第七話:戦術
今日はエルシエの休日だ。
よほどのことがない限り週に一回は休みにする。さすがにヤギの世話や、作物の世話は最低限はするが、それが終わればゆっくり過ごす。
イラクサの訓練も今日は休みだ。体を魔術で癒せても、心に溜まった疲れは癒せない。
だが、ただ休むだけというのも、もったいないので、午前中は自主参加の講義、午後は全てフリーにしている。
自主参加と言っても、ほぼ全員……それに加えてクウとユキノも参加していた。
「今日は、主に戦術についての講義をしよう」
俺は、村長宅の中で一番広い部屋で、お手製の黒板に石灰の塊で作った灰色のチョークを叩きつけながら口を開いた。
「もう少し細かく言うと、圧倒的な兵力差で勝つ方法だ。ちょうどいいから次の戦いの作戦の説明を合わせて行う」
手を動かし、エルシエ:二十三と帝国:四千~五千という数を黒板に書く。
とある手段を取って裏を取ったのだが、ラッファを使った扇動によって、予定数以上の兵士を引っ張りだすことには成功している。
だが、火の魔石を使った交渉で、もう妻が生きてはいないだろうと知ったラッファが逆上して、帝国兵に襲いかかり、返り討ちにあって死んだのは残念だった。
もっと色々と利用できると思っていたのに……
ラッファをあの場で助けることは出来たが、兵士を殺せば情報が上に伝わっていかない。兵士を生かしたままラッファを救いだせば、今度はラッファが監視されていたと知られ、情報の信憑性が疑われることが予想できたので見殺しにした。
「では、答えを言う前に、自分達で頑張って考えてみよう。なんでもいい。思いついたことを口にしてくれ」
俺がそうエルシエの面々に問いかけると、ロレウが自信満々な表情を浮かべて勢いよく手を挙げた。
「ロレウ、言ってくれ」
「一人百人ぶっ殺せばいい。そしたら俺たちの勝ちだ」
なんという素晴らしい脳筋。
ただ、一人百人殺しても二千三百人。相手は過半数残っている。
きっと、ロレウは隊の三割以上を失えば組織としての機能がしなくなる全滅状態になるという意味でこう言ったのだろう。少し見直した。
「確かに百人づつ、皆が殺せれば勝ちだけど。それは現実的じゃないよ。そうする前にこっちもどんどん死んでいく。そしたら一人で殺さないといけない人数も増えるからね」
まともにやりあっていては命がいくらあっても足りない。
今回は相手の弓も脅威となる。人数が揃っていないと弓を逆風で叩き落とすことは難しいのだ。
「罠に嵌めるとかどう? 崖の上からおっきな石を落とすとか、落とし穴とか?」
ルシエが、おずおずと手をあげて口を開いた。
「そうだね。うまくかかればいいんだけど、実際、そういう作戦は仕掛けられるポイントが限られているし、大きな戦果を狙うほど大げさなものになってね、敵も馬鹿じゃないから普通は気が付くんだ」
それに四千人の大隊だと隊列の長さは1km~2kmにもなる。罠で与えられる損害なんてたかが知れている。
「他に意見のあるものはいないか?」
周りを見渡すか誰も意見を出さなくなってしまったので、正解を発表する。
「大きく分けて二つある。一つは雑魚を無視して敵の大将を殺してしまうこと。指導者が居なくなれば敵は身動きが取れなくなる」
「私たちで言えばシリルを殺されちゃうってことだよね。うん、シリルを殺されちゃったら何をしていいのかわからなくなってすっごく困る」
ルシエの何気ないつぶやきに周りの皆がコクコクと頷く。
そのこと自体は嬉しいが危機感はある。エルシエそのものが俺に依存しすぎているのだ。いつかは改善しないといけない。
「ただ、今回は難しいだろうね。思ったより帝国の軍は柔軟だし、強靭な組織になっているんだ。例えば、俺たちで言えば、俺が死んだら、すぐにロレウが俺の代わりに皆を指示して、ロレウが死んだら、今度はルシエが皆を導く、そんなルールが明確に決められているようなんだ」
この情報は、一度五百人で襲撃してきたときの敵の動きと、以前捕らえた捕虜から徹底的に聞きだしたものなので精度が高い。
箔をつけるために、貴族様がしゃしゃり出てきたが、普段は軍を指揮するものは政治にかかわっていないらしい。
この時代は、戦いをすると決めたトップが先頭に立って戦うのが基本であり、そいつを殺せば軍は戦う意義を無くしてしまう。
しかし帝国の軍は、あくまで誰かの指示で軍事活動を行っているため、その場のトップを殺しても戦う意義は消えないし、ただ戦いの指示を取るだけなら代わりはいくらでもおり、きちんと指揮権の序列が定められている。
「すごいね。エルシエだと無理だよ。シリルが死んで、ロレウがその代わりって言われたら……うん、全部諦めたくなるよ」
「おいルシエ!」
ロレウが怒声をあげる。とは言ってもその口調は柔らかい。ルシエの言ったことを自分でも理解しておどけてみせているのだ。
「というわけで、こっちの策は中々難しいんだ。ではもう一つだ。食料を狙う。どんな軍隊も飢えには勝てない。徹底的に足止めして奴らの食料が尽きるのを待つ」
そう、そのためにわざわざ雪が溶けてすぐを狙うように誘導してある。
やつらが補給を行う帝国が支配する村も長い冬の間に食料の備蓄は尽きて、さらに冬を越えて育つカブやキャベツ、玉ねぎなどの作物も雪が溶けてから収穫までに一~二か月はかかるし、秋に撒いた小麦に至っては初夏にならないと収穫できない。
「とは言ってもな、奴らいっぱい食料もってんだろ? 俺らみたいなところから取り上げた食料をたんまりため込んでるよな。 それを帝国から、すっげえいっぱい持ってくるんじゃねえのか?」
ロレウは意外に察しがいい。確かに帝国にはかなりの量の備蓄があるだろう。それこそ、エルシエまでの道のりにある村から取り上げる必要なんてないほど。
「ああ、帝国そのものには備蓄がある。でも、それを運べるかどうかは別問題なんだ。兵士一人がどれほどの食料を一日で使うのかを計算してみようか」
俺は、そう言いながら黒板に、食料、水、着替えと書く。
「まず、食料だけど。日が暮れるまで歩き続けるから兵士は腹が減る。どんなに少なく見積もっても、パン、干し肉、干し野菜。一回の食事で500g、それを一日二回は食わないといけないから一日1kgは必要だな」
あくまでこれは最低限、実際はもう少し必要だ。
「次に水だ。これも行軍する以上、かなり必要になってくる。成人男性なら一日二ℓはないと倒れてしまう。現地で補充なんて無理だ。水が補給できるポイントはかなり限られる。進軍途中にある沢、村にある井戸、そこで補充するにしても五日分は最低手持ちでないと怖い」
追記するなら沢の水は危険だ。腹を壊す可能性がかなり高い、四千人も居ればかなりの人間が不調を訴えるだろう。
煮沸をすれば問題ないが、そのために燃料が必要になり、その分の重量が増える。安全性を重視するなら村に立ち寄る度に井戸から補給するという形になる。そしてそんな都合のいい村は、奴らの中継基地までに二つぐらいしか思い当らない。
井戸を掘ると言うのも、手段の一つではあるが、このあたりの水源はかなり深い位置にあり簡易的な井戸を掘る等といった手段でも、丸一日は潰れる。
「あとは着替えだ。下着は最低でも代えがないと衛生上かなり問題がある。これが1kg程度。つまり合計すると、一日4kgだな。一日毎に着替え以外の重量が3kg増える。五日なら16kgだ。ロレウ、お前は何kgまでなら担いで歩ける自信がある?」
「日が暮れるまで歩くんだろ? なら小麦の大袋三つが限界だな。30kgならなんとかって言ったところだ」
「力持ちのロレウですらそうだから、まあ、普通の人間は20kgと言ったところだろうな。そうなると物理的に最大で六日分以上の備蓄は持ち運べないんだ」
「荷物持ち専用の連中を連れてくればいいんじゃないか? あとは帝国からちょこちょこ荷物をいっぱい乗せた馬車を出すとかもいいな」
「もちろん、そういう連中もいる。けど数が限られるんだ。そういう連中を連れてくれば、そいつらが食う分の食事と、連れてくる馬の分の食事がさらに増えるし、全体の足が遅くなる。
かといって帝国から、補給のための軍隊を出して、逐一追いついて補給するという手段をとっても、補給が追いつくのを待つ必要があって、進軍が遅れるし、遅れた日数分だけ食料が減る。そもそも一日15000kgも消費するんだ。金だって馬鹿にならない」
補給線の構築と言うのは、軍隊の運営の最大の問題だ。ある程度文明が進むと、人力に頼らない物資の運搬が可能になって難易度は下がるがそれでも非常に難しい問題だ。人力に頼るしかない今の時代なら、まさに頭痛の種と言っていいだろう。
「後追いでの補給隊は出してこないと思うけど、奴らの軍の三割ぐらいは、馬車を使った食料の運搬だけをする連中だと思うよ。そいつらが騎士様の荷物と、予備の食料を運ぶ。
一般の兵士は自分の分は自分で運び、それが無くなれば予備の物資を、荷物運びの連中から受け取る。俺の見立てでは、水を中継地点の村で補充するって前提でも十日分が限界だと思う」
そして、奴らはその十日以内に100km先の中継基地にたどり着いて補給を受けた上でエルシエを目指すだろう。十日で五千人近い大隊で100kmの進軍というのは、かなり厳しいが不可能な数字ではない。
中継基地につくと装備を受け取り武装。装備の重量分減った搭載量は、中継基地の連中がそのまま荷運びの部隊になり随伴、それに加えて出発した連中の後追いでどんどん補給物資を乗せた馬車を出す。
エルシエとの戦いになってから追いつけばいいので補給部隊を待つ必要がない。それに、こうすることで持ち運ぶのが片道分だけの食料で済む。
万が一、食料が途中で尽きそうになれば、中継基地からの連中の補給を待てばいいという考え方だろう。そして戦いが終わってから引き返している途中で悠々と帰りの分の食料を受け取る。
帝国の進軍はこの形が基本になる。
なかなか理に適っている。中継基地までは、装備の分の重量と、帰り道の食料が不要だし、中継基地から後もしっかりフォローが出来ている。
でも、だからこそ大きな欠点がある。
「長の言いたいことがわかったぜ。なら徹底的に足止めしてやれば、奴らは食うもんながなくなって飢え死にってわけだな」
「そうだ。それが今回の作戦の要だよ。基本ポリシーは徹底的な足止めだ。具体的には、奴らの進軍のルート上に先回りして、相手の射程外から森の木々に隠れて、殺さないように三日三晩はのた打ち回る毒矢で狙撃する。見つかれば即時撤退だ。それをひたすら繰り返す」
殺さないのは優しさじゃない。怪我人を抱えてほしいのだ。
俺の毒矢を食らえば、地獄のような苦痛で悲鳴を上げ続ける。それは兵士の士気を徹底的に落としてくれるだろう。誰だってああはなりたくないと思う。さらに死んでない以上、けが人は一人につき70kg程度の荷物となってくれるし、そいつの面倒を見るための兵士の稼働を奪う。
余裕がなくなってくれば、自分達で殺すだろうが、それはそれでありがたい。味方殺しというのは、実施した兵士の精神的なダメージが大きい上に、それを見た他の兵士の忠誠心を著しく削る。
「奴らは狙撃者を探そうとして、兵を差し向けるが、俺たちは、【知覚拡張】で半径200m以上を察知し、【身体強化】で素早く逃げられるから絶対に捕まらない。むしろ足を止めてくれてありがたいぐらいだ。やがて奴らは味方に損害を出しつつも、俺たちを無視して進軍を再開するようになる」
奴らには時間がない。手持ちの食料はどんどん尽きていく。味方の兵士の悲鳴が響きわたり、その悲鳴もますます増えていく。前に進むしかない。
「だが、俺たちを無視すると決めても足が鈍るだろうな。なにせ、苦しんでいる味方を見て次は自分かもしれない。どこから矢が飛んでくるんだ? そう思って兵士たちは常に周りを警戒しなければいけなくなる」
そしてそれは、肉体と精神どちらにも相当な負担をかける。
「夜だって、奴らは安心できない。俺たちには【知覚拡張】で奴らの姿が見えている。昼よりもいい的だ。交代で、夜営に手をだして、寝かせてなんてやらない。もっと消耗してもらう。一日毎にどんどん奴らの足は鈍る」
今言った全てを実施されて笑っていられる兵士なんて一も居ないだろう。
離反者も、精神的に壊れてしまう連中も、どんどん出て来る。
帝国の兵にとって死ぬより辛い戦いになる。
「十日なんてあっという間にすぎる。奴らだって馬鹿じゃないから、備蓄が減れば補給物資を送って欲しいと帝国に早馬で依頼しにいくだろう。だが、俺たちの半数は奴らの後方に陣取って、その伝令兵を殺す。万が一、補給部隊が向かってきても、その馬を殺す。絶対に補給なんてさせない。奴らの補給部隊の到着を信じて足を止めてくれれば最高だ」
まわりの面々はあまりにも、非道な作戦内容に言葉を失っている。
これは通常の戦闘ではなくむしろ不正規戦闘に近い戦法だ。
口には出さなかったが、途中で立ち寄った村で村人を皆殺しにしてでも食料を奴らは得るだろう。だがそれも焼け石に水だ。帝国を離れれば、百人~二百人の村しか存在しない。
五千人の軍隊は、村の一か月分の食料を一日で消費してしまうのであまり意味がないのだ。むしろ心と体を消耗させる結果になりかねない。
「ここまでやっても、奴らは補給基地につくだろう」
ルルビッシュと言う男なら、それが可能だと俺は思っている。
なにより、兵士たちにとってそこに辿りつくことが最後の希望だ。希望がある内は人は頑張れる。飢えて、疲れ切って、悪夢にうなされながら、前に進む。
「だが、そこで奴らを待っているのは絶望だ。補給基地の食料庫。それを火の魔石を使ってクウとユキノが爆破する。目の前で希望が潰えれば心が折れる。補給もなく、無数の怪我人を抱えて、それであと半分の道のりを越えてエルシエにたどり着くことは不可能だ。それだけじゃない。奴らはその性質上、帰りの分の食料を持って来ていない。五千人のほとんどが帝国に帰れずに飢え死にする」
俺たちが手にかけるのは多くて三百人程度。半数以上はエルシエから遠い地で村々を襲う野盗になりさがり帝国の威信に多大な傷をつけ、帝国に対する反感を与えてくれるだろう。残ったほとんどは飢え死に、生き残った数名は一生もののトラウマを抱える。
これは心を折る戦いだ。
ただ勝つだけでなんて終わらせてやらない。帝国兵には次なんて考えられないほどの苦しみを与えると同時に、エルシエ方面の村々に反乱のきっかけを与えてやる。
「シリル、それが出来れば勝てると思う。でも問題が二つあると思うの。一つは私たちの補給をどうするか、もう一つは、帝国が動き出す時期をどう知るかよ。帝国の兵が出発してから、ううん、帝国兵が出発するまえにそれを知らないとこの作戦は意味がないよ」
ルシエの鋭い指摘に頬を緩めてしまう。
よくそこに気が付いた。ルシエが成長している証拠だ。
「大丈夫だよ。それについてはちゃんと考えている。まずは補給の問題だけど、食料は、俺たちにはクッキーがある。二か月は腐らないし、200gで一食になる。一日三本600gで、一カ月分でも18kg。クロスボウと矢が合わせて3kgぐらいだから、なんとかなるんだ。それにね、帝国との間の森に見つからないように小屋をいくつか建てる。そこにクッキーと矢のストックを大量に置く予定だよ」
「水はどうするの?」
「俺が居れば困らない」
俺は水のマナに働きかけ、大気中の水を集めて水の球を作る。
もっとも空気中に含まれている水分はたかがしれているので、大部分は花瓶の中から拝借した。
外で使う時には湿った土や木々の水分を吸い上げることになるだろう。
水の魔術は水を作ることはできないが、こうやって周囲の水を浄化した上で集めることができる。
だが、非常に高度な魔術の上に、エルフは風と水が得意だと言っても風に比べれば、かなり相性が悪い。俺以外には使えない魔術だ。
「それに、小屋には井戸も設置しておく。俺なら一晩で小屋を建てて井戸を作るぐらいはわけがない。なんだったら水に困ったタイミングで魔術を使って井戸を掘ってもいい」
「さすがシリルくんです」
「シリル兄様すごい」
火狐のクウとユキノが耳をピンと立てて俺をたたえる。すごく頭を撫でてあげたい。
「あとは、帝国の動きを心配しているようだけど、それについてはイラクサの新しい精鋭がしっかりと育ってきているから安心してくれ。彼らの力を借りれば、なんとでもなるさ」
今頃、小屋でお腹が空いたとピーピー鳴いている。彼らの顔を頭に浮かべて俺は微笑んだ。