第七話:契約
「こうして話すのは初めてか。俺はシリル。エルシエのシリルだ」
俺は振り向いて背後に立っていた女性に声をかける。
十代後半で、すらっとした均整のとれた体つき。明るい金色の髪に、何より特徴的なのはエルフの上位種、ハイ・エルフの証たる碧色の瞳……【翡翠眼】。
エルフとしての本能が、彼女に跪けとささやている。
直接会ったのは初めてだが、胸の中を狂おしいほどの懐かしさが駆け巡った。
「これは、ご丁寧に。わたしはアシュノ。この世界の英雄で、守り人をやっているの」
ぺこりと礼をする。その姿が非常に様になっている。
「参ったな。君は、俺がこんなにはやく帝国の狙いに気付くとは思わなかったと言ったが、俺もこんなにもはやく君に見つかるのは予想外だったよ。警戒はしていたんだけどね」
髪を黒くし耳を隠している。それだけではなく、魔力の波長や魂で見つかるので魔術で偽装をかけていた。
「それで、隠しているつもりだったんだ。ねえ、教えてあなたは何? 父さんの、大魔導士シュジナの、いったい何? 嘘はつかないでね。父さんのことで嘘をつかれたら……自分を抑える自信がないの」
肌を刺すほどの殺気がアシュノから放たれる。
俺は慎重に言葉を選ぶ、間違えれば死ぬ。
「俺はシュジナの生まれ変わり。……シュジナの記憶を持っているだけの赤の他人だ」
そう、確かに俺はシュジナと同じ魂、そして記憶をもっている。
だからなんだというのだ。俺は始まりの魔術師シュージでも、アシュノの父親であるシュジナでもない、シリルだ。シリルとして生きてきて、これからもシリルであり続ける。
「なるほど、あなたはわたしの父さんじゃないんだ。懐かしい魂の匂いしたから期待したのに……」
一瞬だけ、アシュノが親とはぐれて泣きそうな子供に見えた。
【俺】の話では五百年前、必ずまた会えると約束してシュジナのときの【俺】は死んだ。その約束を信じ続けた彼女にとって俺の言葉はどれだけ残酷に聞こえたのだろうか。
「俺はシリルだ。君の父さんじゃない」
「わかった。シリル、いいものを見せてあげるわ。ついてきて」
背中を向けてアシュノが歩き出す。
俺は無言でそのあとを追った。
◇
「ここは、どこだ?」
「帝国兵の訓練場、ここで兵士たちが鍛えているの。新兵と旧兵を合わせれば一万人を超える。その兵を二か月でものにしようと頑張っているの」
アシュノに連れてこられたのは、帝国の訓練場が見渡すことができる丘だ。
すさまじいまでの熱気がこっちにまで伝わってくる。
「なんだ、この異様な空気は」
「みんな、必死なの。聞いてみるといいわ」
俺は、【知覚拡張】を使って訓練場の音を拾い始める。
そして、背筋が冷たくなった。
「これは……いったい」
訓練場には怨嗟の声が響き渡っていた。
「悪魔を! エルフを殺せ!」
「奴らを根絶やしにしろ」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
エルフに見立てた、丸太に数人が血走った目で剣を叩き付けている。
理性なんてない純粋な殺意に突き動かされての行動だった。
「どう、びっくりした?」
「これは、いったい……」
兵士たちの行動は人に強制されてのものではない。本心からでないとあれほどの殺意は放てない。
「わかっているんでしょ? 今までエルシエは帝国兵を殺しすぎた。当然兵士には、家族も友達もたくさんいる」
「それはわかる。だが、それにしても異常だ」
「まあ、それは帝国の努力かな」
その一言で状況が理解できた。
「プロバカンダか」
「その通り、やっと紙が安価に作れるようになったし、それなりに識字率があがったからやりやすかったよ。少なくともこの街の人間にとっては、今回の戦争は凶暴なエルフからの侵略戦争で、必死に防衛するも劣勢。街を守るために何人もの兵士が犠牲になったって認識なの」
馬鹿な話だ。エルフがこの街を攻める理由なんて何一つない。
俺たちは滅ぼされたくないから戦うしかなかった。そこまで追い込んだのは帝国だというのに、まるで立場が逆転している。
「それだけじゃないだろ?」
「うん、もちろん。街の人たちはこうも信じている。今の苦しい生活は全部エルフのせい。エルフがいる限り、この地獄が続く。エルフを滅ぼして初めて幸せになれるってね。あそこで訓練している人たちは、恨みに身を焦がしながら、大事な人を守るために、幸せになるために必死に剣をふるって強くなろうとしている。今までエルシエが勝ってきた帝国兵とは士気が段違いよ。それは急造兵の練度の低さを補ってあまりある」
かつて、俺はエルシエの訓練に帝国への恨みを利用した。
それと同じことを数百倍の規模で実施されている。はっきり言って怖い。街一つがそのまま敵になったようなものだ。
「教えてくれ、アシュノ。これは、お前が仕込んだのか。お前は、エルシエを滅ぼしたいのか?」
「違うよ。わたしは知っていて止めなかっただけ、今回の絵を描いたのはシリルもあったことがある四大公爵の一人、ヴォルデック」
あの男か、かつてベル・エルシエであった切れ者の男の顔を頭に思い浮かべる。
「そして、今回の戦争に協力するってわたしは約束したの。その意味がわかるよね?」
「一万を超える士気の高い兵が豊富な食料で襲い掛かってくる。しかも、俺たちは、今まで帝国との戦いで優位を作っていたマナを使った属性魔術を使えない」
アシュノはハイ・エルフであり、固有能力、【マナ完全掌握】を使える。彼女の支配領域では、地・火・風・水。すべてのマナが彼女に従う。
エルフも、火狐も、彼女の前ではその力を失い、優位性がなくなる。
「勝ち目なんてないってわかるよね?」
「なぜだ。なぜ、アシュノは帝国の味方をする!」
「それはね、シリル。あなたを壊して父さんにもう一度会うためだよ」
透き通るような綺麗な笑みをアシュノは浮かべた。
「本当はね、シリル。あなたの正体にはうすうす気付いてたんだ。はじめて父さんの匂いがして話しかけたときは、父さんじゃないって思った。でも、後から出てきて邪魔をしたのは間違いなく父さんだった」
たった、あれだけでアシュノは俺のことに気がついたのか?
「だからね、シリル。君の中に父さんがいるって仮説を立てた。シュジナの資料を片っ端から漁ってね。とある年齢で急に人格が変わったってあって確信した。わたしはシリルの心を壊して、父さんを引きずり出す。そのために、君の大事なものを全部壊そうと思ったの。私が一人で君の留守を狙って皆殺しにしてもいいけど、それは理不尽で終わる。だから、ちゃんとあなたの土俵、戦争で勝負した上で何も守れなかったと絶望してもらう」
かつて、【俺】はこう言っていた。すべてを諦めた瞬間、シリルとしての俺は死に【俺】が前面に出ると。
そのためにアシュノは帝国に協力しているというのか。
「シリル、君には悪いけど。わたしは五百年も待った。わたしには父さんしかいない。ひどいことだってわかっているけど諦めきれない」
もし、俺はルシエやクウを失って、だれかの大事なものを奪うことで取り戻せると知ればアシュノと同じ行動をとっただろう。
「そうか、アシュノの考えはわかった」
俺はナイフを取り出し逆手にもち、自分の喉めがけて引き寄せる。
この勢いだと間違いなく致命傷を負うだろう。
「いったい、どういうつもりかな」
激痛をこらえ、脂汗を流しながら、アシュノが口を開く。
ナイフは俺の喉を突くことはなく、アシュノの手の甲に突き刺さっていた。
彼女はとっさに俺の喉とナイフの間に手を差し込んだ。
ぽたぽたと赤い血がこぼれる。
「交渉をしようアシュノ」
俺はナイフをアシュノの手から引き抜く。
彼女は自分の手に魔術をかけて癒した。
「俺が自殺すれば、アシュノは自分の父親……シュジナと会えなくなる」
なにせ、彼女にとって俺は宝箱だ。その宝箱ごと宝が壊れることは絶対に避けたい。
そのためなら自分の身を挺して止める。
「自分の命を盾にして、わたしを止めるつもり? エルシエを襲えば自殺するとでも言って」
「そんなことは言わないさ。そんな条件をアシュノが飲むわけないことぐらいはわかる」
なぜなら、どっちみちシュジナと会えない条件になるからだ。それなら強硬な手段をとる。
俺が恐れるのは、アシュノが一生あきらめないこと。
今回を凌いでも、何度でも、何度でも、襲い掛かってこられると、いつか俺は屈してしまうだろう。
それを防ぐための方法は一つだけ存在する。
「提案だ。戦争をしよう。ただし、どちらが勝つにしても無駄な殺生はしないこと。俺が降伏した場合、アシュノの力で可能な限りエルシエの民を救ってくれ」
エルフや火狐を心の底から憎んでいる兵士たち、もし戦争に負ければどう転んでも虐殺される。
だが、英雄であり信仰されている彼女なら止めることができる。
「それをすることにどんなメリットがあるの?」
「もし、俺が負けたら。俺はシリルを捨て【俺】に体を明け渡す。逆に、それ以外の手段で【俺】を呼び出すことを強要するなら。たとえ自害することになろうと、【俺】を表に出さない」
「……わたしが父さんに会いたければ、条件を飲むしかないわけね。それで、もしあなたが勝ったらどうなるの?」
「アシュノには、未来永劫。父親に会うことを諦めて貰う」
「勝てば、父さんに会えて、負ければ少なくともシリルが生きている間は会えないってわけ。いいわ。誓う。【魂の誓約】は使えるでしょう?」
「もちろん」
【魂の誓約】はかつてシュジナが開発した魔術。
お互いの魂に契約を焼き付け、その契約を違えれば死ぬ。
「「【魂の誓約】」」
二人同時に魔術を起動。
契約事項は三つ。
1.俺とアシュノは可能な限り虐殺を抑止する
2.アシュノが勝った場合俺は、【俺】に体を明け渡す
3.俺が勝った場合、アシュノは父親のことを諦める
無事契約魔術が完了した。
「最後の戦争は三か月後よ。それで決着をつけましょう」
「了解した。それまでに準備を整えるよ」
三か月。長いようで戦争に備えていればすぐに過ぎ去っていく時間だ。
「アシュノ、【俺】からの伝言だ。【俺】のことは忘れて、自分の幸せを見つけろ。世界を守る必要もない。自由になってくれ」
夢の中で、【俺】は、自分からアシュノを解放したいと言った。【俺】が唯一真剣に俺に向かって放った言葉だ。
「できないわ。五百年ずっと、できなかった。だからわたしはずっと、父さんを待ち続ける」
アシュノと別れる。
次に会うときは戦場だ。
俺は覚悟を決める。
帝国の兵は予想以上の脅威だった。事実を歪め、街の人間をほぼすべて兵士にするという非道な手を使った。
逆説的に言えば、一般人だからと言って容赦をする必要がないということだ。
もう俺はためらわない。最後の一線を越える。どんな手でも使って見せよう。大切な人たちを守るために。