第五話:大魔導士 シュジナ
俺は大魔導士 シュジナを呼び出す覚悟を決めて、二人のイラクサ隊員が居る部屋に入る。
二人には椅子に座って目隠しをしてもらっている。それは、【輪廻転生】後の俺の姿を見せたくないからだ。
俺が【輪廻転生】を使って呼び出すのは、大魔導士シュジナ、種族は人間だ。人間の姿を見せてしまえば、エルフたちは平静な気持ちではいられないだろう。
「長、どういったつもりで目隠しなんか?」
「視覚を遮断したほうが集中力がまして魔術の覚えが早くなるんだ」
「そうなの? 知らなかったわ」
イラクサの二人は、俺の苦しい言い訳で納得し、それ以上の追及はなかった。
俺は、二人に聞こえないように声を小さくして、詠唱を開始する
「解放、我が魂。時の彼方に置き去りにした軌跡、今ここに」
自らの内側に強く語りかけるようにして魔術を起動していく。
「我が望むは、絶望の世界に光を灯した狂気の大魔導士、その名は……」
かつての名。懐かしい名前を朗々と読みあげる。
「シュジナ! 【輪廻回帰】!」
体が光に包まれる。
固有魔術である【輪廻回帰】が起動する。
光が収まった俺の身体は、魔術師らしいローブを身につけ。地・火・風・水、四色の魔石が取りつけられた儀礼用の杖を持ち、長い白髪を銀細工の宝石が付いた髪飾りで押さえつけた三十代半ばの人間の姿になった。
「やはり、思い出せないか」
【輪廻回帰】を使い前世の姿を取り戻すと、そのときの俺の強烈な記憶と感情が蘇ってくる。
だが、シュジナは自身の能力や修得した技術の情報はすらすらと出て来るのに、シュジナ自身の記憶がまったく浮かんでこない。
そうして戸惑っていると……
『お父さん、帰って来たの?』
頭の中に、幼い少女の声が聞こえた。返事をしようにも、どうやって話しかけるのかすらわからない。
『五百三十二年と、百二十三日と、五時間ぶり。死ぬ時に、魂がまた巡って、絶対帰って来るって約束したの嘘じゃなかったんだね!』
その声の主は精一杯の喜びと親愛を込めて話しかけてくる。
俺も胸の奥で熱い何かが暴れていた。
『どうして返事をくれないの? なんか、変、ノイズが大きっ』
少女の声が遠くなっていく。
『接続が確立できない。代替回線もダメ、方式の変換も無駄? お父さんがチャネルを閉じてる? 私の魂の波長そのものをブロック!? ここまでやるの? なんで!? なんで声を聞かせてくれないの? なんで私を拒むの』
声に焦りと、悲しみが混じり始めた。雨の中捨てられた子猫の姿が頭に浮かぶ。
何か声をかけたいが、俺にはどうすることもできない。
『私は、アシュノは、ちゃんと約束を守ったのに……お父さんは約束を破るんだ。うん、いいよ。私も、約束破っちゃう……どうなっても知らないから。それに、もうお父さんのこと見つけちゃった……別大陸か、遠いな。よりにもよってそこに居るの? 懐かしいな。偶然じゃないよね?。本当に遠い。でも、お父さんが死んでいた時より近い。絶対に会いに行くから、だって約束した。また会えたら、だき』
そこで声が完全に途切れる。
「なんだ今のは?」
思わず声に出して呟いてしまった。
おそらく、シュジナの知り合いが、なんらかの魔術的な手段でコンタクトを取ってきた。
思念を飛ばす魔術自体はそうは珍しくない。だが、俺の技量でも数十メートルが限界だ。少女の言う別大陸というのはにわかに信じられない。もし、それが出来るなら俺以上の技量と、魔力を持ち、なおかつ俺の知らない術式を使いこなす魔術師ということになる。
そもそも、五百年以上生きている時点でまともな生き物ではない。そんな知り合いが本当に存在するのか?
「長、どうしたんだ? さっきから固まって」
「ああ、いや、なんでもない」
俺が何の反応も返さないので不安になったイラクサの隊員が問いかけてきた。
さきほどの少女のことは一度、忘れよう。【輪廻回帰】をした姿でいられる時間はそう、長くない。
「声もいつもより低くないか?」
「喉の調子が少し悪いんだ。……気にするほどのことじゃないさ。魔術の訓練をはじめようか」
俺は、用意しておいたコートとフードで体型と顔を隠す。
【知覚拡張】をイラクサの二人が覚えれば、目隠しの意味がなくなるのでその対策だ。
「少し、気持ち悪いと思うが我慢してくれ」
そう言いながら、俺はイラクサの男のほうに触れる。
「【解析】」
そして、魔力を流して男の体を徹底的に調べ上げる。
シリルの姿で医者をしているときに使った術だが、シュジナで使うと調査する情報量が数十倍に跳ね上がっている。
身体的なものはもちろん、その魂の構造まで丸裸にしていく。
シリルで同じことをすれば脳が焼けきれる。
それが出来るのは、ひとえにシュジナの脳の処理能力の高さだ。
シュジナは普通の人間として産まれたが、魔術を極めること以外に興味がなかった当時の【俺】は、シュジナが【俺】を思い出すと同時に、その体を完全に乗っ取った後、徹底的に魔術に適した体に改造した。
世界樹や一部の亜人等といった人間以外の因子を盛り込み、存在を改変・効率化。
脳に至っては、基本スペックの強化に合わせて、普通の人間が使っていない領域のフル稼働、魔術による疑似仮想化による多重処理、リミッターを解除及び、オーバーヒートによる破損の自動修復機能の追加。思考の方式そのものを効率の悪い人間のものを捨て独自のアルゴリズムに置き換えている。狂気の沙汰としか言いようがないほど手を加えられている。
それ故に、体内魔力を使った魔術の制御においてはシュジナの右に出るものはいない。
肉体のほうも手を加えていて、それなりの戦闘力はあるが、【俺】の中の純粋な戦闘力で序列をつけると中の下といったところだ。
同じような改造を俺自身や、他のエルフの体に実施することは可能だろう……確実に強くなる。だが、それは人を捨てるということだ。一度はそれも検討したが、却下した。俺はあくまで、シリルとして、人として生きてみんなと笑いたい。
「構造解析、変換パターン推測、簡易命令文による再現性の確認」
魔術の方式というのは、個人単位でまったく変わってくる。同じ命令文を構築しても、各個人ごとにまったく違う出力結果が出る。
プログラムに置き換えると、同じコードを入力しても、変換エンジンに違いがあるようなものだ。
故に、人に魔術を教えるという作業はひどく困難を伴う。感覚的なものですら個人差がある。せいぜい、どんな原理の魔術かを伝えて、そこから個人ごとに試行錯誤をしてもらうしかない。
そんなことをしていたら、時間がいくらあっても足りない。
だから……
「出力結果の予想。命令式の流し込み。出力結果。想定との近似、75%。規定値以下確認。リトライ。リトライ。リトライ」
他人の魂に無理やり自分の魂を接続し、術式を流し、その反応を見ることで、対象の人間の変換エンジンの構造そのものを見つけてしまう。
魔術とは魂の力だ。だからこそ、自己防衛本能による、拒否反応が起こり、魂に干渉するのは非情に難しい。
だが、シュジナの魔術制御は、流し込む命令式を本人のものと誤認させ、拒否なく受け入れさせる。
ただでさえ難しい解析と、リアルタイムでの偽装。さきほどから脳がオーバーヒートで悲鳴をあげている。
そして、ついに壊れた。五つの多重思考のうち、一つが破損。四つの多重思考での代替。同時に、治療のための自動術式の発動を確認。
シュジナにとって無茶をして壊れること自体は想定済み。壊れないように安全に起動するより、壊れても治すことを前提に、限界起動したほうが効率的だからそうしている。速やかに脳を復旧させる。
「長、なんか、さっきからくすぐったい。なんだこれ」
「魔術を教える下準備をしているんだ。もう少しで終わるから」
「なんか、まるで自分の体が自分じゃないみたいだ」
「なかなか、するどいね。それがわかるなら魔術の才能があるよ」
そうしている間にも、命令コードの流しこみを何度も行っており、どんどん解析で得た情報の誤差が無くなって行く。
「リトライ。近似98.5%。リトライ。近似99.1%。リトライ。近似99.9%。規定値クリア。計算終了」
そして、ようやくこの男の変換エンジンを完全に理解した。同じようにして、女のほうも変換エンジンの構造を理解する。
そして、二人同時に手をあける。
「今から、二人に今日教える魔術を使わせる。【知覚拡張】という、風の魔術だ。風と知覚を共有するから、風のあるところなら、全てがわかる」
「使わせるってどういうことなの? 教えてもらってないのでいきなり使えるわけがないわ」
「俺が、二人の体を使って魔術を使うから、大丈夫だよ。君たちはしっかりとその感覚を覚えて欲しい」
俺は、命令式を二人の魂に流し込む。
さきほどの魔術で二人の変換方式は完全に理解した。
ならば、いつも使っている俺の魔術の術式にアレンジを加えてから変換して流しこめばいいだけだ。
「長、なんか、すごい、周りが全部見えて、ははは、長はずっとこんな景色を見ていたのか」
「まるで鳥になった気分、ううん違う、家の中まで全部見える。すごい!」
二人は初めて味わう【知覚拡張】の景色にはしゃいでいる。
一度でも使えばこれがどれほど有用なものかわかる。
「はしゃぐのはいいけど、ちゃんと、今の感覚を覚えてくれ。あと十五分したら、一度、俺の魔術は止める。今と同じことを自分でやってくれ。問題があれば修正する」
「そんなことできんのか?」
「人の体で魔術が使えるんだ。できないわけないだろう?」
そう、シュジナを呼んだのはこのためだ。
一人一人まったく違う感覚で、教えることが難しくても実際に使ってみれば、どんなものかは体が覚える。
自転車と一緒だ。誰かに押してもらって真っすぐ走ればいつの間にか走れるようになる。
「ほら、二人とも集中して、自分の内にある魔力の流れ、魔術のイメージ、それを理解すれば、すぐに使えるようになるから」
教えている【知覚拡張】は俺の使っているものの簡易版だ。
知覚範囲を220mで固定し、さらに解像度を落とし、視野の一部を限定。
それによって、脳への負担を半分以下にすると同時に、覚えやすくし、魔力的な負担も少ない。
拡張性が高いという【知覚拡張】の利点を潰してしまっているが、狙撃に使うだけならこの程度で十分だ。
「おっ、なんとなくわかってきた。長、もういい。一度自分でやってみる」
男のほうが、自信ありげな声で言って来たので、流し込む命令式を止めて、好きにやらせてみる。
「こっ、こうだろ」
歪な術式だが、一応起動自体はした。
「自分でやってみるとなんか違うな、あれ、どこが違うんだろう」
俺は無言で、魔術を起動し、正解に男の思考を誘導する。
「わかった。こうだ。これ、これでどうだ」
男は自分で気が付いたと思い込みはしゃぎながら、さきほどの問題点を潰す。
そうやって、何度も自分でやらせ、間違っていれば思考を誘導し、どんどん、【知覚拡張】の正しい形にしていく。
回りくどいが、自分で試行錯誤をしていると思ってくれたほうが覚えがいい。
「どうだ。長、これで完璧だろう。はは、いいな、これ。狩りで使えば、どこに隠れたイノシシだって簡単に見つけられるぜ」
「うん、完璧だね。今の感覚を体に染み込ませるために、あと一時間、そのまま使い続けて」
「おう!」
楽しそうに、【知覚拡張】を男は続ける。
女性のほうも、さっきから何度も試行錯誤を続けている。誤差修正もほんのわずかで済んでいる。
これなら、二人とも無事使いこなせるだろう。
【輪廻回帰】を使い始めてから三時間。そのあたりで二人ともほぼ完璧にものにした。
シュジナは、手を加えているとはいえ、あくまでただの人間なので魔力の消費も存在の格による魂の傷も浅い。今の俺なら五時間ほど持つ。
時間がかかったのは、変換エンジンの解析がほとんどなので【身体強化】も残り二時間のうちに終わらせることができるだろう。
「うん、二人とも、いい腕だ。毎日最低30分は【知覚拡張】を使うこと」
「おう」
「ええ、わかったわ」
「なら、次の魔術だ【身体強化】。同じ要領でやろう」
そうして、【身体強化】も時間内に教えることが出来た。やはり、二人が限界だ。これ以上の人数になると、【輪廻回帰】の時間内には教えきれない。
……そして実は二人に秘密で一つの術式を使ってある。
そんなに大した効果があるものではない。
俺の命令に従えば、脳内に少量の快楽物質が生成、分泌されるというものだ。
端的に言えば、俺の言うことを聞けば気持ちよくなりやる気が出る。苦痛が苦痛でなくなる。
実を言うと、精鋭部隊を作る際にもっとも必要なのは、資質や体力ではなく、モチベーションだ。地味で辛く、理不尽に思える訓練。逃げ出したくなって当然だ。
イラクサに志願したとき、それぞれ胸に宿した熱い思いはあるだろう。しかし、それはいずれ風化していく。そんな中で投げ出さずに続けるのは才能だ。
地球での特殊部隊でも、軍隊あがりで、様々なところから推薦を受けて集まった精鋭たちに絞って訓練を実施しても、厳しい訓練に耐え切れず、最終的に三割しか残らないというデータもある。
もともと、戦いに慣れていないエルフがきつくて地味な訓練に耐えきれると思ってはいけない。信じると言えば聞こえはいいが、それはただの思考の放棄だ。
一日二人、それも貴重な【輪廻回帰】を使わないとものに出来ない。リタイヤされたからと言って、代わりを育てる時間がない。そうでもなくても、そもそも風の声が聞こえるエルフは少ない。……今のイラクサのメンバーに替えはない。
非道かもしれない。だが、エルシエの長として、見えている問題を放置するわけないはいかなかった。
「うん、【身体強化】もうまくできてる。これなら帝国に勝てるよ」
笑顔で二人を褒めながら、心の中で自己満足の謝罪を俺はしていた。
◇
日が暮れはじめた頃山に向かっていた基礎体力強化組が戻ってきた。
みんな一様に疲れた顔をしている。
「おかえり、みんなお疲れ様。無事ナイフは取ってくれたかい」
「おう、ほら長のナイフだ」
先頭を歩いていたロレウがナイフを差し出してくる。さすがにロレウも疲労しているようだ。
いや、むしろ精神的な気疲れが多そうだ。今日のメンバーの中には体力が劣る連中も多い。彼らのケアをしながら雪の山を登るのは辛かっただろう。
ルシエのほうを見ると、彼女も疲れた笑みを返してきた。
「はやく、家に入るといい。部屋を温かくしてあるし、布とたっぷりとお湯を入れた桶を用意してある。男女に別れて体を拭いてくれ」
「そりゃありがたいな」
「うん、お湯があるのは嬉しい。大分汚れちゃったし」
ロレウとルシエが安堵の声を漏らす。
燃料は節約して使うので、温かいと思うほど部屋を暖めるのも、お湯を沸かすのもそれなりに贅沢なことではある。
今回は、狐っ娘三人娘に、お湯を沸かしてもらい。隣の部屋で遊んでもらっているだけなので、コストはかかっていない。
ユキノの報酬に、ケミンとクロネの分のクリームシチューを追加した分、働いてもらっている。三人で仲良くクリームシチューを食べてから俺が識字率をあげるために作った玩具を試しに使ってもらっているので、これも立派な仕事だ。
「ロレウ、やれそうか?」
「おおう、なんとかな。心配してた連中も、まあ、体力はねえけど気合はあって悪い連中じゃないし、安心っちゃ安心だな」
「それは良かった」
俺はほっと一息つく。
山登りをさせたのは、体力の強化はもちろんだが、イラクサ内での連携を強化するためだ。
何時間も一緒に山登りをすれば嫌でも会話をしないといけないし、助け合う必要がある。
エルフなら誰でも使える【風除け】だが、交代で使わないと絶対に魔力が持たずに力尽きるし、それなしで雪のふる山を登ることは不可能だ。
強引だが、辛い環境での共同作業は絆を深める効果がある。
「体が拭き終わったぐらいで、部屋に行くから、帰らずに待っていてくれよ。夕食もあるしね」
「……まだ何かするのか」
「何かはするけど、訓練じゃないから安心してくれ」
俺は微笑して、ロレウ達と別れた。
◇
俺は二度、扉をノックする。
男部屋はさきほど行って来て用事をすませたので、今度はルシエ達が居る女子部屋だ。
「入っていいよ」
「お邪魔する」
ルシエの許可が聞こえたので、中に入る。
そこには、四人のイラクサの女性メンバーが居た。
暖かい部屋で、お湯を吸わせた布で体を拭いて部屋着に着替えた後のようだ。魔術組の一人を除いてみんなぐったりしていた。
「みんな、今日は本当にお疲れ様。辛いと思うけど、これからもがんばって」
「はっ、はい頑張りまっ」
コンナが、元気よく手をあげようとして筋肉痛で悲鳴をあげて倒れる。
みんな似たり寄ったりな状況で、これでは明日の訓練どころではないだろう。
「無理はしなくていいよ。ここに来たのはみんなの疲れをとるためなんだ。マッサージをしようかと思ってね。ただ、体に触る必要があるから、ルシエにやるのを見て嫌だったら、断ってくれ」
「シリルってマッサージまで出来るんだ」
「俺に出来ないことを探すほうが難しいと思うよ」
「……シリルの場合、それが嘘じゃないんだよね」
「ほら、うつ伏せになって」
「うん、わかった」
ルシエが、あらかじめ部屋に用意してあった毛布の上にうつぶせになる。
お湯で体を拭いたばかりのせいか、真っ白い肌が上気して艶めかしい。おもわず服を剥ぎ取って襲いたいぐらいだ。
「それじゃいくよ」
ルシエの太ももに手を触れる。やはり、かなり筋肉が硬直している。
そこを揉むと同時に、電気信号を与えてほぐす。
「なに、これ震えて、あっ、でも、これ気持ちいい。体が柔らかくなっていく」
プルプル震えながらも、ルシエは甘い声を漏らす。
そして、ふくらはぎ、二の腕と、どんどん場所を変えて筋肉をうまくほぐしていく。
以前から体内電流を強化することで似たようなことが出来たが、勇者の力を【俺】が解析してから、さらに精度があがった。俺は今、勇者の力を使いこなしている。
「だいぶ、こってるね。それにこのままじゃ、明日の訓練なんて無理だ」
筋肉痛でそれどころではないだろう。かなり筋肉が痛んでいる。
ルシエが少しでも楽になるように優しく丁寧にマッサージを施す。すると表情が弛緩してきた。かなりまったりしている。
「でも、マッサージで柔らかくなったきたからもう大丈夫。それと、仕上げをいくよ」
使いなれた魔術、【自己治癒能力促進】で、二日はかかる筋肉痛を治療していく。
朝食べたクリームシチューの肉が栄養に変わってきているので、筋肉を作る材料は十分だ。
「すごい、なんか、気持ちよくて寝そう」
「はい、終わり。ルシエ腕を回してみて」
俺の言葉にルシエが嫌そうな顔をした。筋肉痛で動きたくないのだろう。
ルシエが嫌そうな顔で腕を回すと、きょとんとした顔をした。
「あれ、腕が軽いし、全然痛くない。あっ、いつものか」
ルシエを強くするために、筋組織を壊して、回復させるという作業はほぼ毎日行っている。
今日は、自然に筋肉痛になったのを治療したので、ルシエは最初、いつもと同じ行為だと気付かなかったのだろう。
ただ筋肉をつけるだけなら山を登らせるより、魔術で壊して治す作業をすれば早いが、連携と、根性と、体力、それをつけるために山に登ってもらっている。
「こんなふうに、俺にかかれば疲れと痛みなんて一気に吹っ飛ぶよ? 男は全員終わらせた。さっきも言ったけど皆女の子だから、するかどうかは任せるよ」
そう言うと、ルシエ以外の三人とも、即答で返事をしてきた。
「是非やってください」
「シリル様ならむしろ歓迎です。なんなら脱ぎましょうか」
「シリル様、全身が痛い、出来るだけ早く、そして長く」
魔術を習っているので、疲れていないはずの子もマッサージを希望しているのは不思議だが、要望通り全員にマッサージする。
こうして、毎日疲れをリセットすることで、訓練の効率をあげる。毎日体がベストの状態で訓練が出来るので、訓練の効率は通常の三倍にもなるだろう。
隊員のそれぞれが頑張ることも重要だが、頑張れる環境を用意するのが俺の仕事だ。手を抜くわけないはいかない。
一月ほどで、基礎体力訓練と魔術の習得は終わらせる。
それが終わればより専門的な訓練になる。それまでにどれだけ強固な土台をつくれるかが、イラクサの今後に関わってくるだろう。
◇
イラクサの面々のマッサージ、バランスを考えた夕食を作って食わせ、悩んでいそうな連中の相談相手をして心理的なサポート、それから明日以降の計画を立てているうちに深夜になった。
【輪廻回帰】の反動と、慣れないことをした疲れで意識が霞む。何気に早朝からの狩りの疲れも地味に響いている。
ルシエの待つ家に帰ることは諦めた。今日はここで寝よう。
椅子から立ち上がろうとして、力が入らずに崩れ落ちる。
机に突っ伏すようにして倒れた。
思ったより、疲れているようだ。もういい、このまま寝よう。それにしても寒い、ああ、そうかとっくに、あの子たちは返したんだっけ。
大丈夫、死にはしないだろう。
そうして掠れ行く意識の中、声が聞こえた。
「やっぱり、シリル疲れてたんだね」
早々に疲れているから待つ必要はないと俺が無理やり帰らせたルシエの声だ。
「シリル、疲れていても、全然そんな顔を見せないよね。意地張って平気な顔して。みんなシリルのこと超人だと思ってるけど、シリルだって普通に疲れるのにね。私も含めて甘えられてばかりで辛いよね」
毛布が優しくかけられる。
「ありがとう、今日はお疲れ様。明日も一緒に頑張ろう二人で。ううん、これからは皆で」
頬に暖かくて柔らかい感触。そんな些細なことで疲れがすっと消えて、安らかな気持ちのまま眠りにつくことが出来た。