいった線路を眺めながら、手すりに手をつけ、もう片方の手でなびく髪を押さえた。結んでいない髪が、進行方向とは逆側に流れていく。
 やがて背後から光が射し込んでくる。あっという間に汽車は光の中に飛び出た。
 視界に広がるのは、青々とした空と心が震えるような奈落の底。
 レナリアは両手で手すりを握って、空ではなく崖を見つめた。
「やっぱりここにいたのか」
 杖を突きながら、黒髪の青年が現れる。首もとで結った青年の長い髪も、風によって流されていた。
「まさかこんなに日を置かずに、この道を通るとは思わなかった」
「まったくだ。しかも今は追われている気配すらない。……怖くないのか、そんなに近くで見て」
 テウスは甲板の入り口に立ったままだ。レナリアはふっと口元に笑みを浮かべた。
「どちらかと言えば怖い。今落ちたら、きっと助からない。私たちには守ってくれる人がいないから」
「……ああ」
 レナリアは視線を上げ、空を見た。
「あの子はどういう気持ちで、私を助けてくれたのかしら。奇跡を起こす神にも等しい少女であっても、恐怖はあったはずよ」
「あの方はそれよりも人の命を大切にする人間だ。絶対に見捨てたりしない。だから……」
「殺したのには理由があった。そう言いたいのよね、テウス」
 ぽつりと呟くと、彼はゆっくり頷いた。
 あるじに忠実な従者だ。疑うことを知らないと言った方がいいかもしれない。それがとても不思議だった。
 視線をテウスにあわして、俯いている彼の顔をじっと見た。
「なぜそこまで言い切れるの? テウスはあの子に何かされたの? 先祖代々護衛だったから、とかで終わる間柄ではないと思うけど」
 テウスははっとした顔になる。しばし逡巡してから、甲板の中心に歩き出した。
 崖の間を走っていた汽車は道半ば。もう少しでトンネルの中に入る。

「――命を救われたから、忠誠を誓った。あの方がいなければ、俺はとうの昔に死んでいた」

 彼は一瞥した後に、レールを見据えた。
「俺の生まれは東の果てにある、日照りにより干ばつ被害が進んでいた、水不足で悩んでいる村だった」
 ウォールト国は比較的豊かな国だが、東の国境沿いは砂漠地帯も多く、水が手に入らず悩んでいる村も多かった。
「そんな土地だ、農作物なんかまともに生えるわけがない。水がなくても育つという植物で何とか飢えを凌いでいたが、必死に実を付けさせても奪われることが多かった。まだ子供(ガキ)の頃、盗みに入った人間に立ち向かおうとしたら、逆に返り討ちにあって傷を負わされた。結構ざっくり切られて、出血多量で死にかけたらしい」
 テウスは左腕をめくり上げて、レナリアに見せつける。それを見て息を飲んだ。今でもはっきりとわかるほどの傷跡が残っていたのだ。
「それから生きていくためには、卑怯な手も使わなければならないと思った。だから俺は剣を握り、襲ってくる男たちを蹴散らした。弾みで殺したこともあったが、強盗や暴漢も珍しくない地域だったから、咎められることもなかった」
 テウスは服を元に戻し、淡々と話を続けた。
 崖を抜け、汽車は再びトンネルの中に入った。ランプの明かりがテウスとレナリアの顔をうっすらと映す。彼の表情はどこか憂いを帯びていた。
「気がつけば盗みで食いつないでいる日々だった。両親は人を殺しても表情を変えない俺が怖くなったのか、寝ている間にいなくなっていた。その後はどうなったか知らない。あの土地から抜け出せたのか、はたまたどこかで殺されたかもしれない――。そんな風に過ごしながら俺は三年前、あの方に出会った」
 テウスは振り返り、レナリアを見た。仄かに表情が緩んでいる気がする。
「綺麗な服を着て、男たちに守られながら歩いている少女を見て、どこかのお嬢さんだと思った。その女を誘拐して身代金でも要求すれば、たんまりともらえると考えて、早速実行に移した」
 テウスは左手を握りしめる。
「護衛どもはあっさり戦闘不能にできた。弱くはないが、とびきり強いとは言えない奴らだった。この程度の護衛はどこでもいると思っていたら、そいつらは護衛ではなく、ただの相談役だったって、あとで知った」
「相談役?」
「ああ。あの方には護衛は必要なかった。自分が秘めた力があるゆえに。――近づこうとしたら、あっという間に四肢を凍り付けにされた。澄ました顔をした彼女に、あっさりやられたよ。油断していたのもあるが、それでも彼女の迷いのない攻撃は見事だった」
 テウスは軽く笑いながら続ける。
「そのまま殺すことも可能だったが、彼女は手をかけることなく、背を向けた。俺はそこで叫んだ。『どうして殺さない! 生きていたらまた襲うかもしれないぞ!』って。そしたら何て言ったと思う?」
「貴方を殺す理由がない?」
 テウスは首を横に振った。周囲の暗闇の中に、光が射し込んでくる。
「『水が枯れ果てても、生への執着が衰えない、強い意志を持っているすごい人だと思ったから』だ」
 光は一気に拡散し、汽車は光が射し込む森の中に出た。抑えられていた速度は上げて、走り続けていく。
「それが十二、三歳で出せる台詞だと思うか? それまで相当な修羅場を潜ってきた人だと思った」
 レナリアと旅している際、アーシェルが時に醒めた表情をしているのを思い出した。あの表情を十代半ばで出せるとは思えない。様々ことを経験した、熟年の女性にさえも見えた。
「その時、一生この人には敵わないと思った。だから俺はあの方の負担を少しでも減らすために、護衛になったんだ。自衛のために魔法を使って、神経をすり減らすことがないように」
「でもすぐになれたわけではなかったのでしょう? その……過去が過去なだけに」
「もちろん。だいぶ会の上の奴らには反対されたが、最終的にはあの方の一言で片づいた。俺の気持ちを代弁してくれたんだ。あとはこうも言っていた。『生物の大半が水でできている限り、殺そうと思えば、いつでも殺せる』と。あの時の表情はさすがにぞっとした。忠誠を誓う以前に、逆らってはならないと思った。まあただの脅しだと知ったがな。彼女は自ら進んで殺したことはないと、周りの人間から聞いたさ」
 テウスは右手で左腕を軽くさすった。鳥肌が立っているのかもしれない。
「あの子、私といるときはいつも微笑んでいたけど、本当は笑っている余裕なんてない子だったの?」
 テウスの話を聞いていると、レナリアが知っているアーシェルのイメージとかけ離れていく。
 彼はレナリアの言葉を聞いて、むしろ目を丸くしていた。
「微笑んでいたのか。それは嬉しいことだな……。自分の立場を忘れ、お前に心を許せるほど、穏やかな時間が過ごせていたのか」
「周囲を警戒はしていたから、穏やかとは言い難いけど……」
「平和な町を歩けただけでも充分だ」
 その言葉から、レナリアには決して押して計ることができない、何かが含まれていた。
 アーシェル・タレスの本当の姿が知りたい。
 ただ微笑んでいるのではなく、鋭利で冷酷な決断もする少女の姿を。
 そして水の魔法使いという、彼女の立場を――。
 レナリアが問いかけようとすると、客車から甲板に一組の男女が出てきた。二人はレナリアと視線があうと、軽く会釈をしてから、一番端に歩いていった。
 テウスは二人と入れ違いに、入り口に向かって歩いてくる。彼と一瞥してから、レナリアは中に入った。
 二人の座席は後ろから三個目の車両にある。黙々と突っ切りながら、客車を歩いた。そしてそこに続く横にずれるドアに触れたところで、レナリアは振り返った。
「一つだけ聞いていい?」
「なんだ?」
「あの子はどうして貴方の村に来たの?」
 テウスは軽く前髪をかきあげた。
「俺の村を救いに来たって言っていた。事実、雨を降らして、潤いを与えてくれた」
「そうなの。やっぱりすごいのね」
「ただし一時的で、結局は数ヶ月で元に戻った。人間にとって自然は遙かに強大な存在、焼け石に水程度だった。それにも関わらず、あの方は現状を憂えて、さらに上の道を歩こうとしている。寿命を縮めるから、やめろと言っているんだが……」
 テウスは唇を軽く噛んでいた。彼女は彼の言うことも聞かずに、魔法を常々発動したのだろう。
 自然界の循環と意に反して起こす魔法は、術者の体に多大な負担がかかる。それは魔法から派生してできた魔術でも言えることで、レナリアも魔術を使った後は、かなり体力が奪われた。
 たとえ魔法使いという血があったとしても、ただの人間が大自然と対等になるわけがない。自分たちは所詮有限な存在なのだ。
 ドアの前で呆然として立ち止まっていると、テウスが腕を伸ばしてドアを横に押した。徐々に車内が露わになってくる。どこかの座席からは笑い声が聞こえた。
 今さっきまで話されていたアーシェルやテウスの過去が嘘ではないかと思えるほど、平和な空間がそこには広がっていた。
「苦しむのは俺たちだけでいい」
 ぼそりとレナリアの耳元でささやくと、彼は先に自分の座席へ戻っていった。
 レナリアも後を追うようにして足を進める。誰かが守って作った、穏やかな空間の中を。
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