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第九話:交渉

 ゆっくりと目をあける。意識が朦朧としているし、記憶が途中から途切れている。親睦会でひとしきり騒いだ後、調理道具や机の片付けをした気がする。


 それで、火狐たちの工房のほうにいって、そうだ、その後、火狐たちだけで打ち上げしたんだっけ、中途半端にビンに残ったお酒とか、余った料理がもったいないし、どうしても裏方で親睦会の間は楽しめなかった子たちが多かったから、そう提案した。

 あくまで火狐たちの打ち上げなので、俺は辞退しようとしたけど、引きとめられて離してもらえなかったんだ。


 そこで、ひたすら火狐の女の子に囲まれて酌をされ続けてつい飲みすぎてしまった。

 最初に、一人の女の子に酌をされたら、私も私もと行列ができて、断ろうとしたら、あの子はよくて私は駄目なんですか!? ずるい! とか言われて無理をして飲み過ぎて潰れたんだ。


 そこから先の記憶がない。

 目をあけて見える天井は、旧工房で、今は暖かい布団に体が包まれている。

 うっすらと記憶が戻ってきた。エルシエの家に戻るのは断念して、だけど、女の子ばかりの新工房で眠るのはまずい。だから、徹夜するときのことを考えて寝具を用意してある旧工房で寝ることしたんだった。


 クウに肩を担がれてこっちに来た。帰り際、クウを慕っている少女のケミンが、


「クウ姉様がんば! 朝帰りでいいよ。一発決めて来て」


 と言ってサムズアップをしていた気がする。そこで俺は意識を手放したんだ。


 そんなことを考えると布擦れの音がした。

 そちらに目を向けると、クウがドレスを脱いで下着姿になっていた。


「皺になっちゃうから脱がないと、やっぱり、こういう衣装、可愛いのはいいけど、疲れちゃいますね」


 そう言いながらドレスを畳んでいる。下着とはいっても肌着と色気のないゆったりとしたショートパンツなので露出は少ないが、それでも綺麗な太ももや、大きな胸に目がいってしまう。


「ちょっとだけ、ちょっとだけならいいですよね」


 そう言いながら、こちらに向かって歩いて来る。俺は、黙ってクウを見ていることに罪悪感を覚え、寝返りをうったふりをして背中を向ける。


「シリルくん、眠ってますよね? 担いで歩いても起きる気配なかったですし、大丈夫ですよね?」


 小声でクウが問いかけてくる。

 もちろん、眠っているはずの俺は返事をしない。

 目は覚めているが、酒と日頃の欲求不満のせいで理性のほうがお休みしかけていて、そっちがまずい。


 それなのに、クウが布団の中に入って来て、背中越しに俺を抱きしめた。

 クウの柔らかさとか、匂いで頭がくらくらする。


「ルシエちゃん、ごめんなさい。でも、ちょっとだけシリルくん、貸してください。今日だけですから」


 クウの申し訳なさそうな声。

 寝るな理性、おまえが寝ると人道的に死ぬ。


「少し独り言をさせてください」


 こつんと彼女の額が俺の背中に押し付けられる。

 俺はクウに好意をもっている。彼女は本来、強い人間ではないと思っている。それなのに仲間のために歯を食いしばって必死に頑張る姿は美しいと思う。

 どんなに辛いことがあっても諦めず、そして自分の弱さと未熟さを知った上で、成長しようとあがいている。彼女は、ルシエと同じく輝きをもつ少女だ。だからこそ、俺は手を差し伸べたくなる。


 そんなクウが薄着で密着してくる状況は不味い。ルシエと違って結婚しなくてもできるとか、誘ったのはクウのほうだとか、次々と脳裏に浮かんでくる言い訳を必死に消し去る。

 押し付けられた胸が柔らかいなとか、体温が心地いいなんて幻想だ。


「シリルくん、本当のことを言うと再会するまでシリルくんのこと仲のよかった友達ぐらいにしか思ってなかったんです。お父様は許嫁って言ってたけど、そんな実感もなくて、エルフの村との交流がなくなってからは、なんとなく話がなくなっちゃったんだって思ってたんです」


 無理もないだろう。

 最後にあったのは五年前。それまでだって二月に一度会えばいいほうだった。

 その頃は、まだ俺たちは幼く、恋愛感情はなかった。それなのに、今までずっと好きだった。想いつづけていたなんて言われたら逆に怖い。


 人は変わる。五年間、まったく会わなかったけど、変わらず好きだったなんていう人がいるなら、それは都合のいい空想上の人物を好きになっただけだ。俺はそんな奴を信用しない。


「だけど、再会した時のシリルくん、すっごくかっこよくて、王子様みたいに颯爽と現れて助けてくれて、ちょっと、ときめきました」


 それは、この前も聞いた話だ。


「火狐の村に行ったとき、叱ってくれたことも嬉しかった。私は弱くて、甘えられる人が欲しかった。でも甘えさせてくれるだけの人が欲しいわけじゃなくて。今の弱い自分が嫌だから、誰かに叱ってもらって、導いて欲しかった。

 きっと私はお父様みたいな、厳しさと優しさの両方のある人を求めていたんです。そんな都合のいい人、どこにも居ないって思ってたのに、シリルくんがそうだったんです。それでますます好きになりました」


 クウの腕にこもる力が強くなる。


「シリルくん、いつもいっぱい頑張って色々してくれて、それだけじゃなくて、私にどうしてこうしたのか、もっと私にこうして欲しいとかって、大切なことを教えてくれてますよね? そういうのがすごく嬉しいんです。それっていつか、私もシリルくんみたいになれるって信じてくれていることだから」


 俺は確かにクウに期待している。

 彼女なら、いつか俺の右腕になってくれるんじゃないかって。

 もちろん、今すぐは無理だ。クウの能力うんぬんではなくて、エルフじゃないという時点で重要なポジションを与えてもエルフ達が受け入れることができない。


 それでもいずれは、実力しだいで誰でも認められるようにしたい。

 クウにはリーダーにもっとも必要な要素であるカリスマがある。火狐たちの彼女の慕う様子を見ればそれがわかる。カリスマと言うのは、努力や後天的なもので多少の肉付けは出来るが、もって生まれた資質に大きく左右される。


「それでも、私がシリルくんに抱いている気持ちって、ルシエちゃんと違って、恋とかじゃなくて、憧れとかだと思ってたんです。はしかみたいな一目ぼれで、すぐに冷めて、消えちゃう気持ちだって。だから、シリルくんが、もうルシエちゃんと愛し合ってても、そんなに悲しむことはないんだって、ある意味安心してたんです」


 額を押し当てられているところが少し濡れて冷たくなった。


「でも、消えてくれないんです。シリルくんといると、こんな状況なのに楽しくて、もっと明日は楽しくなるって信じられて、きらきらするんです。ずっと、一緒に居たいって思っちゃうんです。そんな気持ちが強くなるばかりで、初めてで自信がないですけどきっとこれが恋なんですね」


 俺は、どう答えればいいんだろう。


「ルシエちゃんが羨ましい。私が会えなかった五年間ずっと一緒に居て、たくさん思い出があって、その中でシリルくんに好きになってもらえて。

 もし、エルフ村が帝国に支配されなくて、許嫁のままで居られて、ずっと会えてたら、好きになってもらえたのは私かもしれないとか、そんな馬鹿なこと頭がぐるぐるしちゃうんです。そんな自分が嫌なのに、その気持ちをシリルくんに押し付けちゃいそうになっちゃいそうで怖いんです」


 だから、こうして眠っていると思い込んでいる俺の背中に語りかけているのか。

 これは、クウの懺悔だ。


「諦めないといけないってわかってるんです。シリルくんは、私よりずっと大変で、これ以上、悩みを増やさせるわけにはいかないです。それに、私は臆病なんです。冗談めかしてじゃなくて、本気で好きって言って断られるのが怖いんです。だから、気持ちを全部吐き出して、一晩泣いて、それで終わりにします。終わらなくても、終わったことにします」


 クウの腕の力が緩くなっていく。彼女はきっと、今後そう言った気持ちはないものとして扱うのだろう。胸の内がどうあれ、けして口にも態度にも出さない。


 俺にとって言えば、もっとも都合がいい状況。だけど……

 離れていくクウの温もりが、柔らかさが、どうしても名残惜しくて……


「眠ってくれていて良かったです。シリルくんが起きてたらこんなこと絶対言えなかった。この気持ちはなんとしても忘れます。いっそのこと……、うん、それもいいかもしれません。好きになっちゃいけない人を好きなった私には、お似合いかもしれません」


 すべてを諦めて泣き笑いになったクウ。そのまま、彼女は、立ち上がり去ろうとした。だが、それを俺は許さない。クウの手を掴んで引き寄せ抱きしめる。


「シっ、シリルくん、起きてたんですか?」


 背中越しではなく、胸の中に納まったクウが、慌てた声音で問いかけてくる。

 こうして抱きしめると彼女の小ささと儚さに驚く、こんな体であんなに頑張っていたのか。


「ずっと起きてた。全部聞いた。だから抱きしめた」

「なっ、なっ、なんで!?」


 顔を真っ赤にしてひどく狼狽するクウ。


「あの、そこは、聞かなかった振りして黙って見送るのが、その、紳士な対応では?」

「黙れ」


 俺はクウの尻尾を思いっきり掴む。


「ひゃあう。いきなり何するんですか!?」


 クウが、妙に色っぽい声を上げたあと、抗議の声をあげてきた。


「尻尾を握っただけだよ」

「最初に触ったときは、火狐の風習を知らなったから、セーフですけど、今のシリルくん知ってますよね? 私たちにとって尻尾は特別なんです。軽い気持ちで握ると怒りますよ?」

「知っていてやってるんだ。それに、正式なやり方は、まず女の子が優しく手のひらに乗せるところからだろ? クウ。俺は、ルシエが好きだ。世界で一番好きだ。そこは絶対に譲れない」


 最低の告白。少なくとも、自分に好意を持っている相手に言うようなことじゃない。


「そんなの、知ってます。見ればわかりますよ」

「だけど、クウも好きになった。だから誰にも渡したくない。だいたいクウみたいなタイプって、自暴自棄になると、自己犠牲に走るから、目を離せないんだよ。どうせ、火狐族のために、エルフの有力者に自分の身を捧げてとか、考えているんだろ? ちょうど、今日そのあてができたし、好きになっちゃいけない人を好きになった自分を罰して、その上で皆が幸せになるなら最善だとか」


 クウがぽかんとした表情になった。

 そしてゆっくりと口を開く。


「……シリルくん、心を読む魔術とか使えたりします?」

「いいや、そこまで便利な魔術は、今の俺では使えない」


 それができる俺が居ないわけではないが、シリルのままでは不可能だ。

 第一、こんなわかりやすい相手に使う必要なんてみじんもない。


「クウ、俺のものになってくれ。俺は世界で二番目にクウを愛したい。もちろん、そんな誠意のない男は嫌だと言うなら、それもそうだろう。選ぶのはクウだ。その気があるなら、手の平に尻尾を置いてくれ」


 クウは慌てふためき、目を白黒させながら口を開く、


「ルシエちゃんはどうするんですか!? 私がうんって言ってもルシエちゃんが嫌だって言ったらダメじゃないですか」

「死ぬ気で説得する。それで駄目ならルシエに隠れて付き合ってくれ」

「すっごく男らしく言ってますけど最低ですよそれ!?」

「大丈夫、俺は二人とも愛しているし、ルシエは俺が大好きだ。あとはクウの気持ちだけの問題だ。無理強いするつもりはないよ。ただ、俺はクウが好きで、クウと一緒に居たいから、そのための方法を提案しているんだ」


 そう、これが現状で取りうる最適解。

 言い訳になるが、エルフの村では、村人の多婚は禁止されている。この狭い村でそんなものを許せば、血がどんどん濃くなってしまう。

 だが、村長だけは例外で、その血筋を残すために、むしろ推奨されていて、ルシエもそれを知っている。


「一つだけ条件があります。三人目は駄目ですよ。女の子は嫉妬深いんです。ルシエちゃんが、私のこと、許すと言ったとしても、絶対内心では嫌だと思っているはずです。それでも、私は……だから、三人目は絶対だめなんです」

「約束するよ。三人目はない」


 俺がそう言うと、クウは苦笑いを浮かべる。

 そして、顔を隠すために俺の胸に顔をうずめた。


「えっと、その、……よろしくお願いします」


 クウがペタンと、尻尾を俺の手の平に置いた。

 俺は手のひらに乗った尻尾を先ほどとは違い、優しく握り返す。そして、滑らかな毛を優しく梳いてから、軽くしごいてみる。


「きゃう、尻尾、敏感だからやめて、ください」


 反応が面白くてつい、色々と試してしまう。


「それと、クウ。わかってると思うけど、下着姿で男の布団に入っておいて無事で済むと思うなよ」


 俺は抱きしめていたクウを、仰向けにして俺が覆いかぶさるような体勢に変える。クウが瞳を潤ませ、顔を赤くした。


「えっと、その、今、頭がごちゃごちゃだし、胸もいっぱいで、気持ちの整理が出来てなくて、そういうことは後日にしてもらえると。あと、体とか拭いてないし」

「でも、俺は今したい気分なんだ。せっかくクウの本音が聞けて、クウの心が知れたから、今度は体のことも知りたい」


 クウの耳に息を吹きかけて、びくんと動くところを楽しんでからゆっくりと彼女の体に触れた。


 ◇


 朝が来て、布団の中でまだ眠っているクウを置き去りにして工房を後にした。

 一度、俺とルシエの家に顔を出したが、火狐のケミンたちが、俺が潰れて介抱しているとルシエにわざわざ言いに行ってくれていたおかげで、心配はかけずに済んだようだ。

 ルシエにあいさつして着替えてから、外に出る。

 家を出るときにルシエが、


「シリル、クウちゃんの匂いがする。気のせいかな?」


 と言っていたが、特に深い意味はないだろう。

 きっと、そうだ。

 体が重い、酒が残っている。


「【代謝能力強化】」


 体内魔力オドを使い、体細胞を活性化し、代謝を加速させる。

 それにより、アルコールの分解速度が速まるが、同時に不快さも跳ね上がる。


 アルコールは分解時に不快物質が生成されるので、代謝をあげれば早く処理できるが、その分苦しみが一度に襲ってくる。

 できれば使いたくないが、これから戦場にでるのだ。体調を整えないといけない。

 俺は、地獄の苦しみを味わいながら体に残ったアルコールを分解し終えて、旧村長宅横にある牢に向かった。


「おはよう。いつもご苦労様」

「シリル様。おはようございます」


 牢の見張りのエルフに声をかけて、鍵を開けて中に入る。ここには四人の貴族様を捕らえていたが、一人は見せしめと、情報収集のための拷問で殺してしまって、今は三人しかいない。


 ここは交代制で常に人が張り付いている。大事な金蔓だ。大事に扱わないと。

 死なないように、水も食料も多めに与え、清潔に保ってやっている。


「喜べ、今日でここを出られるぞ。帝国の伯爵様の二男様は金貨一千枚(六千万円相当)、子爵様の長男は金貨七百枚(四千二百万相当)、男爵様には金貨三百枚(一千八百万円相当)の値段を付けたが、全員無事払っていただけると手紙にあった。良かったな」


 合計すれば、金貨二千枚(一億二千万円)の大金だ。

 普通の奴隷であれば、成人男性で一人金貨二十枚(百二十万円)が相場なので、適正価格だ。伯爵の二男が長男であれば、倍は取れたのだろうが、所詮、二男なんてスペアに過ぎない。むしろ、この金額を払う気になってくれたことに感謝しないといけない。


 もっとも、本当に感謝すべきなのは、楽に箔をつけれると、普段でない戦場に、大事な息子を差し出してくれたことだ。馬鹿親の伯爵様や子爵様には足を向けて眠れないぐらいだ。


「かっ、帰れるのか!?」

「やったぁ、ママぁ、僕を見捨てないでくれてありがとう」

「本当か、本当なんだな!?」


 中にいる三人は大はしゃぎだ。それはそうだろう。贅沢な暮らしをしていた貴族様にとって、ここの生活は地獄そのものだったはず。

 色々と配慮して、普通のエルフよりもいいものを食べさせているが、それでも彼らにはきつい。


「誠意ある対応をしてくれれば帰れるさ。あと、変なことを考えるなよ。その首輪は俺にしか外せないように細工してある。無理に外そうとすれば死ぬ。俺が金を受け取る前に逃げようとすれば、一生、その首輪がついたままだ」


 三人の貴族たちは、それなりの魔術指導を受けているせいか、未熟だが身体強化の魔術を使える。俺はともかく、見張りの身が危険なので、魔術阻害の首輪をつけている。


 もともと、エルフ全員につけられていたものだが、俺が解析し、壊さずに取り外す方法を見つけたので、一人一人取り外した後、大量に保管してあったものを、改良したものだ。


「わっ、わかっておる。もう、私たちに、あなたに逆らう気力はない」

「ひぃ、ひぃ、わかったから、もう痛いことしないでぇ」


 目の前で一人、文字通り壊れるまで苛め抜いたところを見せているのでずいぶんと素直だ。

 一人一人、後ろに手を回させ縄で手を縛る。


「あと、言っておくけど、その首輪、その気になれば、いつでも合図一つで君たちを殺せるようになっているんだ。そのことも覚えておいたほうがいい」


 その為の回路も組んである。

 起動キーを一つで終わりだ。

 俺の言葉に真っ青になった貴族たちを三人、小突いて馬車の荷台に押し込み、俺はエルシエを出発した。

 今日は一人だ。ほぼ確実に戦闘になる。そのときに、足出まといはいらないのだ。


 ◇


 待ち合わせ場所は、エルシエから20kmほど離れたところにある見晴しのいい丘だ。とは言っても、両サイドの30m先は木々が生い茂る森だ。

 エルシエから一日で行ける距離でなおかつ遮蔽物が少ないところを選んだ。


 約束は正午で、少し余裕をもってつくと、そこには馬車が五台ほど並んでおり、鎧を着こんだ兵士たちが二十人ほどいる。

 念のために、【知覚拡張】で周囲を捜索すると、弓をもった身軽な兵士が森の木に隠れてこっちを窺っている。

 気配の消し方がうまい。相当の手練れだ。だが、風のある空間で俺を欺くことは不可能だ。


 俺は腰にぶら下げた特製のナイフと、そして手甲と一体型になった特製の短弓の状態を確認した。


「帝国の兵士様方、今日はご足労頂きありがとうございます。私がエルシエの代表、シリル。あなた方と違って姓はない。ただのシリルです。手紙ではそちらの代表は、ルルビッシュ・フォルンツェ男爵と伺っておりますが、よろしいでしょうか?」


 俺はにこやかにあいさつする。

 しかし、それが気に食わなかったみたいで、髭を生やしたクマのような大男が、一団の中から、ノシノシと肩をいからせて出てくる。


「未開の蛮族の分際で身代金の要求なんて人間の真似事をしたあげく! なんだその貴族のようなしゃべりかたは!? それでいやしい性根が隠せるとでも思っているのか!?」

「そのようなつもりはありませんよ。ただ、エルシエの代表として、誠意をもって交渉をさせて頂きたいと思っております」


 俺はそう言って頭を下げる。それがさらに火に油を注いだみたいで、向こうが更に茹ってくる。


「エルシエとはなんだ?」

「私たちの国の名でございます。もはや、エルフの村は、あなた方の手から独立した存在ですから、そういったものが必要かと」

「何を言い出すかと思えば、そんなものは絶対に認めん! 貴様らはただ、暴動を起こしたただの村だ。いずれ、鎮圧してやる!」

「帝国様のお考えはわかりました。ですが、私たちはエルシエだと名乗ることをやめるつもりはありません」


 そこだけは絶対に折れてはいけない。自分たちの誇りの根幹なのだから。

 ちなみに、帝国には、帝国以外の名称はない。


 世界で唯一の帝が治める国だから、帝国。帝国に居る帝以外は帝として認めない。だから、この世界に帝国は一つしかないので名称なんてものは必要ないという考え方だ。


「このような話をしても双方不快になるだけだと思います。本題に入りましょう。人質と金を交換しましょうか? 手順は簡単。まずこちらが伯爵様の二男以外の人質を二人解放します。その後、全額金貨を受け取り、最後に残った一人を解放」

「いいだろう」


 普通に考えれば、絶対に受け入れられるはずのない手順を、帝国側は簡単に認めた。

 それの意味することは一つ。この交換がうまくいこうが、いくまいが帝国側はどうでもいいと思っていること。つまり……。


「では手はず通りに」


 そうして淡々と人質と金銭の交換は進んでいく。

 受け取った金貨は、大きな皮袋にぎっしりと詰まっていた。袋を振った音で金に混ざりものがないか、重みで枚数に相違がないかを確認するが、きっちり二千枚分の金が入っていた。


 俺が三人目を開放する。意外なことになんのトラブルもなく円滑に人質交換は終わり、人質の首輪に解除キーを送り外す。


「貴様、長と言ったな。おとなしく帝国に従うつもりはないか? 今なら、以前と変わらない生活を約束してやろう。年に十人のエルフと税を差し出せばそれで許してやる」

「ずいぶんと上から目線ですね? そのお言葉は、採算のとれる範囲での兵力では、エルシエが攻略できないとの判断からでしょう。それを善意のように言われる筋合いはありません」


 そう、戦争は金がかかる。ましてや帝国から200km以上離れた辺境であるエルシエに兵を派遣するのは相当の負担だ。五百人でも相当辛かったはず。確実に勝てるだけの戦力を投入すれば、帝国は赤字になる。


「ほうっ、そこまでわかっているのか」


 今日はじめて、ルルビッシュ男爵の顔が笑みの形になる。


「ええ、そうですね。おそらくそちらが想定してあるエルシエを落とすのに必要な兵数は二千人と言ったところでしょうね。実際、攻めるときは余裕を持たせて三千人になるでしょう。それだけ派遣すれば割に合うはずがない」

「ははは、そこまで見事に言い当てられると、誤魔化す気にもなれんな。そうだ。その通りだ。確かにお前の言うとおり、三千も兵を投入すれば割に合わない。だがな、それでも帝国はやる」

 

 鋭い眼光が俺を射抜いてくる。


「これはプライドの問題だ。未開の蛮族共に負けたままというのは許せない。冬が終わり、春がくれば、三千の兵を率いてエルシエを攻め落とす」


 その言葉は真実だろう。

 その目が、言葉に込められた感情が、この男の雰囲気が、嘘だとは思わせてくれない。


「もちろん、そのときは我らの弓の対策をしてでしょうね。前衛は、死んでもいい傭兵を大量に雇って大盾を持たせ、多方向から攻めるために森は焼く。軽装の伏兵を数百人ぐらい事前に放って逆方向から攻めるぐらいは考えているんでしょうか?」

「なっ、おまえ、なんで」


 帝国も馬鹿じゃない。数人、生きて戻った奴がいるし、矢の二、三本は持って帰られた。それなら、対策を考えていてもおかしくない。


「そこまで、エルシエは帝国を舐めていませんよ。それにその弓を作ったのは私です。なら弱点なんて知らないはずがないでしょう? そして、それを知っていて、対策の対策をしていないとでも思っているのでしょうか?

 忠告しましょう。例え兵が何千人居て、対策しようが、エルシエを攻めれば、前回の二の舞になりますよ。人数を増やすほど、あなた方の被害は大きくなるでしょう」


 半分ブラフ、半分は本気の忠告を俺がする。

 もちろん、これで引いてくれるなんて思っていない。

 この場で相手に警戒させること自体が目的だ。


「面白い、面白いな、おまえ、こんな奴がエルフにも居るのか。……気が変わった。交渉してやろう。お前はそれに値する相手だ。

 おまえ達が匿っている火狐の雌を全員差し出せ。そうすれば、金輪際帝国は、おまえたちに関わらないと約束しよう。

 この前みたいに、火狐共に自爆されたら困るからな。騙して、魔術殺しの首輪を嵌めてつれてこい。おまえなら出来るだろ?

 魔石としての価値は、風より火のほうが数段上だ。鉄の加工にどうしても必要なんだ。鉄をつくるのに大量の木が必要だが、もうそこらの森が禿げあがって限界だ。火の魔石が得られるなら、見逃してやってもいい。エルフ共が降伏して献上品を差し出したという形なら、帝国の面目も保てる」


 それはエルフのことだけを考えるならベストの提案だ。

 元々、クウたちは厄介者、それを売り飛ばすだけで安全が買える。

 実際、俺なら簡単に彼女たちを騙せるだろう。食事に睡眠薬を盛って眠らせている間に全員に首輪をつけて馬車に積めて帝国に差し出す。

 だが、そんなもの考慮する必要はみじんもない。


「断る。彼女たちはもうエルシエの一員だ」


 それよりも問題は、エルシエに火狐が居ると知っていることだ。

 前から疑っていたが、確実にエルシエの中に情報を漏らしているエルフが居る。それが確定しただけでここに来た意味があるだろう。


「なら、戦争やるしかないなぁ。もう一つの提案だ。おまえだけでも帝国に来る気がないか? その頭の良さ、胆力、そして、あの鉄弓を作った技術。矢をみて感動したよ。まじりっけなしの純粋な鉄。おまけに矢の全てが同じ品質。そんなもの、帝国でも作れねえ。

 おまえは帝国の利益になる人間だ。俺が取り立ててやる。蛮族共と一緒に殺すのはあまりに忍びない」


 どうやら、この男は戦争をすれば勝てると思っているようだ。

 俺の言う、対策の対策を打ち破れる自信がある。

 なかなか、面白い人間だ。先日の五百人の襲撃も彼が率いて居たなら念のため用意していた五枚の手札のうち、一枚ぐらいは切らないといけなかったかもしれない。


「それも断る。俺はエルシエの長だ。みんなを守る義務がある」

「そうか、残念だ。おまえみたいな男をこんなところで犬死させることになるなんてな。敵に回ると言うなら、危険すぎて生かしておけない」


 それと同時に、隠れていた弓兵たちが矢を引き絞り、五方向から一斉に矢が飛んできた。

 俺は口をにやりと歪める。

 初めから帝国は金を渡すつもりはなかったからあっさりと人質交換が成立した。

 礼節には礼節を、言葉には言葉を、無礼には無礼を、なら拳には拳で応えよう。

 それが、交渉というものだから。 




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【スライム転生。大賢者は養女エルフに抱きしめられてます】

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― 新着の感想 ―
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