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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

幕間一 過去の涙と少女の決意

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幕間1‐1 過去の涙と少女の決意(1)

「レナリア、これから出かけてくる。だからここでお別れだ」
 声を発した亜麻色の柔らかな髪の少年は、少女の頭を優しく撫でる。彼は彼女の藍色の髪を梳き、右頬に軽く触れた。
 十代を少し過ぎた少女は頬を赤らめながらも不安げな表情で、二十代にもう少しで踏み入れる少年を見上げる。
「これから雨が降るよ、ファーラデ。明日にしたら?」
「今、行かないといけないんだ。雨が上がる前に……」
「どこに行くの?」
「……村の外れだよ」
 そう言う彼の表情は微笑んでいるが、どこか陰りを帯びていた。
 彼の手が離れ、背を向けられそうになったレナリアは、ファーラデの左手を右手でぎゅっと掴んだ。彼は目を丸くして振り返られる。
「レナリア……?」
 なぜだがこの手を離してはいけない気がした。
 ファーラデが村を一時的に出たときも、このような胸騒ぎは起きなかったのに――。
「ねえ、手を離してくれないかな?」
 レナリアはふるふると首を横に振った。彼は困ったような表情をする。すると近づき、そっと少女の右手を包み込んだ。
「ごめんね。離してほしい」
「わ、私も一緒に行く。それなら離すよ!」
「それはできない」
「どうして!」
 声をあげると、彼は右手でレナリアの体を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめてきた。レナリアの顔が彼の体に埋められる。心臓の音がすぐ傍で聞こえてきた。
「まだ十二歳なのに、女の子って気づいたらこんなにも大人になっているんだね……」
「ファーラデ……?」
「お願いだから行かせて、レナリア。君のためにも行きたいんだ」
「私のため?」
「そう、君やこの国に生きるすべての人のために」
 ファーラデはレナリアを離す。彼の瞳は少女の空色の瞳を射抜いていた。
 呆けて見ていたレナリアは、彼が一歩下がるのに気づかなかった。手がするりと抜けていく。
「あっ……」
「レナリア」
 凛とした声が聞こえてくる。いつのまにか声変わりした少年、いや青年は少女に向かって口を開いた。
「僕にとって大切な君がいつまでも幸福でいられますように。……生きて帰ってこられたら、また美味しいご飯でも食べに行こう」
 止める間もなくファーラデはドアを押して、その場から去っていった。
 レナリアは外に出て、呆然と彼の背中を見届ける。その背が見えなくなるまで、ずっと――。
 彼が見えなくなった頃、ちょうど鼻の上に雨がぽつりと落ちてきた。それで我に戻る。
「今の言葉、何? 生きて帰ってこられたらって、どうして縁起でもない言葉を?」
 雨が徐々に強くなっていく。やがて肩を激しく叩き始めた。レナリアは視線を暗闇に染められた空に向ける。
「ファーラデ、やっぱり雨が降ってきたよ。こんな雨の日に外にいたら、風邪ひいちゃう……」
 レナリアはゆっくり歩きだし、やがて周囲をきょろきょろ見渡しながら、村の中を走って行った。
「どこいるの、ファーラデ。ねえ、どこに行ったの!?」
 少女の悲痛な声が雨の中に消えていく。
 雨に打たれながら村の中を走り、川沿いを走り、そして――。



 * * *



 ソウルス村で生まれ育ったレナリア・ヴァッサーとファーラデ・チャロフは、家が隣同士で幼い頃から家族ぐるみで仲良くしていた。
 六歳差であったが、お互い家は子どもが一人ずつだったため、二人は妹と兄のように親しく接して育っていった。三歳のレナリアが泣くと九歳のファーラデがあやす、五歳のレナリアがどこかに行こうとすると十一歳のファーラデが慌てて着いていくという状態。血は繋がっていないが、もはや兄妹のようだと村人たちからよく言われていた。
 ファーラデはとても面倒見がよく、優しく穏やかな性格の持ち主で、直情的なレナリアは成長してからも度々諭されていた。
「いじめていた男の子を叩いたら、泣いちゃったの。そしたらお母さん、あたしのこと怒ったの! あたし悪いことしていないのに、どうして!?」
「……いじめられていた子に変わって懲らしめたのは偉いと思うよ。でもね叩いたのは良くなかったかな。ちょっと刺激が強すぎたというか……」
 頬を膨れさせている六歳の少女の横で、ファーラデは眉をへの字にして頬をかいていた。
「じゃあ、どうすればよかったの!?」
「言葉で懲らしめられたら、カッコよかったかもね」
「言葉で?」
 首を傾げると、ファーラデは持っていた分厚い本をレナリアに差し出した。その中身を見たレナリアは途端に目眩がした。
「なにこれ……。文字ばっかり! いつもこんな本を読んでいるの?」
「知識を得るためだよ。それに面白いし。たくさん勉強して、いっぱい知識を蓄えれば、誰にも負けなくなる。世の中力だけじゃない」
「へえ……」
 軽く頷いていると、ファーラデは薄い本を袋から取りだした。中は絵がたくさん描かれ、その下に絵の意味を示す言葉が書かれている本だった。
「これを読んでみて。面白かったら、他の本を貸すから」
「う、うん、わかった」
 綺麗な絵にレナリアの目は引き寄せられていた。ファーラデの横にちょこんと座り、絵をじっと見ながら言葉を追っていく。時折彼に読んでもらったりしながら、紙をめくっていった。その様子をファーラデは微笑みながら眺めていた。
 いつしかレナリアは彼から本を借りて読むのが一つの日課になっていた。外で走り回って遊び倒すこともあったが、それ以上に読書にのめり込んでいった。
 二人で並んで本を読んでいるのが村民たちに認知されたころには、喧嘩っ早かった少女が言葉で言い負かし始める時期でもあった。


 * * *


 穏やかに過ごしていた二人に転機が訪れたのは、ファーラデが十六歳、レナリアが十歳の時だった。彼が首都に行くと言ったのだ。
 ソウルス村ではなく、近隣の町の学校まで勉強しに行っている、同年代では最も頭のいいファーラデ。村の中では遅かれ早かれ、彼は首都に行くだろうと噂していた。その日がいよいよきたのである。
 ファーラデはレナリアと並んで広場の脇にある木の長い椅子に腰掛けて、頬を綻ばせながらそのことを話していた。
「隣町で先生をしている人が、首都の学校を紹介してくれたんだ。そこは大学校って呼ばれているところで、基本的には二年間学べるんだ。一年目で基礎を、そして二年目で応用を学ぶらしい。場合によっては、そこで働き口が見つかるかもしれない」
「働き口?」
「首都はね、僕たちが村で行っている農業や商業以外にも、たくさんの種類の仕事があるんだ。たとえば研究。蒸気機関の研究もほとんどが首都で行われている」
 そう話すファーラデの目はきらきらと輝いていた。彼が読んでいる本は、歴史的な書物よりも理化学的な要素の方が多い。蒸気機関の歴史という本は愛読しているほどだった。
 首都で働き始めれば、おそらくもうこの村には戻ってこないだろう。今後ずっと離れてしまうと思うと、胸がきゅっと引き締められた。それでも思っている言葉を飲みこんで、別のことを言った。
「……ファーラデが研究したら、きっとすごいものが作られるだろうね」
 彼に言われて知識を蓄え、いつしか人の感情に過敏になっていたレナリアには、本音をいえば彼を困らすだけと察していた。だから裏腹な言葉を出したのだ。
 ファーラデはにこりと微笑む。
「ありがとう。でもね、レナリア……、その表情で言われても、あまり嬉しくないかな」
 彼に顔を覗かれて、レナリアははっとした。よく見れば、耐えるかのように両手を膝の上で握りしめていた。
 顔を離されると、ファーラデの手が頭に乗せられる。
「定期的に手紙は送るし、長期休暇になったら戻ってくる」
「うん……」
「今生の別れじゃないんだから、そんな顔しないでくれよ。――そうだ、レナリアがもう少し大きくなったら、首都に行こう。きっと世界が変わるからさ」
 ファーラデを見ていて変わったと思ったのは、十五歳の時に彼の父親と一緒に首都に行ってからだ。あれから文字通り目の色を変えて、勉強をしだしたのである。 
「ハーベルク都市ってそんなにすごいところなの?」
 彼の想いを変えるほどの地、とても気になる。
「ああ。夢がたくさん詰まっている、素晴らしい場所だよ」
 田舎者の自分たちから見れば、首都とはそういうところだった。実際はどうかわらかないが、その時点では憧れの地となっていた。
「僕が連れていくから、もう少し待っていてね」
 そして彼の手が頭から離れた。
 寂しさが一気に襲ってくる。
 一日も早く大きくなりたい。彼と並んで首都で歩きたい。
 そのためには体が成長するだけでなく、一緒にいてもおかしくないよう知識を付けなければ。
 ファーラデが首都に行ってからも、いっそう勉学に邁進しようとレナリアは決意した。


 ファーラデが首都に行ってから初めて帰省したとき、レナリアは彼からある贈り物をもらった。それは瑠璃色の石がついたペンダントだった。日の光に当てると透きとおり、中が輝いて見える。
「本当はレナリアの瞳と合わせて、空色を探していたんだけど、見つからなくて……」
 レナリアは首を横に振り、ペンダントを太陽に透かした。
「これでいいよ。ありがとう。とても綺麗……!」
 美しい色が気に入ったのもあるが、彼から贈られたというのが何よりも嬉しかった。
 早速首から下げると、ファーラデは頬をほころばした。そして挨拶も兼ねて、二人はソウルス村の中を歩いた。
 一段と精悍な顔つきになった彼と一緒に歩くと、ついつい心が躍っていた。しかし同時に周囲に想いを抱いている人がいないかと、心配になり始めた時期でもあった。
 帰省した彼との再会を喜ぶのは、レナリアや彼の家族だけでなく、村の人たちも同じだった。彼を見かけるなり、老若男女誰でも近寄っては話しかけてきたのだ。
 そんな中、ファーラデより少し上くらいの女性が来たときが、一番心臓の音がうるさかった。女としての魅惑的な体ができあがっている、化粧を綺麗に施した魅力的な人だった。
 彼は彼女と楽しそうに話していたが、二人で出かけようという言葉がでると、やんわりと断っていた。彼女はそれを聞き、少し口を尖らせて後ろにいたレナリアをちらりと見た。
「この子がいい歳になっても、私より綺麗になるとは思えないわよ」
「そうだね、たしかに君はとても綺麗だ。でもね、この子は将来きっと別の意味で魅力的な女の子になると思う」
「貴方が小さい頃から教えているから? そんなときから目を付けて、自分の色に染めているなんて、意外と独占欲が強いのね」
「べ、別に違うよ!」
「はいはい、もうちょっかいは出さないわよ。でも買い物くらいはしにきてね」
 彼女は笑顔で手を振りながら、彼から去っていった。
 レナリアは仄かに顔を赤くしている彼を盗み見る。
「どうしたの?」
「何でもないよ。さあ、行こう」
 ファーラデはそっぽを向いて歩き出す。腑に落ちなかったが、彼の後をついて行った。

 レナリアにとってファーラデは幼馴染であり、兄であり、憧れの人でもあり、そしてある気持ちを抱いた、初めての人だった。その気持ちが何かわからないほど、レナリアは子どもではない。言葉に出すことも可能だった。
 しかし声に出すことで、今のささやかな関係が崩れてしまうのではないかと思い、黙っていたのだ。
 もう少し大人になり、自信を持つようになったら、いつか言おう。
 だが結果として、彼に向けてその想いを言葉に出すことは永遠になかった。
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