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人工知能戦争2035~Deep Learning War~ 作者:@IngaSakimori

第2章『静寂の祖国にて』

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第53話『イタリア・ナポリに情報は届かない』

 電撃的なα連合国と欧州E連合との開戦から、およそ一ヶ月が経過していた。

 あらゆるインフラの大停止にみまわれた欧州で、最初に復旧したのは電気だった。
 ほぼ同時に水道やガスといったライフラインも、ある程度の復旧が完了する。

『ある程度の』と形容されるのは、それらライフラインが密接に結びついている、コンピューター・ネットワークの復旧は遅々として進まなかったからである。

 通電はした。蛇口から水も出た。ガスも出た。
 しかし、各住宅に備え付けられているコントロールパネルには、エラー表示が出続け、少なくとも使用データの遠隔収集はまったく機能しない状態が続いていた。

 これでは使用料の請求もできない。そもそも、使用料を正しくカウントできたとしても、それを集約・処理するサーバーへ吸い上げる方法がない。

 ああ、今期の業績はどうなることか。来期か。今年は。株価へのエイ起用は。

 ━━インフラ関連企業の重役たちが、そんな問題に頭を抱えていたのは、むしろかわいらしい悩みと言えた。

「……情報が届かない」

 ここはイタリア。ナポリの中心部にある小さな放送局である。

 コンピューター・ネットワークが復旧しない=携帯情報デバイス、すなわち『The・フォン』もまた、機能しないということである。

 多くの国では、テレビジョンの配信もコンピューター・ネットワークに頼っていた。
 当然、メールも届かないし、あらゆるコミュニティへのアクセスは不能である。

 ━━とはいえ、ただの電話ならば使えるのではないか?

 それは原初の形式の固定電話(絶滅危惧種)、あるいは携帯電話(若者は知らない表現)を知っている者の発想である。

 だがしかし、21世紀になってから、固定・携帯電話の通話は完全にコンピューターのそれと変わらなくなっている。
 つまり、見かけと機能こそ電話そのものであっても、コンピューター・ネットワークが機能しなければ、何もできないのである。

「くそっ、なんてこった」

 日課の一つである『ママへの電話が通じるか試してみる』の結果が、今日もNGだったことを確認すると、忌々しげにデスクを拳で叩く男がいた。

 彼の名はフランチェスコ・フクイ。
 半世紀以上前に、このイタリアへやってきた日系人を祖父に持つ。
 東洋系の味が濃い顔立ちを受け継いでいるが、初対面の女性がいつも中国出身か大変ですね、と訊ねてくることが悩みだった。

「どうしますか、編集長。
 街の風景を流し続けるのも、そろそろ限界ですよ」
『それは言っても、どうにもならんからなあ……』

 フクイの上司にあたる編集長は、最初から諦めたような顔で、チェアにもたれてエスプレッソを飲んでいる。

『いっそのこと本格復旧まで放送中断したいくらいだが』
「そんな馬鹿な。
 そもそもこんなことになったのは、α連合国が戦争を仕掛けてきたせいじゃないですか。
 僕らはメディア人として、α連合国の暴挙を非難するべきですよ」
『まあ、ドイツの方ではそんなスタンスで頑張ってる局もあるらしいな』

 笑いながら編集長が見つめた壁の一面には、真っ黒に消灯したディスプレイの行列がある。

 本来ならば、編集作業や情報収集、さらには放送中の番組がところ狭しと並ぶという、情報の洪水がそこには展開されているはずなのだが、今は単なる黒い平面でしかない。

(通信ネットワークが使えないんじゃ、話にならない)

 改めてフクイは苛立ちを覚えつつ、本当にどうしてこんなことになってしまったのか、と嘆く。

 2035年では━━いや、2010年代ですら、ビジネスで使うあらゆる情報はネットワーク経由で受け渡されることが当たり前になっていた。

 すなわち、メール。すなわち、メッセージ。
 すなわち、ファイルのアップロード・ダウンロード。

 では、それらの伝達手段がすべて奪われたなら、どうすればいいだろうか?

 何しろ今の欧州では電話すらも使えないのである。むろんのこと、古典的なFAXも全く機能しない。

『なあ。フクイの知り合いには、無線やってるやつとかいないのか』
「いや、残念ですが」
『そうか。俺の知り合いにはいるぞ。
 とはいっても、住んでいるのはα連合国なんだがな』
「敵国人じゃないですか……」
『そんな意識を持ってる奴が、この欧州に何人いることやら』

 ニヤニヤと笑いながら編集長は言う。
 思わずカチン、と来たフクイをなだめるように、彼はアルコールの混じったチョコレートを差し出した。

『熱くなるなよ、楽しめ』
「どうも。
 祖父の血のせいですかね。編集長のようには考えられなくて」
『俺達は今、歴史上、例がない事態のど真ん中にいるだぜ?
 しかも、一般人は本当に……本当に、この部屋を漂っているホコリほどにも情報収集手段がないってのに、俺達は多少なりとも手に入るだろう?』
「……そりゃまあ、我々が報じなければ、伝わる情報も伝わりませんからね」

 フクイは肩をすくめながら、朝方の意外な忙しさを思い出していた。

(そう……情報そのものが来ないわけじゃない)

 人間が直接伝えに来るのだ。
 フィアットのクルマで。ベスパのスクーターで。あるいは、バイシクル(自転車)で。さもなくば、徒歩で。

 この局の人間にしたって、毎日ローマをはじめとする、各都市へ往復している。
 そして、人間の手で集めた情報を持って帰るのだ。

 政府や行政の公式発表にしても、初期の頃は本当に非効率なものだったが、現在では毎日決まった時間に報道各社を対象にしたミーティングが開かれ、そこで情報伝達がなされるようになっている。

オプティカルディスク(CDやDVDやBD)なんてものを、この時代に使うとは思いませんでしたよ」
『それが読み込めるドライブも、なかなかなかったりするからな。
 うちはいいさ。仕事柄、もともとパワフルなマシンが揃ってた。
 ところが今時、普通の企業じゃ、スタンド・アロンのコンピューター自体、珍しくなっちまったからな……』

 編集長が視線を落としたデスクサイドには、この時代ではきわめて珍しい、デスクトップタイプのPCが鎮座している。

 しかし、それはPCであってPCではない。
 元より、PCとは『パーソナル』(パーソナル)なコンピューターのことである。

 2035年という時代において、そもそもパーソナルなコンピューターはすべてネットワークの向こう側へ追放されてしまっている。

クラウド(・・・・)なんて昔は言ったもんだがな』
「覚えてますよ、僕が学生の頃に流行ってた言葉でしたね」
『ネットワークの向こうに難しい処理はぜんぶ任せて、こっちはわかりやすい結果だけを受け取る!! よくできた仕組みだよな。
 けど、俺達の仕事はなんといっても目の前にある処理能力が物を言う。
 これも昔の言葉なんだが、オンプレミス(・・・・・・)なんて言ったのさ』
「……聞いた覚えがないですねえ」
『ま、一般にまでは広まらなかったからな。
 クラウドってのは、無数の人間の雑多な要求をさばくには最高の代物だ。けど、限られた人間の瞬間最大風速を受け止めるのは、ヘタクソなんだよ』

 指先でこつこつとデスクトップPC━━否、ワークステーション(WS)を小突きながら、編集長は言う。

『自前の情報収集手段があって、自前のコンピューターもある。
 言うなれば、情報収集のオンプレミス、それが俺達メディアだ。
 この2035年の世界で、ほかにそんな環境を備えているのは、軍や省庁くらいのもんだろうさ』
「それはそうかもしれませんが……たとえば、地震対策に投資しているところなら、ネットワークも頑丈ですし、生きているのでは?」
『ははは! 根っこを間違えてるな。
 今回、欧州を襲ったのは地震じゃないんだ。ハードウェアには何の異常もない。
 その━━いまだにα連合国側は認めてないっていうが、全欧州規模のハッキングで、ルータやスイッチが全滅したのが原因さ。
 あわれ、全欧州のエンジニアさまたちは、それを手作業でひとつひとつ直してる状況だ。おまけにそのルータやスイッチの供給元はそもそもα連合国の企業だってんだから……笑えるぜ、おい』
「……資源を輸入していたら、その相手と戦争が始まってしまったようなものですか」
『自分のご先祖さんを悪く言うのはよくない』

 ニヤニヤと笑いながら、編集長はフクイが首からかけているセキュリティカードの姓欄を指さしてみせた。

『さ、仕事だ仕事だ。題材がなきゃ、ホームレスの話でも拾ってくるんだな。
 最低限の生活すら保障されぬ人にとって、今回の事態は!?━━こんな感じでどうだ?』
「あまりネタになる意見は聞けなそうですけどね……真面目に苦しんでる人達が怒るんじゃないですか」
『そういうのを余すこと無く伝えるのも、俺達の仕事さ。
 何しろ、今は番組に金を出すスポンサーやうるさい幹部たちからの横やりすら、ろくに届かないんだから、な!』

 その時になって、ようやくフクイは編集長がなぜこんなにも楽しそうにしているのか、その訳が理解できた。

(……ネットワークが死んでいる。だからこそ、余計な横やりが入らない)

 つまり、情報の1次送信者としての立場を独占している今は、どんな利害関係や視聴率を気にする必要もない。

(たしか編集長は……テクノロジー系の記者を長くやってたんだよな……)

 華やかな業績もスクープもなく、しかしイタリア人らしかぬ着実さと忍耐力で、出世を勝ち取ったというのが、彼の上司である編集長の一般的な評価である。

(でも、着実さと忍耐の裏には……)

 メディアは、公共機関ではない。
 第三の権力などともてはやされようと、所詮、メディアは私企業である。営利を目的とし、黒字を出さなければつぶれてしまう宿命を背負っている。

(……いろいろ、あったんだろうな)

 無数のどす黒い欲望が。マネーのもたらすしがらみが。きっと、彼の毎日をからめ取っていたのだろう。

(ひょっとしたら、編集長は今、はじめて『自由に報道』しているのかもしれない。
 でも、それは皮肉だな……)

 フクイは暗澹たる気持ちになる。
 なぜなら、それは戦争という事態によって、これまで当たり前に存在していたテクノロジーの恩恵が、突然、絶たれたことでもたらされた自由(・・)だからだ。

(だったら)

 今まで当たり前のように存在し、利用し、そして吸っては吐き出す空気のように、その恩恵を受けていたテクノロジー……すなわち、コンピューター・ネットワークとは何だったか。

(それはむしろ、僕たちを縛り付けていた……その側面が大きいんじゃないか?)

 この事態が一段落したら、そんな特集もいいかもしれない。
 いや、その時にはくだらない横やりが入るかもしれない。

(だったらむしろ、今のうちに……)

 そんなことを考えるうちに、いつの間にかフクイは編集長と同じような笑顔になっていた。
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