幕間4:第三勇者は笑っている
お待たせしました。
ネットが不調で今日は投稿出来ないかと思いきや、こんな時間に投稿です。投稿予定も書けず申し訳ない。
「まるで漫画やゲームの世界にでも来たみたいだった」
それがこの世界に召喚された「篠瀬葵」が最初に思い浮かべたことだった。目に映るものに意識を集中させればその詳細な情報を得ることが出来た。ゲームに見られるウインドウには数値化された情報とフレーバーテキストがあり、人物の詳細な情報すら簡単に得られる。その能力の名は「神眼」という。
漫画やゲームが好きな弟の影響もあってか彼女自身も暇な時間はそれで潰していた。だからこそ、剣と魔法という異世界に召喚されたということに驚きはしたものの理解することは出来た。能力の影響もあってか魔法は直ぐに覚えることが出来たことも大きかった。
だが日本という国と比べ、ここロレンシアの生活水準は低すぎた。食事や生活習慣は文化の違い故に仕方のない面はあろうが、風呂もシャワーもない生活は女子高生という思春期真っ盛りの彼女には耐えられなかった。それ以上に、この国の重鎮の思惑を容易に覗き込めたことで、この世界の現実を目の当たりにし、自分が召喚された理由を知って絶望した。結果、彼女の笑顔はたった一週間で消えることとなる。
笑顔が消えたその日から、葵は部屋に閉じこもった。「世界を救うため」などと耳障りの良い言葉を使っているが、やっていることは拉致である。日本においてはまだ子供と言って良い彼女には、目の前の現実は厳しすぎた。そして彼女は目を閉ざす。ホームシックと現実逃避で部屋から出なくなった。
これまで節約していたバッテリーが今にもキレそうなスマートフォンを起動し、メールを見て日本にいた頃を思い出しては涙で枕を濡らす。少しでも多くそれに触れようと唯一の荷物である学校指定の鞄をあさる。その時、葵の手に触れた手鏡を何気なく手に取ると自分の顔を写す。
(…酷い顔)
髪は寝癖が酷く、目は真っ赤。その目には生気がなかった。「自分はこんな顔だったか?」と自分の変わりように驚く。しばらく自分の顔を眺めていると、ふと手にしたギフトについて考える。「神眼」という名の鑑定能力…この泣き腫らした真っ赤な目に宿る力。自分の意思に関わらず目にしたものを注視するだけで様々な情報を視覚化し、頭の中に流し込んでくるギフト。
(何でこんなのが…)
余計なことばかり知ってしまい、世界を救うなど考えられなくなった葵には、このギフトは漫画のようなこの話を楽しめなくなった要因でもあった。もしも漫画のようにインチキじみた万能スキルを手にしていたら、きっと別の展開になっていただろうと葵は考える。そう思いながらじっと自分の目を見ていた。
それは本当に何気のないものだった。特に意識した訳でもなく、ただ何となく違和感を覚えた程度のものだった。
「え?」
小さな声が出る。その瞬間、彼女は深淵を覗き込んだ。
それは本当に偶然だった。鏡に映る自分の顔を見ていた葵はその瞳の奥にあるものを見てしまう。「神眼」を用いて神眼となった目を見た。その直後、暴風のような情報の流入による過負荷が悲鳴と頭痛をもたらす。頭を押さえ、その痛みに耐えようともがく。歯を食いしばり、痛みがやがて頭痛から目の痛みへと変わると、まるで憑き物が落ちたかのように脱力する。
「ふふふふふ…あはははは」
葵は突然ケラケラと笑い出す。左目から赤く、熱い液体が頬を伝い流れを落ち、服を汚しても気にもとめず笑い続ける。その笑い声は直ぐに止まる。見られていることに気づいたからだ。
痛みにもがいた拍子に手放した手鏡を拾い再び自分の目を見る。真っ赤に血塗られた目がそこにはあった。
「嘘つき」
神眼を見たことで知ったこの世界の理。葵は理解する。「神眼」とは神の視点を得るギフト。神が見ている世界を見るスキルである。そう―
この世界には「神」がいる。
その神はこの世界を閉ざしている。この世界から、誰も逃げられないように閉ざしている。
「嘘つき! 嘘つき! 嘘つきぃ!」
癇癪を起こしたかのように周囲の物に当たる。魔力の使い方、物の壊し方が手に取るようにわかる。無造作に放った一撃ですら机を粉々に吹き飛ばす。
(帰る方法なんて、何処にもないじゃない!)
今までとは段違いの力を手にしたところで何も思わなかった。今の葵には日本への帰還方法がなかったこと以上に考えることなどない。
「魔王を倒せば魔力の流れが正常化し、じきに帰還の法も使えるようになろう」
王や宰相の言葉を思い出す。考えればわかることだった。それを真実と思っているのだから嘘は言っていないのだ。間違った情報を与えられていたに過ぎない。
(じゃあ、その情報は何処から来たの? ううん、そんなことはどうでもいい…)
今考えるべきはそんなことではない。
「私は、どうやったら帰れるの?」
その問いに答えるものは誰もいない。「神眼」を宿し、神の眼となった目からは静かに血が流れ落ちた。変質した赤い目は徐々に元の目に戻っていく。そしてその目が完全に元に戻った時、葵は自分が何をするべきかを理解した。
それからしばらくして葵は部屋を出た。笑顔という偽りの仮面を被り、その身に宿した狂気を隠して四人目の勇者召喚に合わせるようにその前日に姿を現した。自分を次の召喚の材料にしようとしていることは承知している。だから囁いた。「全て知っている」と。宰相は自らのギフトで問いただす。その答えはやはり「全て」だった。
その日から葵は全てを知るかのごとく振舞うことになる。「世界」の管轄にある情報ならば無制限に読み取ることが出来る上、この「世界」へとアクセスすることで本来知り得ない情報も手にする彼女には、答えられぬものなどほとんどなかった。
だがそんな彼女が気に食わないと第二勇者がくってかかる。結果は、相手にすらならなかった。力の使い方を正しく理解した葵には、ただ力を振り回すだけの不良になど後れを取ることは決してない。自分の力を把握し、実験するには彼は丁度良い相手だった。
この頃から葵は自らに自己暗示をかけるようになる。壊れぬように、狂わぬように自分に暗示をかけ続けた。そうでもしなければ元はただ女子高校生である彼女がこの環境の変化に耐えらなかったのだ。それと同時にこの世界から脱出する方法を考える。この世界そのものが監視対象である以上、迂闊な真似は出来ない。
(神が支配する世界に穴を開ける…どうせすぐに修復される。なら世界そのものを奪う? どうやって? 少しずつ切り取っていく? 手段がない? 接続権限から侵食? 何千年かかる?)
テストの答え合わせをしていくように、一つずつ順番に出した案を正否を確認していく。
(なら直接奪う? どうやって? 神をこの世界に引きずり出す? どうやって?)
考えがまとまっていく。それにつれ正解に近づいていく。そして目的へと達する手段へと至る。
(…餌がいる。神がこの世界に降りてでも手を下す必要のある餌が)
必要なものを把握する。だがどうしても思い浮かばないものが幾つか出てくる。
それは「神をおびき寄せるだけの餌」――これが葵には思い浮かばなかった。神眼の深くへと潜り「世界」に触れる。「一体何ならば餌と成り得るか?」その答えを探す。
「…厄災」
葵は可能性のあるものを呟く。それは世界に仇なす者。「世界」が敵と認識した個体であり、かつて生まれた厄災が討伐された情報はなく死んだ記録もない。
だが探せない。「神眼」のスキルをもってしても、彼の位置を特定することは出来ない。理由は実に単純で、彼が神の支配するこの世界から切り離されている為だ。ネットに例えるならば、独立したネットワークを保持しているためにアクセスする手段がないのだ。
自分一人では困難であることが判明する。だが見当はついている。何百年という時を生きている以上、人の住む場所には恐らくいない。となれば彼の居場所は魔族領だろう。これが問題である。
如何に以前と比べ飛躍的に戦闘能力が向上したと言っても、当人である厄災や魔王と言った例外には遠く及ばない。
(せめて何かしらの神器でもあれば…)
数値という正確な秤で力を計測出来る故に、自身の力不足をはっきりと認識する。短期間で強くなるにも限度があり、様々な道具で強くなるにもそんな都合の良い物はここにはない。「神器」と呼ばれる神が用意した強力な物を使えば話は別だろうが、生憎手に入る可能性があるものが一つもない。よって自分より遥かに強く、同じ目的を持てる者。そんな都合の良い存在が必要だった。
そしてそれはすぐ傍にいた。
「そうか、彼がいたんだ」
その存在に葵はすぐに思い当たる。
ロレンシアで最初に召喚された勇者―「ハイロ・ライロ」である。
葵にとってハイロとは得体の知れない人間である。いや、そもそも葵はハイロが人間かどうかすらわからないでいる。彼女の目からすれば全てが異常な数値を見せるハイロは異様としか映らなかった。初対面の時こそは話すことが出来たが、いざその異常な数値の意味を理解すれば、それ以降話しかけることが出来なかった。機会がなかったとも言うが、前者の方が理由としては大きい。
頭に埋め込まれたバイオチップに一部機械化されている身体。それ以外にも体中に何かしらの機械が埋め込まれている。地球よりもはるかに進んだ技術を持つ世界の住人を見て、葵は「SF世界からも来ているのか」という程度だったものが、力の増した彼女には尚更彼は得体の知れないものと映った。
だからこそ、彼女は彼に決めた。ハイロこそが自分の計画を成す為に必要と判断した。「神眼」をもってしても計りきれない戦闘力ならば、必ず彼は役に立つ。葵はハイロとの接触を図るも、この時には既にハイロは葵を見限っていた。
力の差を理解してしまった故か、自分から声をかけるのが少々躊躇われる相手ではあった。とは言え協力を求める為には接触しない訳にもいかず、何か良いきっかけはないかと探り始める。別人かと思われる程の豹変を遂げた自分が話しかけては警戒させるのではないかと心配もした。
だが意外なところからきっかけは出てきた。言い知れぬ不安に押しつぶされぬよう、毎夜欠かすことがなくなった自己暗示を聞かれていることに気がついた。そんな事が出来る人物を葵は一人しか知らない。
葵は薄く笑う。彼に自分の常識が通用しないであろうことは承知している。それでもこれは良いきっかけになる。
「ふふっ…ふふふ」
葵は笑う。きっとことは上手く運ぶ。「神眼」があれば未来を予測することも可能である。だが確定ではない。しかしやらねばならない。一抹の不安を抱え、葵は明日を待った。
翌朝、ハイロが部屋から出てくる時間を見計らい葵は部屋の前の通路に向かう。城というだけあって、部屋数は多いが勇者達の部屋はそれぞれに距離がある。一体何を警戒しているのやら、と葵はこの部屋の配置の意味を理解して笑ったものだ。
葵がハイロの部屋の前の通路に到着すると、丁度タイミング良く彼が部屋から出てくる。挨拶をすると、ハイロは軽く目礼して立ち去ろうとする。
「ねぇ、ハイロさん。昨晩は何を、聞いていたの?」
葵の質問に「何か言ったか?」と振り返りとぼけるハイロを笑みを浮かべ見つめ続ける。
「乙女の部屋を盗み聞きするのは良くないのよ?」
無視して立ち去ろうとするハイロの背中に葵は声をかける。話をする気がないことは想定の範囲である。葵はハイロが既に自分に対して何の感情も抱いていないことを先ほどのやり取りで理解する。ならば仕方ない、と「神眼」で知り得た情報で無理矢理にでもこちらを向いてもらう他ない。
「ナンバー049668」
葵の呟きにハイロが振り返る。その顔に表情はない。ならば畳み掛けるのみ、と葵は自らの推測を語る。
「あなたの識別番号? それとも…製造番号?」
一瞬ではあるものの驚愕を顔に表したハイロに葵は「初手としては失敗だったかもしれない」と心配する。
「安心していいわ。誰にも話していないし、話すつもりもないから」
これ以上のミスは許されない。「神眼」は生き物の状態を様々な数値で表してくれる。それを以て相手を理解し、その反応を予測する。だが心の中までは見通せない。相手の経験や記憶は読み取れず、何気ない言葉が予想外の反応に繋がる可能性もある。
(時間をかけるのは拙いわね)
葵の目に映るハイロの今の状態は「警戒」である。葵は長々と話すことは得策ではないと判断し、早速本題に入る。
「退屈なんでしょう? 私ね。この世界でしたいことがあるの。手伝ってくれない?」
神眼はハイロがこちらに対して敵対する動きを予測する。ハイロが動き出す。猶予はもうないと判断し、その動きを封じる為に言葉を紡ぐ。
「報酬はそうね…あなたに『敵』を与えてあげる」
またもハイロの表情が変わる。足を撃ち抜かれる予測は消え、立ち止まる彼の姿が目に映っている。
「知ってるわ。あなたの体のことも、目も、左腕も、頭に埋め込まれている物も、心臓にあるものも全部。戦争の道具として生み出されたあなたは、戦うことでしか自分の存在を見いだせない。今のあなたは抜け殻みたい」
一言一言に注意を払い、ハイロの異常なまでに静かな数値を凝視する。葵は精神状況によって様々な数値が変化することを学んでいる。だが彼の数値は恐ろしい程に動かない。
「だから私が、あなたに敵を与える。『神眼』を持ち、神と同じ視点を持つ私が断言する。あなたは強すぎる。この世界で最強であるが故に敵となれる…いいえ、あなたが本当に敵と認識出来るものなんて存在しない」
これは真実だ。どのようなデータを参照しても、ハイロに勝てる者は疎か、戦える者すらいない。一部例外は存在するだろうが、それは役割を持つ者であり戦うべきものではない。
「あなたには『神』と戦ってもらう」
その言葉にハイロは目を見開き数値がようやく動いた。
(そう、あなたには神と戦ってもらう。私が『神眼』を通し『世界』を掌握する為の時間稼ぎの為に…領域を持たないあなたに出来ることは私を守り、神への道を作ること。神と戦うのは、厄災となった者の役割)
葵はハイロであっても「神」に勝つことは不可能だとわかっている。ハイロは間違いなく最強である。だがそれは「スキル」というこの世界のシステムを用いてのことだ。この世界を掌握している神にそれが通用するかと言えば、葵はこう答える。
「絶対に無理だ」と。
もしもそれを可能とするならば、この「世界」から領域を切り取り、神と同じ土俵に上がった者だけである。例えば、この世界で最初に生まれた厄災のように。
「この世界には神がいる。それがこの世界を閉ざしている限り、元の世界へ帰ることは不可能なの。だから私はこの世界に神を引きずり出し、その権限を奪う。『神眼』は神の視点を得る能力であり『世界』への接続権限を持つ。それを遡り、神の所有する領域を切り取りこの世界から脱出する為の穴を開ける。決して塞がれることのないような大きな穴を」
ハイロはただ黙って葵の言葉に耳を傾けている。葵は自らの勝利を確信し、ひと呼吸おいてから話を続ける。
「これが私の計画。恐らく、これを行った時点で神はこの世界を支配するだけの力を維持することが不可能になる。神が神としての力を失えば、この世界がどうなるかは私にはわからない。でも私はこの世界を滅ぼしてでも元の世界に帰りたい」
そう言って葵は深く頭を下げる。
「だから…私の手駒になってください」
協力者とは言わない。葵はハイロを使い倒すつもりでいる上、この計画でハイロに出来ることは戦闘以外にない。頭を上げず、その姿勢を維持し続ける葵をハイロは見続ける。
「…お前は、何を知っている?」
「大体、全部かな?」
この世界で知り得ることに限ってのことだけ、と付け加え葵は顔を上げる。
「…いいだろう」
しばらくの逡巡の後、ハイロはそう呟くと手を差し出す。その手を躊躇いなく葵は取り二人の密約は結ばれる。「まだ手札が揃っていない」と葵は図書館に閉じこもり、必要な情報を集める。「神眼」で手に入らないものもあり、人が記録した歴史はそこにはない。まだ葵には確認しなければならないことがあった。
だがこれに関して一国の史書だけでは確定と至らず、葵は自分の予想の確認を諦めることとなる。それ以上に深刻な問題が発生したのも要因の一つだった。
(足りない。神をおびき寄せるための材料が…)
必要なのは神が管理するこの世界におけるイレギュラーな存在。厄災もその一つと言えるが、それには別の対処法がシステムの中に存在しており餌としては決め手に欠ける。何百年という時間を放置されていたと取るか、手を出すことが出来なかったと取るかで大きく変わる。葵の立場からすれば後者であって欲しいが、その確証は何処にもない。
だが、そんな葵の悩みは意外なところから解決する。
魔力を持たない人間…魔力はこの世界の監視と補完を行う重要な要素である。それを持たないとはつまり、監視対象外となるイレギュラーである事に他ならない。彼の名前は「白石亮」…葵と同じこの世界に召喚された日本人であったことに驚きもしたが、それだけでは終わらなかった。
見つけたその日に彼は葵に会いに来る。そこで見た物に葵は驚愕する。
この世界とは異なる魔法の名称を持ち、それ以外にも様々な効果を発揮するカード。これはまだいい。異世界人であるならば、この世界とは違う理を持つ者がいるのは第二、第四勇者達が証明している。だがスキルの数が四つと有り得ない数なのだ。
この異常なスキルの数に葵は本気で「神眼」を用いて亮の情報を探る。そして見つけた。そのスキルがどうやって手に入れたものかを。
(有り得ない! 「世界」に…システムに干渉しない限りそんなアイテムは存在し得ない!)
叫びたい気持ちを必死に抑え、心と裏腹の演技をする。そして、スキルを得られるアイテムを生み出すという事が示す事は一つ。
白石亮は「世界」から領域を切り取り自分のスキルを構築している。
(見つけた! これ以上ない餌! 神をおびき出す為のイレギュラー!)
加えて彼の持つスキル「水魔法」はどう見てもこの世界にあるスキルである。これはつまり、彼の支配領域は神の支配領域と重なっている…もしくは彼の支配領域が神の支配領域に干渉が可能という事実を浮かび上がらせる。
この事実に我慢出来なくなった葵は顔を伏せ、吊り上がる頬を見せまいと、声をあげてしまいそうになるのを必死に堪える。
(笑うな! 今笑えば、私の計画に狂いが生じる!)
どうして彼のようなイレギュラーが存在しているのかはわからない。だがロレンシアで彼が召喚された形跡はなく、話を聞けばローレンタリアで召喚されたと言うことから大体想像はつく。恐らくは召喚する際に何かしら事故が起こったか、もしくは召喚手順に何らかの不備があり失敗か不完全だったのだろう。
葵は考える。もしも、召喚の不備によって彼のような存在が呼び出されたのだとしたら、それは意図的に神の敵を増やすことが可能ということになる。
(ローレンタリアで確認しなきゃ…もしもそうなら…)
葵は笑いを堪える。事が予想外に自分に良い方向へと突き進んでいる。もはや憂いは無いと言っても過言ではない。だが確認は必要である。そして未だ存命と思われる厄災に協力を求めることも必要である。
(私が私である為には、この手を汚すわけにはいかない)
幸い即興で作ったお涙頂戴の不幸話を彼はいとも容易く信じた。「殺して」と言ってもそれが絶対に出来ない事はわかっていた。十分な信用は得られたはずだと判断し、次の段階へと移行しようとした。だが、ここで予想外のことが起こる。後々、鑑定する対価として頂こうと思っていた日本の食べ物を亮が出してきた。ほんの数ヶ月ぶりのものだったはずなのに、葵は本当に涙を流してしまい、嗚咽を漏らしてしまったことには彼女自身が驚いていた。
それから亮は葵に様々なアイテムを渡す。スキルを得られるアイテム「スキルオーブ」もその中にあり、これを見ることで葵は亮の存在がこの世界にとってイレギュラーであることを確信する。また葵は亮のお人好しさに呆れもしたが、同じ日本人と接することは悪い気分はなかった。
(この人は、異世界にあってまだ日本人のつもりでいる)
手にした能力の差か、絶望を目の当たりにした彼女と彼には認識に大きな隔たりがある。
(この世界で絶望を知ればいい。そうすれば、きっと彼は…)
他人を気遣う余裕がある程のぬるい暮らしだったか、と葵は彼に憎悪を向ける。
(私がこんなに苦悩して、歯を食いしばって耐えているのに、この人は美味しいものを食べて、ぬるま湯に浸かって過ごしていたの!?)
こちらの食事事情が辟易する程酷い事は白石亮も認めるだろうが、そこまで憎まれる程のものではない。葵にとっては同じ日本人である彼を利用することに対する僅かな罪悪感を消すためのものである。葵は日本に帰る為には亮を最大限利用し尽くす必要があると予想している。
(もしも彼が厄災となりこの「世界」から領域をさらに切り取ることが出来たなら?)
彼には絶望を知ってもらわなくてはならない。
故に葵は亮と行動を共にしなかった。ハイロを連れ、魔族領にいると思われる厄災を共に探すという選択肢もあった。だが下手に干渉する訳にはいかなかった。どう探そうが帰還方法が無い事は自分の手で知らなくてはならない。そうでなければならない。
他者から与えられた絶望では、きっと厄災には届かない。自ら絶望を掴み、この世界を破壊し尽くす衝動があって初めて厄災への道は開ける。
「そしてその時に私は手を差し伸べる…私が救い上げる」
一人にする不安はあったが、固有スキルを持つ彼を害せる者などそうはいない。妙なスライムもいるので寝込みを襲われる等の不安はなくなる。
(あと少し…)
葵は笑う。全てが思い通りに進む。全てが順調であり、自らの掌の上の出来事であると自信を持つことで精神の安定はもたらされる。もはや彼女の中では日本への帰還は約束されたものとなり、自己暗示に頼ることもなくなった。
恐らくはこれが彼女の隙だったのだろう。その目に宿る「神眼」を用い、警戒を怠らなければ、恐らく葵はそれに気づくことが出来ただろう。だが彼女は気付かなかった。だから自分の計画が破綻しつつあることにも気付けなかった。
白石亮がロレンシアの国王を煽り倒した事件から大凡一ヶ月が経過した。葵はハイロの衛星を用いても未だ見つけることが出来ない厄災と、刻一刻と戦況が悪くなる魔族、ローレンタリアとの戦争にいよいよ以ってこの国を離れる必要性が出てきたことを感じ取る。
そんな中、新たな異世界人の召喚が行われた。戦力としてアテになる程度の第四勇者以外が戦争に手を貸さなくなったおかげで、西と南の二面戦争という事態に対応出来なくなったが故の苦肉の策である。
そして新しい勇者のお披露目という名目で勇者一同が再び集まることになる。葵はこの招集に呆れる他なかった。異世界人からの信用を失っているのにまだ呼ぶのか、と言うのが葵の正直な感想である。どうせ碌でもないことを企んでいるのはわかっているので尚更である。
亮に泡を噴いて倒れるまで煽られて以来どうにも挙動のおかしい王であったが、ついに狂ったのかと葵は思った。彼を殺したい程憎むのは結構だが、その矛先をこちらにまで向けるのはやめて欲しかった。何を呼び出そうが「神眼」の前には丸裸にされるのがオチであり、ハイロを倒せるような者が出てこようものなら真っ先にそれを察知して仕留めてしまうだろう。
戦闘狂…と言えば聞こえは悪いが、戦争の為に生み出され、そうあるべく育ったハイロにはルールに従って戦うという概念がない。自分の脅威と判断した時点でそれは敵と認識され、問答無用の排除が行われる。この事実が判明した時、葵は自分の戦闘能力が所謂「例外的な強者」の枠内でないことに安堵した。
白石亮にしても葵は計画の中に引き込むことを伝えてなければ、ハイロは間違いなく彼を殺していた。他者と彼には決定的な違いがある。ハイロは亮に自分から話しかけた。それも普段の装いを彼の前では決して崩さなかった。測りかねている、ということもあろうだろうが、葵はハイロが亮に注目しているのは確実だと察する。
彼との会話を聞かれた事で彼の脅威度を上げてしまったことが原因とも考えられるが、自分の能力を説明し、信用を得る為には必要であった為こればかりはどうしようもなかった。「消音」というがその効果の範囲内を初めから盗聴されていればどうにもならない。
どうにか三人による共同戦線へと誘導はしたものの、ハイロは最後まで彼の前では本性を表すことはなく歪な協力関係となる。
亮が隣国のシレンディへ立った事でこの件は一段落したと葵は判断するが、ハイロが具現化した衛星の活動記録から何も変わっていないことに気づき葵を悩ませることになる。順調に事は進んでいるがこの件だけは注視せざるを得ず、ハイロに釘をさして動かないようにしていたところに増えた問題が今回の召喚である。
(使えるようなら計画に取り込むだけだけど…)
面倒なのは第四勇者のように独りよがりの正義を振りかざす人の話を聞かないタイプである。どうも召喚対象に選ばれるのは個性の強い人物が多い。「何かしら法則があるのでは?」と葵は考えるが、それを知ったところで何かが変わるわけでもない。今は新たな異世界人を見極めることが先決だと、葵は思考を切り替える。
ロレンティア城の王座の間、そこで第五勇者は王の隣に立ち微笑んでいた。白い肌、薄紫色のストレートの髪は腰まで伸びており、北欧美人と言って差し支えない器量の白いドレスに身を包んだ儚げな女性だった。
その姿を確認すると第二勇者のデビットは嬉しそうにしている。葵は隣の勇者が余計なことを言う前に鑑定を済ませ、有用そうなスキルを持っているなら引き込もうと「神眼」を用いて彼女の情報を探ろうとする。だがその瞬間―周囲が闇に覆われる。
視界から彼女の姿が消え、目に映る闇の情報が映し出される。少々見えにくいが、葵はそれが魔法によるものとわかると光魔法を用いて闇を払う。
「動くな」
その直後、男の声が聞こえ葵は何者かに腕を後ろに回され、首に突きつけられた短剣が薄く皮を切り裂き、流れた血が首から胸元を伝う。葵はその場にいる幾人かに向けられた言葉を鼻で笑う。ハイロが動かなかった事に疑問を感じながらも、自分の優位を確信している葵からは余裕の笑みは消えない。
「よくやった」
ロレンシア王が葵の背後にいる人物を褒める。葵からすれば状況を全く理解していない阿呆の言葉である。この行動で葵は完全に敵となる。つまりそれはハイロも同時に敵に回すことを意味する。
(馬鹿な人達)
喉元に短剣を突きつけられても葵は冷めた目で周囲を見ていた。多少怪我をしたところで、白石亮から受け取ったポーションがあれば首をかき切られても回復出来る。
「ロレンシア王家に仇なす者に与する勇者『シノセ・アオイ』よ。汝の罪を裁く時は来た」
大仰な台詞に葵は笑いそうになる。この世界の人間は一皮剥けばこうも身勝手なものかと思い、自分が計画を遂行した結果、世界に及ぼす影響を考える価値もないと改めて認識する。
(もう話す価値すらないわね)
葵はわざとらしくため息を吐くと、ハイロに視線をやり「こいつをどうにかして」と伝える。
「あなた…自分の状況をきちんと理解しているのかしら?」
その仕草が気に障ったのか目の前の女が不機嫌な声を出す。葵は彼女の情報を見る。名前は「エアランシュ・マイロー」で所持スキルは「希薄」となっている事を確認し、葵は得心がいく。
(ああ…この能力で気配を極限までさとられにくくして襲撃したのね)
種がわかればつまらないといった風の仕草を見せる。ハイロをどうこう出来るようなスキルではないことを確認し、茶番と化したやり取りを終わらせようとするが予想外の言葉を耳にする。
「姉さん、ダメだよコイツ。話を聞いてない」
目の前の女と自分の首に短剣を当てている男が姉弟だとわかり、勇者が二人召喚されたことに葵は驚く。だが闇に紛れ近づいたことから特に利用出来そうなスキルではないだろうと葵は予想し、早々にこの姉弟を引き込む必要がないと判断する。
後はハイロが二人を始末して終わるだろうと待っていた。しかしハイロが動かない。葵はどうしたことかとハイロを見る。葵にとってこの場にいる者の中で価値のある人物はハイロしかいない。そして彼さえ動けば全てが解決する。だが、その彼は動かない。
『見ないのか?』
ハイロは声を出さずただ唇を動かすだけだった。それが語る内容は「神眼」で読み取ることは出来る。たがそれを意味する事に葵はすぐに気づくことは出来なかった。
(どういうこと? 彼が私を裏切る理由はない。ではこれは何?)
葵はハイロの言葉に従い周囲を見る。「神眼」を用い、その言葉の意味を探るが何もわからない。ハイロは意味のない事をするような人物ではない。何か見落としがあると焦りを覚えた葵に再びハイロは口を動かす。
『こっちを見ろ』
葵はその誘導に従い彼を見た。そして彼のスキルを見て言葉を失った。
「嘘…」
辛うじて絞り出せた声はとてもか細く、弱々しいものだった。葵はじっとハイロの目を見つめる。その目の奥は確かに、赤く、染まっていた。それは、彼女がよく知るものだった。
(有り得ない…違う、こんなはずはない! こんなことは有り得ない!)
計画は破綻した。根底から覆された。それが理解出来ない葵ではない。ただ認められないだけである。
「私が死ねば、目的を果たすことは出来ないわ。元の世界に帰る手段だって失われる!」
「今から命乞い? 残念だけど、姉さんと僕が結ばれない世界になんて未練はないよ。だから君がどうなろうと知ったことじゃないんだ」
葵の叫びは彼らには突然の命乞いと映ったのだろう。だが、葵はハイロしか見ていない。彼にしか声をかけていない。そんな葵を嘲笑い、満足気な表情を浮かべる王も彼女の目には入らない。
(それは所詮模したものに過ぎない! 接続権限がなくては肝心の神の領域は奪えない!)
それがわからないハイロではないはずである。葵の心の叫びが届いたかのようにハイロはその答えを口で示す。
『願えばいい』
ハイロの声のない言葉の意味を葵は理解出来なかった。だが、ハイロが神をこの世界に引きずり出す手段を見つけたことは理解出来た。
『お前はもう、必要ない』
決定的な言葉を唇が語る。立場が逆転していた。たった今、葵はハイロに切り捨てられた。
(彼を見誤っていた? そんなはずはない。彼は確かに戦争の為に生み出された。戦うことで彼は…いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない)
葵は考える。ハイロが最後まで声に出さなかったということは、周囲に聞かれたくない理由があったはずである。だが、葵はその周囲を見て気付く。誰もこの状況で動いていないことに、それどころか声もだしていなかった。第二勇者デビットと第四勇者セインスがこの状況で何もしていないのだ。
(ああ…そういうことなのね)
葵は状況を理解した。このお披露目はつまりそういうことだったのだ。碌でもないことを企てているのだろうとは思っていたが、まさか全員が葵一人を嵌める為集まっていたとは予想していなかった。
元々王国よりだったセインスはともかく、デビットは中立の立場だったはずである。恐らくは召喚に合わせ圧力をかけることで、自分を生贄にして自らの安全を確保させるように仕向けたのだろうと葵は予想する。となれば抵抗すれば四人の勇者を相手にすることとなる。それも腕を取られ、首に短剣を当てた状態から、である。
(私の計画は完璧だったはず…神眼で確認してもこれ以上の方法はなかった。間違いなんて何処にもなかった。どこで狂ってしまったの?)
この状況を打開する手は何もない。「神眼」で得られる情報がそう語る。
葵はただ笑う。この現実を否定するように壊れたように笑い声を上げる。
それが耳障りだったのか、背後にいた男が葵の意識を刈り取った。
誰だ、こんな面倒なスキル考えた奴。そう言いたくなった今回。急ぎ仕上げた物なので後で修正が必要かもしれない。