第七話:嘘
「どうぞこちらに」
俺は帝国の四大公爵の一人ヴォルデックを応接間に案内していた。
ここは元帝国の拠点だけあって目上の人間が来たときのために洒落た部屋が用意されてある。
「では、お気遣いなく座ってください」
表面上はにこやかに着席を勧める。
「お言葉に甘えさせてもらうよ」
ヴォルデックが微笑みを返して椅子に座る。従者のほうは手を後に組んで、ずっとこちらを見ていた。
ヴォルデック本人も従者も鎧を着ておらず、武器も持っていない。
その気になればいつでもこちらは二人を殺すことができる。
それでいてこの余裕。
正直に言うと驚いている。帝国のエルフに対する認識は未開の蛮族だ。話が通じることを信用して話し合いの場につくこと自体が異常である。
「エルフの長殿、この度は誠に申し訳なかった。何分、フォランディエ公爵とは管轄が違いまして、まったく動きに気付けず止めることができなかった」
考え事をしているとヴォルデックは頭を下げて来た。
「こちらとしては被害が出ていないので、そう目くじらを立てるつもりはありせんよ。むしろ、今回の戦いでそちらの兵を多数殺してしまいましたが、そちらについて思うところはないのですか?」
おそらく、帝国は既に利益だけを考えてエルシエと戦っているわけではない。感情面がたぶんに含まれている。勝つために俺たちは殺し過ぎた。
「恨み骨髄という奴だね。私自身士官学校時代の仲間がだいぶ死んでいる。まあ、それはお互い様だ。こちらも、エルフをたくさん殺した。火狐の村に至っては不本意ながら滅ぼしてしまった。そういう話はなしにしておこう。下の連中ならともかく、我々トップがこの場で言い合っても話が進まない」
「それはありがたい。こういう場は少ないので建設的な話をしたいと思っていたところです」
「エルフの長、あなたとは気が合いそうだ。これは土産だ」
剣と鎧を取り上げた中、一つだけ持ってくるのを許可した皮袋。そこからとあるものをヴォルデック公爵は取り出す。
「謝罪の気持ちだ。前回の戦いの総指揮官の男だよ。厳重に処罰した。これで少しでも溜飲を下げて欲しい」
それはルルビッシュの首だった。いくつもの拷問跡が残り、表情は苦悶に歪んでいた。
この男はフォランディエ公爵について管轄が違い、動きが見えないと言った。しかし、こうやって他の配下の男を捕らえて情報を引き出している。
こちらについてはある程度情報が漏れていると思ったほうがいい。特にルルビッシュはエルシエ内のスパイからかなりの情報を引き出していた。それが全てヴォルデック公爵に渡っていると考えるべきだろう。
「お気持ちだけは受け取っておきましょう。我々エルフは人間のように生首をもらって喜ぶような残虐な嗜好はもっていないので」
これをこの場で出したのはヴォルデックの意思表示だ。けして自分達は旗色が悪くなったから予定を変更したわけではない。はじめからこうして交渉に来るつもりだったと俺に言いたかった。だから気持ちは受け取ったと返答した。
「それは残念だ」
ヴォルデックは不快ならと言って首をしまった。
そして再び微笑みあう。空気が重い。
そんな中、扉が開きクウとユキノがお茶とお菓子を持ってやってきた。
俺の指示で持ってきたヨモギ茶とクッキー。
二人が慎重にコップを俺とヴォルデックの前に置き、メープルシロップの入った小瓶を机の中央に置く。
「長い話になるのでお茶を」
「これはありがたい! それにしても火狐族の女性は綺麗だとうかがっていたがこれほどとは! 二方とも大変お美しい」
ヴォルデックが大げさに驚きながらクウとユキノを褒める。
二人は警戒心を強め、狐耳はピンとなり、尻尾の毛が逆立っていた。
「いやいや、ずっと私、不思議に思っていた。厄介者の火狐をどうしてエルフが受け入れたのか。風の魔石だけだったら、我々も割に合わないで終わっていた。戦いが続いているのは火狐を受け入れたせいだって、あなたならわかっているでしょう?」
疑問という形を取りながら確信しているという表情。俺はヴォルデックを睨み付ける。
「だが、お二方を見て納得がいった。これだけ美しく、若い女性ばかりに縋りつかれてしまえば受け入れてしまうな。うん、お二人とも、その美貌でエルフに取り入って生きながらえていることに罪悪感は覚えない? あなたたちが居なければ、平和な暮らしをしていたエルフに迷惑をかけている自覚はある?」
クウとユキノがひどく動揺し、俺の顔を不安げに見た。内心の苛立ちが極限まで高まる。
「彼女たちは俺の妻と妹だ。彼女たちへの侮辱はエルシエの長である俺への侮辱と受け取る」
「これはこれは失礼した」
「二人とも、もう部屋を出ていい。それとクウ。今聞いたことは絶対に誰にも言わないでくれ」
「はい、……シリルくん」
クウの声に震えがあった。ユキノが泣きそうな顔でクウの服の裾を掴んでいる。
今までクウたちもそう言ったことを考えたことがあっただろうが、帝国の人間から直接言われると辛いものがあるだろう。
「今のはわざとか? 俺を怒らせたかったのか」
気が付いたら敬語ではなく普段の口調に戻っていた。
だが、構わない。先に無礼な態度を取ったのは向こうだ。
「とんでもない。ちょっと興味本位で聞いただけ。まさかご家族だとは思わなかった。興味本位でもう一つだけ、あなたが家族だから火狐を守るのはいい。だが、エルフの長として個人的な感情で村全体を危険に晒していることに良心は痛まないのか?」
その問いは何度も自問自答した。そして答えはとっくに出ている。
「エルシエの発展のために、彼女たちの力が必要だったから受け入れた。事実彼女たちの力でエルシエは豊かになっているし、これからもっとそうなる。そのために、些細なトラブルを抱え込むぐらいは覚悟している。それだけだ」
「ほう、些細なトラブルね」
おかしそうにヴォルデックは笑う。
「いやいや、まあ、強気にはなるよ。あなたはすごい! 天才だ。私が調べた限りでも、我が国を凌駕する製鉄技術を持ち、信じられない性能の弓を作り、軍略の天才で少数で何度もわが軍を打ち破った。二十人がかりで最精鋭で襲い掛かっても、一人で返り討ち! おまけに商才も豊かだ。エリンでは大儲けしたそうじゃないですか」
「それはどうも」
「今回見せてくれたあの爆発もすごかった。たった数分で二百五十人が死んだ。心底驚いた。もし、帝国が本腰を入れて襲撃したときにあれを知らなければ悲惨なことになっていただろうな」
「一度見たから対策が出来るとでも言いたいようだな」
「そんなことを考えるなんてとんでもない。我々にあなた方の村を攻めるつもりはない」
ヴォルデック公爵はオーバーリアクションに首を振る。
「そうか、ならもしヴォルデック公爵が死んでも正確な情報がしかるべき場所に伝わるように、あなたが帝国に放った兵を追いかけさせて捕縛しているとしても問題ないようだ」
今回の攻撃を見た兵たちは無数にいる。
だが、そいつらが帝国に戻っても正確な情報は伝わらない。あの場では誰もが狂乱していた。冷静さのかけらもなかった。過剰に誇張が入ったものになる。
ただしい効果範囲、威力、数量。そういったものを客観的な情報で伝えられる者は限られる。
蹂躙され慌てふためくフォランディエ公爵軍の後ろで、はじめから様子見をすると決めていたヴォルデックの部下のような連中ぐらいだろう。
俺の言葉を聞いて、一瞬だけヴォルデックの目が細くなった。
「冗談だよ。俺たちは何もしていないさ。大丈夫。ちゃんと情報は伝わる。そもそもあなたをきちんと返すつもりだ。口封じをする意味がない」
「……性格が悪いね」
「よく言われる」
主に二人の嫁に。もっとも彼女たちの言葉には親しみが込められている。
「君に野心はないのかい? 他の村を支配しようだとか、いっそ帝国を乗っ取ろうだとか」
「そんなものはない。俺はエルシエがあればそれでいい。ここだって本当は……」
そこで一度俺は言葉を切った。
「欲しいものは自分達で手に入れる。誰かのものを奪おうなんて思わない。だから、俺たちから奪おうとするな」
それが俺の本心だ。ヴォルデックは何が楽しいのか口の端を釣り上げてから口を開いた。
「ちょっと脱線が過ぎたな。では、エルフの長、本題に入ろうか。この基地に保管されている鉄製の装備の返還についてだ。全身鎧一式が金貨四枚(二十四万円)、両手剣が金貨二枚(十二万円)。このセットが三千ほどで金貨一万八千枚(十億八百万円)での返還という条件でしたね」
「こちらの希望はその値段だ」
「帝国の決定としては、鎧が金貨三枚(十八万円)、両手剣が金貨一枚(六万円)なら要求を呑むというもの。合計で金貨一万二千枚(七億二千万円)」
「ずいぶんと値切るな」
「この前の大敗で兵の補充や、遺族への補償に金がかかって仕方がない。帝国で動かせる金額はそれだけ。フォランディエが失脚して奴の領地も全部私が面倒を見ないといけなくて頭が痛いよ」
なるほど、筋は通っている。それなら……
「金貨一万二千枚(七億二千万円)で二千セットを返却しよう。それ以外の条件なら返却しない。帝国製の装備を欲しがる連中はいくらでもいる。エルシエとしては、運搬の手間をかけたくないから声をかけただけだ」
帝国以外に需要があるのは主にエリンになるが、あそこへの道のりは馬車一台がかろうじて通れるスペースしかない上に山道だ。
重い鉄の武器を運んで何往復もしたくない。
【輪廻回帰】を使うとどうしてもエルシエに俺の居ない期間が長くなってしまう。鉄の装備を運ぶには四tという縛りと二十四時間に一度という縛りがきつい。一回の往復にどれだけ頑張っても四日から五日かかる。
それでも買い叩かれるぐらいなら断るしかない。
「ううん、お金を言い訳にすると、そう言われると断れないね。わかった。それでいい。三日後、こちらに金貨を持って馬車が十台ほど来る。受け渡しはどうする? うちの馬車を十台ほど中に入れて運び出していい?」
「それは許容できない。当日、門の外に受け渡す鎧と剣は全て出しておこう」
「了解。では、契約成立。いや、何事もなく終わって良かった」
ヴォルデックは握手を求めて来たのでそれに応える。
そして彼とその従者を案内して外に向かう。
途中、何人もの殺意と敵意を込めた視線がヴォルデックに突き刺さっていた。
ここに居るのは皆、帝国のせいで村を追われたものたちばかりだ。憎しみも深い。
「エルフの長、最後に警告しておこう。このまま続ければいつかエルフの村は滅びるよ。君が作る武器や戦術は素晴らしい。だけど、一度世に出たものは、どれだけ進んでいようがいずれ周りが追いついて再現する。対策も出来てくる。そうなれば数で劣るエルフの村なんて一瞬で終わる」
それは一つの真理だ。
どれだけ進んだ技術であっても、それがあるとわかってしまえばいずれは作られる。概念を見つけることが一番難しく、それは俺が何かを作るたびに広まってしまう。
「もしかしたらその度に新しい何かを君は作るかもしれない。だけど、それも君が生きている間だけの話だ。君が居なくなったとたん、君が作り上げたものは簡単に崩れ落ちる」
「……何が言いたい」
「いい加減、意地を張るのをやめたらどうだい? 今までの君たちの頑張りでかなり譲歩してもいい。この手の話は、ルルビッシュもしたと思うが、帝国に来て君の手腕を活かしてくれないか?
村もひどいようにしない。とりあえず、火狐の半数も差し出してもらえば。ある程度の対価も払ってやろう。君の貢献と、半数の火狐。それがあれば帝国が保護してやる。エルフの村は安泰だ。君はエルフの村を破滅から救った英雄として語り継がれる。火狐だってお気に入りの子を残して万々歳だ」
検討する必要はみじんもない。そんな条件を飲めるわけがない。
「そんなものは譲歩とは言わない。もし飲める条件があるとするなら、自然死した際に無事取り出せたものを相応の対価を受け取った上で渡す。その条件なら考えてもいい」
魔石は生きている内でしか取り出せないと言われているが、死んで数分なら結晶化する可能性がある。形見として死んだ後にすぐ魔石を取り出す風習はエルフにも火狐にもあった。
「こっちは交渉決裂だな。まったく、君は頭がいいが。馬鹿だ」
「馬鹿で構わない。第一、俺は嘘つきとは形に見えるものしか約束しない」
今回のような金と鎧の交換。これは嘘のつきようがない。
だが、手を出さない。こう言った話はいつ反故にされるわからない。
「嘘つき? なんのことやら」
「フォランディエ公爵は独断で兵を出した。それを止めようとしたが間に合わなかった。慌てて追いついて粛清し本来の交渉を行ったと言ったな」
「その通りだ。その言葉に嘘はないよ」
にこやかな顔を崩さずにヴォルデックは言った。
「違うな。ヴォルデック公爵。あなたがフォランディエ公爵をけしかけた。ここを取り返さなければ失脚すると囁いて。もしかしたら自分の兵が増援で向かうから安心しろとでも言ったのかもしれない」
フォランディエ公爵のヴォルデックが来たときの喜びようは異様だった。不信に思うことなく、本来干渉しあわない四大公爵の軍勢を味方だと捉えた。
「なんのために?」
「ヴォルデック公爵が失脚すれば、彼の領地が手に入る。四大公爵内の権力が増す。さらに、それは同時にあなたがいずれ先頭に立ってエルシエを討伐することを意味する。だから、あなたは必ず失敗する遠征を無理に急かしてより絶望的にして、俺たちの切り札を暴くと同時に消耗させようとした」
「それはないだろう。それならいずれ私のものになる兵を減らしてしまう」
「あなたはそれで構わない。フォランディ公爵の支配している領域で自治が不可能な状況まで疲弊していないと、外様のヴォルデック公爵が介入しにくい。同じ領地内の別の誰かが頭になるだけだ。だから、あんたはこう言うんだろう、フォランディエ公爵の失敗により統合しない限り、独力では満足に防衛すらできない状態だと」
ヴォルデック公爵は大きく目を見開いた。
そして拍手をしてくる。
「すごい、すごい正解だ。うん、その通り。完全に死んでくれないと乗っ取れなかったんだ。おかげで立て直すためにかなりの金と人を使うけど、そんなものはいずれ取り返せる」
「エルシエを落して、得た魔石でか」
「言っただろう。エルフの村に喧嘩を売るつもりはないって」
そうして、ようやく門の外までたどり着く。
「それではエルフの長、今日は有意義な話をありがとう。私も忙しい身で三日後の受け渡しには立ち会えないが、いずれまた必ず会おう」
「戦場じゃないどこかであることを祈っておく」
そうして俺とヴォルデック公爵は別れた。
◇
~ヴォルデック視点~
一台の高級感溢れる馬車が帝国に向かって走っていた。
「ヴォルデック公爵、どうでした実際に会ってみて」
「想像していたより頭は良いようだ」
ヴォルデックは先ほどまでのにこやかな顔が嘘のように、能面のような無表情を浮かべている。その無表情をまったく気にしていない様子で年若い少年の部下が話しかけていた。
「ヴォルデック公爵が言ったとおり瞬殺でしたね。でも、フォランディエの馬鹿のおかげで奴らの切り札を見れてよかったですよね。あんなの初見で突っ込んだら何千人死んだかわかったもんんじゃないですよ」
「そうなっただろうね。だけど、その対策をしたから安全ってわけじゃないようだ」
「どういうことですか?」
「あのエルフの長は、今回の攻撃を知られたことをまったく痛手に思ってない。強がりじゃなく本心からね。だからきっと、切り札はまだある。それが一枚かもしれないし、二枚かもしれない、いやもっとあるかも」
「そんな馬鹿な!」
「私もそう言いたいな。だがね、実際にそうなんだよ。あれは化け物だ。そもそも論として、彼の話ぶりからすると帝国との戦いには勝てて当たり前っていう考えが透けて見える。むしろ、どんなふうに勝つかを気にしているような気がする。ほら、今回見せていいのはここまでだって」
その言葉に少年兵は絶句する。
主人の観察眼は何よりも正確だ。その主人がそう言っている以上、エルフの長とやらが本物の馬鹿ではない限り、あれほどの武器がまだ他にあるということだ。
「何より驚くほど彼はちぐはぐなんだよ。一度試しに怒らせてみて、素の彼を見ようとしたんだけどね。その子供っぽさに驚いた。知性も知識も、経験すら感じさせるのに根っこが子供。わけがわからない。あんなのは私も初めて見たよ」
「子供でも知性と知識と経験があったら、弱点にならないじゃないですか!? なら、どうやって勝つんですか?」
「たぶんね、彼の余裕は彼が知っている帝国の戦力からの逆算だ。だから、勝つには彼の知らない帝国の戦力を投入しないといけない。それこそ勇者のような」
「うちの勇者様は行方不明のままですよ。もう一人は皇帝の守護で動けないですし。本当にあのガキどこで道草食ってるんだろう」
「殺されたんだろうね。おそらく彼に。ルルビッシュから聞き出した情報を分析すると彼が村を不在にしていた時期、そして向かった先の地域が、勇者が行方不明になった時期や地域と一致する」
「勇者を倒す怪物!? それだとますます勝てないじゃないですか!?」
「焦らなくていい。今はゆっくりと仕込みをする時期だ。幸いあてがある。あらゆる属性魔術の天敵の綺麗な女の子が海を渡って来てくれる」
「あの化け物ですか? 数百年前から生きていて世界中を回っているっていう」
「化け物なんて失礼な。私が子供の頃に見たことがある。本当に綺麗な少女だった。そして今も少女だろう」
ヴォルデックは目をつむり記憶を呼び起こす。金色の髪と翡翠色の眼をした幻想的なまでに美しい少女を。無表情な顔に、自然と笑みが浮かんでいた。
「その顔、気持ち悪いですよ。まだ無表情のほうがマシです」
「ひどいな君は。話は変わるけどね、一度本気で笑いを堪えきれなくなるところがあったんだ。『欲しいものは自分達で手に入れる。誰かのものを奪おうなんて思わない。だから、俺たちから奪おうとするな』。本当に馬鹿だよね。何もしないってことは、相手が何かする時間を与えるってことなのに」
その言葉を最後にヴォルデックは口を閉ざして黙々と書類仕事を始めた。
倍近くなった領地、仕事は山ほどあるのだから。