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野良怪談百物語

“黒い”会社

作者: 木下秋

 忘れもしない、四年前の八月十七日のことだ。


 その時私は大学四年生。卒論や単位のことでは悩んでなどいなかったが、なにより“就職活動”が問題だった。


 その頃、大学生が就職活動が始めるのは大学三年の十月からだったのだが、私がそれを始めたのは翌年、五月になってからだった。つまり大学四年生の、五月である。


 ――こんなこと、堂々と言えるようなことではないが、私は不真面目な学生だった。


 といっても、別に荒れていたわけではない。急いで周りに合わせて始めなくたって、適当に最低限のことをやっていればどっかしらの企業には入れてもらえるだろう、と楽観視していたのだ。


 五月に入ると、周りの人間達がTwitterやらFacebookやらで、「内定もろたー!」とか言い始める。それで私も重い腰を上げ、就職活動を始めたのだが……これがそう簡単には決まらないものだ。


 六月、七月と説明会に行き、履歴書を書き、面接を書き、落ちる。交通費やらなんやらで金はかかるし、時間も無駄に消費され、だんだん気候は暑くなる。もう、本当に就活ってのは拷問のようだ……と思った。


 金と時間と体力、神経をすり減らし、最後には落とされ全てが無駄になる……。さっさとどこでもいいから決めてしまいたい。そう思っていた時期だった。



     *



 ――雲一つない快晴。夏らしい灼熱の光線が、日陰以外を全て焼き尽くす勢いで降り注いでいた。真っ黒なスーツに身を包み、額に汗の粒を浮かべた俺は、太陽を睨んだ。


 その日、私は三つの企業を回る予定だった。一ヶ所は二次面接、二ヶ所目は説明会、三ヶ所目はグループディスカッション。説明会は座って話を聞きながら、うんうん、と頷いていればいいし、私は知らない人と話をするのが好きなので、グループディスカッションはむしろ楽しみだと言ってもいい。問題は、一ヶ所目の二次面接だ。


 私は就活を始めて、大抵の企業に履歴書の時点で落とされていた。運良く面接にこぎつけても、一次面接止まり。それは私にとって、初めての二次面接だったのだ。


 その企業のある最寄り駅に着くと、スマートフォンに住所を打ち込む。アプリの指示どうりに、面接会場に向かった。


 そこは、普通の雑居ビルだった。無人のフロアに入ると、エレベーターの横には面接会場の案内の紙が、壁に貼られていた。


 “○○株式会社 二次面接を受験に来られた方は、六階までお越しください”


 エレベーター横の、フロア案内を見る。どうやら私が受ける会社は、このビジネスビルの五階と六階に入っているようだった。


 腕時計に目をやると、面接まではあと二十分。少し早く着いてしまった。


 といっても近くで時間を潰す程の待ち時間でもない。少し早いが、遅れるよりはいいだろうと、フロアに向かうことにした。


 エレベーターの“上”ボタンを押す。すると、すぐにドアが開いた。


 乗り込み、“6”を押す。そこで私は、ネクタイをしていないことに気がついた。


 ドアが閉まる。今から受ける企業の人に、ネクタイを締めている所を見られるのはみっともない。急いでカバンからネクタイを出し、首に巻く。


 思ったより早く、フロアに着いた。扉が開き、私は硬直する。


 エレベーターの向こう側。フロアが、真っ暗なのだ。


 電気がついていないだとか、そういう暗さではない。まるでそのフロアの中だけ時差があるような、深夜の暗闇なのであった。


 ネクタイを締めかけていた手が止まる。エレベーター内のフロア表示を見上げると、“5”の部分が光っていた。


(確かに“6”を押したはず……)


 そう思いながらもそのフロアが気になって、恐る恐る、一歩一歩踏み出してみる。


 煌々《こうこう》と光指すエレベーターの箱を背にし、辺りを見渡した。左手には突き当たり、はめ込まれた曇り窓があるが、その向こう側は暗い。位置的に、窓の向こう側には隣のビルがあるはずだったが、それはそんな日光の当たらない暗さではなかった。


 その手前にはトイレがあるが、その扉、窓からはもちろん少しの光も漏れてはいない。目の前には、間仕切り壁が一面に立っており、オフィスの中が見えないようになっている。右手を見ると、半開きになっているオフィスへの扉が見えた。


 訳がわからなかった。時刻は昼過ぎであるはずだった。なのに、この暗さ。窓を塞いでいるわけでもないのに、異常だ。


 その場に突っ立っていると、後ろから差す光がゆっくりと狭まった。気付いて振り返るも、遅かった。扉は目の前で閉まり、一階へと向かって行ってしまう。


(なんてこった……)


 私は焦り、“上”ボタンを押す。


 まるで、自分一人だけが切り取られた別の次元に足を踏み入れてしまったのではないか。あまりに暗く、ひんやり冷えている。外から音も聞こえてこない。すぐ近くには幹線道路が走っているはずだった。しかし、車の走っている音すらしないのである。

 

 その場から一切の光が失せ、辺りが黒一色に包まれる。すると、視力を失い感覚が研ぎ澄まされたのか、微かな物音がしていることに気が付いた。そのオフィスの、中からである。



 カタタタタタッ、カタタタタタッ、カタタタタタッ……



 エレベーターの階数表示を見上げると、一階で止まっていて昇ってこない。


 あの音はなんなのだろう。しかし、見てはいけないものである気がする。心の内で、恐怖心と好奇心がひしめき合っていた。


 ゆっくりと、右手の開きかかった扉へと向かう。すると先ほどは暗くて気付かなかったのだが、その扉の向かい側に非常階段の扉があることに気が付いた。


 オフィスの中を少しだけ覗いたら、非常階段を昇ろう。そう思いながらドアに手をかけ、ゆっくりと開いた。



 カタタタタタッ、カタタタタタッ、カタタタタタッ……



 先ほどから音は一度も途切れることなく、リズミカルに鳴っている。近づくごとにその音は少しづつ、大きくなる。


 オフィスの中を覗き――薄々感づいてはいたのだが――確信する。それは、キーボードを叩く音だった。


 真っ暗なオフィスの真ん中辺りに、一つだけ光るディスプレイ。


 誰もいない中でたった一人、キーボードを叩く人がいた。シルエットから、それが男の人であることがわかる。


 人が居た――! それだけで私は嬉しくなって、その人に話しかけようと近付いた。


 だが、途中で立ち止まる。いやまてよ……。あれは本当に、“人”なのだろうか。


 しかし……“人”であるとしか思えない。その光を浴びる姿、輪郭がハッキリしすぎているのだ。


 さいわい、向こうはまだこちらには気付いていない。そろり、そろりと近づいて行った。



 カタタタタタッ、カタタタタタッ、カタタタタタッ……



 近づけば近づくほど、それはちゃんと生きた“人”であるような気がしてきた。しかし、もうそこまであと五歩。声をかけてみようかと口を開きかけたところで、ディスプレイが目に入った。




『かえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたい』



 瞬間、全身に悪寒が走り、全身の皮膚が粟立った。薄く高い、「ヒッ」という声にならない悲鳴をあげてしまっていた。


 カタタタッ……


 急に、音が止まる。その男が、指先の動きを止めたのだ。


 そして、いきなり立ち上がる。私は心臓を掴まれたようにビクリ、と震えた。


 その男がゆっくりと振り返った。逆光になって顔はよく見えなかったが、その見開いた両目だけが見えた。その濡れた目は、まるでさっきまで泣いていたようだった。


 私は必死で、一度も振り返らずにその場から逃げた。非常階段のドアノブを捻ると、あっさりドアは開いた。


 後ろ手にドアを閉め、階段を一気に駆け下りる。道路に出ると、太陽の光が容赦無く照らす。太陽を、こんなにありがたいと思ったことは今まで無かったと思う。


 先ほどまで暗いところにいたので、やけに眩しかった。首元に手をやると、ずっとクーラーの効いた部屋にいたように、肌は冷たかったが、びっしょりと汗をかいていた。


 結局、その日はその後の用事を全てすっぽかし、まっすぐ家に帰った。


 家に着いた後パソコンでその企業の事を調べると、ネットじゃ有名な、いわゆる“ブラック企業”であることがわかった。


 受けなくてよかった……。ああなりたくないし。


 出会ってよかったのかもしれない。そんな事を、思った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 良かったです。 何処かで見た感じもしますが、日常に潜む闇を上手く描いていると思います。 かえりたいの繰り返しも、読者の恐怖を煽ります。 他の作品に埋れてしまうのがもったいないです。 少し工夫…
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