第二話:出発
クウとしばらく話していると、彼女は疲れて眠ってしまった。
あの魔術は子供にはもちろん、母体にも負担がかかる。クウが眠ってしまうのも無理はない。
魔術は一度ではなく、複数回の実施が必要だ。次は一か月後だ。魔力は魔術回路を特定波長の照射で変異、破壊させてから回復させることで強くなるが、一カ月ほどの期間を挟まないと、完全に壊れてしまう。これだけは魔術で回復を促進することができないので待つしかない。
回復期間を置き、定期的に実施することで限界まで魔力量を増やすことができる。
俺は、クウに毛布をかけてしばらく寝顔を楽しんだり、お腹に耳を当てて新たな命の音を確かめてから、一通の手紙をクウの枕元に置いて、工房を後にした。
◇
「遅いわね。準備は出来たのかしら?」
待ちくたびれた様子でエリンの長である青髪のお嬢様、アスールが声をかけてくる。
「約束の時間より少し早いぐらいだけど?」
俺はあらかじめ、コークスの作成や、クウへの施術の時間を見越して待ち合わせの時間は余裕をもって決めてあった。
「そうね。だけど、暇だったのよ」
わがままな人だ。案内役に長代理であるクラオをつけていたがそれでは満足できなかったらしい。質問攻めでも受けたのか、クラオはぐったりしている。
「こっちにも色々と準備があるんだ」
俺は手を振り、ルシエをはじめとした、エルフたちを呼び寄せる。
彼らの手には、中身がぎっしり詰まった麻袋が入っていた。
「それは何かしら?」
「エリンに用意してもらったエルシエの大使館で売る目玉商品だ。これは肥料だよ」
「肥料?」
「ああ、この土を撒くと作物が良く育つ」
魔術でハーバーボッシュ法を使い空気中から窒素を固定化してできた硝石、それを火薬ではなく肥料として使う。
この肥料の需要は大きい。作物の生育に必須となる窒素とカリウムを供給できる。
通常、畑の土を作る際に窒素とカリウムをたい肥で補うのだが、大規模な農場になると、畑全てに行き渡らせるほどのたい肥を作るのは不可能だ。よって、満足に肥料が行き渡らず収穫量が減る。窒素とカリウムの入った肥料は喉から手が出るほど欲しいはずだ。
「ちょっと、開けてみていいかしら」
「どうぞ」
アスールは袋を開いて、黒い土を手に取ると、すんすんと匂いを嗅ぐ。
「これは本当に効果があるのかしら?」
「それは保証する。ただ、使いすぎは禁物だ。その麻袋一つにつき、そうだね……アスールの右手にある畑一つが適量だ。それを撒くだけで、小麦なら収穫量は1.5倍から2倍になるよ」
「それはすごいわね。それで、値段は?」
「一袋につき、銀貨二十枚(二万四千円)」
「たい肥の四分の一もしないわね。それだけの効果があるなら、随分と魅力的な買い物だわ……そうね。まずは、私が全て買い取るわ」
「何のために?」
「実験よ。私の所有する畑を半分に区切って片側は従来通りに、もう片側はその肥料を使って今年の作物を育てるわ。それで効果を実証する。そうすれば効果は一目瞭然でしょ? 効果があるようなら、有力者を集めてプレゼンするわ。」
「願ってもないことだが、どうしてそこまでしてくれる?」
「エリンの利益になるからよ。効果があるなら一秒でもはやく広めないといけない。あなたが普通に売っても、なかなか広まらないと思ったの。それはエリンにとっても損失だわ」
「俺のことを信用してくれているんだな」
「ええ、あなたは少なくとも取引で嘘をつく三流ではないから」
いつか、俺が言った言葉をそのまま返された。俺は苦笑する。
「エリンの長自ら、宣伝をしてくれるんだ。見返りに何を求める」
「そうね、三年は値上げしないでいただけるかしら?」
「おやすい御用だ」
俺はもともと、銀貨一枚で安く売り、その後効果を認識されれば値段を釣り上げる予定だった。
そうすることで、少ない売上で利益を確保する。
だが、本気でアスールが宣伝するなら、薄利多売で、十分利益が確保できる。
エリンでこの肥料が爆発的に広まれば、食料の値段が全体的に下がるのも見逃せない。
エルシエの支出の九割近くは食料だ。食料の値下げは、かなりの利益が得られる。
それに、今後買い込む食料は増えていく予定だ。今年のエリンは豊作で問題が無かったが、凶作の年は必ず来る。そうなればエリンでの購入に食料を依存しているエルシエは詰んでしまう。
そうならないために、エリンの収穫量をあげて食料を余らせるのは必要なことだ。
「さあ、みんな積み込んでくれ」
エルフの馬車に肥料をはじめとした荷物をどんどん、積み込ませていく。
今回は、設計図の読み解き方と、工房の仕組みを教えるために行くが、他にもエリンに出来たエルシエの大使館。自由に商売ができる屋敷を見に行くと言う目的もある。
そのため、エルフ側も馬車をだし、俺の他にも、村一番の力持ちにして、精鋭部隊イラクサの代表のロレウとその取り巻き二人。火狐は、クウの師匠である灰色のレラも同行する予定だ。レラと目があった。
レラが意味ありげに微笑む。
早朝、レラと交わした会話が頭に浮かんだ。
◇
クウの下に向かう途中、十十代後半で、大人の魅力にあふれた灰色の火狐のレラが声をかけてきた。
「長、少しお話をさせてくださいな」
「それは構わないが、時間がない。あとにしていいなら、戻ってから聞く」
「大事な話です。クウ様についてですよ」
「わかった……聞こう」
クウのことなら、後回しにするわけにはいかない。
「もし、あなたはクウ様との間に産まれたのが、灰色でも自分の子供を愛せますか?」
子供の話。さすがに師匠だけあって、クウの妊娠に気が付いていたらしい。
灰色は火狐の中でもっとも低い能力で下に見られている。そんな子でも愛せるかとレラは聞いてきた。答えは決まっている。
「当然、愛せる」
「そう、あの男とは違うのね。その言葉が嘘なら私はあなたを許さない」
「どうして、そんなことを気にする」
「姉として妹のことを心配するのは当然だと思いません? まあ、血の繋がりだけで認知されていないし、クウ様も知らないことですけど」
レラの話では、クウの父親は長としての体面を守るため、灰色の火狐として産まれたレラを自分の子供として認めるわけにはいかず、親戚の家に生まれた子供という扱いにしたらしい。
彼女は言った。天才であるクウに、魔力以外は自分よりも上と言わせるほどの能力は、父親に認めさせるために、必死に身につけたものだと。
……灰色でも実力を示せば振り向いてくれると信じていたから頑張れた。
「クウを憎まなかったのか?」
「憎い。過去形ではなく、今も、憎んでいますわ。血反吐を吐くほどの努力をして、それでも得られなかった地位をあの子は金色に産まれただけで手に入れましたし。
私の努力の成果も、あの男の命令で、あの子を強くするために使わされた。あの子の訓練中も憎しみが膨れ上がってきましたわ。私が一月かかって覚えたようなことを、あの子は一目見ただけで覚えてしまうし、立場と能力、両方の嫉妬で気が狂いそうでしたわ」
その目はぎらついて、言葉には無数の棘があった。それほど、憎んでいるのであれば、どうして心配するのだろう? 俺は疑問を覚えたが、言葉に続きがあった。
「……それでも、私を見下さず、同情もしなかったのは、あの子だけ。真っ直ぐな目で、好きだって言ってくれたのはあの子だけ。だから、憎いけど、大好きで、幸せになってほしいと私は思う。だから、もし、あの子が灰色を産んだときに責めたりしたら、絶対に許しませんわ」
「約束するよ。もし、産まれた子供が灰色でもクウを責めたりしないし、ちゃんと子供を愛する」
「約束しましたから」
それだけ言い残すとレラはお辞儀をして去って行った。
◇
回想が終わる。
レラは、まるで灰色が産まれることを確定事項のように言っていた。そして、クウがお腹に宿したのは、金色と灰色の双子。これは偶然だろうか?
俺は、その場でどんな子供が産まれても愛すると答えた。だが、実際は手を加えて無理やり強い子が産まれるようにしてしまった。魔力量が引き上げられた俺の息子は、魔力の強さが毛色に反映されるため、クウのような金色で産まれて来るだろう。
それは結局、灰色を認めなかったという点ではクウとレラの父親と同じかもしれない。
「シリル、全部積み終わったよ」
ルシエが最後の一袋をエルフの馬車に積みこんだ。これでいつでも出発できる。
「シリルさん、まだ肥料のストックはあるかしら?」
「ストックはあるが、馬車の積載量がもうない」
なにせ、エルシエの大使館で商売をはじめる。肥料以外にもいくつかのものを扱うのであまり余裕がなかった。
「それなら、エリン側の馬車にあるだけ積んで頂戴。できるだけ実験は大規模にしたいの。当然、あるだけ全部買うわよ」
「まえから思っていたが、ずいぶんとアスールは気前がいいな」
「投資は迅速にかつ最大限が、私のモットーよ」
よほど、自分の直感と分析力に自信がなければこうは言えない。なかなか肝が据わっている。
「わかった。みんな、倉庫から可能な限りもってきてくれ」
俺はエルフ達に指示をだして、倉庫からエリンの馬車で運べる限りの肥料を用意させた。
◇
「ルシエ、行ってくる。留守を頼むよ」
いよいよ、出発のときが来た。俺は、今後の話をアスール達とする必要があるのでエルシエ側ではなく、エリン側の馬車に乗ることになっている。
その前に、少し時間をもらって最後の挨拶をしていた。
「シリル、本当に行っちゃうの?」
「うん、俺にしかできない仕事だからね」
製鉄のための高炉について教えるのも、帝国の偵察をするのも俺にしかできない仕事だ。
本来、長である俺はエルシエで、どんと構えておかないといけないが、そんな余裕がない。
「シリル。私もついて行っていい?」
「駄目だよ。クウにも言ったけど、帝国では俺の命を守るだけで精一杯なんだ。足手まといはつれていけない」
「なら、エリンまでならいいよね?」
「それもダメ、エリンだって確実に安全というわけじゃない。俺がエリンを出ても、しばらくはエリンに残らないといけなくなる。俺が傍にいないときに、ルシエが危険な場所に居るのが嫌なんだ」
なにせ、エルシエの大使館で商売をする。三日で引き上げると言うわけにはいかない。
かと言ってルシエ一人が帰るわけにはいかない。俺はルシエの安全のためにエルシエにずっと居て欲しいと考えている。
「危ないのは、ロレウだって、コンナだって、レラさんだって一緒だよ? 私だって、イラクサなんだし、商売だってこの中の誰よりうまくやれる」
「そうだね。それは否定しない」
ルシエは愛想もいいし、計算高い。確かに誰よりもエリンでの商売をうまくやれる。武力の面も、エルフの中では俺に次ぐ強さがあり、適任だと言える。
「エリンに行くなら、私が行くのが適切だと思う。私を選ばない理由があるとすれば、シリルの個人的な感情だけだよ」
「うん、そう。俺の個人的な感情だ。一番大好きなルシエを少しでも危ない場所から遠ざけたい。だから、エリンへ行かせない」
俺は躊躇わずに認めた。下手な嘘をつけば泥沼にはまるし、ルシエに本当の気持ちを伝えたかった。
「嫌っていったら?」
「これは長としての命令だよ。従ってもらう」
俺はそう言い切った。誰になんと言われようとこれだけは譲れない。
「シリル、職権濫用だよ」
「これぐらいは、俺の裁量の範囲内だよ。だから、お願いだ。エルシエに残って俺を安心させてくれ。ルシエのことを心配しながら帝国での偵察をするのは俺も辛いんだ」
「……もう、そんなこと言われたら、断れないよ。好きな人が危険なところに居る不安って痛いほどわかるから。シリルのせいで」
「ありがとう。ルシエ」
俺はルシエを抱きしめて、その柔らかさと匂いをたっぷりと堪能して、心に刻み付ける。
「シリル、無事に帰って来てね。シリルが私のことを心配するぐらいに、私だってシリルのことを心配しているんだから」
「うん、絶対に帰って来るよ」
クウともユキノとも約束したことだ。
何より最愛のルシエと約束した。何があっても俺は帰ってくるだろう。
「あと、シリル。帰ってきたらいっぱい可愛がって。その、私も、クウちゃんみたいに赤ちゃん欲しい。今まで以上に頑張るから」
「……知ってたのか?」
「うん、見てればわかる。クウちゃんお腹をしきりに撫でてたり、すごく幸せそうだったから。なんとなくだけどわかっちゃうんだ」
女性は男よりも、そういうことに敏感らしい。
「俺もルシエとの子供が欲しいよ。帰ってきたら頑張ろう」
「楽しみに待ってるね。それじゃ行ってらっしゃい」
ルシエが爪先立ちになって、キスを求めてきたので、それに応える。
ルシエとのキスは特別だ。何度繰り返しても、飽きない。キスする度に幸せな気持ちになる。
「行ってきます」
俺はルシエにそう言って、今度こそエリンの馬車に乗った。
馬車が走りはじめ、ルシエの姿が見えなくなるまで俺は手を振った。
心残りはある。ルシエとクウが居るエルシエから離れたくない。
だけど、この生活をずっと続けるためにはこうすることが必要だ。