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第二話:クウ

「リック。何人か人手を集めて、干し肉を作ったあとの余りと、塩との交換用に作っていた防寒具を全部、村はずれの工房に持って来てくれ」


 俺は、幼馴染のリックに干し肉を作ったときに余ったイノシシの骨と背油、そして防寒着を運んでくるように指示してから、火狐たちを引き連れて村の外に出る。


 火狐たちはいきなり村を出たので、追い出されるのではないかと不安に思っているのか、ふさふさの尻尾の毛が若干逆立っている。

 俺は黙々と歩き、目的の場所に出た。


「ここが今日から君たちの家になる。悪いけど一人一人個別の家を用意する余裕はないからみんな一緒に住んでもらうことになる。

 どうしても嫌なら、あまりお勧めはしないけど、エルフの仲間で、一緒に住んでも問題ないって言う人を探して、数人なら村の中に住めるように手配することもできるよ。どうする?」

「皆でここにここ住むほうがいいです」

「それは良かった」


 村の外れにある俺の工房に案内すると、火狐たちは目を丸くして見上げていた。

 エルフの村も火狐の村も建築技術が進んでいないので、木と石と土で出来た家だ。煉瓦で出来ている上に、30m×30mの巨大な俺の工房は衝撃的に映ったのだろう。

 広さも申し分ない。

 1kの部屋で換算すると45部屋分はある。五十人程度なら余裕で暮らすことができる。


「隣の建物には絶対に入っちゃだめだよ。色々と危ないものが入っているから」


 そして、その巨大な工房は二つ並んで建てられていた。

 先日倒した、兵士五百人の装備を格納したり、色々と製作したものを溜めこんでいるうちに、いっぱいいっぱいになったので工房を追加したのだ。


 二つ目の工房は前回の反省を活かして、居住性まで考えて作ってあり、自分で使いたい気持ちはかなりあるのだが、一つ目を片付けて居住可能な状態にもっていくのに一週間はかかるので諦める。


「あの、シリル様、これ、本当に使ってもいんですか? こんな立派な建物、初めて見ました」


 クウがおずおずと問いかけてくる。


「もちろん。本当は村の中に住む場所を用意してあげたいんだけど、今それをすると、エルフも火狐も、気疲れするだろ? ある程度、気持ちの距離が近づいて、仲良くなるまでは、なるべくここで生活してほしいんだ」


 火狐たちには火狐の習慣やルールがあるし、エルフたちも一緒だ。

 これだけの人数をいきなり村の中に入れると様々な問題が噴出するだろう。

 当面は、物理的にも距離を置きつつ、火狐たちに適切に仕事を割り振り、目に見えてわかりやすい成果をださせ、それをエルフ達にアピールすることで、火狐の有用性を認識させる。

 そうしてから、ゆっくりと村の連中と距離を詰めていきたい。


「シリル様、いったいエルフの村……エルシエに何があったんですか? こんなの作れるはずがないです。もしかして、コリーネ王国の後ろ盾があって、支援を受けてませんか?」


 クウは若干の期待を声に込めている。

 彼女の推測はもっともだ。煉瓦造りの家も、純度の高いガラスも、エルフの技術では到底作れるものではない。なら、それは外からもたらされたはずだと。

 その場合、それができる可能性があるのはコリーネ王国しかない。


 もし、エルフがコリーネ王国の援助を受けているなら、安全性が増す。そこまでクウは考えているのだろう。


「残念ながら、コリーネ王国とも、そこの商業都市エリンとも付き合いがないよ。俺が頑張って魔術で作ったんだ」

「そんなわけ……いえ、ありがとうございます。感謝して使わせて頂きますシリル様」


 クウが恭しく頭を下げる。

 信じてはいないが、俺が理由を隠していて、それを暴くことで機嫌を悪くすることを恐れている。


 昔はもっと遠慮がなかったのに、彼女は立場からか、他人行儀に接している。

 もっとも、この場で友達だからと言って、馴れ馴れしく接するような愚か者なら、族長の娘とはいえ、代表にはならなかっただろう。


「気に入ってくれてなによりだ。皆、荷物も多いし、まずは家に入って荷物を整理して……と言いたいところだけど、正直匂いが酷いし、汚れすぎだ。まずは体を洗おう。工房のとなりに井戸があるだろう?」


 俺が井戸を指さす。

 そこには、煉瓦の壁と屋根に囲まれた井戸があった。

 工房で長時間過ごすことが多く、すぐ隣に井戸を作ったのだ。

 わざわざ、屋根と壁を作ったのも酔狂からではない、金属製のくみ上げポンプを作っているので、それを雨晒しにさせないための配慮である。


 エルフのときの俺だと水魔術で簡単に汲み上げられるのだが、ドワーフであるクイーロのときだと、不便なので作っておいた。


「こうやって、この金属の取っ手を上下すると、水が勢いよく流れる」


 設置してあるのは、手押しポンプだ。ハンドルを人力で上下すると大気圧で水が吸い上げられ、シリンダー内部に水が入って来て、勢いよく飛び出る仕組みだ。

 その水は桶の中に注がれる。


「俺は、工房の中に入って食事の準備をしておくから、体と服を洗ったら中に入ってくれ。今のまま入られると掃除がめんどくさい。それにみんな女の子だろ? 綺麗にしたほうがいいと思うんだ」

「何から、何までありがとうございます。火狐一同、感謝の気持ちで胸がいっぱいです」


 今度はクウだけではなく、周りの火狐族も一斉に頭を下げた。

 山や森を抜けてきただけあって、服も体も泥だらけの垢、汗まみれでひどい状態だった。


 彼女たちもこんな状態だと気が休まらないはずだ。

 表情がみんなどんよりしているのは、肉体、精神両方の疲れもあるだろうが、今のひどい体の状態も影響しているだろう。

 どっちみち食事の用意に時間はかかるので、その時間をうまく使ってほしい。


「今は扉があいているけど、井戸のある建物も扉をつけてるから、閉めれば外から見えないから安心してくれ、俺は行くけど、何かあったら声をかけてほしい」


 そう言って、まだ頭を下げっ放しの火狐たちを尻目に工房のほうに向かって歩き出す。


「あの、シリル様」


 そんな俺をクウが呼び止めた。


「どうしたんだい?」

「その、少ないですけど、これ使ってください。あと、綺麗になったら私たちも手伝いますから」


 そう言うなり、背中に背負ったバッグから、塊のままの岩塩や、干し肉、それにチーズなどを出してきた。


「保存が利くものはとっておきたいから、岩塩だけもらうよ。あと、今日の料理は俺に任せてくれ。火狐の皆は疲れているし、簡単なものしか作らないから人手はいらないんだ」

「そうなんですか?」

「ああ。だから、気にせずにゆっくり体を洗って来てくれ」

「わかりました。でも、すぐに戻って来て手伝いますから!」


 そう言い残すと、クウが井戸のほうに走って行った。

 これなら、すぐに戻ってきそうだ。


 ◇

 

 火狐たちに譲り渡すことになった工房に入ろうとすると、ルシエが突然現れた。

 どうやら、工房の陰に隠れて居たようだ。


「火狐族が来たけど、どうしたの?」

「ルシエか、村に戻るんじゃなかったのか?」

「そのつもりだけど、火狐族を引き連れたシリルを見て、戻って来たんだよ。声をかけづらくて、後をつけていたの」


 バツが悪そうにルシエは言う。

 さすがに天性の狩人であるエルフだけあって、気配を消すのは得意のようだ。気が付かなかった。


「火狐の村が帝国に滅ぼされて、逃げてきたみたいだ。色々と細かい話はあるけど、彼女たちは疲れているし、お腹すかせているから、とりあえずご飯を用意したいんだ。

 ルシエ、悪いがジャガイモ、十株ほど収穫してきてくれないかな? 今から作る昼食には使わないんだけど、夕食に必要なんだ。 

 それと、せっかくルシエと二人で作ったジャガイモだけど、エルフの皆の前に、火狐に振る舞うことになってごめん」


 俺はルシエに頭を下げる。

 ルシエは、エルフの皆のために必死に頑張ってジャガイモを育ててくれた。その成果を勝手に火狐のために使うことに対して罪悪感があった。


「ねえ、シリル。シリルは、逃げてきた火狐の皆をエルシエに受け入れるつもり?」


 ルシエが、怒るでもなく、普通の口調で聞いてくる。


「そのつもりだよ。俺は彼女たちを見捨てない。エルシエに迎え入れる」

「うん、ならいい。すぐにとって来るね」

「怒らないのか?」

「うん。だって私はエルシエの皆のために頑張ったんだもん。シリルが、火狐さんをエルシエの仲間って決めたんでしょ。エルシエの仲間が喜んでくれるなら私も嬉しい」


「ルシエ」


 俺は我慢できずにルシエをぎゅっと抱きしめた。


「うわっ、なにシリル」


 ルシエが顔を赤くして慌てふためいている。


「愛してる」


 俺がそう言うとルシエは苦笑して、力を抜いた。


「私も、シリルのこと好きだよ。ほら、いつまでもそうしてないで、火狐さんたちがお腹すかせているんでしょ」


 俺は名残惜しさを残しながら、ルシエを開放する。

 照れくささがまだあるのか、ルシエは慌てて芋の収穫に行ってしまった。


「さて、充電出来たし、頑張ろうか」


 俺はそう言って、ズンドウの中に、朝汲んでおいた部屋に設置してある水瓶の水を流し込み、石で出来た炉に火を入れた。


 ◇


 炉の中に入れてある炭が真っ赤になった頃、村から荷物が届いた。

 一つ目は干し肉を使ったときに余ったイノシシの残骸。

 皮は、防寒具に、肉は干し肉に使えるのだが、どうしても骨周りにこびりついた肉は取れないし、無理にとっても干し肉にし辛いのでかなりの量が残っている。

 それに、背脂も余っている。脂の塊な上に筋が入っていてまともに食べられない。

 だが工夫すれば食べられるので、骨周りの肉は昼食に、背脂は夕食に使う。


 俺が水を注いだズンドウは、深さが60cmもあり、容量が百リットルもある完全な業務用サイズだ。貴重な鉄を大量に使い職権濫用で作った素晴らしい逸品だ。


「水が沸いてきた。ここに骨を入れてっと」


 そして、貴重な鉄でつくった中華包丁を取り出す。

 もちろんこれも職権乱用かつ、もてる技術を全て使った自慢の逸品だ。まず材質からして頑張っている。手持ちの材料から最高品質の合金を作り、さらにそれを三十もの多層構造……ダマスカス構造にしてある。これと同じ加工をした剣を売れば、この世界なら下手をしなくても家一つと同じ値段がつく。


 包丁の背を使って豪快にイノシシの骨を叩き折る。

 中華包丁は万能だ。その重量を利用して背を叩きつければ大抵のものは砕ける。刃の根元は厚く作っているので、肉や皮は重みを使ってたちどころに叩き斬れる。さらに先端に行くにつれて、薄く鋭くなっていくので細かい作業まで可能だ。


「色んな世界の調理器具を見てきたが、中華包丁ほど万能な刃物はないな」


 そして鍋に入るサイズに砕けた骨の中で、肉が多くこびりついている部分から沸騰した鍋に抛り込んでいく。

 半分ほど入っていた水のかさが、三分の二ほどになっていた。

 肉のついた骨はだいたい放り込んだので、残った骨を片付け、そして岩塩を中華包丁で砕いて、ズンドウに放り込む。


 適当に、工房にあった山菜やキノコを追加して、蓋をすると同時に魔術を起動。


「【加圧】」


 風のマナに働きかけ、ズンドウ内の気圧を高める。

 これにより、ただのズンドウが圧力鍋と同等の性能になる。初めから圧力鍋を作ることも考えたが、それはそれで不便なのでやめた。

 

 そうしていると、数人の火狐たちが、体や服を綺麗にして戻ってきた。

 頬が上気して、湯気が出ている。さきほどまで死んだような目をしていたが、少しだけ生気が戻っている。やはり、身なりは重要だ。


 火の魔術が得意な火狐たちは、水をお湯に変えて体を洗ったのだろう。もう、だいぶ気温が下がっており、体感では一桁だ。そうでもしないと凍えてしまう。


 あついお湯で体を洗うと、心のほうも洗われて楽になる。

 服のほうも、きっちりと洗った後に火の魔術で乾かしているので清潔になっていた。


「シリル様、手伝います」


 そんな火狐の中でも、真っ先に戻ってきたクウが駆け寄って来た。


「今は、煮込みの最中だから手伝ってもらえることはないよ。いや、火狐の皆って、お皿ってある? スープを作っているんだけど、食器が足りないんだ」

「深皿はありませんが、コップならみんな持っています」

「そうか、なら、みんなに自分の分のコップを出すように指示を出してもらえるかな?」

「はい、わかりました!」


 クウが仲間たちのほうにすっ飛んでいく。

 それを見ながら、鍋のほうがいい感じになってきたので蓋をあける。

 すると、イノシシの持つ魅力的な香りが部屋いっぱいに広がる。

 視線を感じて後ろを向くと、火狐たちが、よだれを垂らしていた。お腹の音まで聞こえてくる。


 まともな食事なんてとれていなかったのだろう、暖かいスープはすごく魅力的にうつるはずだ。


「スープの出来は、どうかな」


 俺は底に沈んだ肉がびっしりついた骨を一つ、レードルで掬いあげ、包丁で骨を撫でる。

 すると、ほとんど抵抗なく肉が剥がれ落ちる。圧力鍋を使った出来のいい煮込み料理だと、骨周りの肉は今みたいに綺麗に取れる。

 俺は、その作業を繰り返す。火狐のコップに入りきらない大きな骨を取り出しては、その表面を包丁で撫でて肉を鍋の中に落としていく。

 その作業がほとんど終わったので、申し訳程度に表面に浮かんでいるアクを取って、かき回してスープが完成した。

 コップに入るサイズの小さな骨はそのままにして鍋の底に沈めているが、それはいいだろう。

 そっちはちゃんと取り分けられるし、しゃぶりついて食べるとうまい。


「うわぁっ」


 完成したと火狐たちに声をかけようとして振り向くと、思っていたよりずっと近くに火狐たちが居てびっくりする。

 みんな、目を爛々とさせながら鍋の様子を見ていた。いい匂いがしていたので気になって仕方がなかったのだろう。


「みんな、えっと、スープが出来たから、一列に並んでくれ。持ってきたコップに注ぐから」


 俺がそう言うと、それぞれ必死に荷物からコップを探し出して我先にと並び始めた。

 ちゃんと秩序ある列が出来ているのは、クウがきちんと統制しているおかげだ。


 ◇


「はい、どうぞ」

「ありがとう、エルフのお兄ちゃん!」

「どういたしまして、熱いから気を付けてね」


 鍋の前に立ち、一人一人にスープを注いでいく。今は火狐の幼い少女からコップを受け取ってスープをよそっていた。

 きちんとスープを入れたコップを丁寧に手渡ししていく。

 俺が微笑みかけると、火狐の幼い少女は微笑みを返してくれた。その少女の目には、若干の憧れと崇拝が混じっている。


 ぶっちゃけた話をすれば、俺がこうするより、レードルを三つぐらい渡して勝手に注げと言ったほうが早い。

 だが、そうはしない。


 ここは、俺が良い人だと認識させる場なのだから。

 火狐たちは、この工房に来るまで、全身汚れ、汗だく垢塗れで、寒さに凍え、飢えていた。

 そんな中、お湯で体と服を洗う機会を与え、立派な住む場所、そして暖かい食べ物を用意し手渡してくれる俺は、神様のように見えるだろう。


 人は追い詰められている状況であればあるほど、救われたときの感謝の気持ちが大きくなる。

 きっと、火狐たちは、今日のスープの味を一生忘れないだろう。

 こうしておけば、大抵のことに耐えてくれるようになる。

 しばらくして全ての火狐たちにスープが行き渡った。


「美味しい、美味しいよ」

「うん、美味しいね」

「こんな、あったかくて、美味しい食事、ほんとうに久しぶり」

「私たち生きてるんだね。生きてる」


 みんな一心不乱にスープを飲んでいる。

 ありあわせの材料で作ったが、イノシシの骨を圧力鍋で煮込んでいるのでしっかり出汁が出ているし、骨の周りの一番うまい肉がたっぷり入っている。それにゼラチン質のある部位が含まれているのも大きい、かなりのごちそうだ。 

 俺も少し食べたがかなりの出来だ。


 火狐たちから、しゃくり声が聞こえてきた。

 みんなボロボロと涙を流しはじめている。

 今は亡き村や、離れ離れになった家族や友人、恋人を思っている。


 体がきれいになって、暖かいものを食べて緊張の糸が切れたのだろう。

 彼女たちは、村から逃げて、過酷な旅をして、今までは、涙を流したり悲しむ余裕すらなかった。

 ここに来てようやく泣くだけの力を取り戻した。

 本当に苦しいときは悲しむことすらできない。


「みんな、もう大丈夫だから。ここで新しい暮らしをはじめよう。私たちのために戦った皆のためにも」


 そんな中、クウが火狐の皆を励まして回っている。

 みんなが涙を流しているなか笑顔を浮かべて、胸を貸し、慰め、愚痴を聞く。

 よく見ると、彼女のスープにはまだ手がついていない。火狐の皆のために動くのに必死で食べる時間がないのだろう。

 今も、一人の少女が、「クウ姉様」と言って胸の中に飛び込んできて、頭を撫でている。


 クウの表情は、周りのように、悲しみではなく、聖母のような優しい微笑み。

 見ていられない。

 俺は、工房にあった大きな皿を用意してまた新しくスープを注ぎ、ゆっくりと口を開く。


「みんな、スープのお替りはまだあるから、自由によそって食べてくれ。この鍋全部空にしていいから」


 俺がそう言うと、火狐たちが空になったコップをもってすごい勢いで飛び込んできた。

 もちろん、さっきまでクウの胸で泣いていた女の子も。

 かなり現金ではあるが、そんなものだ。


「クウ、ちょっと隣の建物に来てくれないか、火狐代表のクウに話したいことがある」

「畏まりました。シリル様」


 クウは、そう言うと手ぶらで立ち上がる。

 お腹が空いているはずなのに、手つかずのスープになんの未練も見せない。

 そんなクウを見て俺は苦笑した。


「それじゃ、行こうか」


 俺はクウを連れて、帝国兵の装備で埋め尽くされた隣の工房に移動した。


 ◇


「それじゃ、まずそのスープを食べてくれ」


 俺は、火狐たちにおかわりがあると告げるまえに用意したスープの入った皿をクウに手渡す。


「えっ? シリル様、それはいったいどうして」

「食べないと次の話はしない」

「でも、私の分はちゃんと」

「ああ、確かにクウの分も、俺はよそった。だけど、せっかく美味しいものを作ったのに、誰かさんがまったく手をつけないから冷めてしまったんだ。冷めて味が落ちたスープを、俺の料理だと思われるとプライドが傷つく、だからまだ温かいこっちの皿のを食べてくれ。俺がそうしてほしいと頼んでいるんだ。嫌か?」


 俺がそう聞くと、クウは首を振って、それから泣き笑いのような表情を作ると、小声で変わらないなと言って、スープに口をつけた。

 一口目を食べると、目の色が変わって、すごい勢いでスープをかきこむ。

 コップと違って深皿はかなりの量のスープを注げる。クウは二杯分のスープを一気に飲み干した。


「ふう、美味しかったです。こんな美味しいスープを飲んだの生まれて初めて。特にお肉がすっごく柔らかくて、なんだか、すごく久しぶりに食べ物の味がした気がします」

「そう言ってもらえると作った甲斐があったよ。それと、クウ。族長として話をする前に、少しだけ友達として話をさせて欲しい」

 

 そこで一度言葉を切る。少し照れくさくて言葉に詰まってしまった。


「クウが生きていて良かった」


 照れくさくても、どうしてもそれを伝えたかった。

 俺は心の底からほっとした声をだして微笑を浮かべる。

 スープをよそったときに作った笑みとは違い、友達の無事を心から喜ぶ自然な笑み。


「クウは本当に大変だったと思う、クウのお父さんや火狐の民が死んだのは悲しい。だけど、俺はクウとまた会えたことが、すごく嬉しいんだ」

「シ、シリル様」

「クウ、今は友達として話しているんだ。それに、ここには俺たちしかいない。そういう呼び方はあんまり好きじゃない」

「でも、私は、族長で、シリル様は、エルフの、エルシエの長で」


 クウの声に動揺が走る。

 彼女はきっと、スープを食べるまでの火狐達と一緒で、悲しむ余裕すらない。

 背負っている重圧が大きく、その余裕を取り戻すのに時間がかかっている。俺はその助けになりたい。 


「それでも友達だろ。今の無理しているクウを見ているのは辛いんだ。俺の知ってるクウはもっと、素直で素敵な女の子だよ」

「シリル、様、ううん、シリルくん、そんなこと、言われたら、私、我慢できなくなっちゃいます」

「いいんだよ。俺は泣き虫なクウだって知ってる。今更取り繕う必要はないさ。なんなら、またカエルでも背中に入れようか? そしたら、そんな強情張るような余裕もなくなるかもね」

「そんなこと言ったら、私だって悪戯っ子で、生意気な、シリルくんを、知って、ます」

「俺は今だって悪戯が好きで生意気だよ」


 俺の言葉を聞いたクウが涙を流してくしゃくしゃな顔で懐かしい笑顔を浮かべてくれた。


「ほんと、そういうところは、変わらないです。でも、私の知ってるシリルくんより、優しくて大人なところが出来た気がします」

「五年経てば成長するさ。クウも、立派になった。俺の知ってる泣き虫なクウだったら、とっくに逃げ出していたと思うよ。今まで、ずっと我慢してきたんだろ? さっきも言ったけど、ここには火狐の皆は居ない。居るのは友達の俺だけだ。だから、少しは休んでいいさ」


 クウはまだ十四だ。それなのに、族長になり皆を引っ張ってきた。

 ここに来てから一度も、悲しい顔も、苦しそうな顔も見せなかった。まだ誰かに甘える年齢なのに、他の火狐の苦しみや悲しみを背負って、責任を果たしている。


 エルシエに到着するまで、仲間を鼓舞しながら険しい道を越えるのは辛かっただろう。ロレウに怒鳴られたときだって、内心では怯えていただろう。俺との交渉だって責任感に押しつぶされそうになっていたはずだ。


 それでも、クウは逃げずに戦った。

 そんなクウを友達として尊敬する。


「うん、いっぱい頑張った」


 クウは俺の胸に額を押し付ける。


「私は族長だから、皆には泣き言なんて言えなかった。不安でいっぱいだったけど、ずっと大丈夫って言って、森の中で、エルフの村につけば大丈夫だからって、自分でも不安に思ってること何度も言って励まして、こっちに来て、ロレウって言うひとに追い払われそうになったとき、ロレウって人より、火狐の皆が怖かった。

 この村に連れてきた私のこと、嘘つきだって思ってるんじゃないかって。次にどこに行っていいのかもわからなくて、頭の中ぐちゃぐちゃで、なんて言えば、皆が希望を持ってくれるかわからなかった」


 きっと、火狐の村からここまで来るとき、火狐の民は、何度も心が折れそうになっただろう。それでも、耐えられたのは、エルシエに来れば助かるという希望があったから。……その希望を信じさせ続けたクウが居たからだ。


「ダメだって思ったとき、シリルくんが来てくれて、庇ってくれて、泣きそうになった。あのとき、私、一瞬だけどシリルくんに全部任せて投げだしかけた。交渉なんてせずに、ただ、助けてって泣きつきそうになった」

「でも、クウはそうしなかっただろ。もし、そうしていたら俺は、火狐たちを受け入れることが出来なかったよ。クウが火狐の価値を証明してくれたから、この村に居られるようになった。あの場でそれが出来たのはクウだけだ。だから、誇っていい」


 それは嘘じゃない。

 クウのことは友人だと思っている。火狐たちは有用な存在だと知っている。

 それでも一方的に庇護を求め、甘えるだけの連中を受け入れるほど、エルシエには余裕がない。自分がエルシエのために何ができるか? それを考えられる相手だからこそ受け入れた。


「こんなの変です。交渉相手に慰められてます」

「今は友達としての時間だからね。族長としての時間になったら、厳しくいくよ」

「そんなふうに、簡単に切り替えられないですよ」

「クウならできるよ。だから、俺は安心して優しくできる」

「優しいようで厳しいですね」


 そう言って、クウは目元を拭った。


「ありがとうございます。もう大丈夫です。友達としての話は終わりました。ここからは族長としての話ですよね。シリル様」


 クウは様のところにアクセントを置いた。

 それが火狐の族長として、エルシエの長と話をするときのケジメなのだろう。


「ああ、そうだ。聞きたいことがある。火狐族はなぜ、エルシエにクウたちを向かわせた? 帝国の支配を逃れたことを知っていたのか? そしてもう一つ。人数と、護衛の男が一人もいないところを見るに、こっちの火狐たちは、保険の捨て駒のほうだろう。なぜ族長の娘のクウが、こっちに居る?」


 あえて残酷な言葉を突きつける。

 だが聞いておく必要がある。

 それほどまでに、火狐たちの行動は不自然だった。


 エルフが帝国の支配を逃れたのは最近で、火狐はエルフが帝国に支配されていると思っているはずなのになぜ、この村に来たのか?


 女性を逃がすのは理解できる。だが、最低限の男手兼護衛すら居ないのはなぜか?


 そして少なすぎる人数。火狐の村は岩塩の交換により豊かで人口も四百人ほど居たはずだ。女性だけを逃がしたにしても五十人は少なすぎる。


 そこから導き出される推測は、火狐たちはリスクを分散させた。

 エルシエに来たのは、万が一のための保険で、本命が失敗したときに血が絶えるのを防ぐためにすぎない。

 だから、護衛もつけていないし人数も少ない。


「保険の捨て駒ですか……ひどい言いようですね。ですが、的を射ています。それでは、話させて頂きます。火狐の村の出来事を」


 俺の推測を否定はせずに、クウは深いため息をつく。

 そして、クウはゆっくり語り始めた。 


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