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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

第二章 渦巻く宿命の輪

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2‐1 失意の中の移動(1)

「やっと着いた……!」
 灰茶色の短髪の女性は両腕を上に伸ばしながら、前にいる人に倣って客車を降りた。先頭を走っていた機関車の煙突からは、黒と白が入り混じった煙が絶え間なくでている。
 ホームに降りた人たちは、出迎えられる者、一人でさっさと歩いていく者などに分れていた。
 女性は周囲をきょろきょろと見渡すことなく、人々の間を颯爽と歩いた。左肩にかけた布バックをかけ直しつつ進んだ。
 ホームを出ると、雨が本格的に降り始めていた。あいにく傘は持ち合わせていなかったため、脱いだ上着を頭から被って、足早に道を走っていった。
 町の中に入っても、雨は降り止む気配はなかった。お腹が鳴ったのに気付いた女性は、とっさに近くにあった食堂に駆け込んだ。雨が降り始めた夕飯時だったため、女性と同じことを考えた人々が次々と入り込んできた。すぐに食堂はいっぱいになり、ざわめき声が飛び交う中、女性は窓際に席をとって注文をした。
 腕を机の上に突き、そこに顎をのせて、ぼんやり外を眺めた。傘を刺す人、丸腰で走り抜けている人など様々である。
せわしないな……」
 雨の日は静かで好きだが、こういう様子を見ていると、げんなりしそうだった。
 注文した温かな一品料理を軽々と平らげていく。夕陽が落ちた頃には、通りに歩く人がだいぶ少なくなっていた。雨は依然として、道を叩き続けていく。
「ここからだとあそこまで、結構距離があるのよね。びしょ濡れで行くことになりそう」
 肩をすくめていると、ふと外を歩く人に目が向いた。二人とも黒いローブを羽織り、頭はフードですっぽり覆われている。そのうちの一人、背の低い方から銀色の髪が垣間見えた。
 女性は両手をついて立ち上がる。顔ははっきり見ていないためわからないが、なんとなく予感がしたのだ。
 ローブを羽織った人たちは、大通りを黙々と歩いていた。
 女性は硬貨を机の上に置き、釣りはいらないと言って、頭から上着を被って外に飛び出た。そして二人の人間が歩いていった方を駆けていく。しかしすぐ出たにもかかわらず、二人の姿は見当たらなかった。
「どこ?」
 女性は近くにあった裏道を見つけると、すぐにそこに入った。そして当てもなく道をジグザグ進みながら、汽車の発着場所の方角に進んだ。時折人に尋ねもしたが、首を横に振られた。
 町の端まで辿り着くと、女性は回れ右をし、両手を腰に当てて町を眺めた。
「完全に見失った。いや、正確には撒かれたかもしれない。やっぱりあの子は……」
 通りを歩いている人は少ない。雨足は少し緩くなったが、まだまだ降り続けている。自身の行動を省みながら、女性はゆっくり歩き始めた。


「どうして、こんなことになったんだろう……」
 眼鏡をかけた少年は溜息を吐きながら、ベッドの上でうなされている少女を眺めた。悪い夢でも見ているのだろうか、酷く辛そうである。揺すり起こそうとも思ったが、手が触れる前に引っ込めた。
 所詮自分は部外者。彼女が目覚めたとしても、かける言葉が見つからなかった。
「レナリア……」
 藍色の髪の少女はその言葉に応えることなく、肩を上下にして呼吸をし続けている。
 少年はその様子を一瞥して、部屋を後にした。
 一階に降りると居間でムッタが腕を組みながら、両腕を机の上に乗せていた。気配を察した彼女が振り返ってくる。
「キストン、彼女は起きたかい?」
 首を横に振ると、ムッタは息を吐き出した。
「そうか。まあすぐには起きないだろう。疲れもよほど溜まっていただろうし」
「レナリアの眠りは精神的なものからきているのですか?」
「そうだろうね。私は医者ではないから、はっきりしたことは言えないが」
「テウスはどうですか?」
「医者の話によると、出血は多かったが命に関わる怪我ではないらしい。松葉杖でも突けば、とりあえず動けるだろう。まあ最低での一週間は安静にするべきだろうが」
「あれだけの怪我を……。すごいな、鍛えている人は」
 目を閉じれば、数時間前の衝撃的な光景がありありと蘇ってくる。
 雨に打たれながら、血を流して倒れ伏した状態で、ひたすらアーシェルの名を叫んでいた黒髪の青年。そして両膝を突き、肩を落として呆然と地面を見ている、藍色の長い髪の少女。彼女はキストンの目の前で糸が切れたように倒れてしまった。
 キストンは女性の手により木に叩きつけられて、気を失っていた。ようやく意識が戻った頃には、すべてが終わった後だった。彼らの心を癒していた、銀髪の少女はそこにはいなかったのだ――。
「テウスの相手はカーンって聞いた。あの男なら一時的に動けなくする部位くらいは熟知しているはず」
「ムッタはその剣士を知っているのですか?」
「話だけさ。テウスでも止められなかった相手だ、私らが相手をしても簡単に戦闘不能にされるだけだよ」
 ムッタは立ち上がると、キストンに座るよう促してきた。
「腹を満たしてから、私たちも休もう。今は強行的なことにでるよりも、二人の回復を待って、今後を考えた方がいい」
「はい……」
 彼女の言うとおりである。二階で横になっている二人と比べたら、キストンたちの戦闘能力は遙かに劣る。魔術師や剣士相手に、真正面から突っ込んで勝てるはずがない。
 椅子に手を付けようとすると、突然入り口のドアが大きく叩かれた。険しい顔をした二人が顔を見合う。
「あの二人が……また?」
「いや、こちらが追わなければ相手をしないと約束していたはずだ。もしすればアーシェル様が本気になるから……。敵も馬鹿ではないから、そんなことはしないはずだ」
「では昼間の残党?」
 ムッタは首を傾げる。その間にもドアは激しく叩かれていた。
 彼女はナイフを右手で握って、壁伝いをゆっくりと歩いた。キストンも少し遅れてついて行く。ドアは依然として叩かれている。
 ドアのすぐ傍まで行くと、外にいた女性の声が聞こえてきた。
「ちょっといないの? 夜なのに。まだ寝る時間には早いでしょ。まったく、びしょ濡れになりながらも来た身にもなってよ!」
 ムッタの目が軽く見開いた。知り合いだろうか。
 彼女は鍵を開け、ドアノブに手を触れながら、少しずつ開いた。
「あら、いたんじゃない、ムッタ。早く中に入れてよ」
 そしてムッタは彼女の顔を確認すると、一気にドアを開いた。
「ルカ? どうして貴女がここに!?」
「一本前の汽車に飛び乗ってきたの。次の汽車だと三週間後って聞いて」
 外から一人の女性が入ってくる。頭にかぶっていた上着をとると、女性の顔が露わになった。きりりとした表情の、灰茶色の短い髪が雨でぴたっと肌についている人だった。
 彼女は雫を払って居間の方に足を向けると、キストンと目があった。そしてムッタを見ながら、こちらに指をさす。
「誰?」
「……話せば長くなる」
「別にかまわない。こっちも聞きたいことがあるから」
 ドアを後ろ手で閉めて、ムッタと向き合った。
「さっき町の食堂からアーシェル様らしき人を見たんだけど、心当たりない?」
 二人の顔が強ばる。それを見たルカは、ふうんと言いながら頷いた。
「わかった。大有りなのね」


 ルカが服を着替えている間、キストンとムッタは腹の中に軽く食べ物を入れた。買い置きしていたパンと朝作っておいたスープを飲み干す。
 タオルで髪を拭き終えたルカが居間に入ってくると、三人は二階にある部屋の一つ、テウスが横になっている部屋に入った。
 ぞろぞろと入ってくると、黒髪の青年が目を見張って起き上がろうとする。だが傷つけられた腰に痛みが走ったのか、呻きながら横になった。
 ルカがすぐ傍にまで寄り、腕を組んでテウスを見下ろした。
「久しぶり。……ねえ、あんた、それでも護衛なの?」
「返す言葉はない。俺が弱かったから、連れて行かれた」
 テウスが視線を逸らそうとすると、ルカは彼の頬をつねった。
「あたしはそんな言葉を聞きたくない。何も終わっちゃいない。落ち込んでいる暇があったら、次を考えなさい!」
 そして勢いよく離した。テウスは軽く頬に触れる。 
「いてて……。お前って本当に乱暴だよな」
「今日は聞き流してあげる。次にそれを言ったら、鳩尾に拳を入れ込む」
 さらりと物騒なことを言ったルカは、部屋からクッションをかき集めて、テウスの頭の当たりに積みあげる。彼は上半身を持ち上げると、それに寄りかかった。
 そしてルカは近くにあった椅子に深々と座り込んだ。足を組んで、テウスを見据える。
 キストンとムッタも椅子や隣にあるベッドに腰をかけた。
「さてと話を聞かせてちょうだい。ムッタからはアーシェル様が連れて行かれたってことしか聞いていないの。何があったの? その前にこの子は誰?」
 横目でキストンを見てくる。鋭い視線を受けて、背を正した。
「僕はフイール村の近くにある川に流れてきたアーシェルさんたちを保護し、その後旅に同行していた、キストン・ルーベルクと言います。首都で水車の修理などを学んでいる、駆け出しの整備士です」
「へえ、首都で学んでいる整備士ねぇ。師匠は誰?」
「ガリオットさんです」
 ルカの目が大きく見開いた。
 キストンたちには既に話していたので、表情は変えずに、むしろ彼女の様子を伺っているようだった。
「……へぇ、あの偏屈で面倒で口うるさい親父の弟子」
「はい。ですから荒くれ者とはよく相手をしています」
「あたしたちが荒くれ者だとでも言いたいの?」
「出会ったばかりなのでわかりませんが、少なくとも彼女を連れて行った男女は荒くれ者と認識しています」
 恐れずに言い返す。ルカは手を出すのは早いし、口調も乱暴だが、根は優しい人だと思う。真っ直ぐ言えば、きっと伝わるはずだ。
 彼女は自分の髪を軽く手でとかしてから、テウスに視線を向けた。
「この子、どこまで知っているの?」
「アーシェル様は『ある人たちに追われている』ということしか言わなかったらしい。彼女のことだ、彼らの今後を考えて、あえて言わなかったと思う」
「そう。じゃあここで別れればアーシェル様の思惑通りね。――ということで(きみ)、ここで退場しなさい」
「え!?」
 キストンは思わず前屈みになってルカを見る。彼女は右手でしっしっと軽く振っていた。
「アーシェル様は貴方にまっとうな整備士として生きてほしいから、必要最低限の情報しか言わなかった。その想いを無碍にするつもり? 子供はとっとと家に帰って、おとなしく――」
「僕はアーシェルさんを助けたい!」
 ルカの声を遮るように、両手を握りしめて大声を発する。テウスとムッタは目を見張り、ルカは目をすっと細めた。
 そして彼女は立ち上がって、静かにキストンのすぐ傍にくる。次の瞬間、彼女はキストンの顔に向けて勢いよく右の拳を突きだしてきた。目を閉じずにそれを見つめると、寸前で止まった。目と鼻の先に拳がある。
「アーシェル様が何者か知らないのに、助けたいと言うのは、どうして?」
 冷たい鋭利な声で問われる。キストンは唾をごくりと飲み込んだ。

「彼女を好きになってしまったからだ」

 迷いなく偽りのない本音を言う。
 拳が迫ってくるのを覚悟したが、次の瞬間女性の笑い声があがった。
「ま、まさか、そんな言葉がでてくるなんて……!」
「キストン、本気か?」
「私は薄々感じていたけど……」
 テウスとムッタも次々と言葉をこぼしていく。気がつけば拳は視界から消え、彼女は右手を額に当てて笑っていた。
「君ねぇ、アーシェル様から一歩距離を置かれていたのに、どうしてそんな想いになるの?」
「距離を置かれていたからこそ、優しい彼女が僕たちに迷惑をかけたくないと気づいてしまったからです」
「……まったくアーシェル様も何をやっているのかしら。自分の行動が仇となるなんて……!」
 ルカは手を離すと、テウスに笑みを向けた。
「テウス、この子も巻き込もう。あの親父の弟子だもの、そっちの世界に手を出す覚悟はあると思う」
「それは本人次第だろ。――おいキストン」
 黒色の瞳がキストンに向けられる。テウスはじっとこちらを見つめた。
「これ以上こちら側に踏み込めば、今後表舞台で活躍できなくなる可能性がある。命に関わることも起きるかもしれない。それでも一緒にくる覚悟はあるのか?」
 キストンは口元に笑みを浮かべた。
「ガリオットさんの手伝いでちょっと危ない物を作っていたとき、何回か襲われかけたことはある。逃げるのは得意だ。それに表舞台が無理なら、裏の世界で僕は生きる」
 ばっさりと言い切ると、テウスは表情を緩めた。彼は右手を差し出してくる。キストンは彼に近づくと、その手を握り返した。
「お前の覚悟は伝わった。これからお前を俺たちの同志の一人として迎え入れる」
「俺たちの?」
「ああ。水の魔法使いを陰ながらに守る人間たち――青輪あおりん会に、だ」
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