第十二話:交渉妥結
最後の交渉を行うと青髪のお嬢様アスールは言った。
交渉におけるこちらのカードは鉄の技術供与。向こうのカードは関税及び商業の権利。これで折り合いがつかなければ、ベル・エルシエの食料確保が非常に厳しくなるし、麻の収穫量を減らさないといけない。
アスールにつき従うじいが本当に勇者並みの戦力を持っているのであれば武力行使に出ることも難しい。
エリンと敵対してしまった時点で、俺が居ないときにじいがエルシエに到着する。その条件が満たされるだけでエルシエは滅んでしまうことになる。
俺はじいを警戒してエルシエから離れられなくなってしまう。それは非常にまずい。対外的な交渉を任せていい人材がいないので、エルシエはこれ以上の発展が望めなくなる。
「シリルさん、交渉の前に、あなたにエルシエを案内してもらいたいのだけれど、よろしいかしら?
昨日は案内を村長代理の方にしてもらったけど、あの方にした質問はほとんど答えてもらえなかったので、是非あなたの話を聞きたいの」
一人で考え事をしていた俺が、青い髪のお嬢様、アスールの声でこちら側に呼び戻された。
「別に、構いませんよ。私に答えられることならなんなりと」
「まずは、弓の訓練場を見せて欲しいわ」
「さっそく行きましょうか」
要望通り、クロスボウの訓練で使っている射撃場にアスールとじいを案内する。そこには、20m、50m、100m、200m先に帝国の鉄兜をかぶった木の的が用意されている。
「ずいぶんと遠くまで的があるのね」
「エルフは弓の才能がありますから、今だとほぼ全員100m先の的までは必中、三割ぐらいが200m先を狙えるってところですね」
イラクサ以外のメンバーも三日に一度の朝の訓練はずっと続けている。戦いは数だ。少しでも戦える数を増やしておかないといけない。
「信じられないわね。普通の弓なら100m飛ばすだけで精一杯で狙いをつけられるのはその半分の50mいくかいかないかよ。弓がいいのかしら? それとも腕?」
「その両方ですね。弓の経験はありますか?」
「ないわ」
「なら、試しに撃ってみましょうか?」
俺はそう言って、クロスボウを取り出す。射撃場を見たいと彼女が言ったときに部下に頼んで持ってこさせていた。
これは最近作り始めた改良型で、弦の張力が強すぎて引くのに苦労していた点を改善したものだ。帝国の鎧を貫ける最低限の力を確保した上で可能な限り威力を落して使いやすくしてある。
「無理よ。弓なんて、普通何年もかけてやっと使えるようになるものだわ」
「普通の弓ならそうですね」
弓は単純に見えるが、使いこなすのは非常に難しい武器だ。つがえ方、引き方、離すタイミング、どこがおかしくなってもまともに飛ばない。お嬢様が言ったとおり新兵を弓兵に育てるには数年かかる。
「でも、この弓、クロスボウなら引き金を弾くだけですよ」
俺は、クロスボウを地面に押し付け両手で弦を引き矢をセットした。
「ほら、構えて的に向けてください。一番近い20m先の的ですよ」
俺がそう言うと、おそるおそると言った様子でお嬢様はクロスボウを的に向ける。
「あとは、指をかけるところがありますよね。そのトリガーを弾いてください」
「わっ、わかったわ」
そして、お嬢様は引き金を弾いて矢を放った。それは惜しくも的を外したが、かなり的に近いところを飛んだ。
「ねえ、じい、撃てたわ、私弓を撃てたわ」
「お嬢様は天才です。弓を使い始めて三分でうてるようになるなんて、エリンの兵も全員三分で撃てるようにならないと減給するようにしましょう。戦いのプロが、机の前でふんぞり返っているお嬢様以下なんて恥ですよ。そして浮いたお金を私の給料に回してください」
「じい、最後に本音が出ているわ」
「これは失敬しました」
「驚いたわ。ずいぶん簡単に撃てるのね。次は矢をセットするところからはじめていいかしら? やり方は見ていたからわかるわ」
「ご自由にどうぞ」
お嬢様は、楽しそうにクロスボウに矢をセットし放つという動作を何度も繰り返した。
そして、最後には兜に命中させ矢が貫通したところを見てよりいっそう笑みを深める。
「これ、いいわね。国民の数が戦力に直結するわ。帝国より国民の数が多いエリンが本格運用すれば、すごいことになるわね」
「まっ先にそこに目をつけられるとは思いませんでした」
お嬢様が言ったのは本来のクロスボウのメリットだ。
「当然よ。クロスボウなら誰でも一日訓練すれば簡単に人を殺せる兵に仕立てあげられる。街の市民があっという間に弓兵よ。普通の弓なら、教育に年数がかかって補充が効かないけど、変わりがいくらでも作れるし、どんどん増やせる。
これを新兵にもたせて一列に並べて一斉射するだけで、鉄の鎧を着た歴戦の帝国兵が壊滅する。想像しただけで、震えがきそう。欲しいわ」
「その気持ちはわかりますが、無理だと思いますよ」
「どうして? 製鉄技術を得られれば作れるわよね?」
「いい鉄を得ることとそれを加工できることはまた別次元の話です。エリンの工作技術であれば、そうですね。このレベルの加工ができるのは三十年先と言ったところでしょうか?」
それに加えて、板バネの金属は鉄ではなく、しなりを作るための合金だし、この圧倒的な張力に耐える糸は炭素から形成されたカーボンファイバーだ。
どちらもエリンで作れるとは思えない。だからこそ、俺は安心して鉄の技術を曝け出せる。
「なら、あなたはどうやってこの弓を作ったと言うの」
「魔術を使って加工をしています。製鉄の部分までは工業技術で代用できますが、そこから先は、魔術が必要です」
ここで嘘を言っても仕方がないので素直に言った。そして、それは俺以外誰も作れないということを意味する。
土魔術を使った加工をする際、基本的に質量が高いものほど加工が難しい、鉄ぐらいになると、それこそ土の魔石を保有するノーム、そして今の世界には存在しないドワーフクラスの土魔術の適性がないと不可能だ。
ノームは実在が疑われているほど人前に出ない種族だし、あまり頭がいい種族でもない。幻と言われるノームを見つけた上で高度な教育を施す必要があり現実的ではない。
「じい」
「お嬢様、シリルさんは嘘をついていないですよ」
「そう……わかったわ。でも、本当にこれは欲しいわね。ただ、結構放った矢がぶれるわね。どうしてエルフは遠くの的に当てられるのかしら?」
アスールは20m先の的は何発かに一回は当てられるが50m先の的にはまったくあたる気配がなかった。
「エルフには風の魔術がありますからね。風の抵抗も影響も受けないんですよ。
クロスボウは普通の弓に比べて矢が短い分慣性がかからないし、矢羽も小さいものしかつけられないので、直進性が落ちますし、風の影響を受けやすいという弱点があって、クロスボウでの遠距離狙撃はエルフ以外にはできない芸当ですよ」
「まあ、些細な問題ね」
アスールはクロスボウを45°で放ち矢を山なりに飛ばす。その矢は風の影響で弾道がぶれながらも十分な威力を持ったまま地面に突き刺さった。300mは飛んでいる。
「威力を持ったまま遠くまで誰でも飛ばせる。これで十分だわ。私たちはエルフと違って人数任せで弾幕を張る運用だから気にならないわよ。シリルさんなら材料があれば、一日いくつ作れる?」
「一日に、そうですね。二十が限界でしょうか?」
「月に四百個を一年契約で買わせていただけない? 一つ金貨五枚(三十万円)出すわよ。材料はこちらで用意する。年間金貨二万四千枚(十四億四千万)の取引、悪くない取引のはずだわ」
「お嬢様、そんなお金ぽんっと出しちゃっていいんですか!?」
「いいわよ。人を数年育てるコストに比べたら、一つ金貨五枚(三十万円)なんて些細なものよ」
あまりにも男らしい判断に笑みがこぼれてしまった。
確かに兵士を育てるコストを考えれば圧倒的にコストメリットがあるだろう。
「そもそも、そのお金を使う先がなくなる瀬戸際なので、こちらとしては何も答えようないですよ」
「当たり前だけど、これを売ってもらえるなら取引の停止なんてしないわ」
「そうですか、わかりました。クロスボウの販売はお断りします」
俺は即答で断った。
俺の作ったクロスボウは危険すぎる。エルフは距離があれば風で矢を逸らすことができるが、クロスボウで矢を20m以下の距離で放たれればその圧倒的な初速度のせいでエルフの風の魔術で逸らすことができない。
さらにこれは普通の矢と違って矢をセットしたまま動き回れるから奇襲性が高い。
鉄を得たエリンが今日得た発想で劣化品を作るのはいい。そうしてできあがるものは威力も精度も段違いに落ちる。だが、エルシエで作ったものと同じものを渡すのはありえない。
「これを見せたということは売る気があると思っていたけど」
「こちらの手札は鉄しかないので、その価値を認識してもらおうと思って見せただけですよ。同じものは作れなくても、劣るものは作れると思います」
「残念だわ。でも、この発想はもらうわよ」
「ええ、どうぞ」
お嬢様の鉄への要求がより高まってくれたようだ。
「私は、こんなものをエリンに導入するのは反対ですね」
しかし、そこにじいが横やりを入れた。
「じい、どういうことかしら?」
「この弓は人を殺し過ぎます。今までの戦争ってそんなに人が死なないじゃないですか、鎧着込んだ兵士たちが日が暮れるまでチャンバラやって、矢だって鎧をあんまり貫けないし」
じいの言っていることは一理ある。
この時代の戦争はあまり人が死なない。鉄の装備は帝国しかまともにないので、矢の先端はほとんどが銅か石、そのため銅や分厚い革の鎧をそうそう貫けないし、剣で戦う人たちもそうそう致命傷をお互いに与えられない。
下手をすれば一日中同じ相手と剣をうちあっているうちに一日が終わったなんてこともありえる。
「でも、このクロスボウが出回ったら一変しますよ。今の装備みんな貫いちゃいます。撃てば死にます。一瞬で何百人もです。一回の戦争で死ぬ人が数百倍ぐらいになっちゃって。戦争をすることの意味がずっと、重くなっちゃいます。こんなものは戦場にあってはいけません」
ある意味、国力がある国同士の戦争はスポーツのようなものだ。戦いが終わっても死傷者は出るがそれほどの数はでない。期限と場所を決めて、お互いの全力をぶつけてその結果で権利と保証金を交渉でやり取りする。
負けても人の数が減らないからすぐに戦争できるし、国力もそれほど落ちない。
だけど、じいが言うとおりクロスボウが出回れば、そんな余裕がなくなる。一瞬で簡単に人が死んでいき、戦争で国が傾くほどのダメージを受けるだろう。
「じい、そんなことはわかっているわ。でも既にクロスボウは世に出たのよ。最悪なのは簡単に人を殺せる武器がエリン以外に先に出回ることよ。今、クロスボウを千丁そろえた国と戦争したら確実にエリンは滅びるわね」
「……お嬢様、出過ぎた真似をしました」
じいがお嬢様に頭を下げた。二人とも間違ったことは言っていない。
「では、ここはこれぐらいにしておきましょうか。まだ見たいものはありますか?」
「ガラスハウスを見せてもらえるかしら?」
そうして、結局ガラスハウスと馬車の所を案内させられ、根ほり葉ほり話を聞かれた。
特にガラスハウスのほうにはかなりの関心をもっているようだ。天候によらず安定した食料供給というのはやはり統治者としての憧れの一つなので気持ちはわかる。
ここのガラスハウスは一年を通してジャイガモを育てた実績があると話したらかなりの食いつきを見せた。
そして、馬車。お嬢様の連れてきた馬で俺が作った馬車を引いて走ったのだが、こちらも感動をしてくれたようだ。重量が従来の半分かつ、プラスチック製ホイールで衝撃吸収能力が優れているので、速度と悪路の踏破力があがり乗り心地がいい。
エリンの長ともなると馬車の移動の機会が増えるので性能のいい馬車は是が非でも欲しいだろう。
◇
「今日は、無理を聞いてくれてありがとう。色々と勉強になったわ」
村長宅の会議室に再度集まっている。おそらくこれが最後の会議になるだろう。
この場にはエルシエ側は、クラオ、ルシエ、クウを俺の他に呼んである。エリン側は相変わらず、アスールとじいの二人だ。
「昨日提案をもらった件についてだけど、鉄の製法と工房の図面を頂けるのであれば、商取引の停止はしないわ、それに商店として扱える領事館も許可しましょう。それにふさわしい立地を用意する。
でも、関税だけは許可できないわ。妥協できる限界は、関税の変更タイミングを数年に一度に限定して事前に周知してあげるぐらいね。サービスで一年間は関税を取らないでおいてあげる」
予想通りの反応だ。
関税のタイミングが数年に一度というだけでもかなりありがたい。関税による商売の妨害を仕掛けられるにしても、かなり時間に猶予ができる。それまで利益を出すことは可能だ。
今のままなら、早晩メープルシロップには高い関税がかけられ、エルシエの利益が大幅に減っていただろう。何せ、金貨一枚で売れる高級品だ。それが安酒と同じ関税で扱われるほうがおかしい。
「それなら、この話はなかったことにしましょう」
だが、あくまで強気で押してみる。そのために、鉄の魅力を見せつけた。
「私もこの条件で終わらせるつもりはないわ。エリンとしては、鉄の製法と工房の図面に加えて、エルシエの馬車を一台、クロスボウを三丁要求するわ」
予想の範囲内だ。お手本があれば模倣はしやすい。欲しいと言う気持ちはよく理解できる。だが……
「正気ですか? 今の条件でも断ると言っているのに要求を増やすなんて」
「正気よ。そちらに追加で要望を出す以上、こちらも差し出すものを増やすわ。あなたたちエルシエが一番欲しいものよ」
アスールが自信にあふれた微笑を浮かべた。
「もし、この条件を飲んでもらえるなら、この私、アスール・フェル・コリーネ、コリーネ王族の末席に連なるものとして、コリーネ王国が正式にエルフの村をエルシエという国として認めた上で友好関係を結び、そのことを周辺国に周知することを約束するわ」
「アスール!」
じいが立ち上がり悲鳴のような怒鳴り声をあげる。じいは初めてお嬢様ではなくアスールと名前を呼んだ。
「じい、私にもそれぐらいの権力は残っているわ」
「できはしますよ!? だけど、そんなことをすれば!」
「わかっているわ。でも、エリンのために必要な投資よ」
「……っ、覚悟の上なら止めません」
「ありがとう。あなたにも迷惑をかけることになるわね」
エリン側の二人が目と目で語り合う。
俺はそんな中、アスールの放った言葉の意味を吟味していた。コリーネ王国に正式な国として認められる。
このことは非常に大きな意味を持つ。エルシエはまだ、自分達で国だと言い張っているだけで、実際のところは反乱を起こしている帝国の支配する村としか思われていない。
国というのは、他の国から認められてはじめて国として扱われる。
コリーネ王国は帝国に次ぐ格の高い国だ。しかも、人間至上主義の帝国と違い、多数の種族の共存をしていることから交友関係も広く信頼もされている。
そんなコリーネ王国からのお墨付きを得られる。こんなチャンスは一生ないだろう。
だが、問題は……
「本当にそんなことが可能なのか? 帝国に喧嘩を売っているのと同じですよ?」
「やってみせるわ。信じられないなら、報酬は後払いでいいわよ」
アスールの自信にあふれた声と表情。俺は信じてみたくなった。
「わかりました。それほどの条件を出してもらえるなら、エルシエとして断る理由はない。その条件で行きましょう。ただし、コリーネ王国から正式な周知が出るまでクロスボウは渡せない。馬車は今日、この場で渡しましょう。そのまま馬を繋いで乗って帰ってもらって構わないです」
「馬車の件、感謝するわ。これで予定より一日はやく帰れるわ。……これで契約成立ね」
アスールが立ち上がり、握手を求めてくるので俺はその手を握り返す。
「お互いの繁栄のために、これから協力していきましょう」
そして、仮契約が完了した。
今日中に、エリン側で契約書を作り署名と捺印をして本契約になる。
この場では関税についての詳細を決めて会話が終了した。
また、製鉄の工房については予算と土地の確保が完了し建築がはじまり次第、一度、俺が出向き三日ほど指示をだし、後は月に一度三日の間、チェックと教育を実施することで話がまとまった。
「ああ、それとじい、例のものをもってきて」
「はい、ただいま」
じいが駆け足で部屋を出て行った。
「交渉に続きがあるのでしょうか?」
「ちがうわよ。強いて言うなら友好の証ね」
五分ほど経ってからじいが戻ってくる。部下を引き連れており、それぞれの手に大きな鉢を持っており、緑色の植物が生えていた。
「まさか、これは」
「そうよ。エリンで随分と興味を持って居たようだから用意させたの。これは友好の証として送らせていただくわ」
俺はあまりの喜びに震えていた。
その鉢に生えていたのは、セージとタイム、それにバジルの苗木だった。
全て薬効が高いハーブで料理にも薬にもできる。例えばセージなら、とりあえず肉料理ならなんでも突っ込めばうまくなるほど使い勝手がいい。
「本当にもらっていいんですか?」
「ええ、どうぞ」
「いや、嬉しいですね。エリンの市場を見て回っても苗木どころか、種も見つかりませんでしたから」
エリンに行くたびにハーブは買っているが、どれも葉を乾燥させたものばかりだった。
必死に種や苗木を探したが毎回見つからずに肩を落としていた。
だが、今日苗木が手に入った以上、これからどんどん数を増やしていけるし、何より生のフレッシュなハーブを料理に使えるのが素敵だ。
「失敗したわ。そこまで喜んで頂けるなら、交渉材料にすれば良かったわね」
「そうすれば、もっと早く私も妥協したかもしれません」
アスールと二人顔を見合わせて笑う。
「それはもったいないことをしたわ。あと、シリルさんは結婚式をあげるのでしょう?」
「近日中には」
「でしたら、私も招待して欲しいわ。エリンの代表として、エルシエの長の式に出席したいもの」
「喜んで」
こうして長かった交渉が終わり、エリンとの友好関係が築けた。
エルシエにとってはかなり魅力のある条件を引き出せて俺は一安心していた。