第四話:新たな戦いの予兆
エリンでは、俺の情報を集める尾行者や変な客……どちらも同じ人物がいたものの無事、ノルマは達成した。
持ち込んだ商品のメープルシロップとエルシエワインは全てさばけ現地でシロップ以外の材料を購入したクレープもかなりの売り上げとなり、合計で金貨百四十枚(八百四十万円)、銀貨千百八十枚(百四十一万円)もの儲けが出た。
三日でこの売り上げなら十分すぎるほどだ。
その間、ロレウとコンナには接客業を叩き込み、火狐のレラにはクレープ作りを教えた。三人とも要領がいいので次からは任せてしまって大丈夫だろう。
大量に買い込んである食料や酒、酢などの調味料は無事宿に届いてあるし、ウェディングドレスも完成しておりルシエとクウがほくほく顔で取りに行っていた。
残念なのはルシエとクウが俺にウェディングドレスを見せてくれないことだ。これは当日のお楽しみらしい。
そして、服屋の店主に俺が個人的に頼んでおいた黒を基調にしたエプロンドレスも完成している。これはユキノへのお土産だ。残る二人の妹分、ケミンとクロネには街で流行しているアクセサリーを買ってある。
「シリル、これからどこへ行くの?」
「片付けと荷物の馬車への積み込みはロレウたちがやってくれているから、その間に鶏を買いに行く。宿で卵料理を出していただろう? 宿は養鶏場から仕入れていてそこを紹介してもらった。雌鶏を売ってもらえるように交渉するんだ」
「それはいいね。エルシエで卵が食べられるなんて最高だよ」
「うん、高い買い物になるけど買っておきたいかなって」
この時代卵は高い。三つで銀貨一枚(千二百円)はする。
是非購入したいのだが問題はある。卵の価値が高いので、定期的に産む鶏は高額になる。
一日一つの卵を産む鶏は半年で金貨一枚(六万円)以上の価値を生み出すから、なかなか持ち主は手離さないのだ。
たった、一羽の鶏を買うのに金貨二枚を取られてしまうこともざらにある。
エルシエの人数を考えると五十羽は購入したいが、そうすれば金貨百枚となり今日の売り上げのほとんだが消える。
「卵ですか、美味しいですよね卵。私も大好物です。なんとしても手に入れて欲しいです」
「それは運次第かな。お金を積んでも売ってくれないかもしれないし」
養鶏場も鶏の数に余裕があれば、相場以上のお金を積むことで譲ってくれるだろうが、鶏を増やすのに事欠くぐらいなら中々売ってはくれないだろう。
エリンで一番規模の大きい養鶏場らしいので余裕があるとは思いたい。
「買えるといいですね。買えなかったらお土産にシリルくんからもらったお小遣いで買えるだけ卵を買って皆に振る舞います」
「やめたほうがいいと思うよ。馬車は揺れるから帰る前に割れちゃう」
「尻尾で包めば大丈夫です!」
「それだと数人分しか持って帰れないよ」
「ううう、もっと私の尻尾が立派なら」
俺は苦笑する。火狐の皆が羨むクウの尻尾で満足しないなんて贅沢な話だ。
「えい」
「きゃっ」
クウの尻尾をぎゅっと掴むとクウが飛び上がった。
「何するんですか!」
「急にクウの尻尾を握りたくなってね。クウの伴侶は尻尾を握っていいんだろう」
「時と場合を選んでください。こんな人目のあるところで……その、恥ずかしいです」
顔を真っ赤にして消え入りそうな声でクウが言う。こんな反応をすると罪悪感が出て来る。
未だに火狐の感性がよくわからない。
「いいなシリル。私もユキノちゃんの尻尾をぎゅっとしたい」
「……俺が言うのもなんだけど、嫌われたくないなら止めたほうがいいよ」
ルシエは新しく出来た家族の尻尾を頭に浮かべて恍惚とした目をしていた。おそらく握れば普段おとなしいユキノも本気で怒るだろう。それはそれで見てみたい。
◇
「鶏を売ってくれだ? 今年は雛がたくさん孵ったからいいけど。高いぞ? おたく金あんの」
養鶏場につき宿の主人にもらった紹介状を渡すと、牧場主は不審そうな顔を浮かべた。
「うん、大丈夫。何羽までなら売ってもらえるかな?」
「そうだな……得意先への卵の供給量を考えると売っていいのは、二十羽ってところだな。それ以上はいくら金を出されても売れねえ」
二十羽か、残念だ。もう少し数が欲しかった。
逆に考えるとそれぐらいの数なら木箱に藁をいれて持ち帰れるから、【輪廻回帰】を使う必要もなくお得だ。
「一羽いくらで売ってくれる?」
「あの人の紹介だし金貨二枚《十二万円》にまけといてやる」
予想通りの値段。ヤギの二倍以上の価格だ。
「二十羽まとめて買うから。少しまけてくれないか? 金貨三十枚(百八十万円)でどうだ?」
「それなら、売らん。放っておいてもそれぐらいの金は産んでくれるからな」
確かにそうだ。これ以上の交渉は無意味だろう。それに、もっと面白いものを見つけた。
牧場主が売ろうとするのはある程度歳をとって卵の産める期間の少ないにわとりだ。それよりも魅力的なものがあった。
「わかった。なら二十羽を金貨四十枚《二百四十万円》でもらうよ。それと、あそこにいるヒヨコを売ってもらえないか? そっちは一羽いくらかな?」
大人の鶏の集団が居るところの横に大量の黄色い塊……ひよこが居た。
二つに受けられており、一つは丁寧に世話されているようだが、もう一つはぞんざいに集められているだけのようだ。後者を俺は指をさす。
「あれは、メスを仕分けたあとの残りだぞ? どうせ何羽か肉用に育てて後は処分するぐらいしか用途がないしな。金貨二十枚も払ってくれたんだ。おまけにしてやんよ。雛でも串焼きにすりゃ柔らかくてうめえぞ」
「お言葉に甘えて選ばせてもらおう」
鶏の数を増やすためにある程度は雛を孵す。ある程度育てた段階で仕分けをするのだが、ひどく難しい。
その道のプロでも何割かは失敗する。というよりも雌のくせにプロが見ても雄にしか見えないような個体もヒヨコには存在する。
しかし、俺なら魔力を通した反応でわかってしまう。人でも動物でも、雄と雌だと魔力を通したときの感触が違うのだ。
「これだけもらえれば十分だよ」
二百羽ほどの中から二十一羽を選んだ。
「あんた、もしかして、それ全部雌だったりするのか?」
「まさか、そんなわけないじゃないか」
「そっ、そうか。じゃあ、馬車で運ぶんだろう? ちょうどいい木箱を探してくるからちょっと待ってろ」
そう言って牧場主は消えて行った。
「シリル、本当はどうなの?」
「本当に全部雌ってわけじゃないよ。ちゃんと数を増やしていくために三羽ほど雄を選んでいる。あとは全部雌だ。生後二週間ぐらいのひよこたちだから三か月もすれば卵を産んでくれるし、数を増やせるようになる」
しばらくは、エルシエ全体には行き渡らないが、ちょくちょく小出しにしていこう。
買った雛が大人になるころには皆週に一度は卵が食べれるようになるし、もっとすれば毎日食えるようになる。
「シリルくんって本当に色んな特技がありますね。エルシエの外のほうが才能を活かせるんじゃないですか?」
「そうだね。シリルだったら、もっと色んなことが出来るのに、私たちが引き留めちゃってるんじゃないかなって思う時がある」
ルシエとクウが寂しそうな顔を浮かべた。
彼女たちの言うとおり、例えば俺一人ならエリンでも帝国でも、大きな街に出て商売を起こせば、それなりの富も手に入るし、女だって、名誉だって手に入れられる。
「出来ると思うよ。でも、俺は今が幸せなんだ。可愛い嫁が居て、気のいい仲間に囲まれて、飯がうまくて、気持ちよく笑える。それ以上のことは望まないよ」
それは俺の本心だ。金も富もそれなりにあればいい。そんなものはもう飽きるほど楽しんだ。エルシエの生活のほうが魅力的にうつる。
「シーーーリル」
ルシエがぎゅっと抱き着いて来た。
「いきなり、どうしたんだ?」
「うん、なんでもない。ただ、そういう気分になっただけ」
女心は難しい。改めて俺はそう思った。
◇
鶏を詰め込んでからロレウ達と合流してエルシエに向けて出発した。
鶏はひどい悪臭を放つ上にうるさく旅の快適さを著しく損なったが、卵を食べられるという期待からみんな我慢することが出来た。
馬車の荷台が重くなったことで、さすがに魔改造された馬と馬車でも三日かかってようやくエルシエについた。
エルシエに戻る間、レラには積極的にロレウと話してもらった。
レラ自身、身を固めたいという意識はあるし、彼女とロレウの結婚はエルシエの今後の発展につながる。ロレウの成長も期待できる。なによりロレウを放っておくとユキノが危ない。
だいぶ二人は打ち解けて来て楽しく会話するのをよく見かけるようになった。これで一安心だ。
夜焚火を囲んで見張りをしつつ雑談しているとロレウは、
「レラ、胸でけえよな。まじでけえよな」
とか、にやけた面で言ったり。
「あの子絶対俺に気があるぜ。やらせてくれるかな? でも、俺にはフェアリーが居るし、くうぅ。モテる男は辛いぜ」
とか、ドヤ顔で言ったり。
「長、俺決めた。俺は自分の気持ちを信じる。彼女には辛い思いをさせてしまうよ」
とか、決め顔で言ってきた。
他にも色々と言ってはいたが、精神衛生上よろしくないので適当に聞き流していてほとんど覚えていない。
◇
「クウとレラはヤギ小屋の増築棟に鶏とひよこを放してきて。ルシエとコンナはエルシエの皆に俺たちが戻ったことを周知すること。
俺とロレウは村長宅の倉庫に食料の運びこみとクラオに俺たちが居なかったときのことを聞く、それぞれの仕事が終わったら今日は解散、長旅の疲れもある。ゆっくり休んでくれ」
エルシエにつき役割分担をしてから、解散した。
村長宅につき、村長の部屋を目指す。周りを見ながら歩くが掃除が行き届いている。俺とルシエが掃除をしていたときよりも丁寧な仕事ぶりだ。ユキノが頑張ってくれているのだろう。後で褒めてあげないと。
村長の部屋に入ると書類仕事をこなしていた一人の男が顔をあげた。
歳はロレウよりも上でエルフには珍しい細面の学者肌の男だ。
「おや、シリル様。やっとお帰りになったのですね。このクラオ。この日を一日千秋の思いで待っておりました。さあ、この卑しきクラオに英知を授けてくださいませ!」
「ただいま。留守を守ってくれてありがとう。英知をって言うけど、教えることはもうないよ」
「いえ、まだまだです。今は理解もせずに、シリル様の教えを守っているだけ、その教えの一つ一つに隠された真意をご教授願いたいのです!」
クラオは俺とロレウが合わせて不在になる機会が増えたので、新たに指名した長の代理だ。
ロレウは長の代理の役職を離れ正式にイラクサの隊長となっている。エルシエの中では三番目に権力を持っていることになる。
「そっちは話すと長くなるから、また今度」
「この、クラオ、いつまでも待ち続けますので、是非に、是非に」
「あっ、ああ」
頭を弄ってないのに、妄信といっていいほどクラオは俺に憧れている。
イラクサの訓練を指導する合間に長の代理としての業務を教えていた。
その際に時間がなかったので、とりあえずこうしておけば大丈夫という長のマニュアルのようなものを貴重な紙を使って作り手渡した。意味をかみ砕いて教える時間がなかったので本当にただの行動指針を示しただけのもの。
するとこの男は、数百回、数千回と読み込んで内容ではなく、一文字単位で全て暗記した。凝り性の俺が作ったので百ページを超えるページ数に紙を無駄にしないためびっしりと細かい文字で書きこんだにもかかわらずだ。
おかげで俺の不在時でもエルシエは問題なく活動できている。
「いつも感謝している。クラオが居るから安心して留守にできるよ」
「はは、もったいないお言葉です」
もっともトラブルにはめっぽう弱いところはある。マニュアルに書いてないことはできない。頭が悪いわけでも、要領がわるいわけでもない。ただ、俺の意にそわない行動をすることを極度に恐れている。
たいていのことは保留にして俺が戻るのを待つように指示をしているが、万が一俺の判断を待つ時間がない状況が訪れてしまうとき、この男がどうするかは俺の不安の一つだ。
「変わったことはなかったか」
「ありました。一つはベル・エルシエの使者が帝国からの手紙をもってきてくれました」
「もらおう。後で読むよ」
ベル・エルシエとは、奴らの補給基地の今の名前だ。
扱い的にはエルシエの支配する村という扱いにしている。
帝国に鎧と剣を買わないかと投げかけてきた答えが返ってきのだろう。
「他にもあるのか?」
「こっちは些細なことです。妹君がこの家の一部屋を毎日借してくれと頼みに来ているので、きちんと片づけをすることを条件に貸しています。お友達と一緒に使っているようですね」
「ユキノが? わざわざここの部屋を借りてってことは、周りから隠れて何かをしているんだろうな」
「そのようです。何やら可愛らしい歌と物音が聞こえてきますよ」
「そうか、そういうことか」
だいたい見えてきた。
「長、マイフェアリーが来ているのか、会っていこう」
「レラはどうした」
「何言ってんだよ。昨日言っただろう」
すまない。適当に相槌を打っていただけで聞き流していた。
「レラは魅力的だ。惚れそうになった。でも、レラのおかげでもっと俺は大事なことに気付いたんだ」
「ほう、言ってみろ」
「レラに惚れたってことは、年増になってしまってもマイフェアリー、ユキノちゃんを愛せるってことだ。俺の愛は本物だったんだ!」
俺は言葉を失った。もう、ロレウはダメかもしれない。
レラは十九才。それで年増って。今までロレウに嫁が出来なかったのは男臭さが原因だと思っていたが他に理由があるようだ。
◇
ユキノが借りている部屋、そこの扉が少しだけ開いていたので隙間から中を覗く。
俺の予想通りなら俺にだけは見られたくないはずだ。
当然のような顔をしてロレウがついてきており、一緒に中を覗き込んでいた。
「久しぶりの生フェアリー」
汗をかくのを見越して中にいた三人は皆薄着だった。息が若干乱れみんな汗を流している。
ロレウの息が荒いのはどうしてだろう?
「シリル兄様とクウ姉様の結婚式のお祝いで披露する歌、はやく完璧にしないと! もう一回通しでいくよ!」
三人の中のリーダー黄色の火狐のケミンがいつもよりもキリッとした声で銀色の火狐のユキノと黒い火狐のクロネに指示を出す。
「ケミン、本当にこの歌? ユキノ、この歌嫌い。もっとかっこいいのとか、綺麗なのがいい」
「だめ。そういう土俵だとクウ姉様の劣化になるわよ。でもこの歌なら私たちの土俵で戦える。クウ姉様と比べられることはないの」
「でもユキノ、この歌の全力で媚びてる感じとか、プライドを投げ捨ててる感じがきらい。あと歌詞の意味がまったくわからない」
「クロも嫌いなの。クロが黒いの耳の先だけじゃないの」
「つべこべ言わない。火狐の由緒正しい歌なんだから」
「由緒正しいって、これクウ姉様が五才の誕生日にクウ姉様のお兄様が、クウ姉様に贈った歌。歴史が浅い」
クウのお兄ちゃんの作った曲か、それこそクウの結婚式にはふさわしい歌だろう。
「それでも、クウ姉様が、ぎりぎり耐えきれた十一歳まで毎年歌ってくれたから、由緒正しい歌よ。さすがにクウ姉様も、恥ずかしくて歌えなくなったけど」
「ユキノ、十二才。クウ姉様でも無理な年齢」
「だからこそやるのよ。クウ姉様を越えてみせなさい」
「わかった。やる!」
なにやらようやく心の折り合いがついたらしい。
三人が横一列に並び、ケミンの合図で歌がはじまった。
「「「よっこらふぉっくす こんこんこん♪」」」
可愛らしく精いっぱい明るい声で三人が歌い始める。
両手を前に伸ばし腰を落として上下に激しくシェイクしながら右に左に体を揺らす。
「「「尻尾をふりふり こんこんこん♪」」」
次は元気よく回転して背中を向け、腰に手をあて、しっぽを振りながら腰を振る。
「「「耳の先だけ くっろいぞ♪」」」
しゃがんで狐耳に手を当て上目使い。
「「「尻尾の先は しっろいぞ♪」」」
体を半身にして尻尾を手でもちあげ先を見せつけてくる。
「「「よっこらふぉっくす こんこんこん♪」」」
サビらしく冒頭と同じ振りだ。
「「「もふもふふかふか こんこんこん♪」」」
背中を向けて尻尾と腰を振る。
「「「こーーーーん♪」」」
最後は全員でおもいっきり飛び跳ね、心底楽しそうに叫ぶようにして終了。
その、なんというか、すっごく可愛い。もう可愛すぎて理性が飛びそうだ。
三人の可憐さをこれ以上ないほど引き立てている。クウの兄は天才かもしれない。
「ふぉ、ふぉっ」
ロレウが目を見開き、震えていた。
「ふぉっくすしたい!」
叫び声をあげて、突撃しようとする。
ふぉっくすって一体何をするつもりだ? よくわからないが、ユキノが危ない気がしたので襟首を掴んで引き寄せてから頸動脈をがっしり押さえて五秒で落とした。
「あれ? なんか人の声がした」
「声というか叫び」
「ちょっと、怖い声だったの」
三人がロレウの叫び声を聞いてこっちに向かってくる。
俺に秘密のサプライズで披露してくれるつもりだ。見ていたことを隠すにするために、俺は無言で立ち去った。ロレウを置き去りにして。
起きたらロレウも理性を取り戻すし、不意打ちでなければ、ユキノならロレウを真正面から打倒できるし大丈夫だろう。
◇
一人になって帝国から手紙を開いた。
「本当に馬鹿だな」
そこには、大量の兵を連れて鎧と剣、そして砦を取り戻しに行く。素直に引き渡すなら許してやるとあった。
「なら、痛い目を見てもらおうか」
その為の武器はいくらでもあるのだから。