第一話:馬車
夜が明ければ、ルシエとクウにロレウとコンナ、そしてクウが推薦した火狐を連れて商業都市エリンに出かける。
エリンを相手の商売や買い出しは定期的に行う。一々エルシエの長である俺が出かけるのは問題がある。なので、商売のやり方を今回教えて次回以降はロレウたちに任せてしまうつもりだ。
イラクサの二人を使うのは、身を守る力がないと話にならないからだ。エルフや火狐は村の外に出るという行為そのものが危険であり、通商はイラクサの仕事にする。
早朝から出発するので、今日は早くに眠ることにしたのだが、隣の様子が気になってしかたがない。
「くっ、苦しい」
ユキノのうめき声が聞こえてきた。
ルシエはユキノをぎゅーっと抱きしめてすやすやと幸せそうに眠っている。大変満足そうな表情だ。もともとルシエは妹のリッカを溺愛していたから、ユキノにその姿を重ねているのかもしれない。
ユキノのほうはすごく寝苦しそうに表情を歪めている。ちょっと強くしすぎだ。
ルシエの腕の力が抜けた瞬間にユキノが抜け出した。そして全身を震わせてから、目を擦りつつ。そーっと俺の布団に入り込み俺の腕に抱き着いてきた。そして、満面の笑みを浮かべてから眠り始める。尻尾まで俺の足に絡ませている。ふわふわの毛が気持ちいい。
「ルシエにはもう少しユキノに優しくするように言っておかないと」
構ってあげるのはいいが、度を過ぎると嫌われる。
ユキノは繊細な子だから、余計に気をつけてあげないと。
「いつか、大人になって大好きな人が見つかるまでは俺が守ってあげるから」
ユキノの銀色の髪を撫でてから俺も眠りについた。
大事な妹だし、間違いなく次代の火狐……ひいてはエルシエを担う一人だ。それに見合った実力が必要になる。
それを身につけさせるのが兄としての責務。そんなことを考えつつ眠りについた。
◇
「長、準備はできたぜ」
「うん、こっちもだいじょーぶですわ」
村の入り口に用意した馬車に、メープルシロップとエルシエワイン、それに俺たちの分の食料と水、金貨の詰まった袋、馬の餌を積み込んでロレウと妙齢の火狐レラが声をかけてくる。
「ご苦労様。レラは長旅とか大丈夫かな」
「はい。慣れていますわ。昔は、歌い手で色んな村を回ってましたし」
ずいぶんとのんびりした口調だ。レラは灰色の火狐で十九才だと聞いている。肉付きがよくクウよりも色々と育っている。眉毛が太くたれ目で、全体的におっとりしたお嬢様のような印象だ。
クウの話では、こうした見た目とは裏腹にかなりのキレ者で、自分に何かあれば特別な火狐である銀色の火狐ユキノを代表にし、実務のサポートとして任命するほどに信用しているらしい。
「それなら安心だね。こうして出かけることが多くなるから」
「シリルくん、心配はいりませんよ。レラなら全部任せて大丈夫です。私の師匠ですから。格闘術も知識も私以上です」
「あら、クウ様。それは謙遜になりますわ。もう私、クウ様に教えることはございませんもの。クウ様は私を超えましたわ」
「クウより上かを別にしても、クウの師匠なら安心できるよ」
クウがそれほど信頼しているのなら大丈夫だろう。
クウを超えるかもしれない格闘術と知識の持ち主。それなのにこの前の戦いでレラではなくユキノを選んだのは彼女が灰色だからだ。
魔力量や火魔術への適性は彼女たちの色によってどうしようもないほどの格差がある。クウやユキノみたいな金色や銀色は飛び抜けた力を持っているが逆にレラのような灰色は力が劣る。それは努力で覆せる生易しいものではない。
「これで出発する奴は揃ったな」
「うん、シリル。みんな揃っているよ」
「行きましょうか、シリルくん」
予定通り、ルシエとクウ。それにロレウ、レラ、コンナの五人での出発だ。
「シリル兄様、頑張って」
「お土産期待していいですか」
「クロ、いい子にして待ってるの!」
見送りにいつもの妹分三人が来てくれている。よく見るとクロネとケミンのおでこが赤い。ユキノが仕返しをしたのだろう。
可愛らしい三人のために、お土産はちゃんと考えておかないと。
そこで違和感を感じる。ユキノに向かって邪な視線が向けられているような……
「ロレウ、いくぞ」
「おっ、おう」
俺に声をかけられたロレウがみっともなく慌てる。
……まさかな。よし、馬車で確認しよう。
◇
まずは女性陣が馬車に乗ってもらい。男である俺とロレウが御者になり馬車を引く。
「長、この馬車すごくないか? 気持ち悪いぐらいに早いし、乗り心地が良すぎるんだが」
「色々と頑張って作ったからね」
馬車は特別製だ。まず馬を二頭立てにし、素材を錆び止め加工した軽量金属にし、さらに部品の精度に徹底的に拘ることにより、重量を半分以下にしたうえ、摩擦を極限まで減らしている。
車輪には特に拘った。軽さと剛性を満たしつつ真円に近づけた。ゴムが手に入らなかったので、動物の死骸から石油を錬成、さらにプラスチックを生み出しタイヤにしている。
タイヤを穿かせることで衝撃を吸収させ乗り心地の良さと、踏破力、路面への力の伝導率向上を可能にした。
「馬車だけじゃなくて馬もやべえ、これ本当に馬か? ずいぶんと飛ばしているのに、ぜんぜんばてねえ。というか、筋肉のつき方とか、足の太さとか、明らかに別の生き物だろ」
「丹精込めて世話をしているおかげだよ。美味いめしと、適度な運動のおかげかな」
大魔導士シュジナのホムンクルスの研究の一部を流用して馬のほうも弄っている。模造魔石と因子を植え付け、存在を改変した。
馬車をひいているのは馬ではなく馬みたいな何かだ。持久力と馬力が通常の馬の二倍以上になっている上に、食料の栄養への変換効率が高いのでエサは通常の半分で済む。
通常五日かかる道のりも、この馬車と馬なら二日ほどで到着するだろう。
速さは重要だ。この時期に一週間以上エルシエを留守にしたくない。
それに今後、早馬で連絡を取るシーンが増えてくる。いい馬の確保は急務だった。
「すっげえなこんなことまで長はできんのか」
「できるようになったのは実は最近なんだ」
馬を弄った知識も石油の知識も今の今までまったく思い出せなかった。あの戦いが終わってから急に頭に浮かび始めたのだ。
……おそらく【俺】が今まで封印していた。封印していた理由は想像がつく。例えば石油だ。あれは危険すぎる。やりようによっては数万人単位の虐殺すらできてしまう。
それを【俺】が解除したということは状況が変わったのかもしれない。それも悪いほうに。
【俺】に真意を質そうとしてもまったく、返事をしなくなったのも気になる。こんなことは初めてだ。
「納得いかねえ」
「気にするな。早い分にはいいだろ」
「そりゃ、そうだけどな。長と話してると頭がおかしくなりそうだぜ」
ひどい言われようだ。
まあ、それはそれとして、
「ロレウ、お前は今、いくつだっけ」
「なんだよ急に。今年で二十六だ」
「そっか、そろそろ身を固めるつもりはないか?」
「長がそれを言うのか」
ロレウが微妙に不機嫌そうな顔をした。
「もしかしてクウのことか?」
「……長、俺がクウちゃんのことが好きだって気付いてたのか?」
「まあ、それなりに」
ロレウはクウに恋をしていた。火狐たちとのはじめの親睦会で気に入って、訓練中でもクウの尻尾を追いかけていたし、たまに視線がエロくて、俺は奴の目をくり抜きたい衝動に駆られることがあった。
「ロレウは怒っているのか?」
「悔しいが怒っちゃいないさ。クウちゃんが長を選んだ。それだけのことさ。
間違っても、ルシエみたいな美少女とあんだけいちゃいちゃしているくせに、クウちゃんにまで手を出しやがってとか。それでも飽き足らず、他の女にもモテモテで羨ましいとか、幼女にお兄様と呼ばせて調子に乗ってるとか、そのモテ力の十分の一でも寄越せとかなんて思っちゃいない」
「おっ、おう」
ロレウの本心が見えて、少しだけ引いてしまう。
「そのあたりの話は今度にしよう。真面目な話だ。イラクサのリーダーのお前が独り身なのは問題があると思うぞ、結婚は是非したほうがいい。そろそろいい年齢だし子供も仕込まないとな」
そして、ちゃんと嫁を愛して、間違っても小さな子に邪な視線を向けてはいけない。
「それなんだがな、長。気になっている子が居るんだ。それとなく俺をその子に紹介してくれないか」
「うん、俺が紹介できる相手ならいいよ」
良かった。ちゃんと結婚するつもりはあるみたいだ。誰だろう?
俺はレラあたりを紹介するつもりだった。もちろん、クウにもレラにも了承を得ている。レラは美人でエロい。男なら誰でもくらっとくる容姿だし、クウが尊敬している人だ。
ロレウも将来性もあるし良い奴だ。
レラとロレウだと釣りあいが取れるし、長に続きイラクサのリーダーまでもが火狐と結ばれれば、エルフと火狐のさらなる友好に繋がる。
「長、俺な、失恋の淵に居たんだよ。長が結婚を発表するよりずっと前にクウちゃんが長にメロメロだって気付いてな。告白もできずに毎日、クウちゃんの尻尾を見つめる日々だったんだ」
唐突にロレウの自分語りがはじまった。
「いっそ、無理やりでもクウちゃんを連れ出してエルシエから逃げようとも考えた」
踏みとどまってくれて良かった。そんなことをされればロレウでも許せなかっただろう。彼を失うのは痛い。
「だけどな。それでクウちゃんの笑顔が曇るのは嫌だったんだ。諦めようとしたんだが、クウちゃんの尻尾が寝ても覚めても頭から離れない。そんなとき、妖精に出会ったんだ」
ロレウが目を背けたくなるほどのにやけ面を披露してくれた。
「俺が自主練で山に行った時だ。水音が聞こえて川に向かうと、無垢な少女たちが水浴びをしていたんだ。太陽に無垢な肌を晒して、輝く笑顔で、尻尾を揺らしながら」
幸せそうにロレウは目を細める。そのときの情景を思い出しているのだろう。
「その中でも、クウちゃんに負けないぐらいに綺麗な銀色の尻尾をした女の子に一瞬で目と心を奪われた。それからは毎晩、その光景を頭に浮かべて一人で……って何言わせてんだ恥ずかしいじゃないかよぅ」
「心底気持ち悪い。というか、本気か?」
俺は三人にあの川で水浴びをするのを控えさせるように言うことを決意した。
「本気だ。それから訓練で銀色のマイフェアリー。ユキノちゃんを目で追うようになった。ますます惚れたね。一生懸命で頑張り屋さんで気配りが出来て友達想いの美少女。あと歳の割に色々成長してるし。あと尻尾がやばい。モフモフしたい。たまに思うんだが俺の目の前で揺らしてるのって握ってくれって誘ってるんだよな? 握らないほうが失礼だよな?」
「そんなわけあるか! 火狐の尻尾を握るのは両親と伴侶だけだから、絶対無許可で触るなよ。それは強姦と一緒だし、エルシエで強姦すれば追放だ」
「結婚すれば握り放題……あの尻尾が……ごくりっ。ユキノちゃんは長のことお兄様って言って慕ってるんだろ? 長が俺を紹介してくれれば、きっとユキノちゃんも頷くと思うんだ」
俺は心底、ユキノに留守番をさせて良かったと思った。こんな狭い馬車に一緒に居れば何をされるかわかったもんじゃない。
「だから、お兄さん。妹さんを俺にください。絶対に幸せにします」
俺の目を真っ直ぐに見つめて言ってくる。とても綺麗な目だった。
だから、俺は……
「断る。年齢を考えろ。まだ子供だ」
と一蹴する。可愛い妹をこんな獣にやるわけにはいかない。
「なら、あと二年待てばいいんだな?」
「ユキノが二年後頷くならね」
「へへへ、二年後が楽しみだぜ」
「……一応言っておくけど、ユキノが頷けばって話だってことを忘れるな。それに、二年の間に一度でもユキノに触れたら、絶対に許さない」
「おう、俺は紳士だ。そんな野暮なことはしないぜ」
「あと、ちゃんとした大人の女性と一度ゆっくり話してみろ。とびっきり綺麗な女性とお見合いさせる。そしたら色々と心変わりもするだろう」
「ああ、そんなことをしても、マイフェアリーへの想いは変わらないさ」
とは本人は言っているが、基本的にロレウはまともに話してくれる女性がおらずにクウにあっさり転んだ男だ。クウの師匠ならあっさりとロレウを落としてくれるだろう。
こんなロレウも、しっかりと見てくれる人が居れば変わるのかもしれない。
ロレウはいい奴だけど残念。その認識がより一層俺の中で高まった。
◇
そうしてきっかり二日で商業都市エリンにつき、関税の順番待ちとチェックをルシエたちに任せ、先行して宿を取り、商売をはじめるための下準備を始めた。
まず出店を出す許可を取らないといけない。無許可で捕まれば積み荷が全て没収されたあげくに、罰金を取られる。
さあ、積み荷を売りさばかないと。俺は気合を入れて歩き始めた。