第八話:メープルシロップ
暑い、すごく暑い。寝苦しさを覚えて目を開く。
両手両足に温かくて柔らかい何かが絡みついている。
「そう言えば、昨日の夜は徹夜で仕事して、家に帰れなかったのか」
俺が目を覚ましたのは火狐に貸している工房の中だ。予定していた時期よりも外貨を得るための特産品を採集する時期が早まって、急いでそのための道具を作っていた。
なんとか、昨晩のうちに準備は出来たが、家に帰るには遅い時間になってしまった。隣の工房で寝ようとしたのだが、この子たちに引き留められてここに居る。
「シリル兄様ぁ」
「クロ、シリル兄様の耳、はむはむする」
「あと五百七十三日でシリル兄様のお嫁さん」
幼い火狐のケミン、クロ、ユキノは俺と同じ毛布で俺に抱き着きながらすやすや眠り、時折寝言を漏らしている。すっかり俺に気を許して可愛いものだ。
他の火狐達も男がこの家で寝ることに抵抗がないみたいなのでお言葉に甘えた。第二工房は夜眠るには寒すぎる。火狐たちの特性により適温に保たれたこの工房の誘惑、そして可愛い妹分の懇願に俺は屈した。
外を見ると夜が明けはじめていた。
何人か目を覚ましはじめる。
今日は、早朝からヤギの世話に必要最低限の人数だけ残して、他の皆には別の仕事をお願いすると伝えてあるのでいつもより早起きなんだろう。
「おはようございます。シリルくん」
クウもばっちり目を覚まして、身支度を整えはじめていた。昨日は俺と並んで一番遅くまで作業していたのに元気なものだ。訓練の疲れだってあるだろうに。
「おはよう。クウ」
「昨日はよく眠れましたか?」
「ああ、ここは暖かくていい。それに抱き心地がいい抱き枕もあるしね」
俺に抱き着いている三人の頭を撫でながら、俺は苦笑した。
「本当にシリルくん、子供が好きなんですね。私は先に第二工房に行って、部屋を暖めてきますので、シリルくんは、その子たちを起こしてから来てください」
「いつも悪いな」
「シリルくんのためなら、これぐらい全然です」
そう言ってクウが消えて行った。
俺がここに居れば火狐の皆は着替えられないし、俺自身ここで着替えるのは抵抗がある。なので、第二工房で俺は着替えることになるのだが、人のいない第二工房は死ぬほど寒い。そこでクウが先に行って適温に温めておいてくれるのだ。
そうすれば、俺は気持ちよく着替えられる。
「それにしてもやっぱりみんな美人だね」
妹分の三人、そのほっぺたをつつきながら寝顔をのぞきこむ。
化粧を落として、目をつむって、それでも美人なら本物だというのが俺の持論だが、三人とも本当に可愛い。悪戯してしまいそうだ。
指ぐらいなら入れもいいんじゃないだろうか? 可愛い狐耳に。内側から白い毛が生えていて中が見えないので構造が気になっていた。指を入れればわかるかもしれない。
そんな邪心を振り払って三人を揺すって優しく起こした。
◇
隣の工房で身支度を整えてから外に出る。肌を刺すような寒さだが、一時期に比べるとだいぶマシになってきた。冬がついに終わろうとしている。雪はもう降らない。あとは降り積もった雪が溶けていくのを待つばかりだ。
俺は火狐たちが大量につくった水瓶の前に立って考え事をしていた。
イラクサ隊員の能力は、俺の求める水準に近づいてきている。クウとユキノを交えた五日間のクッキーだけでの地獄の雪山籠もりも無事終了していた。ただ山に籠るだけでは芸がないので色々と嫌がらせをしたのがそれも見事に乗り越えてみせてくれた。
最近は、速射の練習もハードルをあげて、十セットのうち七セットを七割以上でクリアにしているが、それでもここ二週間は脱落者が出ていない。
イラクサの訓練は朝一で速射、次に忍耐力上昇の訓練、その後は20kgの荷物を背負って雪山で【身体強化】を使った三時間の持久走を行い、最後に各種、専門性の高い連携を叩き込むというものを繰り返している。
忍耐力をあげるための試練……、二時間ほどじっと伏せた状態で待機し、俺が魔術で作った40km/hほどの光の球が一度だけ200m先の道を通りすぎるので撃ち落とすという訓練も、今ではみんな当たり前のように成功させる。
意外にこれが難しい。いつ来るかわからないのでずっと集中することを強要され、神経がまいってくる。そして、気を抜けば、あっという間に光の球は通り過ぎてしまい失敗だ。
第一、動く小さい的を遠距離から一撃で仕留めないといけないというのは平時でも難しい。そして、俺が集中力の切れた瞬間を狙って、光の球を出しているのも難易度をあげていた。
最初は中々クリアするものが現れなかったが、ルシエやロレウが真っ先に出来るようになると、それに続くように成功者が現れはじめた。きっとアドバイスをし合っていたのだろう。
実を言うと、これのコツは集中力を持続するというより、あまり集中せずに意識の一部を何気なく向け続けること。そして、その状態でもきちんと反応できるようになることだ。
本気で集中すれば人の集中力なんて一時間もたない。力を抜いた集中。そんな矛盾した感覚を身につけるのが狙撃兵の必須条件であり、イラクサの皆は体でそれを覚えている。
基本的な技能は身についているので、残りの時間は調整期間と考えていいだろう。
「シリル、待った?」
考え事をしている俺の前に、ルシエを含めたエルフの面々が現れる。イラクサをはじめとした体力のあるエルフに声をかけていた。
イラクサの面子は訓練に集中し仕事をしないルールになっているが今日は特別だ。少しでも多くの人手がいる。
特殊な任務を任されており、小さな特別隊員と共に出発し、エルシエに居ない四名を除いてイラクサの全員が来ていた。
「いや、まだ時間に余裕があるよ。もうすぐ火狐達も来るから予定通り出発できそうだ」
「今日はシリルが言ってた、外貨を稼ぐ特産品で、お酒の材料になるすごいものを採集しに行くんだよね?」
ルシエが目を輝かせて聞いてきた。俺がもったいつけてずっと秘密にしていたから気になってしょうがないのだろう。
「そうだよ。近くの山にそれがあるんだ。俺もずっと楽しみだったんだ。この時期だけしか取れない素晴らしいものだよ」
「やっぱり、教えてくれないよね」
「もちろん、ついてからのお楽しみだよ」
ルシエはがっくりと肩を落とす。
まあ、別に口にしても問題ないが、ここまで引っ張ったんだ。実物を見るまで我慢してもらおう。
「シリル兄様!」
火狐たちも準備が完了してぞろぞろと出て来る。いつものように、妹分の三人が俺に抱き着いて甘えてくるので頭を撫でてやる。
視線を感じてルシエのほうを見るとにこやかに笑っていた。よかった、この子たちは嫉妬の対象外のようだ。ルシエも三人の幼くて可愛いい火狐達に頬を緩ませている。すごく頭を撫でて尻尾をもふりたそうだ。
「シリルくん、お待たせしました。火狐一同、準備万端です」
「了解、出発しよう。寒いし重いし大変だと思うけど、頑張ろう」
「「「おう!!」」」
俺の問いかけに元気な返事が返って来たのを確認して、俺たちは水瓶、そして俺が作った先端が五つに枝分かれし、尖った金属の筒が付いたホースを分担して受け持つ。ホースはシカの腸を綺麗に洗い腐らないように加工したものを利用して作ってある。
結局、今日までに出来た水瓶は百四十個だ。お願いしていた数よりも四十個も多い。
火狐の皆はよく頑張ってくれた。
水瓶を力自慢は一人で持ち上げて、そうでないもの達は二人で一つ、非力なものはホースを持ち、村の近くの山、その中でもカエデが密集しているところに向かって歩き出した。
◇
まだまだ寒さがきつい季節だが、火狐たちが周囲を温め、エルフたちがその温めた空気を逃がさないようにしているのでかなり快適に山登りが出来ている。
これがあったせいで、イラクサの面々に対して行った五日間、地獄の雪山籠もりはかなり難易度が下がってしまったことを俺は未だに後悔していたりする。
「さあ、ついた。みんなカエデの前に、水瓶を置いてくれ。隣の水瓶とは最低5m以上離すこと」
俺の指示で皆が水瓶を地面に置いていく。そして三人に一人ぐらいに、40cmほどの鉄の棒と尖った巨大な針……錐を渡した。
「その渡した棒よりも太い幹の木から樹液を採取する。そのためにこれを使う」
持ってきた、先端に金属の筒がついた先が五つに枝分かれしたホースの一つを取り出す。
幹の直径が40cm以下の若木だと樹液の質も量も悪いし、木にもよくないので、40cmの鉄の棒を用意した。
「まず渡した錐を使って幹に穴をあけてくれ。さっきも言ったけど、鉄の棒よりも幹が太いカエデじゃないとだめだ。力を入れて錐を幹に刺し込む。錐には、印がつけてあるから、印があるところまでしっかりと刺し込むこと」
俺はそう言いながら錐をくるくる回しながら奥へ奥へ差し込む。そして七cmほど突き刺さったところで錐の根元につけられた印と幹の表面が触れる。
「こうやって穴をあけたところに、今度はホースの先端を差し込む」
ホースの五つに分かれた金属の筒がついている先端の一つを錐で開けた穴に差し込む。するとぴったりとはまり抜けなくなった。錐のサイズに合わせて作った筒なので当然と言えば当然だ。
「ホースにはかなり長さに余裕を持たせてあるから、残り四つを同じ要領で、カエデの幹に穴をあけて、ホースの先端を刺し込んで、あとはホースの根元を水瓶の中に入れれば設置が終わりだ。
五日ほど、放っておけば一本の木につき30ℓ~40ℓほどの樹液があつまる。これが俺たちの村の特産品になり、酒の原料になる甘くて美味しいシロップ、メープルシロップの原料だ」
サトウキビ、サトウ大根に次ぐメジャーな甘味、メープルシロップ。それこそが、ずっと俺が目を付け採集する時期を待ち望んでいたものだ。
味だけであれば、サトウキビ、サトウ大根よりも上だと俺は考えている。
エルシエの周りにカエデ……それも樹液が甘く大量に取れるサトウカエデに近い品種のものが自生していると気付いた時には歓喜したものだ。
「長、こんな木の樹液なんてうまいのかよ?」
「信じられないほど、上品で洗練された甘さだよ。砂糖なんて比較にならないほどの高級品だ。それにね栄養たっぷりで食べているだけで元気になるし、美容効果も高い」
メープルシロップは、きっちり甘味を感じるのに、その甘さが残らずにすぅーと消えてくどさがない。
大量のミネラル・カリウム・ポリフォノールと、肌にいいものがこれでもかと入っていて、なおかつカロリーは砂糖の半分以下……エルシエにとってはカロリーが少ないことはマイナスだが、地球ではかなりの高級品として扱われていた。
「おいおい、ほんとかよ」
ロレウはそう言いながら、水瓶にぽつぽつ、と一、二摘落ちてきた樹液を指ですくって舐めた。
「確かに言われてみれば甘い気がするが、ぜんぜん物足りねえ」
「まあ、そうだろうね」
「長、さっきはうまいって言ってたじゃないか」
「そのまま樹液を舐めても美味しくないさ、ひと手間必要なんだ。クウちょっと力を貸してくれ」
「はい、何をすればいいですか?」
「ちょっと待って、こっちの準備をするから」
俺はそう言いながら、こういうことを言い出す人が現れたときのために造っていた小さなコップを取り出す。そして根気強くぽたぽたと一滴ずつ落ちる雫を受け止め、五分ほど待って100mlほど樹液が貯まるのを待った。
「クウ、これを沸騰する直前まで温めてくれ。俺がいいと言うまでずっとだ」
「お安い御用です」
クウの力で、カエデの樹液が温められていく。そして水分が水蒸気になって消えていき、無色透明だった樹液がどんどん黄金色になっていった。
沸騰させたほうが早いが、そうすれば風味とうまみと栄養が死ぬ。
「ありがとう。もういいよ」
「ほとんどなくなっちゃいましたね」
100mlあった樹液は、ほんの二、三摘ほどの量になってしまっていた。
樹液を四十倍ほどに濃縮させるのが、メープルシロップの標準的な作り方だから、仕方がない。
「ロレウ、こっちを舐めてみろ。樹液を煮詰めたものだ。さっきのロレウが舐めた樹液はただの原料だよ。これが、エルシエの特産品メープルシロップだ」
「それじゃ、遠慮なく」
ロレウが指をコップに突っ込む。
さらさらした樹液は、今はねっとりしたシロップになって、粘度が高くなっている。ロレウの指に絡み糸を引く。
ロレウが指を口に入れると同時に、驚きに目を見開く。
「甘めえ! うめえ! もういっぱい!」
よくわからないことを言いながらコップの底を指で何度もかいてこびりついたシロップを掬おうとし、それでも飽き足らずに舌を必死に伸ばして舐めようとする。
あまりにもみっともない姿に周りが声を失う。
「見てわかるように、大の男が我を失うほどのうまさなんだ。だからこそ、金になるし、俺たちの食卓も豊かになるというわけだ」
俺がそう言うと、我に返ったロレウが顔を真っ赤にした。男がそんな反応をしても可愛くない。
この大陸は甘味が非常に貴重だ。サトウ大根のような寒冷地でも育つ砂糖の原料が発見されておらず、暖かい大陸からのサトウキビを原料としたサトウの輸入に頼っているせいで、馬鹿みたいに高い。
品種改良されていない果物は、酸味がきついばかりで甘味が足りない。そのような背景があり、人々は甘味として蜂蜜をこぞって求めた。その結果、考えなしに巣を乱獲されミツバチの数が大幅に減り、蜂蜜は滅多に手に入らなくなり、甘さの供給源がほとんどなくなった。
商業都市エリンに行ったときに調べた相場は、砂糖500gで金貨一枚(六万円)。それでも、飛ぶように売れていた。メープルシロップもおそらく、一瓶に500ml詰めにすれば同じ程度の値段で売れるだろう。
「でも、シリル、この木の樹液だったらいつでもとれたんじゃない? わざわざ冬の終わりまで待つ必要があったの?」
「ルシエ、いいところに気が付いたね。この時期に取らないと甘さが弱いんだ。カエデは、冬の寒さを乗り越えるために、秋の間にため込んだ栄養を使って樹液の糖度をあげ続ける。そして、冬の終わりに、糖度をあげた樹液を全身にかけ巡らせて成長の糧にする。
冬の寒さを越えないと、樹液は甘くならない。そして、甘くなった樹液が全身に巡る季節にならないと、こうやって樹液を横取りできないんだ」
そしていつまでも甘い樹液が全身を駆け巡っているわけじゃない。
すぐにその糖を使い果たしてしまう。
「それだと、美味しい樹液が取れる時期って本当に少ないんじゃない?」
「うん、今年の気候だったらたった三週間だけだね」
「一年に三週間だけ……すごく贅沢なんだね。でも、一つの木から五日で40Lってシリルは言ったよね。三週間、樹液が集められるなら、160Lぐらいは収集できるんだ」
「残念ながら、一つの木からは40Lが限界だよ。それ以上とっちゃうと木にダメージを与えて枯らしてしまうことになりかねない。五日経てば別の木の樹液を集める。
この少ない機会を逃すわけにはいかない。というわけで、みんな早く採集の準備をしていこう。今日持ってきた水瓶全部、いっぱいにして次を取らないとね」
俺の掛け声で、みんなが作業を始める。
自分も食べてみたいと視線で訴えていたが、それは五日後のお楽しみだ。
そのころには今日設置した水瓶が、樹液で一杯になっているだろう。
作業自体は三時間ほどで終わった。
全ての水瓶にホースの根元が入れられ、ホースの先端は木々に突き刺さっている。あとは、水瓶を割るような動物が入って来ないようにこの周辺を有刺鉄線で囲って終わりだ。
その作業も、イラクサの面々が頑張ってくれていた。
「楽しみですね。ロレウさんが夢中になるような美味しいものが、ここにある水瓶いっぱいに、採れるんですから、もう、食べきれないし、売り切れないぐらいの量が取れそうですね」
片付けを終わらせたクウが笑顔で俺に声をかけてきた。
「実はそうでもないんだよ。さっき、クウに水を飛ばしてもらったけどね。1Lのシロップを作るのに、40Lの樹液が必要だからね、あんな大きな水瓶でも最大で4~5Lにしかならない。百四十個水瓶を用意したから、うまくいって700Lだね。これをエルシエの皆で山分けしたら一人、2Lとちょっとってところかな。一年で3Lって考えると全然足りない気がするだろう?」
一年のうち三週間限定でしか採集できず、一本の木から煮詰めることまで考えると1Lしか採集できないメープルシロップ。なんて贅沢な品物なのだろうか。
一人2L日常的に使うには少し心許ない量だ。売る分には、700Lを500mL単位で売れば金貨千四百枚(八千四百万円)でかなり美味しい商売になる。
うまくすればその金だけでエルシエの一年分の食料を手に入れることができる。
そして、メープルシロップの利点は後追いがされにくいことだ。
メープルシロップの匂いでカエデに由来するものだと気が付いて真似をしようとするものが現れても、採集可能になるのが一年先だ。それまでに試行錯誤して何度も失敗し、採集シーズンには投げ出しているだろう。
「でも、三週間あるってことは五日後に採集して、あと三回は採集できますよね? そしたら一人、10Lです。それだけあれば十分ですよ」
「そうだね。それはきっちりと仕事をして無事採集できた場合の話だよ。外貨の獲得を優先するから、獲れた量が少ないと、外貨獲得用しか確保できずに、エルシエで食べたり、お酒にする分がなくなっちゃうかもしれない」
売却用に最低でも1000Lは確保したい。自分達の分はそれからだ。
「頑張ります! 甘いものを食べるためだったら、なんだってしちゃいますから」
「その意気だ。みんなも集まってきたことだし、今日はこれで解散かな」
イラクサの面々が有刺鉄線を張り終って戻ってきた。他の皆は、ポタポタとゆっくり落ちるカエデの樹液を眺めたり、雑談している。
「皆、注目。今日はありがとう。おかげで順調に作業が進んだ。あとは五日ほど待っていれば水瓶は樹液でいっぱいになるだろう」
周りの顔を見ると、とある共通した感情が見て取れた。
……少しでもいいから俺たちにも、メープルシロップを食わせてくれ。
「ロレウのはしゃぎっぷりを見て、みんなメープルシロップを食べてみたい。そう思っているのはわかるよ。……だけど我慢してくれ」
俺の言葉で、皆が露骨にがっかりとした顔をする。
なにせ、この人数分用意するのは時間がかかって仕方がない。
それに、ちゃんと次の作業のためにモチベーションを保ってもらわないといけない。
「もちろん、いつまでも我慢しろとは言わない。五日後、ここに溜まった樹液を回収して、別の木にホースを付け替えに来る。その時に、ご馳走するよ。みんなパンを持って来てくれ! そこに甘いシロップをたっぷり塗ってあげよう」
俺がそう言った瞬間、みんなの落胆した表情が一気に明るいものに変わる。きちんとした甘味は、おそらく、この前ドーナッツを食べたルシエ以外経験していない。
ロレウが甘い! と叫ぶほどのものだ。みんな興味津々だろう。
「シリル兄様! 質問なの」
黒い火狐のクロネがちっちゃな手をいっぱいに上げて問いかけてきた。
「なんだい、クロネ?」
「もってくるパンは一つじゃなくてもいいの?」
クロネは期待に尻尾を振りながら、俺の返事を待っている。
俺は悩んでいた。火狐たちの手持ちの小麦は少なく、日頃はジャガイモや大麦を食べている。一食に二つのパンなんて用意できるはずがない。この子はきっと前日のご飯を抜いてもってくれば、パン二つにシロップを塗れると考えている。
自分で工夫して、なおかつご飯を我慢したというシチュエーションは、幸福感を引き上げてくれるはずだ。きっと、最高に可愛い笑顔を見せてくれる。すごく見たい。
だが、ここでOKを出せば下手をすれば、二つどころではなく、数日ご飯を抜いてでもこの子は複数のパンを確保しかねない。女の子の甘いものにかける情熱に底はない。そんなことをすれば、幼女の成長に悪影響を与える。
それはわかっていても、可愛い妹分の期待に満ちた視線を裏切ることはできない。
「二つまでならOKだ。それ以上はダメ」
色々と妥協し、一食ぐらいならOKだと判断する。
「わかったの。シリル兄様」
クロネはお礼を言うと、自分が思いついた秘策を黄狐のケミンと銀狐のユキノにドヤ顔で言いつつ、まったく育っていない胸を張る。
そしてそんなクロネを二人が、笑顔を浮かべて、はしゃぎながら褒めている。すごく微笑ましい光景だ。表情がほころんでしまう。
「これで今日は解散だ。みんな五日後の早朝にまた力を貸してくれ」
俺が解散と言うと、その場で皆、ああでもないこうでもないと騒ぎ始める。
皆、この五日間はきっともんもんとして過ごすのだろう。
甘いものへの期待を胸にその場は解散した。
「さて、そろそろ手紙の時間か。偵察組は頑張っているかな」
俺は空を見上げる。
すると、タイミングよく足に紙切れが結び付けられた一羽の大きな鳩……俺が冬の間に育てた六羽のうちの一羽が鳩小屋に向かって飛んできたところだった。
偵察隊だけではなく、特別隊員も頑張ってくれいて、俺はほっとしていた。
おまけ、
商業都市エリン物価表
二章でシリルくんが作った物価表です。
品名数 量価格 価格(日本円換算)
紙(白紙)1枚銅貨十枚 ¥400
本1冊銀貨三十枚 ¥36,000
演劇(立ち見)1席銅貨二十枚 ¥800
演劇(自由席)1席銀貨二枚 ¥2,400
演劇(特等席)1席金貨一枚 ¥60,000
馬車便(定期の商業ルートの村への相乗り)1席銀貨十枚 ¥12,000
木綿生地1枚銀貨九枚 ¥10,800
上着(質素な平民用)1着銀貨十五枚 ¥18,000
スカート・ズボン(質素な平民用)1着銀貨十枚 ¥12,000
靴(質素な平民用)1足銀貨五枚 ¥6,000
かぼちゃ1個銅貨十五枚 ¥600
カブ1本銅貨八枚 ¥320
牛肉(食肉用・乳牛用)*農業用を潰したものであれば半額以下1kg銀貨三枚 ¥3,600
豚肉1kg銀貨二枚 ¥2,400
羊肉1kg銀貨一枚と、銅貨二十枚 ¥1,800
ヤギ肉1kg銀貨一枚 ¥1,200
砂糖1kg金貨二枚 ¥120,000
塩1kg銀貨一枚 ¥1,200
屋台の汁物(麺入り)1杯銅貨十枚 ¥400
小麦1kg銀貨一枚 ¥1,200
大麦1kg銅貨二十枚 ¥800
娼婦1発銀貨十枚 ¥12,000
奴隷(労働用の男)1人金貨三十枚 ¥1,800,000
奴隷(二十歳以下の女。標準)1人金貨二十枚 ¥1,200,000
奴隷(二十歳以下の女。美形)1人金貨四十枚 ¥2,400,000
奴隷(ルシエクラス*文字の読み書きOK 美少女 処女 踊りがうまい エルフ)1人金貨五百枚 ¥30,000,000
エール(粗悪)1瓶*1L銅貨二十枚 ¥800
ワイン(粗悪)1瓶*1L銅貨二十五枚 ¥1,000
酢1瓶*1L銀貨一枚 ¥1,200