第十三話:麻薬《ソージ》の改良
俺はベル・エルシエに来ていた。
目的はもちろん、薬の実験と調整をするためだ。
そのために牢屋での作業を行っている。
ベル・エルシエはもともと、帝国の前線基地だった。故に牢屋なんてぶっそうなものもある。
「くすりぃ、くすりをくれぇぇぇ!」
鉄で出来た立派な牢屋だ。頬が痩せこけて目が血走った男が、扉に張り付いて叫び声をあげている。
俺は牢屋の外から、その男を眺めていた。
もともとかなり精悍な男だったが、今は見る影もない。
なんども扉に拳を叩きつけたせいか拳が砕けている。それでも痛みを感じないのか扉を叩くのをやめない。壁をひっかきすぎて爪も剥がれていた。
「薬がほしいか、ならお前が知っていることをすべて話してもらおうか」
「……ひっ、いえ、言えな」
「そうか、なら薬はやれない」
俺は踵を返す。ちらりと後ろを見ると、男がこの世の終わりのような顔をして、隙間から必死に手を伸ばしている。よく見ると体全体が小刻みに震えている。
「言います! 全部、言いますから、くすりぃ、くすりぃ。薬をくれぇぇぇ!」
俺はポケットから、白い錠剤を取り出して、これみよがしに見せつける。
それは、エルシエで作った、デザイナーズドラッグ……麻薬だ。
「いい心がけだ」
この男は帝国のスパイだ。
難民を受け入れているベル・エルシエ。そこに、難民のふりをして忍び込んでいたのだ。
うまく、一般人のように振る舞っているが、見るものが見ればわかってしまう。日常の何気ない仕草に、訓練を受けたもの特有の洗練された動きがうかがえる。さらに、この男は、街に入るときに”ただの農民だ。平和な村で戦ったこともない”と答えている。不自然なことこのうえない。
極めつけは、俺に話しかけられたときに平静すぎた。何気なさを装いすぎて逆に気持ち悪い。動揺して当然のシチュエーションだ。
だから捕らえ、まず通常の拷問を試した。普通の兵士なら耐え切れずにすべてを曝け出す拷問だ。それにこの男は狂わずに耐え切ってみせた。そこで俺は認識を改める。一流ではなく、超一流のスパイだ。
だからこそ、良い実験対象になる。麻薬を試して、3日。どんな拷問にも耐えた男が今はもう、このざまだ。薬以外何も見えていない。
非人道的だとは思う。だが、スパイ相手に容赦するほど俺は人がよくない。こいつの働き次第ではエルシエの民が数百人も犠牲になる可能性があった。
「はやく、質問してぇ、こっ答えるから、そっ、それを、薬を早くぅぅぅ」
「質問だ。おまえの本名、そして立場と目的、誰の依頼でここに来たかを言え」
「わっ、わたしは、帝国の諜報部所属の、レリック少尉でぇ、ひぃぃ、えっエルフの新兵器を奪い、持ち帰えるのと、エルフに怪しい、動きがあれば、帝国に伝えることが目的でぇ。上官のフォリエ・マークリー大尉のめいれぇいでここに。上官が誰からぁ、依頼を受けたかはぁ、知ら、知らない。本当です! 本当に、そういう決まりなんです! 嘘じゃない、だからぁ、薬ぃ、薬ィィ」
俺の質問に答えられず、薬をもらえないことを恐れて男は、なんども、嘘じゃないと繰り返す。
それは本当だろう。これが演技なら、この男は世界一の役者だ。
「ご褒美だ」
俺は麻薬を一粒だけ牢屋の中に投げ入れる。汚い床に白い錠剤がころころと転がる。
男は犬のように這いつくばって、ほこりとゴミごと、舌で錠剤を掬って口に入れると、恍惚の表情を浮かべる。
「あへっ、あひゃひゃひゃや。ばんざーい、帝国ばんざーい!」
麻薬を飲むと、ぴたりと震えが収まり、高笑いをする。うつろなめで、心底楽しそうに笑い、歌まで歌い出す。
帝国の国歌だ。あまりにも滑稽だ。訓練を受けた諜報部の男が、身分を隠しているはずの敵国で、自国の国歌を歌うなんて信じられない。
そして、麻薬の効き目を観察するために眺めていること十分。また震えがはじまった。
「ひっ、一粒じゃあ、足りない、もっと、もっとぉ」
再びの薬の懇願。この男は薬に耐性ができてきて、効果時間は短くなってきている。
効果時間が短くなったからと言って、禁断症状はやわらぐことはない。こうなってしまうと人として終わりだ。
「しょうがない。なら、質問を追加しよう。これに答えたら、また薬をくれてやる」
「なんでも、なんでも答えますぅ」
「そうか、ここに来たお前以外のスパイの名前と特徴を言え。全員だ。一人でも漏らすと薬はやらない」
普通に考えれば、一人でも漏らすと薬をやらないと言っても、漏れがあるのかどうか、俺に確認するすべはないと気がつく。だが、この男にはもう、そんな知性はもう残っていない。
「あっ、わたっ、私の他にあと四人います。一人は、女、寅人族の赤毛を三つ編みにした女、細い、爪、赤く塗って、名前、レニファ。ふっ、二人目、ホビトル族、小柄、筋肉質な茶髪のおっ、おとこ、名前、ナイラ。あっ、あと」
次々に、この男は仲間を売っていく。
そのことに罪悪感はいっさい感じていないようだ。
「こっ、これで全員! 全員です! ちゃんと、言った、言ったからぁ、だから、薬ぃ、お薬ぃ」
「いい子だ。素直にしているうちは薬をやろう」
薬を投げつけると男は再び麻薬に飛びつく。
「ついでに餌の時間だ。ほら食べろ」
まるで犬用の餌入れに腐臭がする残飯を大盛りにしたものを、牢屋の扉のしたから通す。中身はクズ野菜と干肉を作ったときにでるクズ肉。
保存状態が良くなく、変な糸を引いている。ゴミ捨て場から拾わせてきたのだから当然だ。
臭くて鼻が曲がりそうだ。
「すっ、すごいごちそうだ! うまい、うまいぃぃぃ、こんなうまいの初めてぇぇぇえ」
そして、そのゴミを心底うまそうに頬張る。まるで犬のように皿に口をつけてむさぼる。
その様子を見ながら考える。
麻薬を少し強くしすぎた。これでは壊しすぎだ。このままでは帝国でばらまいたところで、うまく広まらないだろう。濃度を薄く調整しよう。あと幻覚効果が強すぎるので、そこも調整対象だ。
いい実験になった。薬で言うことを聞かせて二重スパイに仕立てようと思ったが、これはもう再利用はできない。
せっかくだから、こいつから聞き出した残りのスパイに、調整した麻薬を試してみよう。今度は壊さない程度に加減しないといけない。
「痛いっ、痛いっ、痛っ、あっ、気持ちいいぃ。気持ちいい。あひゃはひゃは」
腐った飯を喰って腹を壊しているはずの男は心の底から気持ちよさそうな声を上げた。たぶん、あの男はあれで幸せなんだろう。
◇
結局あれから、いろいろと麻薬の濃度を変えたり、比率を調整したり、投与する間隔を工夫して、三人目でようやく、二重スパイに仕立てあげることに成功した。今後は偽情報を流すのと、帝国の情報収集に利用しよう。
二重スパイに仕立てた一人は、理性をある程度保っていながら、定期的に麻薬を摂取しないといきていけない理想的な状態にまでもっていくことができた。
帝国の正規諜報部員なだけあって、能力的にも優秀で今後の活躍が期待できる。
残りは使い物にならなくなったが得たものは大きい、彼らの犠牲のおかげで帝国にばら撒くのに理想的な濃度に麻薬を調整できた。
調整が完了したあとは、エルシエからもってきた硫黄とカクレシビレダケと、アルコールの粉末。それにベル・エルシエの大麻を使って大量に量産している。
もともと、一つの錠剤が100mg程度なので、もってきた原料で作れる限界の80kgでも、相当数の麻薬が作成可能だった。
「行かれるのですか、シリル様」
「うん、やっと満足の行くものができたからね。ヨハンには、ベル・エルシエに居る間、ずいぶんと世話になった」
俺は高速馬車でベル・エルシエを出発しようとしていた。そこに、コボルト族のヨハンが見送りに来ている。
積み荷には、麻薬、そして大量の偽札が積まれていた。
偽札は、大麻の葉や茎を原料にエルシエで大量生産されたものだ。俺が見ても本物と見分けがつかない品質で出来上がっている。
「もうすぐ、エルシエの精鋭部隊のかたが、到着すると聞いております。しばらく出発を遅らせては?」
「ダメだよ、もう時間がないからね」
戦争が開始されるまであと一ヶ月。今から動けばぎりぎり偽札と麻薬でダメージを与えることができる。
「猪豚族のような野蛮な連中のところにシリル様が一人で行かれるなど!」
「一番面倒になりそうなところだから俺がいくんだ。それに反帝国の勢力の中だと、猪豚族はエルシエについで規模が大きいところだ。失敗は許されない」
偽札と麻薬は俺達が直接ばらまくわけじゃない。
帝国の周辺の村々の人たちを使う。
前回帝国へ偵察に行ったとき、反帝国の村に出向き、顔を合わせておいた。今、エルシエは反帝国の希望のような立ち位置なのでどこも快く俺を出迎えてくれた。
そこで偽札の話はすでにしてある。
反帝国派の村々はどこも財政も食糧事情もまずい。喜んで、偽札で食料を買い占めてくれるだろう。
その際に、帝国民相手に麻薬も売らせる。使い始めはただの気持ちよくなる薬。よろこんで麻薬にはまりこんでくれるだろう。……依存した時の恐怖も知らないままに。
一番、規模が大きく凶暴な猪豚族のところには俺が行き、順次追加の偽札が完成次第、エルシエからロレウをはじめとしたエルシエの精鋭部隊、イラクサの面々が高速馬車で他の村を回る。ロレウたちには、ベル・エルシエで俺が調整し終えた麻薬を回収するように伝えてある。
これにより、複数の村からいっきに、偽札と麻薬が流入するだろう。
「それでは、コボルト族の精鋭を何人か連れて行ってはどうでしょうか? イラクサの方々ほどではないにせよ。力になれると思われます。猪豚族の獰猛さは群を抜いています! さすがにシリル様でも一人では」
ヨハンがやけに俺を心配してくれている。
だが、大丈夫だ。
「俺は一度、向こうの長とは話している。心配ないよ」
多少のトラブルはあったが、実力行使も含めて対処し、事なきを得ている。
今回の交渉もきっとうまくいくだろう。
彼らは確かに野蛮だが、単純でわかりやすい。表面上は笑みを浮かべて腹に一物を持っている連中よりよほどいい。
「あああ、シリル様」
俺はまだ、心配顔のヨハンを尻目に、馬にムチを入れて、帝国の近隣の村々へ出発をした。
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