第十五話:壊れた帝国
~ヴォルデック公爵視点~
「説明しろ! なんだ、この物価の値上がりは! 小麦の相場なんて十倍近く跳ね上がっているじゃないか!? それも、使いつぶすはずだったフォランディエ公爵の領地だけじゃない! 帝国の四大都市全てでだ」
帝国領内の公爵宅にある執務室で、普段は冷静沈着なヴォルデック公爵は叫んでいた。手元には、領内の状況をまとめた資料がある。
一月もしないうちに戦争なのに、一向に遠征用の食料が集まらなかったので担当者に確認してみれば、食料が値上がりしているせいで進んでいないと答えがあった。
それならばと、その値上がりの理由を調べさせていたのだ。
食料が集まらない理由には、軍の備蓄が盗まれたり、兵が横流しをしているというのもあるが、この極端な物価の値上がりに比べれば些細なことだ。
領内の報告に来ていた三人の男爵たちの資料を持つ手は震えていた。
ヴォルデック公爵は帝国の四大公爵の一人であり、エルフとの戦いで失脚したフォランディエ公爵の領地を吸収し、帝国の四大都市のうち二つを統治する大貴族だ。
四十代で細見、精悍さと知性を併せ持った男性だが、その表情は焦りによって歪んでいた。
「それが、帝国内のありとあらゆるものが、近隣の村に買い占められ、持ち出されております。どんな高値をつけようが売れてしまうので、どんどん商人たちは値上げをしている模様です。さらに大量商品が外に持ちだされた結果、帝国中で食料を始めとした物資不足が発生しているのも大きいです」
「外の村の連中に物資が買い占められているだと? ありえない。そんな金があるわけないだろう? 私をだまそうとはしていないだろうね?」
ヴォルデックの認識では、ここの周辺にあるのは、猪豚族の村という例外を除き、帝国の支配下の貧乏な村ばかりだ。余裕があれば根こそぎ、税で絞り上げている。
余計な金があれば良からぬことを企む。かと言って、あまりにも厳しくし過ぎると、反乱を起こされる。ぎりぎり生きている程度に搾り取るのがヴォルデック公爵の信条だった。
だというのに、帝国の四大都市全ての物価があがるほどの買い占めをされている? それは絶対にありえないことだった。そんなことは、名高い商業都市エリンでも不可能だ。
「嘘ではありませんヴォルデック公爵様。なぜか、貧しい村々からの使いが大量の紙幣を使い、食料や宝石を買い占めているのです?」
「紙幣だと?」
「はい! 金貨などは使わずに紙幣です」
「まさか? 紙幣の偽物が出回っているのか?」
ヴォルデック公爵は思案する。
金貨と交換するという前提で発行した紙幣。これはもともと、接収した旧フォランディエの領地を使いつぶそうと、合法的に領民から金を搾り取るために考えたものだ。
しかし、その利便性が認められ、帝国全土に普及したという経緯を持つ。
軽く嵩張らず持ち運びが容易。なにより、いつでも帝国に存在する金の総量を”見かけ上”増やせるという紙幣は、画期的な発明であり、ヴォルデック公爵は帝から直々にほめられ、残りの四大公爵から羨望の目で見られていた。
紙幣により、ヴォルデック公爵は四大公爵内での発言権が強くなり、さらにこの事業を一手に任せれることにより、莫大な利益を得ている。
同時に、ヴォルデック公爵は紙幣の危険性も理解していた。紙幣の値段は、帝国なら間違いなく金貨に換金できるという信用に他ならない。だからこそ、信用が失われたときに、紙幣は紙くずとなるのだ。
「偽物とは考えにくいです。私どもも、市場に出回っている紙幣をかなりの数を拝見しました。どれもが、わが領地で生産しているものと同様のものばかりです」
「おまえたちが、そう見えるのなら、そうだろう」
紙幣の信用に致命的なのが偽物が出回ること。偽物が出来て、帝国の保有する金以上に紙幣が出回れば、紙幣と金貨の交換が不能となってしまう。
だからこそ、ヴォルデック公爵は無数の対策を施し、自身の管理する工房以外での紙幣の生産を禁じている。
透かし、特殊配合のインク、細緻な印刷技術。そのどれもが世界最先端の技術力を持つ自身の工房以外では作ることができないはずのものだ。
「視察に行く。街の様子を見に行きたい。紙幣工房でもっとも腕の立つもの職人を同行させる必要がある。すぐに手配をしてくれ」
「かしこまりました。準備もあります。来週などで、どうでしょうか」
ヴォルデックはその言葉を聞いて、内からあふれ出る怒りが収まりきらずに、手元にあったグラスを、部下の頭に投げつける。
鈍い音がして、部下の額から血が出た。
部下がうずくまり震える。
「バカか! 今がどれだけの非常事態かわかっているのか!? 一秒でも早く手を打たなければならない状況だ!? それを一週間後でどうでしょうかだと!? 次、そんな寝ぼけたことを言ってみろ! 殺してやる」
部下が土下座をして、何度も謝罪する。
しかし、それを見てもヴォルデック公爵の溜飲は下りない。
なぜなら、この部下はあくまで、ヴォルデック公爵の怒りに対して恐れをいただいているのであって、この状況がどれだけまずいのかを理解していないのだ。
歯がゆい。もっとましな部下が欲しい。
そう言えば、あのエルフの長。あれはよかった。甘さはあるが、自分の思考に追随していた。あの男なら自分の右腕になれるのに。戦争で殺してしまうのが惜しい。お茶を持ってきた金色と銀色の火狐も素晴らしかった。あれは、魔石にせずにペットにしよう。もっとも、生きて手に入ればの話だが。
「こんなときに、救世主様は、アシュノ様はどこに言ってしまわれた」
「……エルナの封印が非常に不安定なため、封印の修復に向かわれているとのことです」
「封印ねぇ」
ヴォルデックは考える。確か、世界に八ヶ所あるエルナの封印の一つは、エルフの村の近くにあったはずだ。そこに向かったのだろう。
いっそのこと、封印を壊せば、魔物が溢れてエルフを滅ぼすことぐらいたやすいはずではないか? 元々封印は壊れかけている。今なら、簡単に壊せるだろう。
いや、何を考えている。一箇所封印が解かれれば、連鎖的にすべての封印が解かれる。そうなれば、世界が滅びてしまう。そうとう自分は疲れているのかもしれない。
◇
ヴォルデック公爵は、潰れても構わない旧フォランディエ公爵の領地ではなく、自分の領地に下りてきた。身分を隠すためにあえてみすぼらしいコートを着て、護衛と部下たちにもそれを強要していた。
部下の報告と、自分の予測では、今の領地で素顔を晒すことがどれだけ危険かが予測できている。
街の状況は悲惨なものだった。あちらこそちらに物乞いと身売りがあふれている。
紙幣の導入前の旧フォランディエ公爵の領地もひどかったが、それに輪をかけてひどい。
「ありえない」
ヴォルデック公爵は、何よりも大事にしていた自らの領地がこの様で深いため息がでる。
そして、確信した。”すぐ動かないとダメ”なんて生易しいレベルを通り越し、”既に手遅れ”であるということに。
いったいなにが? あまりにも手際が良すぎる。だれがこれだけのことをしでかした。
そんなことをしながら目的地に向かって足を進める。
「本日はお越しいただきありがとうございます。ヴォルデック公爵様」
ヴォルデック公爵は、自分の息がかかった商店に入っていた。商人のほうが、よほど自分の部下よりも、現実が見えていることを知っていたからだ。
店に入る瞬間に違和感があった。そう、普段はいない、傭兵らしき武装した男が入り口に立っていたのだ。
「猪豚族が大量に支払ったという、紙幣をもってきてくれないか? そして、今の街の現状を知りたい」
「かしこまりました。すぐに用意しましょう。そして私の知っていることであればなんでも答えさせていただきます」
「店主すまない」
「いえいえ、ヴォルデック公爵のためなら」
店主は、突然の来訪だというのにヴォルデックを笑顔で迎え入れ客間に通す。
「どうだ。その紙幣をどう見る」
「こいつは、そうですね。この紙幣は……本物に見える」
ヴォルデック公爵は、偽札と思わしきものを、工房の中でも随一の鍛冶師に見せている。
「本物に見える?」
「ええ、透かしや、特殊なインクの調合法、隠し彫り、そう言った、偽物と本物を見分ける基準をすべてクリアしています」
「だが、偽物なんだろう?」
「ええ、こいつは出来が良すぎる。どれもこれも一点のブレすらなく完璧な印刷だ。俺たちが作るものですら若干の誤差が生じる。断言しましょう。これは俺たちが作ったものじゃない。俺たち以上の技術を持った何者かが作った、本物以上の偽物だ」
ヴォルデックはその言葉を聞いて冷汗が噴き出た。
最先端の技術をもつ帝国以上の印刷技術? そんなものがあるわけがない。帝国以外にこれほどのものが作れるわけがないということを前提に紙幣を作り上げたと言うのに。その前提が崩れている。
いったい、どこの国が仕掛けている? 商業都市エリンをかかえるコリーネ王国ならあるいは可能なのか?
それとも、まさか、あの得体のしれないエルフが?
「おい! 紙幣じゃ売れないってどういうことだよ!」
考え事をしていると、店の入り口から怒鳴り声が聞こえてきた。
どうやら、帝国民が紙幣と品物を交換しようともちかけて店員に断わられているようだ。
「だめだだめだ。うちは硬貨の支払いしか受け付けない」
「倍払うから、紙幣で売ってくれ、三倍でもいい!」
「だめだ。金貨三枚で小麦一袋。絶対にそこは譲れん」
「金貨で三枚なんて払えるわけないだろ? 紙幣で金貨十枚分払う! だからそれで!」
「金がないなら帰ってくれ!」
そして店員は男を追い払った。
ヴォルデックは目を手で覆う。これはまるで悪夢だ。
「店主、これはどういうことだ?」
「それがですね。……ヴォルデック公爵には言いにくいのですが、今、紙幣が来年になっても金貨に交換できないって、商人内では噂がたっていましてね。鼻が利く商人たちは、もう硬貨以外での取引は止めているのです。根拠は、街の中の紙幣が多すぎて、こんな量の金貨を帝国が来年払えるわけがないっていうものですよ」
「……交換できるわけがないという予測か。私なら、その質問に答えられるだろう。その質問に答えてほしいか?」
「いいえ、必要はありません。帝国のもつ金の総量なんて、いっぱしの商人ともなれば、想像がついてしまいます。もはや、全て払えるかなんて問いは無駄です。私どもにできるのは、せめて自分の持っている紙幣だけは、なんとか金貨と交換してほしいとお願いするぐらいですね。その約束をしていただけるなら、どんなことであろうとも協力させて頂きますよ」
ヴォルデックは薄く笑う。さすがに商人だ。利にさとい。
この男は、この騒動でもうまく生き延びるだろう。
「参考までに聞こう、商人の中では、今市場に出回っている紙幣の量は、帝国の保有する金貨の何倍だと予測してる」
「ざっと、二十倍ほどです。それだけの偽物が出回っています。これは、かなり実態に近い数字ですね。そして、帝国の保有する金の二十倍の価値の商品がすでに国の外に出てしまった。もう、帝国には何も残ってないですよ」
それに気づけば、紙幣で商品を売るなんてことができるわけがない。
もう、手遅れだ。紙幣に価値はない。
帝国にできるのは来年、金貨と交換しろと殺到する、市民に対してそれは偽物だと因縁をつけて交換に応じないぐらいだ。
権威の失墜、暴動、それは地獄のような光景が繰り広げられるだろう。
「ヴォルデック公爵、あなたに忠告です。あなたは今、先の心配をしています。ですが、それほど甘い状況ではないですよ? 紙幣と金貨を交換している換金所を見ていかれることをお勧めします。まあ、こんな偉そうなことを言いましたが、私ども商人も、気が付くのが遅すぎた。紙幣の利便性に浮かれ商売を広げ、偽物だと気づかずに、いくらでも物が売れると舞い上がり、大事な商品を紙切れと交換した。私たちに残ったのはごみの山ですよ」
商人が乾いた笑いを浮かべる。
商人の目は、まるでどこまでも深い暗闇のようだった。
◇
商人の忠告通り、換金所に向かう。
すると、扉は閉ざされており、領民たちが農具や、椅子、さまざまなものをたたきつける。
「出てこい! 紙幣と金貨を交換しろ! すぐにだ!」
「こんな紙切れじゃ、なにも買えない! 返せよ、俺たちの金を返せ!」
まるで暴動だ。
金を返せと領民たちが換金所に群がっていった。
少し前までは、「来年には金貨が増える。しかも紙幣のまま買い物ができる」そう言って、金貨と紙幣を交換しようと、人々が群がっていた。
紙幣の発行数が足らないと、部下から報告を受けていたというのに。
そして、ついに扉が蹴破られる。
怒涛のように住人たちが中に押し入る。
誰もいない、逃げやがったという声が、あたりに響き渡った。
換金所から出てきた連中はそれぞれに金目のものを持っていた。
ヴォルデック公爵は、笑うしかなかった。国の施設を平然と襲う民。よく見ると、彼らを止めるはずの兵士たちも一緒になって襲撃している。
さらには、外で待っていた連中が、中から出てきた連中に襲い掛かり、金目のものを奪い始める。
もう、めちゃくちゃだ。
「猪豚様だ! 猪豚様が来たぞぅ!」
「救いの薬ぃ、救いの薬ぃ」
「ひゃはははあ、ちゃんと、お金ある。薬買える。おまえを売った父ちゃんを許してね。アンジェ」
「へへへ、俺なんて、救いの薬のために家を売ったぜ」
屈強な猪豚族が五人ほど来ると、住人たちがそこに群がってくる。
そんな中、ひときわ大きな猪豚族が声を張り上げる。
「並べ! 薬は大量にある。支払いは金貨のみ、一錠、金貨一枚だ」
ヴォルデックは驚愕する。金貨一枚(六万円相当)といえば、大金だ。
紙幣が価値を失い、額面以上の価値をもつようになっている。
それにも関わらず、次々に住民たちが並び、汚らしい猪豚に売ってくださってありがとうと声をかけながら、気持ちよく金貨を支払う。
けして、金に余裕がある者たちではない。貧相な身なりで頬がこけて、食うにも困っていることが見て取れる連中だ。
たまに、無理やり猪豚族から薬を奪おうとするものが現れるが、屈強な猪豚たちには歯が立たないし、猪豚の一人が冗談まじりに、
「あーあ、また襲われた。こんな危ないところじゃ商売できねえなぁ、もう薬売りに来るのやめようか」
「だよな、俺たちはか弱い猪豚族だし」
そう言っただけで、
「この野郎! 猪豚様に何しやがる!」
「そうよ、猪豚様は救いの薬をくださる天使様よ!」
「この罰あたりもんが! 死んで償うのじゃ!」
「「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」」
と、住人たちが裏切り者を袋叩きにする。数十人に囲まれ、殴られ続けて、ついに猪豚族を襲った男が事切れた。そのことを誰も気にも止めない。
しばらくすると、行列ははけていく。
薬を買った連中は、他の奴らに奪われることを警戒して、買ったその場ですぐに飲み干し、恍惚の笑みを浮かべ高笑いをする。
それを遠巻きに見ていた薬を買えなかった連中は、ぼそぼそと呟きながら去っていく。
「次の薬を買う金を用意しないと」
「もう売るものがねえ」
「奪わないと、もっている奴から奪わないと」
「金、紙幣じゃない、金ぇ」
近いうちに暴動が起きる。そのことをヴォルデック公爵は確信していた。
それと同時に、そこまで人を虜にする薬に若干の興味が湧いてきた。
隣の部下に声をかける。
「あの薬はなんだ」
「はい、その、最近、街で流行っているソージと呼ばれる薬で、なんでも飲むだけで不安を忘れて、楽しい気持ちになり、食事や、……夜のこと、全てが、信じられないほど楽しめるとのことです。貴族たちにも愛好者が多いです」
そういえば、オークから薬を買った連中の中に、有力な貴族の使用人たちも居た。
「副作用はないのか?」
「はい。ただ、あまりにも素晴らしい薬なので、何をしても手に入れたいと思ってしまうことです。軍の備蓄を横流しした者も薬を買う金欲しさにやったと」
「……そうか。それほどに素晴らしい薬なのか」
不安を忘れる。その一言にヴォルデックは耐え難い魅力を感じていた。
最近、不安と苛立ちでまともに眠れていない。一瞬でも、その苦痛を忘れられるなら、薬に頼るのも悪くない。自分にとっては金貨一枚なんて安いものだ。
「猪豚族のあとを付けて、領地の外に出たらすぐに捕らえろ。そして、偽札の真相を聞き出せ。……そして、薬については、副作用がないかを聞き出したあと、問題がなければ私のところにもってこい」
ヴォルデックはそう部下に命じ、今日の視察を終わらせることを決めた。
ヴォルデックは勘違いしていたのだ。オークが薬を売っているのは、小遣い稼ぎであると。……その実際は、帝国を壊すためにエルフが撒いた甘い毒だというのに。