第十三話:【俺】との約束
エリンとの交渉は一応の解決を見せ、早朝にアスールたちを見送った。
三週間後に結婚式をあげることを伝えており、アスール達は結婚を祝うと同時に製鉄の技術を書いた指南書と工房の図面を受け取りに来る。
予定では今日、ロレウ達が帰ってくる。今まで連絡がなかったということは無事帝国に装備の引き渡しは完了してあるはずだ。
「やけに眠いな」
早いうちにアスール達に渡す資料をまとめようと、工房で作業していたが、強烈な眠けに襲われた。生理的な欲求には強い耐性があるがとても我慢できない。
俺は作業を諦め仮眠を取ることにした。
◇
『やあ、久しぶりだね』
何もない白い部屋で、見たことがない優男の姿をした【俺】が話しかけてきた。いつもの夢での【俺】との邂逅だ。今の【俺】の姿は、封印されている五人のうちの一人だろう。
急な眠気に納得ができた。こいつが俺を呼んだんだ。
「行方不明になっていたと思ったら、急な呼び出しか……。いったい今まで何をしていたんだ? どうせ、ろくなことじゃないだろう」
ここ二か月ほど、【俺】は自分から話しかけることはおろか、呼びかけても返事すらしなかった。【俺】の存在を知ってからこんなことは初めてだ。
『ひどいこと言うなぁ。君のために、囮ばら撒いたり、魂の波長を偽装したり、色々と悪あがきと時間稼ぎに必死だったのに』
「……あのときの少女から逃げるためか。いったい彼女は何なんだ?」
聞いてはみたが予想はつく、【輪廻回帰】で呼び出した俺の一人、大魔術師シュジナ。彼だけは記憶を【俺】によって封印されている。そして、シュジナの名前はかつてハイ・エルフの少女シュノラと共に世界を救った魔術師と同じ名前だ。間違いなく同一人物。
今まで不自然なまでにその発想が湧かなかった。おそらくは【俺】が隠していたのだろう。
『わかっているんだろう? かつてシュジナはこの世界に生まれて、世界を救った。あの子はシュジナの置き土産だよ。憧れの人と、自分の血液、それにかつてエルフが守護していた世界樹を使ってつくった娘だ』
あの少女の声が聞こえてきたとき、妙な懐かしさを覚えた理由がわかった。あれは漏れ出た【俺】の感情だったのだろう。そういう感情面とは別に魔術に携わるものとしての疑問がある。
「人を一人作る、そんな魔術が可能なのか?」
俺の使う魔術はそこまで複雑なものはできない。シュジナを呼び出してもせいぜい精神を弄るので精いっぱい、だが【俺】の言う魔術は、それこそお伽噺の魔法の領域に踏み込んでいる。
『君が思っているほど魔術の底はあさくない。でも、今の君には無理だね。俺は意地悪で制限をかけているわけじゃない。なまじ、知識だけあると試そうとしてしまうし、その結果取り返しのつかないことになる。それを避けるための親心っていう奴だ。実際、君は知識の制限を解いた瞬間、猿みたいに飛びついたからね』
俺は一瞬言葉に詰まった。確かに【俺】の言うとおり、知識を取り戻してすぐ、硝石を作り火薬を生産し、麻薬の準備をはじめた。その他にも色々と裏で手を回している。
「必要だからだ! エルシエが強く豊かになるために!」
『本当にそうかな? もっと他の方法があったんじゃないかな? 自分を殺しうる武器をこの世に放つに値するほど得たものは多かったのかな? 俺には君が結局目先の欲に眩んで、未来に火種を撒いたように見える』
まるで教え子を見る教師のような目で【俺】は微笑みかけてくる。
「なら、どうして知識を解放した? 俺が失敗するのを嘲るためか?」
『まさか!? 俺は君の味方だよ。何度も助けてきただろう? あの知識はアシュノに対抗するためだよ。あの子は、ハイ・エルフに出来ることは全て出来る』
「本当なら、その子が敵に回ったらエルシエは終わりだな」
『仮定の必要はないよ。理由はわからないが、あの子は帝国に協力するつもりだし、帝国のほうも君が脅したにも関わらずせっせと戦争の準備を進めているよ』
「その情報は魔術で探ったのか?」
『それは秘密。だからね、時間がある内に魔術なしでも大軍と戦える武器を用意できるようにしてあげたんだ』
「……俺がもし火薬に手を出さなかったらどうしてたんだ?」
『君は単純だから絶対に手を出すって信頼していたよ』
ハイ・エルフは様々な特性を持つが、直接的な戦闘能力は勇者と大差ない。厄介なのは、全属性のマナに対する絶対的な支配権を持っていることだ。
ハイ・エルフの知覚範囲においては全てのマナがハイ・エルフに従う、つまり、ハイ・エルフが許可したものだけが属性魔術が使えるということだ。
今のエルフ達は、風の魔術によって矢の命中精度と射程を上昇させているし、索敵も依存している。その両方が封じられれば人間と大して変わらない。火狐たちは身体能力が優れている分、まだましだが焼け石に水だろう。
そんな状態で戦いになれば瞬く間に敗北してしまうのは確実だ。
待て、そもそも……
「その子は説得して味方になってくれないのか? 元々は娘だろう?」
敵に回すのは恐ろしいが、もし味方になってくれればエルシエにとってこれほど頼りになる存在はない。
『【俺】が前面に出るならそれも可能だと思うよ。シリルをやめて、【俺】の一部として生きて行く、そんな覚悟が君にある?』
「嫌に決まっている。俺は俺としてエルシエでルシエやクウと生きて行くと決めた」
『俺もそういう君が好きで応援しているんだ。でもね、アシュノが好きなのはあくまでシュジナだ。君じゃない。
アシュノは転生のことを知らない、もし気が付けば、彼女にとって君は宝箱になっちゃうだろうね。中に入っている宝物を取り出すためなら壊しても構わない』
アシュノに囚われ、ゆっくりと壊されていく自分を想像して寒気がした。
「それなら、俺がシュジナの演技をするのはどうだ? 【俺】の記憶があればシュジナの振りぐらいはできる」
『それはありかもしれない。だけど、あの子は嫉妬深いし、寂しがり屋なんだよ。あの子にとって俺は、父親で、兄で、恋人で、友達なんだ。自分の居場所が他の子に奪われるのは我慢できないだろうね。少なくとも一番じゃないと気が済まない』
「我慢できなかったらどうする?」
『実力行使』
【俺】の言うことが本当なら、恋人であるルシエとクウ、そして妹のように思っているユキノ達が危ない。友達まで該当なら、最近自信が無くなって来たがロレウもだ。
「そもそも、どうして【俺】は味方をしてくれる? 【俺】のベースはシュジナだろう。シリルよりもあの子が大事じゃないのか? シリルを握りつぶして、シュジナとして愛する娘と生活したいとは思わないのか?」
ただ魔術を極めることだけに執念を燃やしていた【俺】が変わった運命の出会い、それを体験したのはシュジナだ。そのときから【俺】はその時代の俺を乗っ取るのをやめて裏方に徹するようになった。つまり、【俺】の正体はシュジナに他ならない。
『確かに、君よりアシュノのほうが愛しい。だけど、いい加減俺はあの子を俺の呪縛から解き放ってあげたい』
俺をからかって、上から目線の【俺】がはじめて真剣な目を見せる。
『三十回も転生を繰り返してきた中で、一番の過ちがあるんだ。俺は死に際、一人にしないでと泣くアシュノに、《泣かないで、いつかまた生まれ変わって会いに来るから》。そう約束した。してしまった』
世界で唯一、俺だけができる約束。他の奴がやればただの嘘だ。
『その言葉を言ってしまったことをずっと悔やんでいた。寿命のないあの子はその言葉を信じてずっと、俺を待ち続ける。ずっとだ。この前会ったとき、あの子の声を聞いて罪悪感で死にそうになったよ。
五百年だ! 五百年! その間、俺はあの子を縛り続けた。そして、会って、これからも縛り続ける。約束を守ってしまったから、その次も期待する。あの子は永遠に俺の影を追い続ける』
三十一回の人生で何度も別れを繰り返して来ただろう。だが、その時代の俺が死んでも縛り続けたのはきっとアシュノだけだ。
『もうあの子は親離れするべきだ』
「だから、自分から会おうとしなかったのか」
『五百年で駄目でも、いずれは俺が言ったことが嘘だと思ってくれると信じていたんだよ』
はじめて、この白い部屋に来た時、【俺】は誰かを助けて欲しい人がいるといいかけてやめた。それがきっとアシュノのことだろう。
『今日はね、お願いをするために君を呼んだんだ。もし、君がシリルとしてエルシエと、そこに住む大事な人のことだけを考えるなら、【輪廻回帰】で世界を滅ぼした暴食の銀竜 ファルヴを呼べ。
あれなら、あの子を殺せる。今の君が呼べる中であの子に勝てるのはファルブだけだ』
俺は生唾を飲み込んだ。
ファルヴは封印されていない俺の中であれば間違いなく、問答無用の最強の戦力だ。
知恵のある体長50mほどの銀竜であり、マナを喰らい、マナの崩壊現象を利用した超火力でのブレスが使用できる。マナの力を借りるのではなく喰らうのであればハイ・エルフの完全支配も関係ない。
「ファルヴを呼ぶのか? あれは危険すぎる」
マナの崩壊現象を用いたブレスはいかなる魔術をも超える威力で対軍どころか、対国魔術に位置づけされ被害が大きすぎるし細かい制御ができない。
その上、循環するはずのマナを破壊するため、その世界のマナの総量が減る。
それ以外にも問題はある。そんなものを呼び出せば俺がもたない。今の俺でも、もって二秒だ。その魂の格と瞬間的な極大魔力の放出により、一カ月は寝たきりで、魔術的な後遺症をかかえ満足に魔術が使えなくなる覚悟が必要だ。
『ファルヴは封印している五人に比べればましだ。あれに出来るのはたかが一国を滅ぼすぐらいだからね。俺が制御に協力する。後遺症だけは残さないようにしてみせるよ』
逆に言えば【俺】が協力しようともそれ以外は保証できないということ。
『今のが簡単な解決法だ。もし、あの子へ同情する気持ちがあるなら、出来るならシリルのままであの子に勝って、俺を諦めさせてくれ。もう、シュジナは居ないとわからせてやって欲しい。そのために、魔術を使わずに戦う術は解放する』
ハイ・エルフは属性魔術の完全支配以外は、戦闘において役立つものはさほど多くない。
マナを支配されても、ため込んだ魔力を一瞬にして放つ魔石を大量に使い潰すことで押さえつけることはできる。その間に属性魔術を使わない戦闘で帝国の兵を叩けば勝つ可能性はある。
「出来ればと言ったな? 【俺】は、ファルヴを使ってあの子を倒しても構わないのか?」
『悲しいけど、それも救いだと思っているんだよ。あの子を終わらせてやれるのはきっと、俺たちだけだ』
【俺】の言葉には様々な感情が渦巻いていた。
「三つ聞いてもいいか、俺の記憶だと、あの子が今、エルナを押さえつける結界のメンテをしているとある。あの子を殺して本当にいいのか?」
『些細な問題だよ。十年ぐらい経てば、うようよ魔物が湧いてくるだろうね。ほら、あの子言ってたよね。おとーさんが約束破ったからアシュノも好きにするって、あれからたぶんメンテしてないみたいだから、今のままでもそうなるんじゃないかな?』
「些細な問題じゃないだろう」
マナのある世界では、エルナが産まれエルナは魔物に変わる。それはいくつもの世界の常識だ。それをシュジナが張った結界で防ぎ、維持してきたのかアシュノだ。魔物に対する備えがないこの世界で急にそんなものが産まれたら世界が大混乱に陥る。
「二つ目だ。アシュノはシュジナを恋人だと思っていたんだろう? お前は娘に手を出したのか?」
『そんなわけないだろう。せいぜいキスまでだ』
良かった。もし【俺】が自分の娘に手を出す変態だったら、あまりの気持ち悪さに協力できなくなるところだった。
「三つ目、【俺】はアシュノに生きて欲しいのか?」
死による解放でもいいと【俺】は言った。本当の望みを俺は知りたい。
『生きているだけなら死んだほうがましだよ。あの子には笑って生きて欲しい。それが親としての望みだ』
「わかった。約束しよう。俺はアシュノに俺の全てを話した上で賭けをする。次の戦争でエルシエが勝てばアシュノはシュジナを諦める。帝国が勝てばシリルの人格を潰して【俺】に体を明け渡すという賭けだ。
シュジナの【制約】の魔術を使って強制力をもたせた上でだ。話を聞いている限り、乗ってくる性格だし、アシュノも俺を殺せない以上、断れない。勝って諦めさせて、それからシュジナの友達としてあの子に挨拶するよ」
『随分と優しいんだね』
「そうでもないさ。全力は尽くして戦う。だけど、危なくなったらファルブを呼んで帝国の兵ごとアシュノを殺す。それが俺にできる精一杯だ」
エルシエの長としての責任が俺にはある。最後の最後にはエルシエを優先せざる負えない。
これは保険をもった上での最大限の努力にすぎない。
『十分だ。ありがとう』
「礼は要らない。【俺】の力が無かったら最愛の人を失っていたんだ。だから、これは俺の【俺】への恩返しだよ。それにね、【俺】から漏れ出た。アシュノへの感情が俺にそうさせた」
今までもらった恩と知識と経験、それに比べたら些細なことだ。
『そろそろ。君が目覚める。お別れだ』
「言い忘れたことがあった。シュジナの記憶を開放してくれ、アシュノの情報が少しでも欲しい」
『残念だけど、それはできない』
「どうして?」
『この世界には知らないほうが幸せなことが多すぎる』
そうして、久しぶりに会った【俺】の会話が終わった。
◇
ぱちりと目を覚ます。
図面に顔をうずめて眠っていた。妙に体が暖かい。
背中を見ると毛布が掛けられてある。
「ルシエ、毛布をかけてくれたのか?」
「うん、今日はこっちで仕事するって聞いてたから差し入れに来たんだ」
「起こしてくれて良かったのに」
「ずいぶんと気持ちよさそうに眠っていたから。いい夢でも見てたの?」
「いい夢ではないかな」
あれがいい夢であってたまるものか。めんどくさい仕事がたくさん増えた。
「ルシエ、ロレウ達はもう帰ってきているかな?」
外を見ると太陽が沈みかけていた。ずいぶんと長い間眠っていたようだ。
「戻ってきてるよ。みんな無事でちゃんと交換がうまくいったみたい」
「そうか、良かった。なら、さっそくで悪いけど、ロレウとクラオ、それにクウを村長宅の会議室に呼んでくれないかな?」
「何をするつもり?」
「エルシエの方針会議。エリンとの友好関係を前提にちょっと大胆なことをしようと思ってね?」
【俺】の会話が本当なら、今すぐ動かないといけないことがたくさんある。
そのためには少しでもはやく指示を出さないといけない。