第三話:麻
「兄ちゃん、わりいな金貨四枚(二十四万円)も払ってもらって。うちの半月分の利益だぜ」
「適性価格ですよ。この立地で商売をさせていただくなら、これぐらいは当然払わせて頂きます」
「そうかそうか! 明日と明後日、この屋台は好きにしていいぜ」
俺は富裕層が住むエリアの隣、そこにある屋台の店主に金貨四枚(二十四万円)を支払っていた。一日二枚(十二万円)の計算だ。店主は妙に男くさい。
商業都市エリンでは、店を出したい商人が多く、例えば屋台でも高額な権利書が必要になる。こんな好条件の立地に至っては金を積んでも手に入らない。
エルシエの商売はせいぜい月に三日程度の不定期であることもあり年単位の許可証は割りに合わず、なおかつ申請しても審査に時間がかかってしまうのも問題だ。
だから、立地がよくなおかつ儲けが出ていなさそうな屋台にかたっぱしから声をかけて二日分の権利を借りようと奮闘し、ようやく最高の場所を確保したのだ。
「でっ、兄ちゃん。何を売るつもりなんだ?」
「砂糖みたいなものと、甘いお菓子、それに酒かな」
「そんな高級品を売るのか、そりゃ羽振りもいいわけだわ」
「というわけでお近づきの印です」
俺は笑顔を浮かべて数本だけ馬車から持ちだしていたエルシエワインを手渡す。
「こりゃありがてえな。この場で飲んでいいか?」
「どうぞ。是非感想を聞かせてください」
「んじゃ、遠慮なく」
豪快に喉をならしていっきに瓶の半分ほどを飲み干した。
「うめえなこれ。金出すから売ってくれねえか? 一本じゃ足りねえ。これで買えるだけ頼む」
そう言って男は銀貨を二十枚(二万四千円)ほど取り出した。
「やめたほうがいいですよ。金持ち用の高級酒ですので、一瓶で銀貨二十枚です」
「そりゃあ、俺の収入だときつい値段だ。だが、その価値はある……くそ、先に言っておいてくれよ。もっと味わって飲めばよかった。けど、一本だけくれ!」
「それは構いませんが……いいんですか?」
「ああ、今日は結婚記念日だ。妻に持って帰ってやろうと思ってな。二人でやるには半分になった瓶じゃ足りねえし、今日ぐらい贅沢していいだろう。金も入ったし」
俺は笑顔で頷いて酒をもう一瓶渡し、銀貨を二十枚受け取った。
「いい夜を」
「おうよ。そういや兄ちゃんは結婚してんのか?」
「つい先日したところです。ここには出稼ぎと食料の補充、それと式に必要なものを買いに来ていて。故郷に戻ったらきちんと式をあげようと思います」
「商売うまくいくといいな。仕事もだが、家庭も頑張れよ。一度尻に敷かれたら一生そのまんまだぞ」
俺は苦笑して、許可書の写しと本物が必要になったときのために店主の連絡先を聞いて別れた。最後に店主は街で一番の仕立て屋を紹介してくれたが、それが前回服を買った店と一緒で笑ってしまう。
◇
「長、あの行列はほんとうんざりするな」
「だよね。エリンについたのお昼ちょっと過ぎたばかりだったのにもう日が沈みそう。私もシリルと一緒に先に入ればよかった」
ロレウやルシエ達がようやく関税のチェックを抜けて街に入ってきた。
関税では金貨二枚(十二万円)ほどの支払いが必要だった。今回持ってきたのはメープルシロップ百五十本、エルシエワイン五十本。全て関税での扱いは酒だった。
金貨二枚(十二万円)は一本あたり銅貨十枚(四百円)の関税と基本料金を合わせての金額だ。屋台を借りるのに必要だった金を合わせると金貨六枚(三十六万円)。商売の準備だけでどんどん金が減っていく。
二泊三日の宿代も合わせてしまえば、三日で金貨十二枚(七十二万円)これだけ稼がないと赤字だ。
馬車は前回と同じ宿を借りたのでそこにつないだ。
あそこは高いが倉庫を貸してくれるし、馬の面倒も見てくれ、料理がうまくサービスが行き届いている。わざわざ別の宿を取る気にはなれなかった。
今回は三部屋取ってある。俺とルシエ、クウの三人、灰色の火狐レラとコンナの二人。ロレウ。という割り振りだ。
男と女で二部屋にすることも考えたが、ロレウと一緒に寝るよりもクウやルシエと一緒に寝たかった。
「それで、シリルくん。今日はこれからどうします?」
「まずは食料の注文だな。二日後の夕方に出発するから、それまでに届けてもらう。その次に服屋だ。ルシエとクウの結婚式用のドレス、それとロレウの服を買わないといけない」
俺がそう言うと、ルシエとクウが目を輝かせた。二人ともお洒落が好きなのでウェディングドレスが今から楽しみなのだろう。
「おい、長、ルシエとクウちゃんのドレスはわかるが、なんで俺の服も買うんだ?」
「その恰好で立っていると、売れるものも売れなくなる。ちゃんとエルシエを出る前に、可能な限り清潔でいい服を持って来てエリンに入る直前で着替えろと言っていたよな?」
俺のいいつけを守り、ルシエとクウは俺がプレゼントした最高級の服を着ており、レラは火狐の皆にこの街で買って送った仕立てのいい服。コンナは冬の間に持ち帰った布で作った服を着ていて、とても田舎から出てきたようには見えない。
コンナ以外の女性陣はその美貌と、それを引き立てる服のおかげで男どもの視線を集めている。
だが、ロレウはいつも通りのぼろぼろの服。一応申し訳程度には洗濯しているようだ。
ちゃんと、ロレウの分も冬の間にエリンで購入した良い布を使ってエルフの女性陣に新しい服を仕立ててもらったというのに……
「いや、綺麗な服は肩がこるんだよ。俺の恰好なんて誰も気にしねえって」
「そうか、ならあそこの汚らしい乞食が屋台で売り子をしていてそれでもお前は気持ちよく買い物ができるか? それも取り扱うのは食べ物だぞ?」
そう言いながら俺は目線を垢と汚れがこびりついたぼろきれに身を包み壁にもたれかかっている乞食に目を向ける。
ロレウは顔をしかめた。
「あそこまでひどくねえよ」
「俺たちから見ればな。だが、今回のメインの客層は金持ちだ。そういう連中が今のロレウを見れば、あれと大差ない。というわけで金は俺が出すから服をまず仕入れる」
「俺のせいで余計な出費を……すまねえ長」
「一度目のミスは気にしないでいいよ。ちゃんと理由まで話さなかった俺のミスでもあるから」
俺は同じ過ちを繰り返した場合、一度目のミスは笑って許す、二度目のミスは怒る。三度目は見切りをつけるようにしている。
「ああ、気を付けるよ」
ロレウが珍しく殊勝なことを言って頭を下げた。
◇
それから、小麦と大麦、ジャガイモ。それに減って来た酢を馬車に積める限界まで注文して宿に届けるようにお願いした。ジャガイモが買えたのは嬉しい。これだけあればガラスハウスいっぱいに栽培できる。
カブを収穫し終ったら頑張って植えよう。
「シリル、上機嫌だね」
「掘り出し物があったんだよ! 本当に来てよかった」
「もしかしてあの種ですか」
「そう、種だ! あれは麻って言ってね。あれより使える植物を俺は他に知らない」
麻の種が並んでいたので大量に買い込んである。これは難民が集まっている補給基地で栽培させる。小麦や大麦、塩を支援する代わりに労働力を頂く形にする。
ドワーフのクイーロの力を限界まで使ったので、補給基地内に農地は有り余っている。俺が渡した最低限の種籾では到底その土地は使い切れなかったのだ。
「もう少ししたら、補給基地が麻の葉っぱで一面、緑になるよ」
麻は最高だ。生育が早い一年草で、いつでも植えることができ短期間で収穫できる。
用途も多岐に渡り、エルシエで不足している布や縄、籠等の材料になるし、麻の実も葉っぱも栄養満点で美味だし保存が利く。油がとれるのも見逃せない。
薬の原料としても利用が可能だ。特に痛み止めなどは是非作って在庫を持っておきたい。
封印の一部が解除された名前も知らない【俺】の薬物知識を使えば、遺伝子組み換えを行い、もっとも洒落になっていない成分をもっとも有効な強さに調整できる。種を調べたが今のままではその成分が弱すぎる。
これを使えば帝国の弱体化をさせつつ大量の資金を得ることが可能だ。それこそ、金貨数万枚単位での……
「一面の緑か、綺麗そうだね。ちょっと見てみたいかも」
「私もです。シリルくんがそこまで言う植物ですし」
「うん。いいよ。収穫の時期になったら三人で行こう。本当に鮮やかで綺麗な緑が、こうぶわーっと広がってすごいんだ。今から楽しみだよ」
国家間で対立した場合、一人、二人、殺していてもらちが明かない。帝国ならこの前与えた五千人の損失だって数年経てば回復する。その度に命がけの戦いをする必要がある。
だが、ようやく国を傾けるほどのダメージを与えるだけの武器が手に入った。しかも、こういうものはこの世界では出回っていないので対策も碌にできないだろう。
それどころか、それが出回れば本当は止めるべき連中も喜んで受け入れて率先して使ってくれるかもしれない。
トップの頭が阿呆になれば、二次災害も期待できる。本当に来て良かった。
◇
レラとコンナとは別れ、四人で服屋にたどり着いた。
別れるまえに、五人にそれぞれ銀貨を六十枚(七万二千円)ずつ渡した。せっかく街に来たので楽しんでもらいたい。これぐらいの役得はあっていいだろう。
コンナは文字の読み書きも計算もできないが、レラが一緒に居て面倒を見てくれるのでちゃんとお金を使える。
「レラはすごいんだな。読み書きと計算ができるなんて」
「はい、私の師匠ですから」
普通は読み書きも計算も、この時代はある程度権力がある親の子供しか教えない。だがレラは普通の家庭に生まれたと聞いているので不思議だ。それに、たまにだがクウを見る目に険がある。
「今度ゆっくり話してみるよ。ロレウのこともあるし」
「ですね。レラは美人で優しくて頭いいのに、灰色だったから火狐の村だと避けられてたんです。でも、ロレウさんならちゃんとレラのいいところを見てくれると思うんです」
「それでか」
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
クウは黄金、数ある火狐の体毛の中でもっとも強力な存在、それに比べて灰色はもっとも力が劣る存在。色々と複雑な感情があるのだろう。
だが、それだけとも思えない。
「ロレウ、なんでそんなに体を小さくしているんだ?」
「俺、こういう空気苦手なんだよ」
確かに店構えからして高級感が溢れている。ロレウは場違いだ。
「いいから、入れ」
だが、もたもたしている時間はないし、ロレウにはこういう場になれてもらう必要がある。俺はロレウの手を強引に引っ張って店の中に入った。
◇
「いらっしゃいませ。ああ、あのときの旦那様。また来てくださったのですね」
「この前に買った服が気に入ったからね」
「それは重畳、後ろに居る奥様方も私どもの服を着こなしてくださっているようで感無量です」
「結婚したとよくわかったな」
「それはもう、雰囲気でそういうのはわかるものですよ。それで今日はどのようなご用件で?」
にこやかな笑顔を浮かべつつ、服屋の店主がすり寄って来た。
「二つある。一つは、この男の服を見繕って欲しいんだ。金持ち相手に商売するからなるべく清潔な印象を与えるものがいい。それでいて可能な限り疲れない服を頼む。予算は金貨一枚(六万円)」
「かしこまりました。あまり締め付けないタイプの服がいいですね。トム、あなたに全てを任せます。誠心誠意最高のコーディネートを」
「はい、親方!」
服屋の店主が店員を呼び、その店員はロレウを伴って消えて行った。
上客だと思ってくれるからこその対応だろう。
「二つ目はなんでございましょう?」
「近いうちに結婚式をあげるんだ。二人に最高のドレスを」
「それはそれは、気合が入りますね。これだけの美人ですから、それに見合うドレス、それも人生で一度の晴れ舞台を彩るドレスを作るのは私にも覚悟がいります」
さっきから褒め千切られてルシエとクウは後ろで照れている。
「そこは店主のセンスを信じるよ。何も要望はつけない。だから最大限、二人の魅力を引き出すドレスを頼む。二人もそれでいいかな?」
「うっ、うん、いいよ」
「わっ、私も構いません」
「二人とも緊張しすぎだよ。もっと余裕をもたないと」
そうは言っても、なかなか緊張はほぐれないようだ。
「それで旦那様、予算はどの程度を見込んでおりますか?」
「一人金貨十枚(六十万円)。それで足りなければ応相談。期日は二日後の夕方、二人はここに預けていくから。それでなんとかなるか?」
今回は俺が指導しながらロレウ、コンナ、レラの三人で商売をするので二人は居なくても構わない。このためだけに連れてきたようなものだ。
「はい、それだけの予算があれば最高のものを約束しますよ。納期は正直かなり厳しいですが、他の仕事を全て放り出してでもプライドにかけて完成させましょう」
やる気に満ち溢れ気持ちのいい返事を返す店主、それとは裏腹にルシエとクウは大きく目を見開いていた。
「しっ、シリル、金貨十枚って!」
「そっ、そんなに!? 小麦がどれだけ買えるんでしょう……」
あまりの金額に二人が目を回している。
「お金は有効活用しないとね。それにこっちはエルシエの財布じゃなくて、俺の財布から出すから気にしなくていいよ」
「でも、もったいない気がするね」
「すっごく嬉しいですけど、さすがにそこまでしていただくのは」
「俺が見たいから俺が金をだす。結婚式なんて一生に一度しかないんだ。だから、予算は出し惜しみせずに最高の二人を見たい。そんなに深く考えなくていいよ。可愛い二人を見せてくれればそれでいいから
」
そう言うと、二人とも顔を赤くして、小声で相談してそれから、服屋の店主と俺に頭を下げた。
「よろしくお願いします」
そして、ルシエとクウの二人のウェディングドレス作りが始まった。
◇
その夜は、服屋で精神的に疲れ切ったルシエ、クウ、ロレウを宿まで送り届けた後に武器を取り扱う店で俺がクイーロのときに作った剣を三本ほど売って金を作った。
きちんとその価値を理解してくれて高く買ってもらえたので、ドレス代の穴埋めをすることが出来た。手に入れたからと言って製法がわかるものでもなく、たった三本では戦力に影響がでないと考えて売ったのだ。
だが、きな臭い連中の手に渡ってしまったことは気になる。
エリンに入ってからずっと三人ほどに尾行されている。つけられているだけではなく、宿屋のおかみや、服屋、武器屋、屋台の店主などに俺が何を売り買いしているかを聞いているし、さっきの武器屋なんて俺が売った剣をその場で買っていた。
俺は気付いていない振りをしながら、【知覚拡張】で逆に様子を探っていたのだ。
聞きこみされた相手の反応から、少なくとも怪しいものではなくこの街で顔が利き信頼されている者だということがわかった。
だが、目的がわからない。耳を隠しているのでエルフであることはバレていないはずだ。
そもそも、金になると思い攫うつもりなら、ここまでしないし、こうして、一人きりでわざわざ人通りが少ない路地裏に来てやったのに手を出さない理由がない。
「さて、なんのつもりだろうね」
逆に捕らえてやることも可能だが、害がない限りは捨て置くと決め、俺はその場を去った。
エリンを去るまでの三日間。徹底的に警戒しなければ。
◇
その二日後、俺を尾行していた奴……なぜか、男性服を着こなした二十代後半の女がほくほく顔で俺たちが売っているクレープを三つも食べてメープルシロップを二瓶も買っていったあげく、数時間後、十人を引き連れて戻ってきたと思うと、一人二瓶限定で売っていたエルシエワインを買い占めていった。
ついでにそのときにさらにクレープを二枚平らげている。
さらには再び、今度は一人だけで戻ってきて。
「やっぱり私の分は必須! 高いけど!」
と叫び銀貨四十枚を叩きつけて、最後に残っていた二瓶のエルシエワインを買いスキップしながら走り去っていくのを見て、俺はひどくやるせない気持ちになった。
この三日警戒し続けていた自分がひどく間抜けに思えた。
「あいつは何がしたかったんだ」
俺はメープルシロップは全て売り切っていたが、半分以上残っていたエルシエワインを全て処分してくれたことに感謝をしながら、茫然として呟いた。