第十四話:防壁
「集まってもらったのは他でもない。エルシエの運営の方針変更についてだ」
いつもの会議室に、イラクサの代表としてのロレウ、火狐の代表としてのクウ、俺が不在時にエルシエを任せているクラオ、そしてルシエを呼んでいた。
「シリル様、方針変更というのは具体的にどういうことでしょうか?」
クラオが興味津々といった様子で質問をしてきた。
「エルシエは基本的には、作物を増やしたり、家畜を殖やすことで豊かになることに重点を置いて来た。だが、しばらくの間は防衛力の強化を重点的に行う」
今までイラクサなどの一部を除いてエルシエ全体の負担になるほどのリソースを軍事に割いてこなかった。だが、少なくともハイ・エルフと同じ能力をもつ相手が居る以上は、そうは言っていられない。
「シリル、防衛力の強化って何をするの?」
ルシエが不安そうに聞いて来た。
「エルシエ全体を覆う防壁を作る。少なくとも三か月以内に完成させる必要がある。そのために、エルシエの一部を除いた男の労働力は全て防壁の構築に回す」
「シリルくん、そんなことをしたら、火狐が育てているジャイガイモはともかく、麦が育てられなくなっちゃいます」
「うん、それは諦めた。ガラスハウスを増築して、手間のかからないジャイガイモを火狐のみんなに今まで以上に頑張ってもらって、麦のほうは耕す面積を三分の一に絞り込んでエルフの女性だけでやってもらう。ヤギと鶏は今まで通りかな」
「長、それだと、エルシエ全員を養いきれないぞ。今年の冬が越えられねえ」
ロレウの心配はもっともだ。エルシエの男全ての労働力を防壁の作成に回すのだから当然と言える。
「だから三週間後、エリンの長、アスールが結婚式の祝いに来るまでにエリンで大量に食料を買い占めて、食べきれない分は保存食に加工してため込んでおく。籠城戦が出来るように最低でも、一年間はエルシエ全員が食べていけるだけの保存食を用意する」
少なくとも、三週間の間はエリンでの商売が確実に出来る。将来的にエリン側がこちらを裏切るつもりがあっても、製鉄の技術を資料にするのに必要だと俺が言った三週間の間は絶対に裏切れない。
俺はアスールのことを信じている。それでも、国や都市というのは得体のしれない化け物だ。個人の思惑なんて簡単に塗りつぶす。
だからこそ、確実に安全だと思われる期間に保険を作る。一年分の保存食があれば、万が一エリンで食料の補給ができなくても、食料が切れる前に、ベル・エルシエ単体で食料の自給自足ができる状態を作れる。
そう考えて今回のことがなくても保存食の貯蓄を実施することは決めていた。
「シリル、どうしてそんなことするの? 帝国が攻めて来ても、イラクサの皆でこの前みたいにエルシエにつく前に倒しちゃえばいいと私は思う。もちろん、エルシエを守る防壁がいらないなんて言わないよ。でも無理せずゆっくり作って行こうよ」
「まだ未確定の情報だけど、次の戦い、属性魔術を使えなくする厄介な奴が来る可能性がある。イラクサがあの作戦を実行できたのは、風の魔術で帝国よりも圧倒的な索敵能力と、長距離狙撃能力があったからだよ。その強みを生かせない以上、少数でこちらから攻めるのは自殺行為だ」
「本当なら怖いですね。今まで怖がらないでよかった帝国の矢も脅威になります。シリルくん、その情報はどこで得ました? もしかして二重スパイの方からですか?」
クウの放った二重スパイというのはベル・エルシエに帝国が忍ばせたスパイのことだ。ベル・エルシエは難民を相当数受け入れているので、そこにエルシエを警戒している国や都市からのスパイが紛れ込んでいる。
その中の帝国のスパイを魔術と薬物で壊してから飴を与えて二重スパイに仕立ててある。他にもエリンからのスパイも居たが、今のところは、都合のいい情報を流すために有効活用させていただいている。
「クウ、そっちからの情報じゃないけど、信憑性はかなり高いよ。だけど、裏はきちんと取るつもりだ」
ここに居る面々の顔を見るとかなりの危機感が表情にあった。
それも当然だ。こちらの強みがほぼなくなっているのだから、風の魔術で矢の妨害ができないから、敵の数任せに放った矢の弾幕が届く、そしてこちらの矢は今までのような命中精度と射程はない。待ち伏せに気付くことができないから奇襲もかなり危険だ。
勝る点は矢の威力と、イラクサ全員が身体強化を使えることぐらいしかない。
クロスボウに手りゅう弾を付けて放てば、帝国以上の殲滅力を発揮することはできるが、そんなもの数十倍の人数で一斉に矢を放たれれば覆されてしまうし、風の魔術なしで、そもそもただでさえ風の影響を受けやすいクロスボウの矢に手りゅう弾を付ければ、狙いがつけられる距離は50mもない。そこは帝国の矢の射程でもある。
「長、勝てるのか?」
「勝てるよ。ちゃんとした設備と装備が用意できていれば。はっきり言って地の利を生かせる状況での籠城戦以外に勝ち目がないと俺は思っている」
それが現実だ。彼我の戦闘力に差がないなら後は数の差が決定的な要因になってくる。そして、帝国に数で勝つなんてどうあがいても不可能だ。戦力差を埋めるには有利な場所で戦うしかない。
「感情だけの話だけど、食べるものを最初から自分達で作るの諦めて買ったものを当てにするなんて嫌だよ」
「長、それは俺も思うな、それは結局エリンに弱みを見せるってことだろう?」
ルシエとロレウの言葉だが意外に二人とも考えている。
ルシエの懸念は食料自給率の低下に不安を覚えていることであり、ロレウの言葉は一国に自分たちの生命線を握らせることの危険性を述べている。
「二人とも間違っていないよ。恒久的にそうしようとは思っていない。一年だけの話だ。来年からはきっちりと自分たちで食料を作るよ。だけど、今は時間と労働力が足りない。俺たちが買うのは食料じゃない。時間だ」
今はそれが最善だと信じている。そして、それ以外に道がない。それでもまだ足りないとさえ思っている。いっそのこと、エルシエの治安を悪化させ、トラブルを抱え込んでしまってでもベル・エルシエから数十人連れてきて労働力を確保することすら検討している。
「シリルさん、教えてください。イラクサでの防衛を考えているということは、ベル・エルシエは落とされることを前提に考えているんですか?」
「あそこが落ちることはまずないよ。あの手りゅう弾の威力を見ただろう? 加えて帝国が本気で作った要塞で防壁の強度がすごい。落とすには相当の被害を覚悟する必要がある。帝国は迂回するはずだよ」
「迂回されちゃうなんて、ベル・エルシエって実はあんまり役に立たないんですね」
「違うよ。迂回する必要があるってだけで意味がある、あそこを迂回しようとするとかなり険しくて、細いけもの道を通らないといけない。ましてや大軍で大荷物かかえてだったら二~三週間は足が遅れる。その足が遅れた分、食料と水が必要になって、荷物が増えて余計に足が遅くなる。ベル・エルシエは存在するだけで帝国を縛ってくれているんだ」
付け加えて言うなら、あの立地にある要塞をこちらが抑えていることがもっとも重要だ。
「危険なのはわかったよ。でも、シリルがそこまでしようとするなんて、よっぽど信頼できる筋からの情報なんだね」
「ああ、性格は悪いけど嘘は言わないやつなんだ」
【俺】は今まで一度たりとも嘘はついていない。【俺】曰く、【俺】は意図的に勘違いを産むような断片的な情報を与えたり、思わせぶりな態度はとるが嘘はつかないらしい。
「さっきも言ったけど、きっちりと確認はしたいと思うよ」
「どうやって確認するの?」
「変装して帝国に忍び込む。実際にこの目で見れば戦いの準備をしているかどうかはわかる。あれだけ、ボロ負けしてそれでも戦うなら確実な勝算がある場合だけだから、裏を取ったことになる」
帝国は既に三度も大敗をして大規模な損害を受けている。それでもまだ戦うなら、確実に勝てる根拠を求める。
それこそ、アシュノのような存在を味方にするか、勇者を戦争に投入することぐらいだ。
「長、わかったぜ。イラクサの隊長として長の意見に賛同する。そんなやばい奴がいるなら、徹底的に守りを固めないとな」
「うん、エルシエを守らないと」
ルシエとロレウが覚悟を込めた目をした。そんな中、クウだけがどこか落ち着かない調子だ。
「クウ、どうしたんだ? 不安なのか?」
「はい、不安です」
「俺は負けないよ。今度も勝つさ」
「いえ、そこは疑ってないです。だって、私の旦那様は世界で一番頼りになりますから」
クウが何気なく放った言葉に照れてしまう。
「ごほん、惚気るのは後にしてもらえませんか?」
ルシエではなく、クラオがなぜかクウに食って掛かった。どうして男のお前がクウに嫉妬する。
「クウは何が怖いんだ?」
「属性魔術なしで勝てることが怖いんですよ」
俺ははじめ、クウの言っている意味がわからなかった。
「今までシリルくんが作ったものや戦術って、風の魔術とか、火の魔術とか、私たちにしかできない能力を活かすことが前提だったんです。でも、今回は違います。属性魔術を使えない状態で数百倍の戦力に勝てる武器や戦術をシリルくんが用意します。
それって誰でも使える、誰でも真似できるそんな技術や、戦術ってことですよね。それが本当に怖いです。それがエルシエの皆に向けられるんじゃないかって」
俺は一瞬言葉を失った。その怖さを想像してしまったからだ。今回勝って、その先に何があるのかを。
「あっ、ごめんなさい。忘れてください。今はまだいいですよね。勝てないと終わりなんです。勝った後のことなんて、早いですよね」
「ううん、クウは間違っていないよ。そこまで考えて色々準備する。ありがとう、クウ」
「はい、少しでも力になれたら光栄です」
クウが控えめな笑顔を浮かべた。
「うん、じゃあ急いでこの話は皆にしよう。少しでも早く伝達しないと、種を無駄にするし、余計な仕事をさせちゃうからね」
重くなった空気を払しょくさせるようにルシエが明るく言った。
「クウちゃん残念だね。また結婚式伸びちゃう。そんなことしている場合じゃないし」
「うん、ルシエちゃんの言うとおりですね。神様は意地悪です」
二人の嫁が落ち込んでいる。だから俺は笑顔を浮かべて口を開いた。
「三週間後の休日、結婚式は予定通りにやるよ。俺ができる最高のご馳走を用意して盛大にね。帝国に潜入して情報を集めるのはその後だ」
俺がそう言った途端、二人とも輝かんばかりの笑みを浮かべてくれた。
「嬉しいけど、本当にうれしいけど、いいの?」
「うん、使うのは一日だけだし、エリンの長にも案内はしているからね。それに俺が一日も早く二人のウエディングドレスを見たい。それを見る前に帝国になんか行ってたまるか」
心残りは少しでもなくしておきたい。
俺、帝国から戻ったら結婚式を挙げるんだ。なんてギャグにしかならない。
そこから、防壁作りや食料の買い込みの具体的なプランを煮詰めてからその場はお開きになった。
◇
会議室から出てからクウを呼びとめた。
「クウ、少しだけ手合せをしてくれないか?」
「いいですよ。でも、シリルくんから言い出すなんて珍しいですね」
「試したいことがあるんだ。今までの戦績はどんな感じだったかな」
「私が十二勝、シリル君が二十二勝です」
少し不満そうに頬を膨らませて言った。
実は、俺が純粋な体術で勝ったのはたった五勝に過ぎない。残りは【プログラム】と【知覚拡張】の複合魔術を使い、情報量を増やして、最適行動を割り出した作業で拾った勝利だ。
それで勝っても俺自身の成長はないのであまり使いたくないが、使わないとクウが手加減をしていると言って不機嫌になるので、あまり手合せをしないようにしていた。
魔術なしではクウのほうが強い。だからこそいい実験になる。
「クウ、本気で来てくれ」
「何を今更、一度も手を抜いたことはないですよ」
お互い手に布を巻きつける。俺たちの拳を本気で振り抜けば人を殺しかねない。だから、こうやって威力を軽減させる代わりに綺麗に当たれば終わりというルールにしている。
「【磁場生成】、【体内電流強化】」
俺は新たな魔術を起動させる。
【俺】が勇者を喰らったことにより、解析し、新たに得た体内魔力の電力変換の術式を使った魔術だ。
アシュノが敵に回った戦いでは、そこで帝国兵相手に魔術を使わずに勝つだけではまだ足りない。誰かが、アシュノを、勇者と同等の戦力を持つ彼女を抑えているということが前提になる。
それが出来るのは俺だけだ。
体内魔力だけでも、【プログラム】と【身体強化】は起動できるがそれだけでは不十分だ。勇者と以前戦ったときはそれに加えて、情報力を圧倒的に引き上げる風の魔術、【知覚拡張】。そして【身体強化】で上昇した身体能力を風を纏うことでさらに水増しする【風の鎧】を使ってようやく対抗できた。
最低でも、【知覚拡張】と【風の鎧】を補うだけの魔術を体内魔力だけで起動させないと話にならない。
「行きますよ」
クウの姿が消えた。そう思うほどの素早い踏み込み。
そして、最短距離で襲いかかるクウの右の抜き手、愚直なまでに真っ直ぐだが、一切の無駄がない最速の動き。目では捕らえきれていない。
だが、体は反応する。
「シッ」
俺の右手が跳ね上がりクウの抜き手を弾いた。それを予想していたかのように流れるような動きで、姿勢を低くして視界から消えたクウが繰り出した下段げりも最小限の歩法で躱し、火狐特有の柔軟性が可能にする無理な姿勢からの爆発的な加速で一瞬背後に回りこんで繰り出された攻撃を振り返りもせずに受けとめ、その手を絡め取り、捩じりあげながら関節を決めた。
「また、私の負けです。いつも思うんですけど、シリルくんの反応速度がおかしいです、人とは思えません」
「うん、やめているよ。実は今回色々と戦闘方法を変えているんだけど、いつもの俺と比べてどうだった?」
「いつも通り、化け物みたいでしたが、化け物ぶりが控えめでした」
「やっぱりそうか。もう少し、慣れておきたいから、今日は少しだけ付き合ってくれないか?」
「いいですよ。シリルくんのためだったらなんだってしますから」
「ありがとう助かるよ」
俺はクウの言葉に甘えて何度も組み手をした。
【磁場生成】はその名のとおり磁場を発生させる魔術。そこに鉄粉を撒き、あとは領域内が外部からの力がかかることで、鉄粉が動き磁場も変化する。その変化から外部の動きを演算し、最適行動で体を動かす【プログラム】に情報を渡している。
まだ、使い慣れた【知覚拡張】ほどの精度も即応性も発揮できないし、範囲も劣る。その上、魔力消費も激しい。風の属性魔術を使う場合、一の体内魔力を使ってマナを呼べば十の力が返って来たのに、全て自前で補うことになっているので当然だ。
他にもプログラムで全身に送られる電力信号の高速化や、身体能力そのものを電気信号で強化する魔術【体内電流強化】も合わせて使っている。もちろんこちらも消費が激しい。
クウと戦いながら、体内魔力だけで戦うスタイル、その模索を俺は続けていた。
◇
「クウ、助かったよ。おかげでだいぶ感覚が掴めた」
「私は、自信なくしそうです。せめて、一回ぐらい勝ちたかったです」
「俺は色々と魔術でズルしているからね」
「私も魔術使っていいですか? 半径数十メートルを火の海にしたら勝てると思うんです」
「それ、もう体術は関係ないよね?」
クウがあまりの連敗に落ち込んでいた。
だが、その甲斐あってなんとか形にはなった。でもやはり、前のスタイルよりも劣る。これは解決していかないといけない。
「シリルくん、あの場で言えなかったことを言わせてください」
「クウの頼みならだいたいのことは聞くよ」
「帝国に潜入なんて危ないことをしないでください。そんなの、他の誰かに任せればいいじゃないですか」
「それはできないよ。俺よりも適任が居ない。それに、エルシエの長である俺が帝国の本当の姿を見ておく必要がある」
「なら、私も連れて行ってください」
「ごめん、それも無理だ。火狐の特徴は目立ちすぎる。ずっと、その耳と尻尾を隠し続けるのは無理だよ」
「嫌な予感がするんです。一緒に連れて行ってもらえるなら、目立つ尻尾は切り落としても構いません。耳だけなら簡単に隠せます」
心底驚いた。火狐にとって尻尾は何よりも大切なもののはずだ。そのこだわりを俺はずっと間近で見てきた。
「そんなことはして欲しくないよ。命の次に大事なものだろう?」
「意外なことに実は私にとっては五番目です。大事な順に言うと、一番目がシリルくんで、一つ飛ばして三番目が妹たちで、四番目が命で、五番目が尻尾です」
クウの目に嘘はなかった。本当に今にも切り落としそうな勢いだ。
「それでも、尻尾を切り落とすなんて駄目だ。俺はクウの尻尾が大好きだから」
「シリルくんの意地悪。私がこんなに頼んでも、行くのをやめてくれないし、連れて行ってもくれないなんてひどいです」
「滅多に頼みごとをしないクウのお願いだから聞いてあげたいんだけど。これは譲れないんだ」
今回帝国の視察をするのは戦いに備えることだけが目的ではない。
エルシエにまだ敵対するなら、あらゆる手段をもって潰す。その判断が必要だ。
戦わない人間を大量に巻き込む判断。そこは絶対に間違ってはいけない。だから俺が行く。
「シリルくんにはエルシエに居て欲しいんです。だって……いえなんでもないです」
クウはお腹をさすりながら、なんでもないと言った。
「絶対に帰ってきてくださいね。結婚式を挙げたばかりで未亡人なんて嫌ですから」
「約束するよ。世界樹とエルフの始祖に誓ってもいい」
「シリルくんってそういうのは信じてなさそうなので、ルシエちゃんにでも誓ってください」
「それは確かに裏切れないね。でも、ルシエと約束するときは何に誓えばいいんだ?」
「そのときは私に誓ってください」
俺はクウの言葉が面白くて声をあげて笑ってしまった。
何があっても帰ってこないといけない。ルシエとクウが居るエルシエに。