第十話:クイーロ
ルシエが畑仕事を終えて戻ってきたので一緒に昼食を取る。今日は、少し趣向を凝らして、村を少し出たところにある森に出かけていた。
収穫は終わっていても、畑に行くのは来年の種まきを円滑にするためだ。
土に残った根を綺麗に取り除いたり整地をやっている。
春が来ればすぐ種まきをするし、冬になれば雪が積もってまともな作業ができないのでこの季節に終わらせなければならない。
よく晴れており、風も吹いていて気持ちがいい。
ルシエが、草の上に座ったのだが、頭の上にカエデの葉がちょうど落ちて来て思わず笑ってしまう。
「ルシエ、頭に葉っぱがついてる」
「あっ、ほんとだ。カエデの葉っぱが黄色い。もう秋なんだね」
「そうだね。そしてすぐに冬が来る」
ルシエは、少しだけ名残惜しそうにカエデの葉から手を離す。
そして、少しため息をついてから口を開いた。
「最近のシリルを見て、驚いてばかりだよ。まさか、本当にお医者様の仕事もできるなんて。畑で仕事しててもシリルの噂が聞こえて来たの。村一番の暴れ者のロレウの腕を元どおりにしたとか、不治の病にかかったレナツさんの息子をあっという間に治したとか」
「簡単な治療だからね。あれぐらいならどうとでもなる」
「今のシリルだったら、どんな病気や怪我でも治せちゃいそう」
ルシエが真剣な顔で言うので俺は苦笑した。
さすがに俺もそこまで万能ではない。
「治せないのはいくらでもあるよ。例えば体の免疫機能が働かない類のウイルス性の病気はどうあがいても無理だし。眼の治療とか、体の欠損はどうしようもない。骨折も複雑骨折まで行ったらお手上げだな。伸びきった筋とかも戻せない。あと癌も絶対治せないな。あれは細胞変異だし。それに火傷だって重度のものは諦める」
基本的に俺の魔術は、自己回復能力の強化と、自己免疫機能の強化だ。
簡単な傷や単純骨折は治せるし、風邪だって体の免疫がウイルスを駆逐してくれるものはどうにでもできるが、それ以外はできない。
多少知識があるので、それでなんとかできるようにお膳立てすることで治療可能な範囲を広げているが、それだって限界がある。
「難しくてシリルの言ってることがわからないよ」
「ごめん、ごめん、なんでも治せるとは思わないでくれってだけだよ。だから、普段の生活を気をつけて病気にならないようにしないとね」
首を傾げるルシエに、俺はそう言って朗らかに笑う。
「それより、今日のお昼はどう?」
冷めないように、わざわざここまで土鍋に入れてきた料理を深皿に取り分けてルシエに渡してある。
思いつきで外で食べることにしたので、昨日のうちに仕込んでおいた鍋ごと、ここまで運ぶしかなかったのだ。
「すごく美味しいよ。こんなの初めて。なんて料理なの?」
「すいとんって言うんだ。小麦粉を薄く水で弛めたのを鹿で出汁を取ったスープに流し込むだけの料理だよ」
俺は、解体したシカ肉の一部を持ちかえっている。
ルシエ曰く、それは俺が個人的にとった獲物だからぎりぎりモラル違反ではないらしい。
あと、ルシエには秘密だが、村長たちに見つかったら捨てられかねない作物を、木箱二箱分だけくすねている。それは、この村の希望だ。
「もにゅもにゅして不思議な食感。スープの味が良くしみて。うん、すいとんっていいね。美味しいし、なにより小麦の節約になりそう」
「よく、そこに気付いたな。小麦も塩も大事に使わないとね」
すいとんは、小麦を水でじゃばじゃばになるまで薄めるので、少ない量でお腹が膨れる。スープによくなじむので薄味でも満足感がある。
今日のすいとんは、小麦はもちろん、塩もだいぶケチっている。
シカの骨つきで出汁が良く出る部位と山菜を煮込み、小麦を流し込んですいとんを作った。
味付けはかなり薄味だ。シカと山菜の出汁をしっかりとったおかげでそれなりに食べられる味だが、塩気が足りないのでいまいち物足りない。
「ルシエ、やっぱり塩を足そう」
「駄目、次の配給までもたないよ」
この村の食料は全て一度村長の倉庫に行き、そこから各家庭に分配される。帝国から支援物資を受けていた村では、配給型にするのが一番楽だったのだ。これもいつかは見直さないといけない。
「そこは、次の配給では功労者の俺たちにちょっと色を付けてもらえるように頼むから」
「そんなのやだよ。私たちがいっぱい食べるぶん、村の誰かが我慢しなきゃいけなくなるもん。気になって、美味しく食べられない」
「ルシエは、そういう子だったな」
俺は微笑する。どこまでもまっすぐで優しい子。俺と正反対だからこそ、こんなにも惹かれるんだろう。
「ごちそう様。午後から私はまた畑にでるけどシリルはどうするの?」
「そろそろ本格的に武器を作ろうと思う」
「どんな武器を作るつもり?」
「弓だよ」
それを聞いてルシエが目を丸くする。
そして勢いよく口を開いた。
「無理だよ! シリルのお父さんが引いていた大弓でもあいつらの鎧は貫けなかった! どんな強い弓でも、鎧を貫けるはずがない。別のにしようよ」
ルシエの言うことは間違っていない。
村一番の弓の使い手だった俺の父親は長さが160cmもあるような巨大な弓……ロングボウを使っていた。
ロングボウはその大きさに見合った威力があった。弓力(引くのに必要な力)が45kgもあるのだ。
平成の日本で競技用に使われている和弓の一般的な弓力が15kgであり、その三倍の強さを持っている。
弓力45kgは片手で引ける実用的な範囲では最大の強さの弓だと言われている。
そして、この父の放った矢ですら当時の下っ端兵士の粗悪な鎧を貫くのが限界で、隊長が着ていたような鎧を貫くことができなかった。
今ではあれから五年経ち、帝国の製鉄技術はさらに発展していて下っ端兵士のものすら貫けないだろう。
「それでも、弓じゃないと駄目なんだ。大丈夫だよ。ちゃんと考えてある。俺は出来ないことを言わないさ」
「シリル、信じていい?」
「俺はルシエにだけは、嘘をつかないように、前向きに努力してるんだ」
「なんか、今の言葉でいっきに信じる気持ちがなくなりそう……」
ルシエが苦笑して、ため息をつく。
それでも目が笑っている。なんだかんだ言っても信じてくれているのだろう。
「ルシエはいつも通り笑ってくれればそれでいいさ。あと、ちゃんと出したものは全部食べること」
俺はそう言いながら小皿に用意したクランベリーを指さす。
昨日、ルシエに説教した後に山へ入り、かなりの数を取りだめしておいた。
軽度のビタミン欠乏症のルシエには最高の薬だ。
「これ、本当に食べないと駄目?」
「駄目。ルシエは自覚がないけど、病気なんだよ。ちゃんとビタミンを取らないと。そうだ、ルシエへの罰が残ってた。確か俺の言うことを一つ聞いてもらえるんだよな? なら、これにしよう。何を食卓に出しても絶対に残さず食べること」
「……これは私のためだから、罰にならないよ。そっちは別の機会にして。ちゃんと、食べるから。うっ、すっぱぁい」
思いっきり顔をしかめてルシエは声を漏らした。
強烈な酸味がある上に、俺に言われて毎日食べさせられているので、かなり苦手意識が出来ているようだ。
「砂糖があれば水で薄めてジュースにしたり、ジャムにして食べやすくしてあげるんだけどね」
「いいよ。砂糖なんて貴族の嗜みだし」
「ルシエは俺のお姫様だから、甘えてもいいんだよ」
「……お姫様の私は、王子様が連れて行かれないように祈ってるよ。だからはやく安心させて。もし、私にできることがあるならなんでもするから」
その言葉を最後に、ルシエが畑仕事に戻っていく。
「そう言えば、【動体視力強化】の魔術はちゃんと機能しているか?」
「うん、ばっちり。頭の上に浮かんでる黒い球を、たまに目で追ってるよ」
「それは良かった。それじゃいってらっしゃい」
「行ってきます」
畑仕事をしながらなので派手なことはできないが、村に戻って来てからも一日三回の、筋肉強化と、動体視力の強化は続けている。毎日の積み重ねが大事だ。
それに夜になれば、体を柔らかくするために二人で柔軟をしている。
ルシエの柔らかくていい匂いのする体を合法的に触れられるその時間が俺の何よりの楽しみだ。
今は時間が取れずに、この程度が限界だが、冬になって畑仕事が無くなれば、少しずつルシエに魔術を教えていこう。
俺はそんなことを考えながら、ルシエを見送り手を振った。
◇
俺は村から出て、ちょうど小高い丘の下にある村から死角になっている場所に向かう。
今回は持てる限りの木の板を背中に担いでいた。
目的地につくと、そこには昨日ルシエに怪しまれてまで抜け出して放置しておいた鎧と剣があった。
「良かった。これで全部持っていかれていたら笑うしかなかったな」
思わず独り言を漏らしてしまう。
俺は今からここにある剣と鎧を材料に武器を作り出す。
それには火と土の属性魔術が必要不可欠であり、エルフであるシリルの適性では、満足に制御できない。
故に、火と土が得意な過去の自分を呼び出す必要がある。その前に材料をそろえておく必要があったのだ。
今日ここでディートを呼び出して【アイテムボックス】を使っていれば十二時間、【輪廻回帰】が使えずに、今日一日を無駄にするところだった。
「解放、我が魂。時の彼方に置き去りにした軌跡、今ここに」
【輪廻回帰】の詠唱を唱える。
今日、俺がここに呼ぶのは……
「我が望むは、鋼鉄と灼熱の世界で鉄を、そして何より己を鍛え上げた鍛冶師、その名は……」
当時、俺が居たのは錬金術が異様に発達した世界だった。
そこは常に、炎と煙と鉄に彩られた世界。
その世界の俺は、もっとも金属に精通した種族に生まれ、生涯その腕を磨き続けた。
その時の名は……
「クイーロ! 【輪廻回帰】!」
その言葉と同時に全身が光に包まれる。
そして口に長い無精ひげが生え身長が180cmほどまでに伸び、体格がどっしりとしたものに変わる。
服装は魔獣の皮で出来た耐熱性に優れた作業着。そして手には錬金術の粋を集めて作られた特注のハンマー。
そう、ドワーフとして産まれた俺、クイーロの姿だ。
「ディートと違って固有魔術がないし、もともと魔力自体がそこまで多い俺じゃないから、今の俺でもクイーロなら完全再現できるのか。制限時間にも余裕があるな」
制限時間は122分。
ディートの【魂喰い】で64人分の魂を食らったことを踏まえてなお、クイーロの燃費の良さがうかがえる。
ディートは常に、ダメージを数値化する魔術、殺した相手の魂を食う【魂食い】、強大な身体能力の強化という魔術を走らせているため燃費が悪い。それを低レベル時の弱い俺を呼び出すことで無理やり誤魔化してはいるが、限界がある。
それでもなお、【魂喰い】と【アイテムボックス】の圧倒的な便利さで多用してしまうのだ。
もっとも、ドラゴンのときの俺に比べればましだ。あの姿になれば、今の俺でも二秒で力尽きる。ドラゴンの俺は、”二秒あれば十分”な俺でもあるが……。
「クイーロは単純でいい」
クイーロは常時発動する魔術はない。
ただ、ドワーフの特性として鉱石に愛され、手先が異様に器用になり、なにより属性魔術の相性が書き換わるのが大きい。
エルフの時は
地:30 火:10 風:90 水:70
という相性だったが、ドワーフとなった今、
地:100 火:80 風:5 水:5
となり、地と火に特化した存在に変化している。
「さっそくやるか。伝説の鍛冶師とまで言われたクイーロの力、存分に振るわせてもらおう」
そして、俺は土のマナに声をかけはじめた。
土の反応がいい。これなら、最高の武器を作れそうだ。