第十話:出陣前日
「よし、いい出来だよ。ちゃんとお酒になってる」
俺は村長宅の使っていない一部屋を改造して作った酒蔵の中で口を開いた。
今日はメープルシロップで作った酒の味見をしている。
「やったね!」
「本当に出来た!」
「お酒、お酒」
俺の言葉を聞いた火狐達が喜びの声をあげる。ただ、妹のように可愛がっている三人が居ないのは寂しい。成人していない子たちは酒造りには参加させないようにしているせいだ。
「お酒ってこんなに簡単に出来ちゃうんですね」
クウが驚きの声をあげ、不思議そうに完成した酒の入った水瓶を眺めていた。
「クウたちからすれば簡単に思うだろうけど。温度調整が難しいんだ。エルフたちだけで作ろうとすれば、本当に苦労したと思う」
今回作った酒はもっとも原始的な方法で作っている。
巨大な水瓶に雪解け水で五倍に薄めたメープルシロップに、干しクランベリーから作った酵母液を注いで五日間寝かせて完成だ。
酵母はメープルシロップの糖を分解してアルコールに変える。そして、アルコール度数が12%を超えたあたりで、自ら生み出したアルコールの濃度に耐え切れず死んでしまうので、そこでアルコールの精製が止まる。
アルコールの発酵に四日、酵母が完全に死ぬまでに一日、合計五日かかる。
作業自体はひどく単純だが、酵母は水温が低すぎるとうまく発酵せず、水温を上げ過ぎると逆に死滅する。五日もの間、適温に保つ必要があり、火狐達の協力が無ければここまでうまく作れなかった。
「その、シリルくん。お願いがあるんです。少し味見させてもらえませんか?」
この場に居た火狐全員の気持ちをクウが代弁した。エルフと同じで火狐も酒が大好きだ。ましてや自分達で材料を集めるところから作り上げた酒、気になるに決まっている。
「味見はちょっと考えさせて、その前に最後の仕上げをしないとね」
俺は微笑んで、水瓶にメープルシロップを一瓶の半分ほど投入する。そしてかき混ぜて、もう一度味見をする。うんいい味だ。
糖分を分解してアルコールを作るので、酒が完成した時点で甘味はほとんどなくなる。だから、こうして仕上げにシロップを入れて味を調えるのだ。酵母が死滅しているので、新たな糖を与えてもこれ以上発酵が起こらず、甘味が消える心配はない。
「考えた結果だけど、味見はダメだよ。午後からお披露会だから、それまで我慢して」
「シリルくんは味見したのにずるい」
「俺は仕上げをする必要があったからね。それに意地悪を言っているわけじゃないよ。初めての感動はみんなで一緒に分かち合いたいだろう? というわけで瓶詰を急ごうか」
「……そう言われてみればそうですね。私も皆と一緒に楽しみたいです。午後が楽しみ。それにしても、瓶の模様凝ってますね」
クウが酒瓶に施した細工を目ざとく気付いてくれて、うれしくなる。
瓶の表面に、クロスボウにクランベリーの蔦とキツネの尻尾が巻き付いている印をつけていたのだ。
「このお酒は、エルシエの象徴にしたいからね。エルシエのシンボルをつけてあるんだ。戦いで活躍したエルフのシンボルであるクロスボウ、昔からずっとの生活を支えてくれているクランベリー、最後に新しい仲間の火狐のシンボルであるキツネの尻尾、よくできているだろ」
そして、帝国との戦いに勝てばこれをベースに国旗を作る予定だ。
「はい、すごくかっこよくて可愛いいです。ちなみに、今日作ったお酒はなんていうお酒ですか?」
「名前は考えていなかったな……ストレートにつけるならメープルワイン。それだと面白くないから……うん、決めた」
透明感のある雪解け水、そして俺たちに恵みを与えてくれる山で取れたクランベリーとメープルシロップ、それだけで作ったエルシエそのものの味。だから、名前を付けるとするなら……
「エルシエワイン。ここでしか作れない俺たちだけの酒だ」
俺がそう言った瞬間、クウがくすりと小さく笑い声を漏らした。
「クウ、変か?」
「いえ、良い名前です。ただ、ルシエちゃんの言っていたこと思い出したんです。シリルくんって、合理的な考え方するのに、根っこのところはすごくロマンチストで優しいんだって」
俺はそう言われて照れてしまう。
「ロマンチストか……確かにそうかもしれない。似合わないか?」
「ううん、私はシリルくんのそういうところ大好きですよ。正しいだけで冷たい人だと一緒に居て楽しくないです。そんなシリルくんだからずっと一緒に居たいと思えるし、隣にいると幸せなんです」
クウの台詞を聞いて苦笑してしまった。
確かに、俺は合理性を重視しているが、感情面もかなり配慮をしている。感情面を無視した合理性は逆に効率を落とす。真に効率的な国の運営をするなら、感情面も考慮しないといけない。
なにより、そっちのほうが幸せで楽しい。そうでないと生きている意味がない。
でも、それを面と向かって言われると照れる。俺が照れた分、クウにも照れてもらおう。
「俺も、クウみたいに気配りが出来て可愛いくて、芯の強い女の子と一緒に居られて幸せだよ」
そう言った途端、クウが顔を赤くして耳をピンとたて、他の火狐たちがきゃあきゃあと騒ぎ出す。火狐達はこういう話が好きだ。
クウと俺が好かれているというのもあるが、自分たちの恋が出来ずに恋愛話に飢えているということもある。根本的な解決はまだ無理だが、多少は改善できるだろう。
「ねえ、みんなお見合いとか興味ないかな? もちろん、クウは絶対に参加しちゃダメだよ」
俺の問いかけに火狐達が首を傾げる。言葉が足りなかった。補足しないといけない。
「エルフ達は、男のほうが多い上に、俺以外は複数の妻をめとることが許されていないから、独身の男性が多いんだ。よかったら、結婚を前提に知り合う機会を作りたいんだ」
もちろん、火狐たちの人数に比べれば独身の男性はかなり少ない。……そして、ぶっちゃけた話、家族を作るのが当たり前という価値観のあるエルフの村で独身の男というのはそれなりの理由がある。それでもロレウを筆頭として魅力的なエルフも多い。
「三番目でもいいからシリル様がいいわ」
「私も私も」
「……みんなやめたほうがいいわ。クウ様がすごい顔で睨んでる」
「クウ様冗談ですよ。冗談。シリル様に手を出すわけないじゃないですか」
火狐達が一斉にクウの顔を見るものだから俺もつられてそっちを見る。クウが微妙に頬を膨らませていて、顔があった瞬間に目を逸らした。
普段、妹のように可愛がっている三人が俺に結婚してと言っても笑っているが、年頃の女の子たちの言葉となると無視できないのだろう。
「クウ、大丈夫だ。俺はこれ以上、嫁を増やすつもりはないよ。ルシエとクウを悲しませてまで、誰かを好きになることはしない」
「……ルシエちゃんが居るのに、シリルくんに好きなってもらった私が言うのも変ですけど、今の言葉すごく嬉しいです。やっぱり、女の子としては、他の人を好きになっちゃうのは嫌ですから」
俺たちの会話を聞いて、また火狐たちがきゃあきゃあ言ってクウが優しい笑顔を浮かべてくれた。
一応お見合いの話は切り出した。
また、ちょくちょく反応を見て、彼女たちが望めば場を設定しよう。きっと、エルフも火狐達も両方が喜ぶ、いいイベントになるだろう。
◇
午後からのエルシエワインの試食会は、ただの試食会ではない。
明日出陣するイラクサのメンバーの壮行会も兼ねていた。
毎日行っている馬車の出入りの監視、その集計結果に変化が現れはじめた。異常なまでに帝国方面からの馬車が多くなっている。それが数日続き、ある日を境にぱたりと通常運転に戻った。
その時点で、俺が直接出向き補給基地の兵を拉致、薬と魔術で幻覚を見せながら情報を聞き出した結果、帝国兵の到着見込み、そして補給基地の受け渡す物資の量まで知ることが出来た。
その後、口封じのために兵士は殺している。こういった実力行使は多用すると警戒されるし、何より情報を聞き出したこと自体がばれる危険がある。
そのため、敵が情報をもっていると確信したタイミングでないと実行できない。馬車の数をカウントするという手段を取ることでそのタイミングを計っていた。
補給基地で受け渡す物資の量から推測するに、敵の数は四千五百前後。ルルビッシュが言っていた人数の1.5倍まで膨れ上がっている。
余裕をある程度もって帝国兵と接触するには明日の進軍がベストだ。そのことは皆に既に伝えてある。だからこそ、最高の酒を飲んで笑顔で出発したい。
「みんな、今日は集まってくれてありがとう。まずは酒を受け取ってくれ。今日は予定通り俺たちで作った酒を飲んで、イラクサの皆を笑顔で送り出す」
いつもの広場に、火狐を含めたほぼ全てのエルシエの民を集めている。
料理はあまり用意していない。イラクサの面々には皆で馬鹿騒ぎするより、大事な人と今日を一日過ごしてほしい。だから、この場はあくまで酒のお披露目で終わらせる。
火狐達の手によって、この場に集まった皆に、エルシエワインを温めコップに注いだものが配られていく。
雪が溶け、暖かくなってきたが、このほうが飲みやすいし優しい味になる。
小さな子供たちには水で半分に薄めることでアルコールを弱くして、その分メープルシロップを入れて甘くしたものを用意した。
「今配った酒は、皆で協力してとったメープルシロップ、俺たちが慣れ親しんだクランベリー、雪解け水を材料に火狐達が作った酒だ。全てエルシエの材料で作った俺たちだけの酒。だから、エルシエワインと俺は名付けた」
俺がそう言うと、皆が感慨深げに酒の入ったコップを見つめる。
ただ、酒を手に入れたいだけであれば、エルシエで酒を造る必要なんてない。
メープルシロップ一瓶で五本しかエルシエワインは造れない。だが、メープルシロップ一瓶を売れば、金貨一枚(六万円)が手に入り、安いエール(麦酒)だと一瓶、銅貨二十枚(八百円)なので、七十五本も買えてしまう。
それがわかっていて俺がエルシエワインを作ったのは……
「この酒は、エルシエの大地の味、俺たちの故郷の味だ。この味を心に刻んで欲しい。今日出陣するイラクサの皆は特に」
故郷の味、そういったものが欲しかった。エルシエを離れた遠い地で思い出せる。そんな心の拠り所を酒に求めた。
イラクサの面々は真剣な顔で頷く。
「おい、長、心に刻むのはいいがうまいんだろうな」
「ロレウ。これを飲むと、戦場でもったいなくて死ねなくなるぐらいにうまい」
「それは楽しみだ。でっ、そろそろ話にも飽きてきた。はやく乾杯と行こうぜ長!」
ロレウが明るい声をあげる。おかげでイラクサの出陣を気にして沈んでいた空気が少しだけ軽くなった。
「みんな! コップをかかげてくれ。勇敢なる戦士たちに祝福があることを、そしてここに居る全員が笑顔で居られることを祈って乾杯!」
「「「乾杯」」」
幾重もの声が重なり、コップとコップがぶつかる音が響き渡る。
そして、口々にうまいという声が響いた。
「うん、本当にうまい酒だ」
メープルシロップの上品で自然な甘さ、クランベリーの酸味、それを支える土台となる雪解け水の清冽さ。それらが一つになり、口の中で広がる。
いくらでも飲めそうだ。
「シリル、このお酒美味しいね。それにすごく優しい味。飲んでるだけでほっとする」
ルシエが隣にやってきて、大事そうにちびちびとエルシエワインを飲む。
「そうだな。優しい味だ。本当にこの酒はエルシエそのものだよ」
俺は周りを見て微笑む。
明日旅立つイラクサの面々の周囲に、友達や家族が集まって泣いたり、笑ったり、それぞれの感情をぶつけ合っている。
例えば、クウ。
彼女の周りには何人もの火狐、そしてエルフまで集まって仲が良さそうに和気あいあいと談笑していた。
例えば、ユキノ。
ケミンとクロネが涙を目に溜めてそれでも笑顔で頑張れと言っていた。
例えば、ロレウ。
自警団のむさくるしい面々ががははと笑い、拳をぶつけ合う。
「みんな、ちゃんと前向きだな」
イラクサの面々に悲壮感はない。絶対に帰ってくるという強い意志と、そして仲間を守りたいという熱い想いがあった。
気が付けば、俺とルシエの周りにも人だかりが出来ていた。
それは、医者として俺が助けた親子だったり、エルシエの運営での俺の部下、俺に憧れている女の子や、俺やルシエの友達。
愛されていることをあらためて実感する。そして戻ってこないといけないということも。
そうして、試飲会と壮行会は過ぎて行った。
最後に〆の挨拶をする。
「俺たち、イラクサは必ず勝って帰ってくる。だからそのときは笑顔で迎え入れてくれ、そしてこの酒をまた皆で飲もう。ここに居る全員、一人も欠けずに」
それは俺の誓いだ。誰も死なせずに勝つ。
この戦いで大打撃を与えれば帝国はしばらくおとなしくなるだろう。エルシエ方面の軍を失った状態で攻めるには、他方面の軍を回して帝国の防衛を捨てる必要がありおいそれと実施はできない。
それに、勝つついでに色々と仕掛けるつもりだ。帝国が、エルシエを相手にしている場合ではないような状況にすることも展開によっては可能だろう。
壮行会が終わり、帰りに際にお土産として、皆にエルシエワインの入った瓶を持ち帰ってもらった。きっと、コップ一杯じゃ足りない皆はそれぞれの家でゆっくり大事な人と過ごしながら楽しむのだろう。
もちろん、俺もそのつもりだ。今日はルシエとクウと三人で過ごす。そして、二人にちゃんと俺の気持ちを伝えて、明確な形にして示す。
みんなが帰りだし、人が居なくなったところで、ケミンとクロネが現れた。ユキノのほうは他の火狐に連れられてもう工房のほうに戻っている。火狐たちだけの見送りがあるはずだ。
「どうしたのかな二人とも。みんなと一緒に居なくてもいいの?」
「はい、大丈夫です」
「それよりクロたち、シリル兄様に大事なお話があるの」
二人とも怖いほど真剣な顔をしている。
そして二人同時に頭を下げて口を開いた。
「シリル兄様、お願いです。ユキノを守ってください」
「クロからもお願いするの。ユキノちゃん、頑張りすぎるから怖いの。だから、危ないことしたときは止めて欲しいの。ユキノちゃんを助けられるのシリル兄様だけ」
そうか、二人ともずっと一緒だったユキノが一人だけ危険なことをすることが不安で仕方がないんだ。
「大丈夫、ユキノだけじゃなくてイラクサの皆は俺が守る。さっきも言ったけど誰も死なせないよ」
その言葉を聞いて二人は顔を見合わせて頷きあう。
「シリル兄様。約束です。ちゃんとユキノを守るって」
「約束を守ってくれて、ユキノちゃんと二人一緒に帰ってきたら、クロたちの一番大事なものあげるの」
二人がそれぞれに俺の手を両手で握る。その手は震えていた。
「うん、約束する。ユキノは俺が守るよ。それにね。俺だってユキノのことは、可愛い妹で守りたいと思ってる。だから、ケミンとクロネから大事なものをもらう必要はないよ」
そう言った俺の言葉を聞いて二人はぶんぶんと首を振った。
「駄目なの。約束が軽くなっちゃうの。だからちゃんと、クロはクロの大事なものを差し出すの」
「私もです。シリル兄様」
絶対に譲らない。二人ともその目が言っていた。ここまで言われれば断るほうが失礼だろう。
「わかった。ちゃんとユキノを守るから、帰ってきたら二人の一番大事なものを受け取るよ」
「ありがとうございます。シリル兄様」
「クロ、シリル兄様大好き」
やっと、安心したのか表情が柔らかくなった二人がいつものように抱き着いて来た。
それにしても彼女たちの大事なものとは一体なんだろうか……。
そんなことを考えながらルシエが待つ家に戻る。
ある意味、家に帰ってからが俺の戦いだ。
俺は気合を入れながら、試行錯誤の果てに満足出来る品質で仕上がった指輪を三つポケットで転がしていた。