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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

第一章 流れゆく首都への旅

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1‐21 繋がる雨の日の記憶(6)

 アーシェルの誘拐事件後、汽車が発車する日まで、レナリアたちはムッタの家に滞在することになった。
 本当は襲われた時点で、居場所を変えるべきだったが、テウスと合流したのを考慮した結果、そのまま滞在することになったのだ。協力者である本物のムッタも荒くれ事には慣れているらしく、すんなりと受け入れてくれた。
「この家はね、普通の家だけれども、色々と罠が張ってあるのよ。お願いだから、迂闊に触らないでね」
 キストンが壁の凹んでいる部分に手を伸ばそうとしたのを見て、すかさず言っていた。彼はびくっとしながら、手を引っ込めている。
 この家の中にいるだけでなく、テウスがアーシェルの傍にさえいれば、おそらく大丈夫だろうと思い、レナリアたちは首都に旅立つ準備を着々と進めた。
 ある時、アーシェルが二階からじっと外を眺めているときがあった。時折体を伸ばしたりしており、明らかに体をもてあそんでいる様子だった。
「ごめんね……」
「何がですか?」
 アーシェルが目を丸くして振り返ってくる。
「この家から出させることができなくて……。これじゃあ籠の中の鳥だよね」
「用心に越したことはありません。籠の中で過ごさざるを得ない人間だということは、私自身がよくわかっていますから」
 儚げな笑みを浮かべながら、アーシェルは呟く。
 自分を押し殺している姿を見たレナリアは、過去の自分と彼女を比べていた。そしてそっと彼女の背中に手を回して、優しく抱きしめた。
「レナリアさん……?」
 アーシェルがレナリアの腕に軽く触れてくる。
「……人の温もりってね、それを感じると不思議と落ち着いてくるの。私も小さい頃はよく抱きしめてもらっていた」
「ご家族に、ですか?」
 レナリアは軽く首を横に振った。五年以上も前のことなのに、今も色褪せずに残っている人の顔を思い浮かべる。
「私を妹のように慕ってくれた、近所のお兄さん。自暴自棄になっていた私を助けてくれたの」
「レナリアさんが自暴自棄? 想像できません」
「もう十年近く前のことだもの。考えられなくて当然よ」
 泣きじゃくっていた日に、その人はずっと傍にいてくれた。気が済むまで泣かしてくれた。そしてそっと抱きしめながら、頭を撫でてくれたのだ――。
「レナリアさんの傍には、とても素敵な人がいたんですね。羨ましいです」
「アーシェルの傍にも誰よりも貴女のことを大切に思ってくれている人がいるでしょう?」
 レナリアはアーシェルを腕から解放し、真正面から見た。彼女はくすりと笑っている。
「たしかにいますね。ですけど、こんなに優しく抱きしめてはくれませんよ」
 たしかに彼女のいうことも一理ある。彼がアーシェルのことを抱きしめるならば、おそらくきつく離すまいと接しているだろう。
「……キストンなら、優しくしてくれると思うけど」
 ぼそっと言うと、アーシェルは軽く目を見開き、首をふるふると横に振った。
「どうしてキストンさんが出てくるんですか! たしかに優しいですけど、そこまでしてくれませんよ!」
「はいはい。そう思っていて結構よ」
 ちょっと引っかけた言い方をすると、面白いように反応してくれた。ふとしたときに見せる、少女らしい仕草が可愛らしかった。
 汽車は今日の夕方には到着し、乗客を降ろしてから、折り返し明日の昼前に出発する予定だ。現在のところ、着くのが遅れるという連絡は耳に入っていない。何事もなければ予定通りに進むだろう。
 アーシェルはそっと窓に触れた。
「これから外に出るんですか? 雲行きが怪しいですね」
 昨日までは晴天が続いていたが、今日はどんよりとした曇り空である。
「キストンと食料を買い足してくる。テウスが帰ってきたら、念のために傘を持って行く」
「そうしてください。おそらく夕方には降りそうです」
 その後間もなくして、テウスは新聞を片手に戻ってきた。
 彼は汽車でアーシェルとはぐれてから他の村に流れ着き、彼女を探しながら村を転々と移動していたようだ。最終的には汽車の発着地点である、
 この町に来るだろうと考え、しばらくここで待機していたらしい。
 その間、首都に関する情報も詳しく調べているようで、レナリアよりも現状をよく知っていた。爆破事件のこと、ある会社での不穏な動きなど、彼の手持ちの布袋にはそのような記事で溢れていた。
「さっき汽車が入ってきた。人の数が増えている。今晩あたりは賑わっているだろうな。道中に黒ずくめの服を着た連中はいなかったが、くれぐれも油断するなよ。今回の汽車で降りてきている可能性がある」
「わかっている。なるべく早く帰ってくるね」
 レナリアの髪は結んでいないが、動きやすいようにズボンをはいて、キストンと町に出て行った。


 何店舗か寄り、日持ちしそうな軽食、これから北に向かうのを考慮して、少し厚手の防寒着などを買い足しておいた。
 テウスの言うとおり、人の数は比べものにならないほど増えていた。豪華な服を着ている人もおり、首都にいた富裕層が降りてきたと考えられた。横目で人の波を見ていたが、特に警戒するような人物はいなかった。
 帰路に付いていると、空からぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。アーシェルの予想よりも早く降ってきている。キストンとともに傘をさして、足早に歩いていった。
 キストンは軽く空に目を向ける。
「なんか嫌な雨だね。湿気が多くて、絶え間なく降っている」
「今はまだ傘ではじき返せているけど、これからもっと降るかもしれない。早く戻ろ――」
 その時、鋭い視線を背中に感じた。レナリアはすぐさま振り返ったが、人々の往来の様子が目に映るだけだった。
「レナリア?」
「何でもない。急ごう」
 背後を再度軽く一瞥してから、さらに大股で歩いた。
 胸騒ぎがする。アーシェルの傍にはキストンが付いているが、それでも不安は拭いきれなかった。
 通りを真っ直ぐ歩いていくと、徐々に人が少なくなっていく。町外れにあるから仕方ないが、心細くなる道だった。
 やがて道から逸れると、森の近くにあるムッタの家が見えてくる。同時に、その近くにある木の下に、一人の女性が雨宿りしているのが見えた。彼女はぼんやりと空を眺めている。
 深紅の髪が腰まで伸びている、豊満な胸の女性だ。スリットが入った黒色のスカートは、女性をより色っぽく見せている。美しい横顔を見ると、同姓のレナリアでさえも、ドキドキとするほどだった。
 隣にいたキストンは彼女のことを、ぽーっと見ている。その人の視線がこちらに向かれた。そしてにっこり微笑まれる。
「こんにちは」
 大人っぽい女性を連想させる声色だ。
「こんにちは」
 挨拶を返すと、彼女はそっと近づいてきた。雨が彼女の頭を叩いていく。それを見てキストンが傘を差しだそうとした。
「あら、ありがとう。でも大丈夫よ。すぐに用は終わるから」
 彼女がキストンに向かって手を開くと、突然彼の体が宙を舞った。呆気にとられている間に、彼の体は背後にあった大木に叩きつけられる。そして体はずるずるとその場に沈んでいった。
「キストン!」
 レナリアは彼の元に走り出そうとしたが、ひんやりとしたものを頭に突きつけられて、動きを止めた。
「動かないで。動いたら、撃つわよ」
 冷え切るほど、冷酷な声だった。
 レナリアは荷物を落とし、両手を上げる。彼女は手に持っていた冷たいものを、レナリアの頭から離す。そして回れ右をするよう促してきた。それに従って回ると、笑みを浮かべた女性が黒色の銃を突きつけていた。
「物わかりがよくて助かるわ、お嬢さん。いえ、水環の査察官のレナリア・ヴァッサー」
 驚きを隠しもせずに、レナリアは目を大きく見開いた。女はくすくすと笑っている。
「そう難しいことではないわ。紺色の髪のレナリアという名前、そして剣の腕が立つ女なんて、そうそういないもの。ちょっと調べたら面白いように貴女のことを知ることができたわ。腕の方も少しだけれども部下が見ていたわ。力はないけれど、素早さで賄っているのね」
「……あの小屋から逃げた四人目の人間は、あなたたちと直接繋がっている人だったわけか」
「あら、気付いていたの? あなたたちが助けに来たのを察して、逃げたのが」
「偶然にしてはあまりにでき過ぎていたから、可能性の一つとして残していた」
 あまりに不安定な計画の指示内容を聞いて、内通者のようなものがいると思ったのだ。もし上手くいかなければ、その人が影で動くことになったのではないかと考えられる。
「どこかで私が査察官を名乗っているのを、その部下は聞いたの?」
「いえ、そこまでは聞いていないわ。言っておくけど、女の身で若くして査察官になった貴女、意外と有名なのよ? レナリアという名に心当たりがある人は少なくない。貴女、自分が有名人ということを少しは自覚した方がいいわ」
「……それで用件は何。有名人の私を殺して、貴女自身が有名になりたいの?」
 女は虚をつかれた表情をした後に、高笑いを上げた。雨の中に彼女の声が消えていく。
「あははは! そんな単純なことで貴女と真正面から対峙しないわ。殺すなら、話しかけずにひと思いに殺しているもの。貴女はただの餌よ」
「餌……!?」
 レナリアが察するなり、女は銃を真上に向けて撃った。小気味のいい銃声が響きわたる。そして動こうとするレナリアの目と鼻の先に再度突きつけた。
 少ししてムッタの家の中から少女と青年が飛び出てくる。レナリアの姿を見ると、少女は近寄ろうとした。
「レナリアさん!」
「来るな!」
 ぴしゃりと言い放つと、アーシェルはその場で踏みとどまった。テウスは彼女の前に出て、左手で鞘を持ちながら、いつでも抜刀できるようにする。
 彼がいるのなら大丈夫。この女の思い通りにはさせない。
 レナリアは女に向かって、くすりと笑みを浮かべた。
「盛大に鳴らしてくれたけど、こんなことをしたら、他にも邪魔者が入るんじゃない?」
「来ないわよ。貴女、空間の変化に気づいていないのね。所詮魔術師の端くれか」
「え?」
 レナリアは視線をゆっくり横に向ける。キストンの背後にある、大木の後ろの空間が歪んでいるように見えた。それがムッタの家と、ここの広場を取り囲んでいるのだ。
 アーシェルはそれを確認すると、両手を握りしめて、目を丸くしていた。
「貴女、空間を操れるの!?」
「あら、これくらいアーシェル様だって、やろうと思えばできるでしょう。だって――」
 言葉を溜めてから、高らかと口に出した。

「魔法使いなんですから」

 レナリアはごくりとつばを飲み込んだ。女は話を続ける。
「水を自由自在に操る、この世でたった一人の魔法使い、アーシェル・タレス。空気中にある水蒸気をいじれば、中が見えないよう、視界を屈折させることで、空間を外と遮断することも可能よね」
 アーシェルは口を閉じたまま答えない。女は口軽く言っていく。
「アーシェル様ほどの方なら、水に関する超常現象は何でもできるはずよ。代表的なことは雨を降らしたり、霧を発生させたりすることかしら。他にも色々とあるけれど」
 レナリアはルーベック町での出来事を思い出す。
 アーシェルは霧が発生しているときに合成獣(キメラ)が現れると聞くと、わかったと言っていた。それは自分で発生できるから、絶対に出現するということを暗に示していたのだ。
 それ以外にも雨が降ったり、川が近ければ安心だという、アーシェルやテウスの発言。水があれば、彼女にかなうものはこの世にはいないはずだった。
 銀髪の少女の表情は険しいままである。それを見て、女は肩をすくめた。
「せっかく我らが魔法使い様に会えたのに、お話もしてくれないの?」
「……貴女は魔術師でいいんですね」
 女はくすりと笑みを浮かべた。
「ええ。魔術師としては優秀な方だと思うわ。武器を使わなければ何も起こせない、この女と違ってね」
「この女?」
 アーシェルの視線がゆっくりレナリアに向けられる。その視線から軽く逸らした。
「そうよね、レナリア・ヴァッサー」
 銃口とともに、女が冷たく放つ。
 騙しているつもりはなかったが、黙っていたのは事実だった。アーシェルを魔法使いだと察していながら、自分のことは露見させていなかった。
 レナリアは躊躇いながらも頷く。
「……魔術師とは思っていないけど、ちょっとした現象を起こすことはできる」
「出しなさい」
 左手で軽く拱いてくる。
 レナリアはウェストポーチから真っ黒い小型の銃を取り出した。それを女は受け取り、じっと見つめる。
「特殊な弾を放つことで、氷を発生させる銃ね。これにカーンはやられたの」
「カーン……?」
 女は銃を後ろに投げ、水たまりの中に落とした。
「私はカーンと一緒に行動している、ベルーンよ。以後、お見知り置きよ――と言っても、ここで貴女は死ぬけどね」
 冷たい銃口が額に突きつけられる。腰を屈められて、視線の高さを合わせられる。
「貴女は厄介だわ。査察官の戦闘力と情報網、そして魔術師の素質がある。カーンがいくら言っても、貴女はここで――」
「やめなさい!」
 ベルーンが眉をひそめて振り返ると、目を見張った。
 アーシェルが手首にナイフを当てていたのだ。
「アーシェル様!?」
 隣にいたテウスが手を伸ばそうとしたが、その前に一喝した。
「触らないで! ――貴女たちの狙いは私でしょう。彼女は私のことを何も知らずに、少女の一人旅は危険という理由だけで、共に行動してくれた心優しい人。彼女は何も関係ない。そんな彼女を殺すと言うのなら――私もここで死にます」
 ナイフをぐっと押すと、か細い手首から赤い線が浮き上がった。
 ベルーンは銃口を少し離して、ふっと口元を緩める。
「まさかこの女にそこまで情があったとは知らなかったわ。……ああ、そうか、情というよりも、せめてもの罪滅ぼしのために生かしたいのね」
「罪……?」
「滅ぼし……?」
 レナリアとアーシェルが目を丸くして、同時に声を発した。
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