第八話:帝国の弱点
2015/7/30 第一巻、モンスター文庫より発売決定しました
俺は帝国のスラム街にあるあばら家で荷造りをしていた。今日にはここを出発する。
帝国に来てから三週間ほど経っていた。
その間、情報収集を中心に行っている。アシュノからの干渉はないが、常に見張りがつけられているのを感じていた。他にも帝国周辺の反帝国の立場をとっている村や町と様々な交渉をしており、手応えがあった。
帝国に反感を覚えている勢力は殊の外大きい。
不思議と帝国から出れば監視が外れる。だからこそ、他の勢力と交渉ができたが、何か帝国の中に隠したい機密があっての行動かもしれない。
帝国で俺についていた監視は、どことなく気配がエリンのお嬢様に付き従っているじいと似ていた。おそらく、じいが言っていた同類だろう。
戦争の際に投入されれば脅威になる。一人、二人ならどうにかなるかもしれないが、数十人、あのクラスの化け物が来ればまともな手段では対抗できない。
監視以上のことをしなかったということは、アシュノの私兵だろうが、油断はできない。
「楽には勝たせてくれないか」
改めて今回の戦いの厳しさを認識する。
情報収集も彼らの陰におびえながら行っていた。逃げるだけなら、どうとでもできるとはいえ、かなり神経を消耗している。
「だが、得るものは多かった」
帝国を崩す方策が見えてきた。
帝国が流通させている債券。金貨五枚で購入できて翌年に金貨六枚と交換できるものだが、驚いたことにこれが紙幣として流通しはじめていた。
確かに、一般市民の生活は悲惨なものだが、帝国の絞り上げから逃れた一部の大商人や、貴族の中では経済がむしろ活性化している。
紙幣は金貨と違い、軽くかさばらないので利便性が高い。さらに、一時的にとはいえ、金そのものの流通量が増えている。債券に書かれた金額の合計は、もとの金貨より多いのだ。
この効果を認め、今は四大都市のひとつでしかやっていない債券を他の都市でもやっていくらしい。
金を搾り取るために考え出されたシステムが思わぬ効果を生んでしまった形だ。
「紙幣のいい面を享受したんだ。ちゃんと落とし穴にはまってもらわないと」
紙幣というのは人類の最大の発明であると同時に、何度も失敗を踏んできて無数の被害をもたらした。
そもそもただの紙切れを金貨と同じ価値のものとして扱うことができるのは、来年金貨と交換できるという約束、そしてそれができると信じさせる帝国に対する信頼があるからだ。
それが崩れた瞬間紙切れになるリスクがある。
「この分だと上流じゃなくて、下流まで債券を紙幣として使いだすのは時間の問題か」
金貨と変わらず使え、なおかつ金貨五枚分で金貨六枚分の債券を購入できるのだ。持ち金すべてを債券に変えはじめるのも時間の問題だろう。
俺の読みでは二か月後にはそうなっている。
だからこそ、そこを狙って叩き潰す。
俺は研究用に購入していた債券を光にかざす。
「一応は、偽造対策を頑張っているみたいだな」
その債券は、透かしや、掘り込み、さらに帝国特有の特殊な配合をされたインクを使っており、徹底的に偽造対策されている。
もっとも、薄く強い紙を作る製紙技術や、大量発行を可能にした印刷技術など、これを作れる国そのものがほとんどないだろう。
だが……
「俺なら偽札を作れるな。透かしや、掘り込みも、ドワーフのクイーロになればどうとでもできる。インクの材料と調合法も解析は終わった」
笑みを深くする。
紙幣の価値を落とすのは簡単だ。帝国が金貨と交換できないほど大量に流通させればいい。そのことに周りが気が付いた瞬間、紙幣の存在はただの紙切れに変わる。
帝国の住民たちは後先を考えずに手持ちの金貨をすべて債券に変えていく。その後に債券が価値を失えば、その経済的なダメージは計り知れない。恐慌や暴動が発生し帝国の国力を盛大に削いでくれるだろう。
紙の原料は近々大量に手に入る。嵩張らないインクのほうは原料を帝国で買って帰ればいい。
偽札をばらまくタイミングで不安を忘れる薬を併せてばらまいてやる。現実から逃げ出したい連中はのめりこんでくれる。うまくやれば、戦争の前には帝国をズタボロにできるだろう。
俺は必要な買い物を済ませて帝国を後にした。
帝国を出る間際、視線を感じ振り向くと。翡翠眼の少女が手を振って見送ってくれた。
言葉はかわさない。それがお互いのためだから。
◇
それから、一週間ほどの旅路を経てエルシエにたどり着いた。
途中でベル・エルシエで再び、麻の生育状態を確認したがきわめて順調で来月には収穫ができるところまで来ている。
天候が良く、肥料がばっちり決まったのもあるが、ベル・エルシエのみんなが頑張って世話をしてくれたおかげだろう。
「やっと、帰ってきたか」
エルシエの様子を見て感慨深くつぶやいてしまった。
たった一か月なのに、ずいぶんと懐かしく感じる。
エルシエの外壁は、突貫作業で作っている防壁におおわれている。基礎工事は大体終わってきた。予定よりも前倒しで工程が進んでいるようだが、手抜きをした様子もなく、かなり心強く感じる。
門を通ろうとして、門番を務めているエルフの一人に声をかけようとすると、すごい勢いで銀色の影が門の中から飛び出してきた。
「シリル兄様!」
声とほぼ同時に、俺の腰あたりに銀色のキツネ耳ともふもふの尻尾が生えた少女が抱き付いてくる。紅色の宝石がついた首飾りが良く似合っている。
「シリル兄様! シリル兄様! シリル兄様!」
俺の名前を連呼しながら、頬をお腹あたりに擦り付けて、尻尾を振っている。
ここまで懐かれると嫌な気はしない。俺はぽんぽんと頭を撫でる、少女は目を細めた。
「ただいま、ユキノ。少し見ない間にずっと甘えん坊になったね」
「お帰りなさい。シリル兄様。ずっとシリル兄様が居なくて寂しかった」
ユキノは顔を赤くしてそういうと、抱擁をとく。そして右に並ぶと気恥ずかしそうに俺の手を握った。
「よく、俺が帰ってくるってわかったね」
「シリル兄様がベル・エルシエから鳩を飛ばしてくれた。天候を踏まえた鳩の移動速度とシリル兄様の性格から想定される出発時間と、休憩頻度とペース配分を逆算したら、これぐらいにつくって予測して、見張ってた」
「さすが、俺の一番弟子」
俺が褒めると、ユキノは撫でて撫でてと言いたげに頭を差し出してきたのでわしゃわしゃと乱暴に撫でる。これぐらい強いほうがユキノは喜ぶ。よほどうれしいのか俺に体を預けてきた。
「俺がいない間、問題はなかったか?」
ユキノの首飾りについている宝石……使い捨ての通信魔術の媒体が残っているのでそこまで大きな問題はなかっただろうが、聞かずには居られなかった。
「とくになかった。山賊や帝国の脱走兵が襲ってきたから焼いたり、別の山からオオカミの群れがやってきて、ヤギを襲ってきたから焼いたり、ロレウ様がしつこいから焼いたり、あとほかにもいろいろ焼いた」
「……それを特に何もないっていうのはどうかと思うよ」
本当にこの妹分は頼りになる。
あとでロレウをしめておかないと。温厚なユキノが実力行使に出るようなことだ。よほどのことをしたのだろう。
ユキノを見ると、一ヶ月程度しか離れていなかったのにずいぶんと成長したように感じる。この年頃の女の子はちょっと目を離しているとすぐに大人になってしまう。
「あと、シリル兄様、たくさんコークス作ったし、硫黄もちゃんとわけて保存してる。両方とも、シリル兄様にお願いされてた量の倍は作った」
「それは助かる。今度の戦争でいっぱい使うからね」
マナを使った魔術に頼れない以上、どうしても科学技術を使った戦いに比重をおく必要がある。火薬の原料になる硫黄はいくらあっても足りない。手りゅう弾、大砲、地雷。そのどれもが火薬を使うのだ。
ハーバー・ボッシュ法による窒素固定で、硝酸は大量に予定できるが、硫黄を得るには地道に石炭から分離させるしかない。
それをクイーロを使うことなく用意してくれるユキノの存在は非常にありがたかった。
「頑張ったユキノをたくさん褒めてあげないとね。あとで久しぶりにブラッシングしてあげるよ。実は、お土産にいいシャンプーが手に入ったからね。すっごく艶々のさらさらになるよ」
「お姫様の尻尾! シリル兄様大好き!」
ユキノが大喜びで目を輝かせる。
本当にかわいらしい。
そんなユキノを見ながら、この子がお嫁に行ったら俺は泣くなと思った。
ユキノはもう十二歳。あと二年もすれば結婚できる。こんないい子を周りの男は放っておかないだろう。
「じゃあ、俺は行くね。ルシエとクウに早く会いたいんだ。ブラッシングは明日の夜にも」
「シリル兄様」
小声で俺の名前を呼びながら、ユキノは俺の手を引いた。
「どうしたんだい、ユキノ」
「ご褒美、先にほしい」
申し訳なさそうに顔と耳を伏せたままで、ユキノは口を開いた。
「どうして?」
「シリル兄様、家に帰っちゃうと、ルシエ様とクウ姉さまのことで頭いっぱいになって、ユキノのこと忘れちゃう」
「そんなことないよ」
「ある!」
珍しく、ユキノが大声を出して俺は驚く。
ユキノは俺を独り占めしたかったのだろう。だから、こうして門の前で待ち構えていた。子供特有の独占欲。その気持はわからなくはない。
「ごっ、ごめんなさいシリル兄様」
言った本人も驚いたらしくしゅんとなってしまった。
「でも、もう少しだけ、ユキノのシリル兄様で居てほしい。ご褒美が終わるまで、ユキノと一緒に居て。……だめ?」
上目づかいでユキノはおねだりしてきた。
俺は苦笑する。
「いいよ。じゃあ、俺の工房に行こうか。そこでブラッシングをしてあげる。でも一時間だけだからね。いろいろと仕事もあるから」
「ありがとう! シリル兄様。わがまま言ってごめんなさい」
きっと、一か月の間、大好きなお兄ちゃんと離ればなれになっていたから寂しくて調子がくるっているのだろう。これぐらいのかわいいお願いを聞くぐらいはやぶさかじゃない。
「いいんだ。我がまま言うのは子供の仕事だし、お兄ちゃんもうれしいさ」
「ユキノは、子供? でも、子供だからシリル兄様は」
ユキノは、俺の言葉を聞いて、一瞬複雑そうな顔をして、いつもの笑顔を浮かべた。
「いこっ、シリル兄様!」
俺の手を引いて先を歩くユキノ。
今日は念入りにブラッシングをしてあげようと俺は心に決めた。
書籍の最終稿に時間がかかってしまい、申し訳ございませんでした。無事月夜の手がとどかないところに原稿はいきました。今日から再開します。
2015/7/30 第一巻が発売です。50P弱の書き下ろしで、クウの許婚になるエピソードからはじまり、お祭りでのルシエ、クウ、シリル三人がとある誓いをする経緯を書いております。気合入れて書いたので、ぜひ読んでくださいな。それでは