第十話:妥協案
夕食が終わり、食後のお茶を楽しんでいた。
なんとか、夕食で不興を買わずに済んだことに俺は一安心していた。
「驚いたわね。まさか僻地でこれほどのものが食べられるとは思わなかったわ」
「その通りですお嬢様。屋敷の料理より美味しいぐらいですよ。食べ過ぎて苦しい。パンは二つで止めとけばよかった」
夕食の席には、エルシエからは俺とルシエとクウ。エリンからはアスールとじいと呼ばれる女性が出ている。
他のエリンのメンバーはこの場を辞退しており、エルシエ側も可哀相だがユキノは呼んでいない。
エルフの巫女としてしつけられているルシエや、火狐の長の娘として育てられたクウと比べてどうしても対外向けのマナーというものが怪しい。
ユキノのために今日のご馳走をお弁当にして手渡してあるので後で楽しんでくれるはずだ。
「気に入ってもらえて私も嬉しいです。頑張った甲斐がありました」
「この料理、シリルさんが作ったの?」
「ええ、腕によりをかけて作らせて頂きましたよ」
今日のメニューはたっぷりヤギバターと酵母をいれて柔らかく焼き上げたパン、骨付き子ヤギ肉のソテーにジャイガモのポタージュ、それにカブのサラダを用意してある。
ヤギは今年生まれた雄の子ヤギを使った。ヤギは成長するにつれて癖が強い味になり臭みが出て固くなってしまうが、乳離れ寸前の肉は非常に柔らかく、臭みもない上に味もいい。
本当なら味が落ちてでももう少し育てて大きくしてから食べるのだが客をもてなすために急遽用意した。最高の肉を活かすために焼き加減とソースには徹底的にこだわってある。
「シリルさん、随分と器用なのね」
「うん、シリルはすごいよ。自慢の旦那様」
青髪のお嬢様アスールの褒め言葉をまるで自分のことのようにルシエは喜んでくれている。
旦那様という単語を聞いたとき、じゃっかんアスールの口元がぴくりと動いた。
「食後のデザートも用意してあるので是非どうぞ」
俺は大きな金属の筒を取り出した。その中は氷と塩水で満たされており、一回り小さな金属の筒が入っている。
その中の小さな筒を開くと筒の外側に白い塊がへばりついていた。そう、これはアイスクリームだ。
作り方は簡単で金属の筒の中にヤギのミルク、そしてミルクから作った生クリームにエルシエシロップと卵黄をいれる。あとは塩とユキノに頼んで作ってもらった氷が入った大きな筒にいれてひたすら三十分転がすだけ。
そうすると大量の空気を取り込みながら凍っていき柔らかい口当たりのアイスクリームになる。
氷菓はエリンでも見なかったので驚いてくれるはずだ。
「見たことがないわね。これは何かしら?」
「アイスクリームという冷たくて甘いお菓子です。スプーンですくって食べてください」
俺はそう言いながら筒の中身を取り分けて皿に盛り配っていく。
アスールはおそるおそると言った様子でスプーンを白いアイスクリームに突き刺した。柔らかく沈んでいく感触に興味が湧いたようで、すぐにそれを口に入れる。
「これはすごいわ。冷たくて、甘くて、口の中ですぅって溶けて、こんなの初めてよ」
「私も好きなお菓子です。ルシエとクウも、ほら遠慮をせずに」
俺とアスールのほうに注目していた二人は、俺の言葉を聞いてようやく目の前に用意されたアイスクリームに手を出し始めた。
「シリル、これすごいね。私好きかも」
「ひんやりして癖になりそうです。もっと早く作ってくれても良かったのに」
「卵黄が必要なお菓子だから今までなかなか手が出せなかったんだ」
鶏が手に入ったのはつい最近のことだ。
卵があれば料理のレパートリーはずいぶんと増える。
ただ、今は卵を食べてしまうより、ヒヨコを孵して鶏の数を増やすほうを優先しているので気楽には使えない。こういう場でもないとなかなか振る舞えないという状況だ。
「実は、これが一番シンプルなアイスクリームで他にもバリエーションがあるんです。一つはクランベリーの果汁をいれた甘酸っぱくてさっぱりしたアイスクリーム。もう一つはエルシエワインをいれてアルコールの苦みを残した大人のアイスクリーム。お腹の空き具合と相談して食べてください」
クランベリーのほうは割と簡単に作れたが、アルコール入りは工夫を凝らしてある。普通に作ればアルコールを混ぜ込んでも、アルコールは氷点が水よりずっと低いので凍らない。そのためシカの骨から取ったゼラチンで固めて混ぜ込むという手間をかけてある。
「もちろん、全部頂きますよ! 二つとも大盛りで!」
俺の言葉に真っ先に手をあげて身を乗り出したのは、男性服を着た女性だった。
「じい、あまり私に恥をかかせないで」
「いえ、その、これは、毒見って奴ですよ。お嬢様がどれを食べても大丈夫なように! 全部安全確認を」
「じい、相手が居る前でどうどうと毒見なんて言うのはどれほど失礼なことか想像がつかないのかしら?」
「はう、いえ、その、それはなんていうか、そんなこともある。気にすんなよ!」
なぜか、男性服の女性は俺に向かって笑顔で親指を立ててくる。
「そもそも、じいはカブのサラダに手を付けなかったわよね」
「カブはどうしても苦手で、子供のころからダメだったんですよねー」
「ほう、私は普通に食べていたけど毒見する気があったのかしら?」
「あはははは、私、エルフの皆さんのこと信じていましたから、毒なんて絶対に盛らないって」
色々な意味でじいは残念すぎた。
もう、墓穴を掘りすぎてどこから突っ込んでいいのかわからない。
アスールは優しく微笑んで、そしてゆっくりと口を開いた。
「じい、減俸半年に延長ね♪」
「そっ、そんな~」
そして、じいは崩れ落ちる。崩れ落ちて涙を流しながらアイスクリームをむしゃむしゃと食べて、幸せとため息をつく。
「私のじいが見苦しいところを見せてしまい。申し訳ございません」
「いえ、お気になさらずに」
お互いの苦笑いが交錯する。
「エルフの村……失礼、エルシエではこんなに美味しいものを毎日、村人全員が食べてるのかしら?」
アスールは口元には笑みを浮かべているが目に真剣な光が宿り始めた。
「今日のは賓客をもてなすためのものです。毎日これだけのごちそうは出せません、年に数回のお祭りぐらいですね」
「そう、良かったわ」
良かったか。エルシエの生活水準が低くて喜ぶようなパターンはそれほど多くない。
「そういえば、こういう話がありましてね」
俺は雑談をする振りをしながら探りをいれることにする。
「遠い昔、貧しい村がありました。その村は、先祖伝来の骨董品をずっと守っています。非常に歴史的な価値があるもので、買い取ろうと隣の大きな街から何人も訪れましたが、どれだけの大金や素晴らしいものを差し出されても村人たちは断り続けていました。ご先祖様の残してくれたものを売るわけにはいかないと言ってね」
かつての俺が立ち寄った村の話だ。
「ある日隣の大きな町の商人がやってきました。その商人は骨董品については何も触れず、ただ同然で柔らかいパンや酒、可愛くて着心地のいい服をばらまきはじめた」
最初は村人たちは喜んだ。今までの辛く貧しい生活が一転して豊かになったからだ。週に一回程度の商人の来訪が二か月も続いた。
「そして、信用を得たころ、急に商人は商品の対価を、村にある貴重な骨董品を代わりに要求し始める。もし初日からそんな要求をしていたら誇りをもって村人たちは突っぱねたでしょうね。
だけど、贅沢を覚えてしまった村人たちは今さら昔の生活に戻ることに我慢が出来なかった。白いパンが欲しい、綺麗な服が欲しい、おいしい酒が飲みたい。村の代表が断ったあと、村人たちは村の倉に忍び込んで村の骨董品を盗み出して売りとばしてしまった」
娯楽というものは知らないからこそ我慢ができる。その味を覚えて慣れてしまえば耐えきれはしない。
「そのあとはお決まりのパターンですね。村人たちは骨董品を全て売り渡した後、対価に支払うものがなくなり、それでも商人のもたらすものを求めた結果、ずっと受け継いできた土地を二束三文で売り払い、商人が連れてきた裕福な街の人間に従う小作人となってしまいました。
若者は熱病に浮かされたように村を出たり、奴隷同然の条件で身売りをはじめた。そうしてその村は一度も武力を振るわれるまでもなく実効支配をされてしまいましたとさ」
「シリルさんは博識なのね。興味深い話だったわ」
さすがに、こんな世間話で慌てた顔を見せないか。
もっとも、隣に居る男性服の女性の表情がすごいことになっている。心の声まで聞こえてきそうだ。
『はわわ、お嬢様、もろばれですよ。もればれ』
本当になんでこんな子を隣に置いているんだろう。
護衛としての腕前に期待をしているのか? 確かに俺を尾行した腕は見事だった。おそらく俺でなければ尾行には気が付かなかったはずだ。
「今回の話は指導者への教訓になっていて、文化を軽視してはいけない。文化で侵略されるということを知らないといけない。そして、外敵に備えるためには兵力や食料の備蓄を集めるだけではなく、民の生活の底上げをしないといけないということですね」
「それについては同感ね。エリンが発展したのも、文化よ。エリンに来れば何でもあるから人が集まってくる。集まった人が素晴らしい文化をもたらす、そしてその新しい文化が更なる人を呼ぶ。その好循環がエリンの発展の原動力よ」
「羨ましい話ですね」
人が居るところに人が集まる。周りの村が物を売る時に、当然村に持ち帰るものを買わないといけない。そう考えるとどうしたって、市場の規模が大きいエリンを第一の選択肢として考えざるを得ない。
実際に俺自身、手に入れた金の全てをエリンで使っている。これからもエリンは発展し続けていくだろう。
「羨ましがることなんてないわ。エルシエだって、あなたの判断一つでエリンの庇護下に入れるのよ。お昼にも言ったけど、ちゃんと砦の防衛のための人だって出すし、エルシエの運営だって私の責任できっちりとやるわ。
定期的に行商人にも来させるようにする。あなたが例に出したようなあくどいことはしないわ。やろうと思っても出来ないでしょうし適正価格で販売するわよ。メープルシロップとエルシエワインの他にも魅力的なものがあるなら買ってもいいわ。その代金で欲しいものを買う、お互い幸せになれると思うわよ」
非常にありがたい話だ。
今後のエルシエの特産品として、麻薬を作ったあとに余る麻の葉と茎から安価に大量の紙を作る予定がある。麻は古くから高級な和紙に使われるほど紙に適した材料で、それをエリンで捌ければエルシエはさらに豊かになれる。他にも麻から軽量プラスチックを作ったりもしてみたい。
それでも……
「そちらが出発する前に返事をすると言いましたが、この場で返答させて頂きたいと思います。エルシエはエリンの庇護下に入るつもりはありません」
俺はエリンからの申し出を断ると決めた。
「それは、今後一切エリンで商売をすることができなくなると分かった上で言っているのかしら」
「ええ、それならそれでなんとかします」
食料の問題は差しあたっては、エルシエで育てたジャガイモとカブをベル・エルシエに回すことにする。
冬の間に試験で火狐にガラスハウスを温めてもらって無理やり成長を早めて収穫したジャイガモは元より余剰食糧だった。これはいずれしっかりとした外壁を作った際の籠城時の食料として保存食に加工して備蓄しておきたかったが諦める。
そうして稼いだ時間で食料の増産計画を立てる。今、麻を育て始めたベル・エルシエの畑のいくつかを潰してジャイガモ畑にすることも必要だろう。
食料の増産計画の他にも報酬を支払って第三者に代理購入をエリンでさせる試みや、いっそのことベル・エルシエに居る者の伝手を辿り帝国付近にある村の者に金を渡した上で帝国からの購入も考えている。
「意外ね」
「断るとは思いませんでしたか?」
「いえ、断るならてっきり武力をちらつかせて来ると思っていたわ」
「まさか、売る相手を選ぶのは自由です。エルシエに売りたくないと言ったからと言って殴りかかるほど、私たちは野蛮ではない」
もし、エルシエに攻めてくるようだったらその路線もあり得た。
だが、あくまでエリンは売らないと言っているだけだ。それを理由に攻めるのは侵略者と変わらない。あくまでエルシエの立場としては暴虐な帝国に立ち向かうというものだ。
その建前があるからベル・エルシエなんてものに難民たちが集まっている。ここでエリンを襲ってしまえば、帝国と同じ侵略者になる。
さらに付け加えるなら、防衛ならともかく、こちらから攻めるのは非常に難しい。エリンは十万都市である。非常に規模が大きい。戦いの終わりが見えない。街の人間を虐殺することも、エリンのトップを殺すこともできる。だが、それで降伏するとは限らない。
泥沼になっている内に帝国が攻めてくればエルシエは終わる。帝国とエリンの両方を相手にするなんて悪夢そのものだ。
「考え直すつもりはない? あなたたち、帝国から金貨を巻き上げているみたいだけど、エリン相手以外に貨幣を使うようなことはまずないでしょう? 今まで得た資産が全て無駄になるわよ」
言っていることは正しい、エルシエの周辺の村は物々交換が主流でまともに貨幣が機能していない。
今、エルシエには大量の金貨があるが、それがただの綺麗な石と同じになってしまう。帝国付近までいけば、帝国で使えるという前提に貨幣が通じるが、それも難しい。
「あなたの言葉を借りれば、『今は』そうなります。私が、ベル・エルシエ。帝国の補給基地の跡地に難民を集めているのをご存知ですよね? そこをエリンのようにするつもりです。各地の村から特産品を集めて、商業の中心にする。そうなる頃には再び貨幣は価値を持つでしょう」
元々は帝国の政策で村ごとに集中的に単一作物を育てさせられたり、酒や酢と言ったものを集中的に作らされている村が多い。そういった村の一つ一つを回って交渉していけば不可能ではない。
「ずいぶん、気の長い話ね」
「五年でそうして見せますよ」
「残念だわ。あなたなら、私の下について権力とお金を手にすればもっと大きなことができたのに」
「金も権力も要りません。そんなものはその気になればいつでも手に入る。それより大事なものを失うわけにはいきませんから」
エルシエは俺の夢だ。それを他人に任せるなんて冗談じゃない。そしてここにはルシエとクウが居る。
「まだ、時間はあるわ。考えがかわったら教えてね」
「そのときはお願いします。そして、もう一つ。保護されるつもりはないですし、私自身があなたの部下になるつもりもありません。ですが、鉄の知識を伝えるのはやぶさかじゃないですよ」
俺の言葉に、アスールは目を見開いた。
「私が現地で指導することはできませんが、製鉄の手法と工房の図面を起こすことぐらいはしてもいいです。帝国の鎧を見れば、彼らの製鉄法はだいたい見当がつきます。それ以上に効率がいいものを用意することを約束します」
鉄の製法を敵対するかもしれない国に教えることはかなりの危険性がある。それでも妥協ができるポイントがあるならここしかない。
「私はあなた自身に、かなりの価値を感じてあの条件を出したのだけれど、製鉄の方法だけなら、あそこまでしてあげられないわ。あなたは対価に何を求めるの?」
「エルシエがエリンで商売をする場合においての恒久的な関税の撤廃、それに商店としても扱える大使館を頂ければと思います」
俺の言葉にアスールは渋面を浮かべた。
「お嬢様いい話じゃないですか! たった家一つで帝国以上の製鉄技術が入ってくるんですよ。エルフが払う関税なんてたかが知れてますし、頷いちゃいましょうよ。このままじゃエルフに意地悪して帰るだけになっちゃって無駄骨です! 一週間エリンを離れるために何日徹夜して仕事を片付けたと思ってるんですか!」
「じい、これは非常に危険な話なの。特に何を作ってもおかしくないエルシエ相手だと。あなたは頭が悪いのだから黙ってくれると嬉しいわ」
「いつもより辛辣!?」
そしてアスールはしばらく長考したしたあとゆっくりと口を開いた。
「時間をちょうだい。今度は私が考えさせていただくわ。一つだけ聞かせてもらっていいかしら? その条件だと私が鉄の製法を聞いてから反故にした場合、あなたは泣き寝入りするしかないと思うのだけれど?」
「契約で嘘をつく商人は三流です。そしてあなたは言いました。エリンの長であるにはエリンで一番の商人である必要があると。……まさか、エリンで一番の商人が、三流であるはずがないと私は信じているのです」
「ふっ、まったく、こんなに楽しい食事は久しぶりだわ。お腹も膨らんだし部屋に案内して頂いてよろしいかしら?」
「ええ、あとで布とお湯も届けさせていただきますよ」
「それはありがたいわね。じい行くわよ」
「えっ、もう!? はい、お嬢様」
お嬢様、そして慌てて大盛りの二種類のアイスを全て口に放り込んだせいで頭痛を抱えた男性服の女性を連れて俺は部屋を出た。
◇
二人を案内してから外に出る。いつも以上に頭を使ったので外の空気を吸いたかった。
すると、お弁当の入った袋を手に持ったユキノの背中が見えた。
彼女には、アスールと男性服の女性が借りた部屋の掃除を終わらせたらお弁当をもって帰るように言っていたが、きっとぎりぎりまで掃除を頑張ってくれたのだろう。
声をかけようと思ったが、空になった牛乳瓶の回収で家を回っていた黄色の火狐のケミンと黒い火狐のクロネがユキノに向かって駆け寄って来たので、反射的に隠れてしまった。
「ユキノちゃん、元気になって良かったの」
「最近落ち込んでたから心配してたわ」
二人の言うとおり、ユキノはベル・エルシエで、ヴォルデックに言われたことを気にして落ち込んでいた。やはり親友だとそういうのに気が付くのだろう。
「二人とも心配をかけてごめん。ユキノはもう大丈夫」
どことなしか誇らしげにユキノが二人に向かって言葉を放つ。
何かを言いたくて仕方がない様子だ。
「ユキノちゃん、もしかしてシリル兄様と何かあったの?」
クロネがそう言うと、ユキノの耳がぴくぴくと動いた。
「その反応、もしかして、本当にもしかしてだけど、シリル兄様とふぉっくすしたの?」
おそるおそると言った様子でケミンが問いかける。
すると、ユキノは顔を少し赤くしてゆっくりと首を縦に振った。
「今日、シリル兄様とふぉっくすした」
「「きゃあ、きゃあ、きゃあ」」
クロネとケミンはきゃあきゃあ黄色い声をあげながら飛び回る。
それを見てユキノの顔がさらに赤くなった。ふぉっくす? ずっとどういう意味か気になっていたがここでわかるかもしれない。
「ユキノちゃん、大人なの」
「さすが銀色ね、私たちとは一味違うわ」
「二人とも、大げさ」
「ぜんぜん大げさじゃないの。ふぉっくすなんて、クロ、羨ましいの」
「もう、こんこんした?」
「こんこんはまだ」
「「きゃあ、きゃあ、きゃあ」」
まだと言ったにも関わらず二人は騒ぐ。
さっきから興奮が最高潮だ。今度はこんこん? 火狐に対する謎が深まる。
「クロネ、私たちもはやく良い人見つけないとね」
「クロもシリル兄様がいい」
「シリル兄様もそろそろ、限界だと思うわ。そもそもクウ姉様のお婿様相手にふぉっくすなんて」
「クロ、死にたくないの。ユキノちゃん、すごいの。特攻やろーなの」
クロネがそう言った瞬間、ユキノが冷や汗を流した。冷静に考えると俺も怖くなってきた。一歩間違えれば一線を越えていたかもしれない。
「きっと大丈夫、ユキノはふぉっくすしてもらっただけで、ユキノからふぉっくすしてないの。ユキノがシリル兄様のものになっただけで、ユキノはシリル兄様をもらってない。だから、クウ姉様も怒らないと思う。きっと、クウ姉様はいっぱいシリル兄様にふぉっくすしてるし」
そう言ってほっとしてすぐに、ユキノはクウとの格差に気が付き自分の言葉で落ち込んでしまった。俺はユキノが好きだと言う気持ちは受け取ったが、妹として見ていることもきちんと伝えた。そのことを思い出したのだろう。
「ユキノちゃん、がんばなの。おかーさん言ってたの。男なんてさきっちょだけって最初は言うけど、少し手を出したら最後までいっちゃう悲しい生き物なの。シリル兄様もそこまでしたら最後までしたくなるの」
「……クロネのお母さんってそういう人だったね。でも、ユキノは可愛いから、きっと大丈夫よ」
二人の言葉を噛みしめてユキノは頷いた。
「そのいつかが来なくても、ユキノの気持ちは変わらない。だけど、それでも、そのいつかが来てほしいって願ってる。……でも、シリル兄様は愛妻家、これ以上お嫁さん増やさないみたい」
クロネがとことこ歩いて来てユキノの肩をぽんぽんと叩く。
「心配しないでいいの。おかーさん言ってたの。本当にしっかりした人は一度も浮気をしないの。シリル兄様はクウ姉様を受け入れたの。一度でも浮気をした人は、理由をつけて何度も同じことをするの。
特に頭のいい人は自分への言い訳がうまいから浮気をしやすいの。シリル兄様はいっぱい浮気をするタイプなの。おとーさんに似てるからよくわかるの」
妹狐の中で、もっとも純真だと思っていたクロネのあまりにもひどい言葉に俺は心臓を抉られていた。
何が嫌かというと、自分でその言葉に納得している部分があるからだ。
「……クロネ、それシリル兄様の前でもクウ姉様の前でも言ったらダメよ」
「言わないの。クロ、かしこいからちゃんと、危ないことをやる時や言う時は場所を選んでるの」
「クロネって意外と腹黒よね」
「だって、クロは黒い火狐」
そうやって三人の小さな火狐達はユキノを中心にしてわいわい盛り上がっていた。
「ふぉっくす、するときどうだった?」
「別にふつう、ただちょっと乱暴で、痛かったけど、その痛いのが温かかった」
恥ずかしそうにユキノがそう言うと、クロネとケミンが顔を合わせて頷きあう。
「クロネ、再現するわよ」
「ラジャーなの」
そしてとことこと近くにあった家の壁まで歩いていき、クロネが壁を背にした。
「ユキノ、僕の可愛い子狐ちゃん、君の全てが欲しいんだ」
「きゃっ、シリル兄様、そんな恥ずかしい、でもシリル兄様にはクウ姉様が」
そして、ケミンがクロネに覆いかぶさるようになり、そしてどんと壁を右手で叩く。
「クウなんて関係ない。ユキノの素直な気持ち聞かせろよ。アレ、してほしいんだろ?」
「はっ、はい、ユキノしてほしい」
「ほら、何をしてほしいか言ってごらん」
「ふぉっ、ふぉ」
「それだとわからないな。もう行っちゃうよ?」
「ふぉっくすして!! シリル兄様」
「いい子だ。ふぉっくすしてやるよ」
そうしてケミンがクロネの尻尾を撫でてから、虚空をにぎにぎする。
おそらくあれは尻尾を握っているジェスチャーなのだろう。遊びでも尻尾は握らない。
ようやくわかった。火狐にとって尻尾を握るのがふぉっくすなんだろう。
「きゃーユキノちゃん、大胆なの」
「私も尻尾ぎゅーってなっちゃった」
ケミンとクロネにからかわれてユキノの顔は茹でたこのように真っ赤になっていた。
「わけてあげない。シリル兄様にもらったご馳走わけてあげない。一人で全部食べちゃう」
そして、俺が渡した弁当箱を抱えてダッシュする。
「ユキノちゃん、ごめんなの。シリル兄様の料理クロも食べたいの」
「悪かったわ。ちょっとからかいすぎたわ」
そんなユキノを二人が全力で追いかける。
俺はそれを見て反省した。
ユキノなら毎回こういう渡し方をすると、二人に分けてしまう。
今度からきちんと三人分用意することにしよう。
「まったく、あの子たちは」
少しだけ気持ちが軽くなった。
あと二日、エルシエの未来をかけた武器を持たない戦い。それに力を注ごう。