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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

第一章 流れゆく首都への旅

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1‐13 霧の水路に現るもの(3)

 女性の悲鳴がした方に向かって、タムとレナリアは走っていった。水路の脇にでると、それに沿って真っ直ぐ進んだ。霧が濃く、視界がかなり悪い。女性の声が徐々に大きくなっていく。
 女性が見えたところで、タムは先行して飛び出す。そして腰にさしていた短剣を引き抜いた。飛びかかってきた何かが、剣に反応して後退する。タムはそれと距離を保ちながら、じっくり見定めた。
 レナリアは滑るようにして、しゃがみ込んでいる女性のもとに駆け寄った。彼女の全身が震えている。
「大丈夫ですか!?」
「わ、私は大丈夫です……。でも彼が――!」
 女性が指さした方向に視線を向ける。それを見て、目を見張った。建物の影にいたため、すぐにわからなかったが、一人の男性がぐったりと横たわっていた。その体の周りには何か赤黒いものが見える。
「私をかばって……! どうしよう、もし彼が……」
「落ち着いてください。すぐに医者を呼びますので」
 そうは言ったが、ぼろぼろに泣き腫らしている女性を放っておいて、病院まで駆けつけるのは躊躇われた。
 とりあえず男性の傍に寄り、彼の容体を見極めた。赤黒い血が腹部付近から流れている。さらに怪我の具合を見るために、彼をゆっくり仰向けにした。
 そこで息を呑む。腹部には大きな鉤爪の跡が残っていたのだ。
 レナリアは上着を脱いで、男の腹部に押しつける。男性は呻き声をあげるが、耳を傾けずに押しつけた。上着は赤色に染まるが、思った以上に血はつかなかった。どうやら表面をかすっただけで、内部はそこまで傷つけられていないようだ。
 引き続き服で押さえつけて止血をしながら、タムの方に視線を向ける。
 タムは濃い色の毛並みを持つ生き物と対峙していた。街灯がかからないところにいるため、正確な色や姿まで判断することができなかった。
 小柄な獅子だろうか。顔周りが毛で覆われている。それが一歩一歩タムに近づいていく。まるで値踏みでもしているかのようだ。
 タムは短剣を体の前に構えたまま、様子を伺っている。彼は体術を主戦としているため、あまり武器は持っていない。長剣も振れるが、それよりも拳を繰り出した方が楽なようだ。
 レナリアは腰に差しているブロードソードを鞘の部分を左手で掴む。よろよろと寄ってきた女性に男性の止血を引き継いでもらって、レナリアはゆっくり立った。
 近づいていた生き物が突然飛び上がった。タムは慌てずに短剣を振る。
 生き物の姿が光によぎったため、その実物を目の当たりにすることができた。
 やや青みがかった黒色の生き物、顔は獅子で、体もほぼ獅子だが、尻尾だけは変わっていた。蛇を連想させるような、にょろっとした動きをする尻尾なのだ。よく見れば赤い瞳を持ち合わせている。体とは別に独立して動いているようだった。
「まさか獅子と蛇を合成させた、合成獣キメラ……!?」
 レナリアが驚きのまま言葉をこぼしている間に、獅子と蛇の合成獣はタムの攻撃をかわして、腹部に向かって突進をした。
「くっ……!」
 自ら後退しながら、威力を半減させようとする。しかし合成獣は踏みとどまってから、さらに突進してきた。痛みに気をとられていたタムにその頭は直撃をする。
「タ――」
 口を開きかけたが、レナリアは必死に踏みとどまった。ここで叫べばあの獣がこちらに牙を向けてくる。そうなったら背後にいる男女に被害が及ぶ。ぎりっと歯を噛みしめながら、タムを見つめた。
 飛ばされたタムは、路上に仰向けになって倒れ込んだ。すぐさま立ち上がると、今度は合成獣が右前足の鋭い爪を向けてきた。それをタムは右手で持っていた短剣で跳ね返す。右前足が明後日の方向にむいたのをみて、短剣を合成獣の頭に突き刺そうとした。
 しかし突如として、尻尾が前に伸びてきた。蛇の顔をしている尻尾は、まるで威嚇のように歯を見せつけてきた。
 タムは一瞬動きを止める。その隙に左前足によって、彼の右腕が叩かれた。短剣が無惨な音を立てて、石畳の上に落ちる。
 獅子の頭は口を開いて、鋭い牙で噛みつこうとした。タムは舌打ちをして左手を突きだすと、自ら鋭い牙に挟まれた。見る見るうちに赤黒い血が石畳に落ち始める。
「美味いか? オレの血は……」
 タムは口元に笑みを浮かべる。彼は合成獣から視線を逸らさず、右手で腰の脇にある隠しナイフを取り、獣の喉元に突き刺した。獣のうめき声が周囲に響きわたった。
 苦悶の表情をしたタムが、容赦なくナイフを入れ込んでいく。これで戦闘は終わりかと思い、レナリアは剣の柄から右手を離そうとしたが、尻尾である蛇の顔がにやけたように見えた。
 通りに続く道から、誰かから連絡を受けたのか、ランタンを持った警備の者たちが駆け寄ってくる。
 その人たちの存在をちらりと見てから、レナリアはその場から離れ、タムのもとに駆け寄った。
 だが蛇の頭が伸びて、タムの右腕に噛む方が先だった。噛まれるなり、彼の顔色が途端に悪くなる。出血はしている。だがそれ以上に、顔色の悪さの方が勝っていた。
「タム、ナイフから右手を離して!」
 言われるままに、力なくタムはナイフから手を離す。
 レナリアは鞘から剣を抜き、蛇の体を両断しようとした。その前に蛇がタムの右腕から離れる。くねくねと動かされる尾に、剣筋はあっさりかわされた。
 獅子の口はタムの左腕を解放すると、今度はレナリアに体を向けて、飛びかかってきた。タムは力なくその場に崩れ落ちる。
 レナリアが両手で持った剣を一振りすると、合成獣はややたじろいだ。だが数瞬後、果敢に牙を向けてくる。襲ってくる牙を何度か剣でいなしながら、後退した。
 水路の脇、肩を激しく上下させながらしゃがみ込んでいる同僚から、意図的に少しずつ離れていく。
 ある程度離れたところで、レナリアは牙を弾き、突きをした。合成獣にかわされ、左脇から攻められる。
 レナリアはブロードソードを右手だけで持って、右に凪いだ。合成獣の頭上部分をかすめとる。
 そして懐に入り込まれそうになったところで、腰にある短剣を左手で抜き、屈みながら一閃した。合成獣の足に切り傷をいれると、それは後退した。
「二刀流なんて、何ヶ月ぶりかしらね」
 息を整えてから、二本の剣で合成獣を攻めていく。攻撃を加えられる前に攻撃をしかけた。何度も試みるが、決定的な致命傷は与えられず、かする程度である。
 それを繰り返していると、左肩に違和感がした。怪訝な表情をして間合いをとると、空気を貫くような音がした。瞬間、合成獣が押されたように水路側に移動する。
 レナリアが横に視線を向けると、警官隊と思われる三人の男性が、黒々とした不格好な形の銃を構えていた。どうやら今の音は合成獣に向けて、発砲したようだ。
「今日こそ息の根を止めてやる……!」
 おさと思われる男が手をあげると、銃を構え直した。
 合成獣は水路に向けてじりっと後ずさりする。そして翻したように水路に飛んだ。
「なっ……!」
 レナリアはすぐさま水路に駆け寄る。水路までは急な斜面になっており、その斜面と水路の間にある人がやっと通れるほどの道を、合成獣は器用に駆け抜けていた。
 警官隊はレナリアと同様に水路に寄り、大きな橋にかかる前に一人が発砲する。その弾はかすりもせず、水路の中に吸い込まれていった。
「このまま先に行くと地下に潜る。急いで追って、殺せ!」
「はい!」
 警官隊たちは全速力で水路に沿って走り始める。頑張って追っているが、おそらく合成獣に追いつくことは無理だろう。
 レナリアは剣をすべて鞘に戻すと、石畳の上に倒れ込んでいるタムに駆け寄った。周りには医者らしき者が彼の容態を見ていた。
「タム!」
 レナリアが彼に触れようとすると、医者が一喝した。
「触れちゃならん!」
 びくっとして、手を止める。医者は額に手をあてた。タムの呼吸はどうみてもおかしく、激しく肩を上下させていた。
「毒が体内の中に入ってしまった。その影響で熱もでている。しかも出血多量ときた。無茶しすぎだ……」
「彼は助かるんですか?」
「毒の種類にもよるが、最終的には彼の体力次第だろう」
 呆然としている中、タムは布と長い棒で作られた担架に乗せられた。呻き声をあげながら、うっすら目を開ける。レナリアと視線があうと小さく口を動かした。彼の傍に駆け寄り、口元に耳を近づけた。
「大……丈夫……か?」
「自分の心配をして。私なら平気だから」
 そう言うと、彼はほっとしたような顔つきになり、瞼を閉じた。救急隊員はそそくさとその場をあとにし、病院へ彼を連れていった。
 レナリアは右手を軽く左腕を添える。そして合成獣が消え去った水路の先に目をやってから、自分も病院に向かった。


『査察官になるのなら、常に命を意識して行動しろ。人によっては恨まれる職業だ。後ろから刺されるなんて、ゼロじゃないぞ』
 レナリアが師匠に対して、査察官になりたいと言ったときに返された言葉だ。
 それを実感したのは、師匠と一緒に水不足で悩む現場に行ったとき。何もしてくれないのに、状況調査だけするなんて、いいご身分だな! と一蹴された後だった。隙を見せた時に、血走った目の男に刺されそうになったが、師匠があっさりねじ伏せてくれたのだ。
 それを見て、さらに鍛えようと思った。その際、師匠はこうも言ってくれた。
『身を守るために鍛えることは必要だ。その鍛えた力は自分を護るためだけでなく、他の人を護る時にも使え。俺たちは国に仕える人間だ。国とはすなわちこの国の国民も含まれる』
 だから困っている人に会った際は、助けるんだぞ――。
 そう言ってくれた後から、ささいなことでもレナリアは人々を助けようと試みた。
 今回、タムが合成獣に対して向かっていったのも、彼の正義感とそのような教えがあったからだと思われる。
 その行動はとても大切なことだが、時として自身を命の危険に陥らせてしてしまう。危険だと思ったら、引き下がる決断も必要な行為だった。
 レナリアは部屋の中に入ってから出てこない、青年の顔を思い浮かべながら椅子に座り込んでいた。
 左肩には新たに包帯を巻き直してもらっている。依然として傷が完治しない。まるであの男が自分のことを忘れるなと言っているような傷跡だった。
 薄暗い中、うなだれながらため息を吐いていると、夜中にも関わらず男性と女性が廊下を走ってきた。支部長と受付嬢だ。
「ヴァッサーさん、タム君は!?」
 視線を明かりがついている部屋に向ける。彼はそれを見て、口を噤み、視線を落とした。
 支部長が何を考えているのか、手にとるようにしてわかる。レナリアは感情を出しすぎないように、口を開いた。
「タムは自ら戦いにいきました。牽制して、追い払うこともできたでしょう。ですが彼は退治することに執着した。彼の意志でこうなった結果ですから、そんな顔はしないでください」
「そうか……。助かりそうなのかい?」
「毒の牙に噛まれました。その毒がどこまで回っているかにもよるそうです。どうなるかは――」
 その時、ドアから白衣を着た男性が出てきた。レナリアは顔を強ばらせて、立ち上がる。
 医者はレナリアたち三人を見ると、表情を緩めた。
「毒消しは間に合いました。今はちょうど毒消しが体内を回っている最中です。出血も見た目以上に酷くはありません。もう大丈夫でしょう」
 レナリアはそれを聞いて、腰が抜けてしまった。その場に再び座り込む。
 部屋の中から、担架に乗せられた目を閉じているタムが運ばれていく。彼を見届けてから、背を向けている支部長に言い放った。
「彼を傷つけた相手は、他の査察官にも怪我を負わせた生き物だと思われます」
 彼は腕を組みながら振り返った。
「それは本当かね?」
「おそらく。あとで警官隊から連絡が入ると思いますので、その内容を見て、確定させてください。――少なくとも私が彼から聞いたのと、同じような感じの生き物でした。水路の付近に出没する、鋭い牙と爪を持ち合わせた、どこかで見たことがあるが、何かが違う生き物というのが」
「そうか……。水路の脇を走っていたと聞いた。おそらく……逃げられただろうな」
「はい……」
 躊躇いながらも頷いた。夜とあって、この場にはレナリアたち以外はいないが、万が一聞かれでもすれば大騒ぎになる内容だった。危険な生物を野放しにしまったなど、信用問題に関わる。
 支部長はゆっくり息を吐き出した。
「これは警官隊らが団結して、町で対処する問題だ。水が関係するからといって、水環の者が出ていく必要はない。ヴァッサーさんは予定通りこの町からでるといいだろう。事が終わり次第、詳しいことは本省に連絡をしておくから、それで顛末を知ってくれ」
 頷くことも、否定することもできなかった。微笑を浮かべている支部長を前にして、何も声が出せなかった。
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