第三話:火狐の村へ
「私たちは、村の外で帝国を迎え撃とうとしましたが、大敗し村に逃げ帰りました。負けた理由は、シリル様の推測通り、徹底した弓のアウトレンジ攻撃と、風の魔石を使った魔術のせいで炎が届かなかったことです」
表情を歪めながらクウが言った。
そこにあるのは、悲しみ、そして怒りだった。
「村の戦士たちを率いて戦った父はどうあがいても勝てないことを悟りました。そして、女性と戦えない子供を逃がし、戦えるものは時間稼ぎをすることに決めました」
だからこそ、クウたち五十人の火狐たちはエルシエに逃げてきた。
もし、ここで戦える最後の一人まで抵抗していれば、火狐は男は皆殺し、女は攫われて魔石を量産する道具にされていただろう。
「父は考えました。逃がす先を一つにしてしまえば、失敗したときに火狐という種族が消滅する。だから、最低でも、二手に別れないといけない。一応、人数が少なくなれば受け入れてもらいやすいという考えもあったみたいです」
「やはりな。俺が火狐の立場だとそうする」
帝国から逃げるのは容易ではない上に、逃げた先が味方かどうかもわからない。どこか一つの村に種族の明暗を託すのはリスクが高すぎる。
「父の指示で逃亡組は二組になったのですが、一組目は、旅ができる女性だけで固めたグループ、二組目は、一組目と同じく体力のある女性に加え、必要最低限の大人の護衛、そして戦うには幼すぎる男の子を連れていくことに決めました。二組目は、村のお金をほとんど持って行ってますし、食料も私たちよりずっとたくさんあります」
「二組目はずいぶんと手厚いグループだな」
「ええ、はっきり言って、エルシエに向かった私たちはただの保険で、父は二組目に火狐族の未来を託すつもりだったんでしょう。男の護衛の中には、兄も居ます」
クウの兄と言うことは、本来の次期族長だ。それに、女性だけではなく、子供とはいえ、男まで居る。
二組目は、他の種族と混じらなければいけないクウたちと違って逃げた火狐だけで子孫を残せる。
「なるほど、クウの兄が率いた火狐たちは、エルシエとは反対方向にある村を頼って行ったのか」
「はい。そこもある程度の友好もありますし、それに……」
そこでクウは言葉を濁す。
「最悪、武力で言うことを聞かせることもできる」
「そこまでわかっちゃうんですね。その通りです。帝国には勝てなくても、火狐は強いです。ある程度の数が居れば、武力に訴えることもできるんです」
火の魔術はそれができるほど強い。
俺が、ロレウとクウが言い合いをしていたときに一番恐れたのは自暴自棄になった火狐たちが暴れ出すことだ。
あの距離で暴れはじめたら、甚大な被害が出かねない。
それでも、風魔術が得意なエルフなら、冷静になれば対抗できるが、他の種族はそうはいかない、実力行使に出た火狐を止められる種族は限られている。
容易く、火狐たちは村を支配できるだろう。
もっとも、それが原因で村に住んでいた住民が帝国に助けを呼びにいくということも十分に考えられる。
「武力は最後の最後の手段です。でも、私はそれが嫌でこっちに来ました」
「それが、クウがこっちに来た理由か。立場を考えると、捨石じゃない側に居るはずだと思っていたんだ」
「父はそうしてくれたんですけど、断りました。罪のない誰かを傷つけてまで生きたくないですし、それにこっち側の火狐の皆は、誰かが引っ張らないと駄目な子ばっかりです。自惚れかもしれませんが、私が居なければ、エルシエにたどり着くことすらできなかったと思います」
クウの言うとおり、火狐の面々は決断力のある人間が居ない。
リーダーの素養がクウ以外には見られず、クウが居なければどこかでのたれ死んでいただろう。
「クウは優しいな」
「そうじゃないです。ただ、臆病なだけです。いざと言うときに、誰かを犠牲にすることをためらうのは、族長失格です。それに、シリルくんやルシエちゃんに会いたい気持ちもありました」
疲れた笑みをクウは見せる。
「そんなクウだったから、俺はクウに会えた。そのことに感謝しておくよ。そもそも、どうしてこの村が保険になるって思ったんだ。火狐たちはこの村が帝国の支配から逃れたことを知らないはずだろ? 普通は第二候補にすらしない」
「簡単ですよ。一度目の戦いで、私たちは逃げ帰りましたが、数人ぐらい向こうの兵士を捕らえたんです。そこで、情報を聞き出しました。エルシエの攻略に失敗して、火狐の村の攻略は絶対に失敗できないと言っていたんです。ただ、五百人みたいな大軍に勝てたってことまでは知らなかったですけど」
「言われてみれば簡単な理由だな」
捕虜にした帝国側の人間からの情報なら信頼できる。
曲がりなりにも帝国に勝てるのであれば保険になると考えても無理はないだろう。
ただ、火狐とエルフが固まって暮らす以上、絶対に帝国が諦めることはなくなる。そこに、本命を置くのは怖いのもわかる。
「聞きたいことはこれで終わりですか?」
「まだある」
俺は少しだけ間を置く。これはクウにとって辛い選択になるかもしれない。
「俺は明日、火狐の村を見に行く。あそこまで、70kmほどだ。俺が魔術をフル活用すれば、二時間もかからない。
目的は、火狐の村が帝国の拠点になっていないか確認するためだ。もし、奴らの中継地点になっているなら、エルシエへの攻撃が苛烈になる。もう一つは、塩だな。せっかく採掘権をもらったんだ。雪が降る前に、出来る限り持ち帰っておきたい」
俺が火狐の村に行くと言った瞬間、クウの拳が震える。
「俺は一人ぐらいなら担いでいける。クウが案内のためについて来てくれると嬉しい。
だけどそれは必須じゃない。岩塩の発掘場所は地図さえ書いてもらえばどうにで
もなるし、村の状況は俺一人が知っていればいいんだ。
それをわかっていてあえて聞く。クウ、一緒に来るか? 個人的には勧めない。帝国に蹂躪された村なんてろくなものじゃない。いたずらに傷つくだけだ」
「なら、どうして私に聞いたんですか?」
「それはクウが考えてほしい」
俺は、理由をあえて言わない。
言葉にするなら、族長の責任だ。
時間が過ぎていく、俺はクウを急かしたりしない。
一分ほどたってクウがゆっくりと口を開いた。
「私も連れて行ってください」
俺はその言葉に黙って頷いた。
◇
クウと二人、火狐の住処となった工房に戻る。
すると、幼い火狐の少女が駆け寄って来た。
「クウ姉様、お仕事お疲れ様です。これ、クウ姉様の分です。食べてください」
そして、コップいっぱいに注がれたスープを差し出してくる。肉がほかのコップよりもずっと多く入っている。
それは冷めてしまったクウのものとは別のものだ。
飢えていた火狐たちは、お替りがあると俺が言った瞬間に我を忘れて、鍋に群がって来た。
それでも、きちんとクウのお替り分を用意してある。
こういうことができるのは、クウが愛されている証拠だ。族長というだけで、こんなささやかな思いやりを得ることはできない。
クウの今までの頑張りを火狐の皆はきちんとわかって認めている。
同じ、人を率いる立場として少しだけうらやましく思ってしまった。
「ありがとう。ケミン」
クウは涙を零して、幼い火狐の少女を抱きしめる。
彼女にとって、自分が認められた瞬間で、感情が抑えきれなかったのだろう。
けして、火狐たちの前で弱いところは見せないと言っていたクウ。
だけど、この涙は弱さじゃない。そこに込められたのは喜びだ。
だから、この涙を隠す必要はないのだ。
俺は、この場はもう大丈夫だと判断し、一度村に戻った。
村の皆に独断に近い形で火狐を受け入れたことをフォローしないと。
特にロレウあたりは拗ねていそうだ。
めんどくさいが、これも長としての仕事だ。
◇
翌日の夜明け前に、俺とクウはエルシエを出た。
この時間を選んだのは、クウが居ないと火狐たちには心のよりどころがなくなってしまうので、皆が起きる前に戻りたいからだ。
俺の背中には、自作の大容量のヒップベルト付きのリュックを背負っている。
ヒップベルトをすることで、体にかかる重量が分散されるので、かなり楽になる。七十リットルの大容量を誇るリュックであり、肩だけに重みがかかるタイプだと、拷問器具のようになってしまう。
そして、両腕にはクウをお姫様抱っこしている。
ルシエよりも肉付が良くて女性らしいクウの体を密着させるのは正直つらい。
「あの、シリルくん、さっきからそわそわしていますが、どうしたんですか?」
「なんでもないよ。ただ、クウが良い匂いだと思ってね」
「そう言われると恥ずかしいです」
すごく情けない話だが、ルシエと一緒に暮らしているせいで、満足に処理もできないので、かなり溜まっている。
そのくせに、ルシエは深夜、隣で寝ている俺が熟睡していると思い込み声を押し殺しながら、たまに自分を慰める。
周りを警戒するために意識の一部を起こしている俺は、押し殺した喘ぎ声と、独特の音に、ばっちり気がついてしまう。
それも、たまに俺の名前を小声で呼ぶものだから、理性がやばい。
ルシエに、気が付いているからやめろなんて言えば、たぶん一週間ぐらい口をきいてくれなくなるので、やめさせることもできない。
最近なんて、ルシエは俺を誘っているんだから、手を出さないほうが失礼だと考えるほど追いつめられてしまっている始末だ。
「それじゃあ、行こうか。危ないからしっかり掴まっていて」
「わかりましたシリルくん」
クウが俺の首の後ろに手を回してぎゅっと抱きしめてくる。
落ち着こう。大丈夫。クウはただの友達だ。
「風よ」
短く、一言を口出し風のマナを集める。
そして、魔術で身体能力を強化し、全力で地面を蹴ると同時に、浮き上がった体を風に乗せる。
俺の得意の高速移動。
さらに、今回は木の上に飛び乗り、太い枝を選んで着地。
そこからさらに、次の木へと、どんどん飛び移って行く。
こうすれば、深い森も最短経路で突き抜けることができる。
「シリルくん、すごい。はやくて、飛んで、こんなの初めてです。もう、エルシエがあんなに遠く」
腕の中でクウがはしゃいでいる。
だが、その声には少し無理があった。
言葉の端々に隠しきれない負の感情が見え隠れしている。本当は、火狐の村に対する不安の気持ちでいっぱいなのだろう。それを隠すために明るい振りをしている。
俺はそれに気が付かない振りをして微笑みを浮かべた。
「よし、もっとスピードをあげよう。出来れば朝食の時間に間に合わせたいな。ルシエが美味しい朝食を用意してくれているんだ。とは言っても夕食で出した蒸かし芋だけどね」
「いいですね。昨日の夕食に出たお芋、すごく美味しかったです」
「戻ったら、ひたすら火狐の皆でまだ収穫していないジャガイモ全部、掘ってもらうから覚悟しておけよ」
「はい、喜んで! お仕事しないと、火狐の皆も、気兼ねなくご飯が食べられないですし、大歓迎ですよ」
実際、居候の立場と言うのは辛い。
ただ飯を食うだけという立場だと周りの視線が気になってしまう。
「心配しなくても、仕事はどんどん増えるさ。エルフは麦の世話で精一杯だからね。
ヤギを百匹ぐらい買って、その世話を全部火狐に任せるつもりだし、昨日の夕食に出たジャガイモの栽培も、火狐の仕事かな。
それに、あと二か月以内に、1000個ほど、水が50ℓ入る土器を焼いてもらって、それを使ってあるもの採取をしてもらう。その後は酒造りの仕事まである」
ジャガイモ以外は、エルフだと厳しい仕事で、こなすことが出来れば一気に信頼を獲得できるだろう。
エルシエが豊かになり、火狐たちが本当の意味で居場所をみつける。
そんな未来はきっと遠くない。
「頑張ります。たとえこの命に代えてもやり遂げてみせますよ」
「気合を入れてくれるのはいいけど、無理はしないでいいぐらいの仕事量に調整したいから、きつかったら素直に言って欲しいかな。短期的な仕事なら根性でカバーして、なんとかなるかもしれない。でも、これからずっと続く仕事だ。一生懸命やれば、普通にこなせるぐらいじゃないと続かない」
「シリルくんは、私たちのこともちゃんと考えてくれてるんですね」
クウが俺に抱き着く力を少しだけ強めながら言う。
「もちろん、エルシエの仲間だからね」
「私、こっちに来て良かったと思います。シリルくんが居れば、きっとエルシエはもっと大きくなって、いつか帝国にも勝てる、そう思うんです」
「何を今更、俺は初めからそのつもりだよ」
それは、エルシエと名乗ったときから決めたことだ。
そうしないなら、さっさと村を捨てて、どこかの土地を開拓して新しい村にしたほうがずっと早くて安全なのだから。
そうしているうちに、火狐の村につく。
俺は、予想よりも数段酷い状況に声を失った。