第十五話:ガラスハウス
村長になってから一週間たった。帝国に動きはない。補給基地を襲った犯人探しに必死なのだろう。
たった一人で数十人を切り殺す化け物が居るせいで、防御を固める必要があり、他に兵士を割く余裕がない。
だが、そう遠くないうちに村に兵士たちが来る。
あいつらは俺が奪った物資の補填をしないといけない。追加の税を取ることで補おうとするのが自然だ。
それに、あの隊長がネコババして足りない分の魔石だってある。そちらのほうが他で補填がきかない分重要だろう。
今は、村人に帝国方面は常に監視するように指示している。
もちろん、帝国対策だけではなく、冬を乗り切るために色々と指示を出していた。男連中には、クロスボウの訓練も兼ねて、山にシカやイノシシ狩りにいかせ、女性たちには、ひたすらクランベリーとカエデの葉。それに保存できる山菜やキノコを集めてこさせたり、とってきた肉を干し肉にしてもらっている。
クロスボウのおかげで狩りの成果は例年よりあがっており、いつもより余裕がある。
とくに力を入れているのは、クランベリーだ。これは、用途が多く、いくらあっても足りない。秋の終わりには取れなくなるので必死に備蓄を溜めている。
俺自身も、医者としての仕事の他に村長として、村を豊かにするために色々と動いていた。
今日はその一環で作ったものをルシエ相手に披露している。
「シリル、この透明な壁で出来た建物はなに?」
ルシエが呆れた顔で聞いてくる。
今日は、ルシエを村の外に連れ出して工房の隣に作ったとっておきを見せていた。
「これはね。ガラスハウス。この透明な天井を通すと太陽の光は強くなるし、熱を逃がさないから中は暖かい。逆に言えば冷気も逃がさないんだけど、そのあたりは内貼り構造になっているから大丈夫」
「シリルって、毎回わかりにくい説明するよね」
「この建物の中は外より暖かい。それだけわかってくれれば十分かな」
これは俺が作った温室だ。例によって、ドワーフの力を使って作ってある。
「それじゃ、あの赤い球はなに?」
「あれは暖房代わりに使っている火の魔術だね。周りの火のマナを吸収して燃え続けているんだ。ガラスハウスが暖かいと言っても限界があるから便利だよ。魔術の構造が緩んで自壊するまでもつからね。一流の魔術師が使うと、一か月はもつ」
もちろん、俺は超がつく一流魔術師。その俺が火のマナとの相性のいいドワーフの時に発動した魔術だ。二か月は維持できる。
昨日一日で、地面を耕して、粘土を焼いて煉瓦にしたものを支柱にし、石英ガラスを張り巡らせてガラスハウスを作り、火の球の魔術をガラスハウスの中に三つ配置している。
大きさは縦50m、横8m、高さ2mの一般的なものだ。このぐらいのサイズが一番扱いやすいし、俺の魔力で作れる限界でもある。
外の気温は10℃付近なのに、ガラスハウスの中は20℃以上に保たれており暖かい。
そして、このガラスハウスにはとっておきのギミックがある。
水のマナを込めれば地下から水を吸い上げ、鉄でつくったパイプを経由し、天上からシャワー状にして、一瞬にして水を撒ける装置が設置済だ。
火の魔術で作った球はこれぐらいでは消えたりしない。
「シリル、なんのためにこれを作ったの?」
「当然作物を育てるためだよ。寒いとよく育たないだろ? 今はちょっと寒くなってきたけど、この中なら春と同じぐらいに作物が育つ」
「そっか、寒くなってきても、この中だったら育てられるんだ。でも、さすがに雪降り始めたら無理だよね。たぶん初雪まで三か月ちょっとだよ。それまでに収穫できる植物なんてあるの?」
「もちろん。補給基地を襲ったときに見つけたこれなら、三か月で収穫できる」
俺がそう言って大事に運んで来た木箱を空ける。
そこにはぎっしりとジャガイモが詰まっていた。木箱は二箱あり、一つにつき20kgぐらいはある。
ジャガイモを育てる際に最も良いとされる気温は15℃から25℃。これからどんどん寒くなっていく。適温では三か月で収穫できるジャイガモも、気温が低いと生育が遅れて、半年ほどかかる。それを避けるために、ガラスハウスを作ったのだ。
そして、このガラスハウスはやりようによっては、冬でも一部の作物を育てられる村の希望だ。
「シリル、それは悪魔の実だよね」
「そうだよ。良く分かったな」
ジャガイモはこの時代。悪魔の実と呼ばれ避けられていた。帝国の補給基地で見つけられたのはかなり、運が良かったと言える。
「それ、おばあちゃんが絶対に食べちゃ駄目って言ってたよ」
「まあ、毒あるし、下手したら死ぬからな」
それこそがジャガイモが悪魔の実と呼ばれ広まらなかった理由だ。
「そんなの育てちゃだめだよ!」
「下手しなければ、優秀な作物だからいいんだよ」
俺はそう言って微笑む。
「この実自体には毒がないんだ。ただ生えてきた芽は猛毒だし、ほら、これなんて緑色になっているだろ? こういうのも毒だな。悪魔の実をよく知らない人は平気でこういうのを食って腹痛や下痢に悩まされて、ときには死ぬ」
この世界は文字を読める人間が少なく、人づてに話を聞くという形では正確な情報が伝わらない。そのせいで、何人も、ジャガイモの芽を口にして体調を崩した。
芽が危険と言う情報と比べて、食べればひどい目にあう、そういう痛みを伴う話のほうは、かなり広まりやすく、なかなかジャガイモに人気が出ないのだ。
「でも、そんな知らないと死ぬような危ないの、駄目だよ」
ルシエが心配そうに言ってくる。その気持ちはわかるが、エルフの村はせいぜい二百人、きちんと情報を行き渡らせることはできるだろう。
それに、どうしても育てないといけない理由がある。
「それでも、悪魔の実は、たった三か月で収穫可能で栄養があって、何より美味しいんだよ。そんな植物は他にはない。この村を冬までに豊かにするには、これに頼るしかない。
正直、今の備蓄だと、余裕が無さ過ぎるし、俺の読みでは、この村のエルフが乗り切れる備蓄しかないと、”後で困ったことになる”。論より証拠、食べてみれば良さがわかるから、ほら、一つ料理してきたんだ」
「食べないと駄目?」
「駄目ではないけど、俺はルシエに食べてほしいな」
「ううっ、わかったよ」
俺は出かける間際まで蒸かしていてまだ温かいジャガイモをルシエに渡す。味付けは塩だけ。
それを受け取ったルシエは、えいっと掛け声を出して頬張った。
「あっ、ほくほくして、優しい味、これ好きかも」
「だろ? それに収穫量も麦と段違いだ。だいたい植えた分の二十倍くらいに増える。それに、小麦を育てるのと比べればすごく作るのが楽で、本当に優秀な作物だよ」
この時代、麦は植えた量の五倍程度にしか増えないうえにかなりの手間がかかる。それと比べるとジャガイモは圧倒的に優位だ。
「それはすごいね。このおっきなガラスハウスにいっぱい植えたら、それだけで冬を乗り切れそう。もう、来年から麦の畑を潰して全部、悪魔の実を育てたらいいかも。麦なんて、十か月は収穫にかかるし、脱穀したら、ほとんどなくなっちゃうもん、悪魔の実のほうがずっといいよ。木箱二つ分じゃ、この建物の中全部も厳しいけど、収穫できれば、次から村の畑全部に撒くだけの量が確保できるかも」
「それはやめたほうがいいな」
俺は苦笑して言った。
「悪魔の実は、ジャガイモって言うんだけどね。基本的に一つが病気になると全部同じ病気になる場合が多いんだ。ジャガイモしか育ててないと、そうなったとき、村中で食べるものがなくなる。だからね、これを育てるときは、例えジャガイモが全滅してもいい状況で育てるのが鉄則だ」
地球では、ジャイガイモを主食にしている村や町ではそれが原因で滅んだ例がいくらでもある。有名なのは十九世紀のアイルランドだ。
さまざまな要素が絡んでいるが、大規模なジャガイモの病気が広がり、たった四年で、主食をジャガイモにしていたアイルランド人の30%近い百五十万人が餓死、それを超える40%の二百万人が国外逃亡し難民になったという悲惨な結果になっている。
ジャガイモはその優秀さから、爆発的に普及され何千万人も救ったが、同時に何千万人も殺している。
代表的な病気は、茎が空洞になる病気。これはどうあがいても、完全に防ぐことはできず、なるときにはなるし、一度かかれば畑のジャガイモがほぼ全滅する。ジャガイモに食を依存していると、あっという間に村全体が飢饉だ。
便利だからこそ、そのデメリットに目を逸らしてはいけない。村全員の命を預かっている以上、失敗は出来ないのだ。
「なんにでも落とし穴があるんだね」
「他にもまだあるぞ。土から栄養を吸いすぎるから、同じ場所に続けて植えれば収穫量が半分になる。それに、ジャガイモにつく寄生虫が厄介で、その対策のために、一般的には一度ジャガイモを植えたら二年はその土地でジャガイモを育てるなって言われているな」
この世界に居るかはわからないが、ジャガイモを含むナス科には、ジャガイモシストセンチュウという厄介な寄生虫が発生する。こいつはジャガイモの根にとりつき、卵を無数に産む。
人体には影響がないが、ひとたびその発生を許すと収穫量が激減し、増えすぎると、まったくジャガイモが育たなくなる。さらにこいつは、寄生先がなくても、十年以上卵の状態で生き延びる。
なので、一度ジャガイモを収穫すると、二年はナス科の植物を植えない。そうすることで、栄養を吸い過ぎた土地を回復させると同時に、寄生虫の大量発生を防ぐのだ。
それでも、地面に残った卵は十年以上生きるので、少しずつ奴らは増えていき、いずれその畑ではまともに芋が取れなくなる。
絶対にこいつらが存在しないとわかっている土地で、こいつらが寄生していない芋を育てることができれば、対策は必要ないが今の世界では不可能だろう。
「三か月で取れても、二年使えないんじゃ辛いね」
「その間に、普通は別の作物を育てるんだけどね。ジャガイモと同じ種類の作物にしか奴らは寄生しないし」
「普通ってことは、何か普通じゃない方法があるの?」
「逆転の発想でね。一度ジャガイモを育てた土地は捨てる。なに、土地は余ってるんだ。ガラスハウスをもう一つ立てればいい。俺ならガラスハウスの構築から土を耕すところまで一日で可能だ」
そう、汚染されていない土地で育てればまったく問題ない。
ただ、土を伝って奴らの生息域が拡大すると、どこに植えても同じなので、このガラスハウスは地下3mに煉瓦で出来た底を作り、外から隔離している。
また、この措置は土を冷やさずに、保温庫効果を高める狙いもある。
このガラスハウス内でどれだけ奴らが繁殖しようが、このガラスハウスからは出られないので安心して新たな畑でジャガイモを育てられる。
「そんなのシリルだけだよ……でも、さすがに毎回、ガラスハウスを立てると、いつかは土地がなくなるし、もったいないよ」
「もちろん、再利用はするさ。やつらは水に弱いからな。別の場所で芋を育てている間に、水を張って皆殺しにする」
そして、わざわざ苦労してまで地下を煉瓦で覆ったのは水を張れるようにするためでもある。
「それで死ぬんだったら、水を張って、乾かして、それから使えばいいと思うけど」
「それが奴ら、水に弱いと言っても、三か月は生き続ける。それに、春や夏ぐらいの、高い水温じゃないとあまり効果がないんだ。それ以下だと死なない」
そして、この方法も地球では2013年にやっと発見された。
それまでは明確な駆除方法が発見されていなかったのだ。
1400年から、対策を考え続けていて、やっと2013年に有効な策が発見されたことを考えると奴らの恐ろしさがよくわかる。
「怖いぐらいにしつこい寄生虫だね。あっ、そっか。そのためのガラスハウスなんだね。ここなら暖かいからいつでも駆除できる」
「よくわかったね。その通りだよ。ここまでしつこい奴らはなかなかいないな」
性質の悪さでは俺の知る限り、三本の指には入れないが、ワースト100の端っこぐらいには引っかかる。
「それで長い前置きも済んだことだし、芋を植えておこう。二人でやれば一日で植える作業は終わるはずだ」
俺はそう言いながら木箱の中身をぶちまける。すると、芽の生えたジャイガモがあたりに散らばる。
「ねえ、この木箱に入ってるの、全部芽が出ていない?」
「わざとそうしたんだ。植えるにはそっちのほうがいいんだよ。ルシエに食べさせた奴以外は全部日光をあてて芽を出させて、いつでも植えられるようにしておいた」
ちなみにこの作業は村のはずれにある俺の工房でやっていた。
昼は外で日に当て、発芽をさせていたのだ。
ついでに、少しでも収穫を増やすために、大きなイモは生えてきた芽を傷つけないように四等分したりして種芋を増やすなど涙ぐましい努力をしている。
おかげで、出来た種芋は合計で402個。。
きのう土魔法で整地しており、土が盛り上がってできたうねが70cm間隔で7列できているので、右端のうねから、40cm間隔でたね芋を植えていく
二人で黙々とジャガイモを植え続けると、なんとか日が完全に暮れるまえに終わった。
7列のうち3列目で種芋が尽きた。土地がもったいない。もっと芋があれば七列全てに植えたと言うのに……
だが、植えるものがないのであればどうしようもない。今回の収穫で次の機会にはガラスハウスいっぱいに植えられるだろう。
何はともあれ、これで今日の作業は終わりだ。
汗をぬぐっていい笑顔をしているルシエと目があった。
「終わったねシリル」
「ありがとう一人じゃ終わらなかったよ」
さすがに、種芋から伸びた芽を傷つけずに、40cm間隔に種芋を植えていく作業は魔術で済ませるのは難しいので手作業が必要だった。400個の種芋を一人で植えていたら気が狂ったかもしれない。
「あとは何をすればいいの?」
「雑草が生えてきたら抜いて、虫が寄ってきたら取り除いて、ある程度育ってきたら、肥料を撒くぐらいだな。あとは放置しとけばいい。そのうち茎が黄色くなるから、そうなれば根を引っこ抜いて収穫。地中に芋が大量にできている」
ちなみに肥料のほうは今製作中だ。
リン・ケイ素・カリウムのバランスを考えた上で、土を酸性に保たないといけないので、素人には任せられない。下手に作った肥料は毒になる。
追肥が必要となる一か月後にはぎりぎり間に合うだろう。
「たったそれだけ?」
「そうだよ」
「しかも三か月で収穫?」
「20°、春並みの気温だと三か月で収穫だな。寒いともっとかかるけどね」
「危険を犯してでも、麦畑潰してジャガイモ畑にしたくなってきた。楽すぎるよ。これ」
日ごろ、麦に苦しめられているルシエは心底恨めしそうに言った。
その気持ちはわからなくない。麦はあれで結構手間がかかる。それでも米よりマシだが。
「シリル、皆には言わないの?」
「ジャガイモを作るのは初めてだからね。期待させてダメだったら、がっかりさせちゃうだろ。基本的には俺一人でなんとか面倒を見るよ」
しんどいことはしんどいが、ジャガイモならなんとかできるだろう。
「一人じゃないよ。私が居る。二人で頑張って作ってみんなを驚かせようよ」
「悪いな」
「ううん、シリルが頼ってくれて嬉しい」
そうして二人でジャガイモが無事育つことを祈りながら家に帰る。
これができれば、村の食事情もだいぶよくなるだろう。