第十八話:嵐の前の静けさ
「お酒楽しみだな! この前、二人で飲んだミード美味しかったね」
家に帰ってくるなり上機嫌でルシエが話しかけてくる。
今まで、モミジやクランベリーを言われるがままに、集めていたが、目的がわかってやる気が出ているのだろう。
エルフはみんなアルコールが好きだ。帝国に支配されていない頃は、余分な食料を売り払って酒を買い込んでいた。
ミードやワインは高いので、もっぱら麦で出来たエールを買って、収穫祭のときに飲んでいたのだ。
「俺が作る酒は、ミードよりずっと甘くて美味しいぞ」
「クランベリーをお酒にするんだよね? 甘酸っぱいのかな」
「クランベリーは材料の一つで、メインは別だよ。どうやって作るのかは冬の楽しみ」
「冬の楽しみか。冬が待ち遠しいなんて初めてかも」
ルシエが楽しそうに笑っている。それだけでこっちの気分も晴れやかになってくる。
やっぱりルシエには笑顔が似合う。
「でも……シリル、お酒とか造る余裕があるなら、もっとお腹に溜まるものを作らないといけないかも、今は村が大変だし」
浮かれてたルシエが一転して、深刻そうな顔をする。
俺の仕事を見ていて、おぼろげながらでも村の状況をわかっているルシエらしい考え方だ。
「ルシエの言うことも一理あるけど、それじゃダメなんだ」
俺はルシエに優しく微笑みかける。
「どういうこと?」
「ルシエの言うとおり、生きるために食料を集めるのは大事だよ。でもね、それだけだと人は頑張れなくなるんだ」
「そうなのかな?」
「そうだよ。生きるためだけに頑張るのは疲れちゃう。楽しい明日、希望があるから、辛い今を頑張れる。これは俺の考え方なんだけど、村長の仕事は大きく分けて二つしかないんだ」
それは、シリルとして村長だった父を見てきたときに感じた憧れであり、また、今までの俺の経験を通して得た実感でもある。
「一つは、村の皆の生活を守ること。村人皆の力を正しく使って、皆が生きていけるようにすることだね」
だから、俺は食料問題に取り組んだり、村の環境をよくしたりしている。
「そして、もう一つは、村の皆に夢を見せること。明日は今日よりずっといい日が来るって、そんな夢を信じさせること。その二つができてはじめて、俺は村長だって胸を張って言えるんだ」
村人たちに前を向かせる。
それがいい村長の条件だと俺は信じている。
父が村長だったころ、村人たちは皆笑っていた。明日を信じて努力していた。そんな村に俺はしたい。
青臭いことを語る俺を、ルシエはきらきらした目で見ている。
それが、すごく嬉しくて、照れてしまう。
「今のシリル、ちょっとかっこよかった。そっか、そうだね。ただ生きてるなんてつまらないもんね。冬になったら、戦いが終わってて、食料が充分あって、それで、シリルと二人で暇だねって言いながら、暖炉の前で、お酒をちょっとずつ飲む、そんな明日を夢見てもいいのかな」
「うん、いいよ。俺もルシエとそんな時間を過ごしたい。一つ追加するなら、また口移ししてほしいな」
「……やだ」
顔を赤くしてルシエは目を逸らす。
きっと、その時に本気で頼めばやってくれそうだ。
そんなふうに話していると昼食の時間がやってきた。
午後からまた仕事があるので、きっちりとしたものを作らないと。
「今日はパンを焼こうか」
「珍しいね。シリルって、スイトンとか、麺類ばっかり作って、パンは滅多に焼かないのに」
「重要な材料がなかったからなね」
俺はそう言いながら、棚から、瓶を取り出す。その瓶の中には水とクランベリーが入っている。
水面には白い泡がびっしり浮いている。
「うわぁ、シリル、なんかしゅわしゅわしてるし、白くて気持ち悪い。これ駄目だよ。捨てないと」
「これを捨てるなんてとんでもない。わざわざ一週間もかけて完成させたのに」
そう、俺が作ったのはクランベリーを水に一週間つけて作った酵母液だ。様々な用途に利用できる。
「見ててルシエ。パンと小麦と、水をこうやっていつも通り、大鉢に入れてこねるだろ。それに、クランベリーの酵母液を入れる」
俺はそう言いながら、小麦を練り上げていく、それがやがて俺の拳よりも一回りほど大きなパンの種に変わった。
「あっ、大事な小麦が。本当に食べて大丈夫なんだよね?」
「ああ、俺を信じろ。で、これに布をかぶせて、しばらくおいて置く」
俺は発酵がはじまり空気が漏れる音を聞きながらタイミングを計る。
よし、一次発酵は十分だ。
「よし、もういいだろう。ほら見て」
「さっきよりずっと大きくなってる。三倍ぐらいに膨れてるよ」
「これが、クランベリーを使って作った酵母液の力だよ。糖類を分解したときのガスでパンを膨らませるんだ。それでこれを、こうしてやる!」
俺は巨大に膨らんだパンをまな板に何度か叩きつける。
「シリル、食べ物で遊んじゃダメだよ」
「違う、違う、これも立派な調理だ。一度生地のガスを抜いて、新しい空気を入れるんだ。そうすると、酵母が再活動して、生地がきめ細かくなる。それを、整形して小さくして二次発酵させる」
「ごめん、シリル。さっきから酵母とか、発酵とかよくわからないよ」
「簡単に言えばパンがすっごくふんわりになって、もともと麦にある栄養が吸収しやすく、しかも美味しく感じられるように変化するんだ」
「すごいね。それにあんな量の小麦で、こんな大きなパンのたねができるなんて素敵だよ」
最近俺が料理をはじめるまでは、台所を預かっていたルシエは、少ない小麦で一杯食べれるというところに注目しているようだ。
いつか、そんな心配をしないようにさせてあげたい。
「驚くのは早いよ。焼くときにもっと膨らむからね」
俺は小さくちぎったパンのたねを職権濫用で作った鉄板に並べて石竈に入れ火をつける。
あとは、しばらく待てば出来上がりだ。
「うわぁ、楽しみ。シリル、こんなに色々料理ができるんだったら、もっと前からやってくれたらよかったのに」
「それは言わない約束だよ。もうしばらくは俺が料理当番をするからさ」
「それはそれで、ちょっと複雑な気分。シリルのために料理を作るの好きだったし……。ちょっとずつだけど、シリルの料理覚えてきたから、たまに私にも作らせて、今は負けてるけど、ちゃんと追いつくから」
「ルシエのことだから、毎日作るって言い出すと思った」
「私が意地張って不味いもの食べさせるわけにはいかないもん。それにシリル、色んな料理を作りたそうだし、作りたいものがなくなるまでは、たまに私が作るぐらいがちょうどいいと思ったの」
「不味いなんてとんでもない。俺はルシエの料理好きだよ。毎日でも食べたいぐらいだ」
「ありがとう。でも、今はシリルの知っている美味しい料理をいっぱい覚えたいの。そしたら作ってくれた料理を私なりにアレンジして作るから。それならきっと、美味しいものを出せるよ」
「楽しみにしてる」
ルシエが作ってくれるというだけで最高の調味料だ。今から楽しみで仕方がない。
◇
「ほら、焼けたよ」
俺は、石竈からパンを取り出す。パンは焼く前と比べると二倍程度に膨らんでいた。
俺は、そのパンの中央にナイフを入れて、半分には干しクランベリー、もう半分には、干したシカの肉を挟んでいく。
「本当に、おっきくなった。シリル、食べていい?」
「ああ、良いよ」
俺がそう言うと、ルシエは干しクランベリーが入ったパンを手に取りほおばる。
「柔らかい。それにいつもより甘くてふかふかしてる。パンってこんなに美味しいものなんだね」
もふもふとルシエがパンを頬張っているのを見ると、無性に頭を撫でたくなる。
「この村で作ってるのと比べれば美味しいけど、少し物足りないかな」
そう、水と小麦と酵母だけなので、パンチが足りない。せめて卵か、バターがあればもっと美味しいものが作れるのだが、この村には家畜が居ない。
一応、農耕用と移動手段を兼ねる馬はいるのだが、馬の乳が量が取れないし、奴らはなかなか妊娠しないので常用するのが厳しいのだ。
今後のことを考えると、安定した塩の供給ルートの開拓と並行して、家畜を得ることが重要だろう。
コストパフォーマンスと、村でかけられる人手を考えれば、ほぼヤギ一択だ。そうすれば、ヤギ乳とバターが手に入るようになる。
「これでも十分すぎるほど美味しいと思うよ。どうして、シリルの言ってた酵母っていうのを入れるとパンが大きくなるのかな? 酵母が小麦を増やしてるの」
「さすがに、小麦を増やすことはできないよ。ただ、空気がいっぱい入ってるだけさ、ほら、こうしてパンをさくと、隙間がいっぱいあるだろ。その分大きくなるし、柔らかくなる」
「そうなんだ。でも、毎回酵母を作るのは面倒だね。クランベリーを水につけて一週間だよね?」
「そうだよ。ただ、気温が低いと酵母が活性化しないから、温度にも気を付けないといけないかな。今はいいけど冬場はとくにね」
「悲しいね。冬になると、クランベリーが取れなくなるし、この柔らかいパンともお別れか……」
ルシエが名残惜しそうにパンを撫でている。
「その心配はないさ。酵母液を作るのは生じゃなくてもいい。干しクランベリーは作りだめしておく予定だ。それに酵母液を毎回作る必要もないんだ。これが何かわかるかい?」
「焼く前のパンのたねだよね」
「正解」
俺は、手の平に一欠けらだけとっておいたパンのたねを転がしながらルシエに微笑みかける。
「この小さなかけらの中に酵母は生きているんだ。だから次にパンを作る時にこの一欠けらを足して練り上げれば、さっきと同じようにパンは膨らむよ」
「わかった。じゃあ、その次作るときも、一欠けらだけ残していれば、ずっと柔らかいパンが食べられるんだね」
「正解。たまに、酵母が別の菌にやれちゃうことはあるけど、基本はこれで大丈夫だよ」
「でも、こんなの誰に聞いたの?」
「父さんが村長だった時代に、街へついて行ったことがあってね。そのときに知ったんだ」
これは嘘だ。
もう少し先、地球だと酵母を利用する術が広まりだしたのは十九世紀だ。せいぜい十六世紀程度の文明しかないこの世界では、まだ未知の技術だろう。
そして酵母の使い道はパンだけではない。
「そっか、これ、みんなに教えてあげないとね。少ない小麦でおっきなパンが作れてしかも美味しいなんて最高だよ」
俺は目を丸くする。俺は、この作り方を村の皆に広めて欲しいとルシエに頼もうとしたが、その前に自ら言い出してくれた。
今日、食べたパンがいつもより美味しい。
ささやかだが、それだけでも人は幸せを感じられる。
ルシエは、俺と違って打算ではなく、心の底から皆にこのパンを楽しんでほしいと言う善意で提案している。
「ああ、頼むよ。酵母液の入ったビンはもの置きにいくつかあるから、それを使って広めて欲しい」
「うん、任せて。明日自分で作ってみてうまくいけば、みんなにシリルが見つけた方法だって言って回るよ」
「別に俺の名前を出す必要はないよ」
「ううん、駄目。私は、シリルが、皆からすごいって言ってもらえると嬉しいから」
ルシエの屈託のない笑みに胸がときめく。ルシエと一緒に居ると、どんどん際限なく彼女が好きになって行く。
「ありがとう。俺はルシエに愛想を尽かされないように頑張るよ」
「その心配はないよ。だって、私は情けないときのシリルもいっぱい知ってる。今更嫌いになるなんてことはないから」
俺は我慢しきれずにルシエの頭を強く撫でた。
「最近、シリルって私のこと子供扱いしてない?」
「そんなことないよ。今、ルシエにしていいのはここまでだから、こうしているだけで、本当はもっと大人なこともしたいんだよ」
それは切実な願いだが、自分の中である程度の線引きをしながらルシエと接している。歯止めが効かなくなるのが怖い。
「大人なこと?」
「キスとか、抱きしめたりとか、子供作ったりとか」
俺の言葉を聞いたルシエが顔を真っ赤にして後ずさる。
「シッ、シリル」
目を白黒しながら、戸惑いの声をルシエは上げた。
「変かな? 好きな人とそういうことしたいと思うのは自然な反応だと思うけど」
「そのね、変じゃないけど、そう言うふうにさりげなく言われると、気持ちの準備ができないの!」
「いつものことじゃないか。俺は挨拶代りにルシエに好きって言ってるし」
「その、そういう具体的なことはまた違うの」
「ごめん、こんなにルシエが驚くとは思わなかったからさ。でも、約束通り村を救った後、ルシエが俺を受け入れてくれるなら、今言ったことを毎日のようにするよ」
「うう、ずるい。なんで私ばっかりこんなにドキドキしないといけないの」
「俺もドキドキしているよ。さすがにこんなキザなことを言うのには勇気がいるんだ」
「ぜんぜん、そうは見えない」
「ルシエの前だからかっこつけているんだよ」
俺はそう言って微笑む。俺だって照れるし恥ずかしい。
早く、村の危機を救って、告白の返事を聞きたい。
「ねえ、シリル。本当に毎日?」
「ああ、もちろん。だからそれを踏まえて、俺の告白に返事してくれ」
そんなことを言いながらにぎやかに昼食の時間は過ぎていった。
俺はこの一分一秒を噛みしめる。
こうして居られる時間は、きっともう残り少ない。
この平穏は嵐の前の静けさだから……
次回、ついに帝国との戦いがはじまる