エピローグ:凱旋
俺はおおよそ二か月ぶりにエルシエに戻ってきた。
まず不在時の情報を集めるために村長宅に向かう。今日戻ることは伝えていたのに出迎えがなくてがっかりする。
手紙でちょくちょくエルシエの状況は聞いていたが心配事も多い。長である俺と、もともと不在時の代理だったロレウが抜けたので、冬の間に新たな村長代理を選び育てていた。筋がよく素直なので変なことになってはいないだろう。
ここまで戻ってくるのが遅くなったのは徹底的に補給線を叩くことで、補給基地に居た連中を餓死させるのに二週間、その後に空になった補給基地を占拠し難民たちをかき集めて誘導するのに三週間かかってしまったからだ。
俺の予想通り、途中で帝国の隊から脱走した兵や補給基地にもともと居た兵とそこにたどり着いた兵たちが野盗に成り下がり暴れはじめ、かなりの数の難民が発生した。
その悪評は各地に広がっている。難民たちに声をかけ、そのうち三百人ほどは俺の話を聞いて新たな生活をはじめることになった。
難民たちの食事は奴らの補給隊を襲ったときに手に入れた食料で賄っている。それだけでは不十分だったので、もしものときのために商業都市エリンで買った予備の小麦を一tほどエルシエから運びこんだ。
クウが食料庫を燃やしてからは、イラクサのメンバーは交代で二チーム八人+火狐一人の九人を残して帰らせ一週間の交代勤務にしていた。彼らも精神、肉体ともに限界だった。
だが難民たちとの交渉などがあり、責任者として俺だけは戻れなかった。
補給基地への奴らの輸送は、はじめ無警戒で、二度目以降は襲撃してからは護衛がついていたが、大した数ではなく十分対処できた。もしかしたら補給基地とエルシエ侵略の隊の状況は伝わっていなかったのかもしれない。
「嬉しくて涙が出そうだ。なんの変哲もないエルシエもしばらく離れるだけでこんなにも愛おしくなるのか」
「シリル、お疲れ様。シリルだけは一度も戻ってこなかったもんね」
隣を歩いているルシエが労いの言葉をかけてくれる。
「もう春なんだな」
雪どけから一月半で緑が増え暖かくなってきた。辛く長い冬がやっと終わった。
ここから先、火狐たちが育てたカブを収穫して小麦やジャガイモを植え付けていこう。
「あの基地に残してきた皆さんは大丈夫なんでしょうか」
「クウ、大丈夫だよ。二月分の食料は用意してあるし、種籾と種芋もくれてやった。もともとあの基地は一部の偉い人を除いて半農半兵が集まっているところだったから農地も井戸も敷地内にある。
春になって森に食べ物も増えてきたし自分達でなんとかするさ。彼らだってこの土地でずっと生きて来たんだから」
みんなには秘密だが、帝国の連中が俺たちに利用されないように最後の力を振り絞って農地を台無しにしていたが、ドワーフのクイーロを呼び出し土属性魔術で最高のコンディションにしてあり、いつでも作物を植えられるところまでお膳立てした。これで駄目なら何をやっても死ぬ。
冷たいようだが俺に出来るのはここまでだ。
「シリルくんはやっぱりすごいです。あんなに大勢の人の命を救っちゃうなんて。しかも無償で。尊敬します!」
「無償ってわけじゃないよ」
俺は尊敬の眼差しを向けるクウの視線を受けて苦笑する。
「渡した種籾と種芋は収穫のタイミングで倍にして返してもらう約束だし、帝国が残した補給基地の物資の所有権はエルシエにある。
それに帝国の襲撃があった場合には、エルシエへの連絡を飛ばした上で籠城戦をしてもらう。俺はあの人たちをエルシエの盾に利用しようとしているんだよ。だからこれはただの公平な交渉の結果だ」
徴兵経験のある連中も居て、農業の合間に戦える人間を鍛えてくれるそうだ。
帝国も今回の遠征で大打撃を受けてそうそうは新たな軍を編成してはこない。習熟するだけの時間はあるだろう。
籠城戦であれば数倍の戦力差がない限り簡単には落とされず、たとえ落とされたとしても俺たちが対策をするだけの時間を稼げる。
一番大きいのは奴らがエルシエへの襲撃をする際の補給地点がなくなることだ。それにより奴らが必要な食料の輸送量や装備が倍以上に膨れ上がっている。
エルフと火狐だけではあそこに常駐させる人員が捻出できなかったこともあり、食料と金を消費してでも難民を助けることはプラスになる。
「でもシリルはやっぱり優しいよ。シリルがだした条件ってすさまじく良心的な条件だと思う。食料なんてただであげてるし」
「ルシエちゃんの言うとおりですね。種籾なんて五倍にして返せ!ってぐらいが相場ですし」
エルフや火狐の中でもそれなりな教育を受けているクウとルシエだけあって正論だ。
彼女たちの言うとおりこの状況ならもっと絞りとれるだろう。だけど、
「俺は恩を売ったんだよ。ここまでしてあげれば、そうそう裏切らない。……普通はね。第一、そこから搾り取らなくても、もっとがっつりと金を絞り取れるしね」
「搾り取る?」
「どこからですか?」
二人とも俺の意図がわからずに?マークを頭に浮かべていた。
「これだけ、迷惑をかけられたんだ。負け犬の帝国さんからに決まっているだろ」
「でも、お金を払えって言っても絶対払ってくれませんよ」
確かにその通りだ。戦争で賠償金を取るには、敵国を占領するか第三者を入れた場を設ける必要があり、どちらもエルシエでは不可能な話だ。
「見返りがあれば気持ちよく金は出してくれる。だから補給基地にあるものを買い取ってもらう」
「シリル、もしかしてあの人たちの装備?」
「その通りだよ。鉄の装備だ。作り直すより俺達に金を払ってでも買い戻したいと思うよ」
補給基地に用意された五千人分の食料はまとめて燃やしたが、奴らが用意した装備はほとんど残っている。
さすがに金などの簡単に持ち出せるものは餓死するまえに逃げるという賢明な帝国兵が持ち逃げして残っていないが重い装備は誰も持ち出すことができなかったようだ。
これを帝国以外に売り飛ばしたいとは思うが、買い取ってくれそうな商業都市エリンまで重い鉄の装備を輸送するのはきつい。
なら、帝国様に買取りに来てもらうのが一番楽だ。こっちが場所を指定するのなら、実力行使で奪おうとした際の罠も容易にしかけられる。
それで対応しきれない状況があるとすれば、エルシエ方面以外を守護する三大公爵が手を結んで大規模な軍勢を出した場合だが。今回の規模では温存した切り札も、それだけの数が相手なら使っていいだろう。
「お金は払ってくれそうだけど武器をわざわざ返す必要ないんじゃないかな」
「そうですね。危険です」
「考え方しだいだね。俺たちにとって鉄の武器はそんなに脅威じゃないんだよ。だから金を毟り取って国力を疲弊させればそれで十分。それに、ぎりぎり得だと向こうが感じるぐらいに吹っかけてやるからさ。その金で色々としたいことがある」
補給基地にあるのは三千人分の鉄の装備。奴らの隊は四千五百人ほど居たがさすがに全員分の装備は用意できなかったみたいだ。
それでも、それを全て売れば数年分エルシエが運営できるだけの金が手に入るだろう。それにしてもなにやら騒がしい。
広場のほうに人の気配がある。
「なにかイベントでもあるのか?」
「ふふん、知らないよ」
「ええ、私もわかりません」
口ではそう言っているが、二人とも悪戯っぽい表情で微笑を浮かべている。確実に何かを知っている。
逃げないように二人が右と左、それぞれの腕をしっかり組んでいた。
そして、広場に出ると……
「お帰りなさい!」
「よっ、英雄の登場だ」
「シリル様! 結婚してください」
「ルシエちゃんとクウちゃんみたいな美少女両手にとか羨ましいなぁ」
「ありがとう!」
温かい言葉と割れんばかりの拍手で出迎えてくれた。
エルシエの民が総出で集まっており、机が設置され酒とグラスが用意されてある。
だから出迎えが居なかったのか。こういう光景は胸にこみ上げて来るものがある。
ルシエとクウに背中を押されるようにして目立つ位置にある恒例の一段高い舞台に向かう。
そのときに、黄色い火狐のケミンと黒い火狐のクロネが現れた。
足を止めて二人に話しかける。膝を曲げて目線を合わせる。
「どうしたのかな、二人とも」
「シリル兄様、約束を守ってくれてありがとうなの。ユキノちゃんが無事帰ってきてくれてクロ、うれしい」
「私も感謝しています。あと、これはエルシエの皆からです」
二人が花で出来た首飾りを俺にかけてくれ、拍手の音が響く。
春が来てようやく咲き始める花だ。かぐわしい香りに頬が緩む。
「それだけど、俺がちゃんと見てあげられなかったせいで、ユキノを倒れるまで無理させた。お礼を言ってもらう資格はないんだ」
もっとちゃんと見てあげていれば、ユキノの異常に気付いていただろう。戦いに夢中になって視野が狭くなってしまっていた。
「ううん、ユキノちゃんはシリル兄様に感謝してたの。だからありがとうなの」
クロネがそう言うと、二人は俺の両側にまわって背伸びをして頬にキスをした。
可愛らしく微笑ましい、小さな少女のキス。これが彼女たちが言ってた一番大事なものなのか。
「二人とも嬉しいよ。これが君たちの言ってた一番大事なもの?」
「ううん違うよ。クロたちの一番大事なものは後で届けるの。たぶん暴れるから寝かせてぐるぐる巻きにして届けるの。素直じゃないの」
「だから、期待しておいてください! 縛るついでに可愛くしておきます。ではシリル兄様、もう一仕事がんばってください」
二人の大事なものまったく想像がつかない。
妹分たちに送り出され俺は舞台にあがった。みんなの注目が俺に集まってくる。
深呼吸して口を開く。
「もう、聞いているとは思うが俺たちは勝った! エルシエは帝国が必勝を期して送り出した四千五百人に勝ったんだ! これでそうそう奴らは次を準備できない。しばらくは安泰だ!」
大きな歓声があがる。あまりにも圧倒的な戦力差。そしてそれを覆したことで否応なしに盛り上がる。
「勝てたのは、必死に戦ってくれたイラクサの皆、火狐のクウとユキノ。そして俺たちを支えてくれたエルシエのみんなのおかげだ。みんなありがとう!」
くさくてありきたりな言葉。だが、これ以上にこの状況にぴったりな言葉はないと確信を持って言う。
「今日の勝利を祝して乾杯しよう! グラスを抱えてくれ」
酒が用意されていた。エルシエワイン、俺たちの酒だ。だが、皆が動かない。
なぜだ? 俺は首を傾げる。
すると、隣に居たルシエとクウがクスクスと笑う。
「みんな、言ったとおりでしょ。絶対シリルはこんな言い方すると思った」
「シリルくん、頑張った人の中に一番大事な人の名前をあげてないですよ。みんなも気付いていますよね!」
クウのよく通る声に、みんなが頷く。一番大事な人?
「じゃあ、みんな。いっせいにいくよ」
ルシエの掛け声で一瞬の静寂が生まれる。そして……
「「「ありがとう。シリル」」」
俺への感謝の言葉が述べられた。
「シリルの言うとおり、みんなすっごく頑張ったけど、でもね、一番頑張ってくれたのはシリルだよ」
「これは、私たちだけの意見じゃないです。みんなの意見です。だから、ありがとう。そしてお疲れ様です。シリルくん」
顔が真っ赤になってしまう。おそらく人生で一番ぐらいに照れてしまった。
目に涙が浮かんだので、それを裾で乱暴に拭う。
「さあ、乾杯だ。はやく乾杯しよう! そのなんか、すごい、照れくさい。はやくここから引っ込みたいよ」
あたりがどよめく。本当に顔から火が出そうだ。でも悪くない。
きっと、この展開はルシエとクウが考えたんだろう。でも、誰ひとりとして嘘は感じなかった。本当にそう思っていることが伝わってきた。だからこそ、湧き上がる感情が抑えきれない。
今度はみんなちゃんとグラスを掲げてくれた。
「乾杯!」
グラスのぶつかる音が鳴り響いた。
そして美味しそうに、エルシエの新たな故郷の味エルシエワインを楽しむ。
俺も一口飲んだ。まだ二回目なのに懐かしさを感じる。
それにしても、まさか二人にしてやられるとは。仕返しをしないと。二人にも死ぬほど恥ずかしい想いをしてもらおうか、ちょうどいい機会だ。
「みんな、戦いが終わったし、ここで重大な発表がある。酒を飲みながらでもいいから聞いてくれ」
再び俺に注目が集まった。ルシエとクウはきょとんとしている。
だから、二人の肩を寄せて密着させる。
「きゃっ、シリル、急になに」
「その、いきなりこういう場では」
二人とも突然のことで驚いている。だけど、驚くのはまだ早い。
「俺たち結婚します。長の権限で二人とも嫁にする。あと盛大な式を挙げるから楽しみにしておいてくれ!」
俺はそう言って、二人にキスをした。みんなから色んな叫びが聞こえる。
それは、エルシエの有名人同士の結婚で盛り上がる黄色い悲鳴だったり、エルシエの二大美少女が一度に奪われた男の怨嗟の声だったり、逆に俺を狙っていた女性の嫉妬の声だったり、純粋に俺たちの祝福を祝う声だったりさまざまだった。
肩を抱き寄せた二人は顔を真っ赤にして、声にならない悲鳴をあげていた。
いい気味だ。
「シリルひどいよ。心の準備なんて全然できてないよ」
「私もです。まだすっごくばくばく心臓がなっています」
「実は俺もなんだ」
俺の言葉で二人が一瞬きょとんとしてから声を出して笑った。
「死ぬほど恥ずかしいな。でも、こういうのも悪くない。だろ?」
その問いに、二人は顔を見合わせてから、ゆっくりと首を縦に振って頷いた。二人がたまらなく愛おしくなる。いつまでも三人で幸せに暮らしていけるように、これからもがんばっていこう。
三章最終話です
次回から四章です